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第十四章上海事変

第十四章第二十九節(見物人)

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                二十九

 二月二日付の記事にこうある--。

 「深い朝霧が垂れ込め、半ブロック先すら見えないことが、上海に新たな爆撃も砲撃もない安心感をもたらした。ところが九時には霧が晴れ、九時五十五分に蘇州河そしゅうが近くの北四川路きたしせんろへ民国軍側からとみられる砲弾が二発落ちてきた」

 これまで“夢”か“幻”を相手に銃砲撃や爆撃を繰り返してきた日本軍の向こう側に、かすかな第十九路軍の影が現れた--。
 ここにいたって彼の記事にもようやく“変化”の兆しが見え始める。

 もちろん記事全体の論調は依然として日本の行為を“やり過ぎ”と非難めいており、租界の外国人コミュニティーが総じて「アンチ日本」に回っている話も繰り返された。
 だが仮に彼がこう書いたとしても、数日前ほどの悪意を感じられなくなった。

 「塩澤提督が『東京の指示を仰がずとも、現地で必要と判断する作戦を遂行する』と宣言したことや、村井総領事や日本側の当局者が『民国側は明らかに正規軍の指揮下にある“便衣兵”を使っている』と強い口調で非難したため、事態はさらに悪化した」

 昨日までならばこの文章は、「日本側が事態を悪化させた」という含みで書かれたはずだ。だが今回は、直後に「日本側はこうした民国軍の振る舞いが“休戦”の妨げになっていると考えている」と続けており、必ずしも非難がましい意図ばかりではないのが読み取れる。
 加えて記者は、「三日から四日にかけて、日本の避難民たちが汽船で内地へ引き揚げる」と邦人避難民の様子も書き足した。
 こんなことは今までなかった--。
 
 さらに翌三日付になると、書き出しからしてこう変わる。

 「三機ずつ四編隊の日本機が閘北ざほくの民国軍へ集中爆撃を加えている」

 これまで散々、日本軍のみが“弱き華人”をいたぶっているとの論調で描かれてきたこの戦闘が、実は正規軍同士による“ガチンコのタイマン”であることに言及した訳だ。
 すると今まで喉の奥につかえていたものが取れたかのように、とたんに記者は饒舌になった。

 「朝八時過ぎから日華双方による激しい砲撃戦が始まった。昨日の応酬の繰り返しだ」
 
 「昨日の戦闘は四十分間におよぶ民国側の砲撃によってはじまった。次いで機関銃や小銃のタタタタという音が午後三時の激しい爆撃まで、ほぼひっきりなしに続いた」

 「日本の野砲四門が閘北の狄思威路に敷設された民国軍の陣地へ砲火を集中し、榴弾砲六門を擁する陣地を破壊した」

 「午後五時半、民国側の砲弾が日本軍の前線へ着弾し、六時二十分には北四川路近くに置かれた日本の野砲が“お返し”を見舞った」

 しかも上海の高層ビルの屋上は、これら戦闘の様子を眺める「見物人」でひしめいた。
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