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後日談④
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ランプに照り映える花の色の瞳は、美しく優しい。――まだ、身を起こすことも難しいほどに、リオが衰弱していた時分。この瞳に見つめられるだけで、安堵して眠れたことを思い出す。
「凍えたあなたを、エルドラが屋敷に連れてきて。目が覚めるようにとみんなで看病しながら……本当に、こんなにひどい風習が続いていたのかと。憤慨していたの」
それは、リオの記憶にはない頃の話だ。
この国を訪れて、最初のリオの記憶は。目が覚めて? と。優しく笑う、ファランディーヌの姿であったから。
「あなたはとても弱っていて。とても、動けるはずもなくて。……でもね、目を離していると、寝台から下りて行こうとするの」
覚えてはいないかしら、と。囁く声に、リオは小さく頷いた。
それはまた、最初の最初からとんでもない迷惑を……と。落ち込みかけたリオの手を、温かな手が握り締める。
「儀式を、失敗したと思っていたのかしら。……ごめんなさい、って。もう一度行くから、って」
――ごめんなさい。
雪と氷ばかりの聖峰に、一人登りながら。何度も繰り返したその言葉を思い出す。
誰の役にも立てないまま、誰かにとっての何者にもなれないまま。無為に死んでいこうとしていた自分が――優しい人たちに慈しまれて、心から、愛する人を見つけて。結婚の誓いまで立てようとしている現状が、改めて奇跡のように思える。
「ごめんなさいと、詫びながら。自分が死ななくてはならないと思い込んでいるこの子は、どんな悪いことをしたというのかしら? ……そう考えたらね。何をしたって、私たちが守ってあげなくてはと思ったの」
優しいばかりのその声が、リオの胸に染み渡る。以前は空っぽになっていた胸の内には、たくさんの大切な人たちの姿があった。
暖かい手に、いつかのように髪を撫でられて。少しも耐えられずに潤んだ瞳から涙が落ちる。何も言えず、俯くことしかできないリオの髪を、ファランディーヌは優しく撫で続けてくれた。
(ファランディーヌ。……エルドラ。オリガ、キアラ)
その温もりを感じながら、優しい魔法使いたちのことを考える。
リオを愛し、優しさをくれた人たち。彼と、彼女たちがいてくれたから。リオは今、ここに生きて幸せを感じることができるのだ。
「リオ、改めて。私たちの家族になってくれてありがとう。あなたが生きていてくれて、あなたが笑顔を見せるようになってくれて。私たちはとても、嬉しくて楽しかったの。……だから、まだ。もっとずっと、ここにいてくれてもよかったのだけれど」
寂しさを滲ませたその声が、僅かな沈黙の後に、ふふっと柔らかな笑みをこぼす。リオの潤んだ瞳を覗き込んだファランディーヌは、悪戯っぽく微笑みながら、こっそりと囁いた。
「リオは知っているかしら。……この国ではね、赤ちゃんは。母方の家で育てるのよ」
「え?」
突然の話題転換に瞬いたリオは、ほんの少しの間を置いて。その話題が、今の自分と決して無関係ではないことを思い出して、涙に濡れた顔を真っ赤に染め上げた。
そんなリオと、可愛いものを見つめる瞳で見つめて笑ったファランディーヌが、歌うように楽しげに言葉を続ける。
「だからね、こればかりは。エヴァ様がどんなに羨ましがったところで、あなたとアルタイア様の、生まれたての赤ちゃんを育てる幸福は当家のものなの」
今からそれが楽しみだわ、と。殊更に甘い声音で囁かれて、リオは湯気が出るほど真っ赤になってしまう。
具体的にはまだ考えないようにしていたのに、と。恥ずかしさと気まずさに俯くリオの頬に、温かな指が添えられた。
「あなたが生きていてくれたから、私たちはとても楽しかった。エルドラは、自分で望んで、あなたについて行くと決めたのよ。……アルタイア様は、あなたを愛して癒やされた。オリガはこの先、あなたの里帰りを待ちながら花を摘み。キアラは、誰に命じられるまでもなく、あなたの子供のための産着を縫うでしょう」
優しいばかりの未来を語る、その柔らかな笑顔に、リオの目の前はまた涙で滲んでしまう。
リオは今、間違いなく幸せだった。……それは全て、彼女たちのお陰なのだと、伝えたかった。
言いたいことも、言わなくてはいけないことも、まだまだたくさんあったはずのに。――何も言えずに涙を落とすリオの背を、ファランディーヌは優しい手つきで撫で続けてくれた。
「凍えたあなたを、エルドラが屋敷に連れてきて。目が覚めるようにとみんなで看病しながら……本当に、こんなにひどい風習が続いていたのかと。憤慨していたの」
それは、リオの記憶にはない頃の話だ。
この国を訪れて、最初のリオの記憶は。目が覚めて? と。優しく笑う、ファランディーヌの姿であったから。
「あなたはとても弱っていて。とても、動けるはずもなくて。……でもね、目を離していると、寝台から下りて行こうとするの」
覚えてはいないかしら、と。囁く声に、リオは小さく頷いた。
それはまた、最初の最初からとんでもない迷惑を……と。落ち込みかけたリオの手を、温かな手が握り締める。
「儀式を、失敗したと思っていたのかしら。……ごめんなさい、って。もう一度行くから、って」
――ごめんなさい。
雪と氷ばかりの聖峰に、一人登りながら。何度も繰り返したその言葉を思い出す。
誰の役にも立てないまま、誰かにとっての何者にもなれないまま。無為に死んでいこうとしていた自分が――優しい人たちに慈しまれて、心から、愛する人を見つけて。結婚の誓いまで立てようとしている現状が、改めて奇跡のように思える。
「ごめんなさいと、詫びながら。自分が死ななくてはならないと思い込んでいるこの子は、どんな悪いことをしたというのかしら? ……そう考えたらね。何をしたって、私たちが守ってあげなくてはと思ったの」
優しいばかりのその声が、リオの胸に染み渡る。以前は空っぽになっていた胸の内には、たくさんの大切な人たちの姿があった。
暖かい手に、いつかのように髪を撫でられて。少しも耐えられずに潤んだ瞳から涙が落ちる。何も言えず、俯くことしかできないリオの髪を、ファランディーヌは優しく撫で続けてくれた。
(ファランディーヌ。……エルドラ。オリガ、キアラ)
その温もりを感じながら、優しい魔法使いたちのことを考える。
リオを愛し、優しさをくれた人たち。彼と、彼女たちがいてくれたから。リオは今、ここに生きて幸せを感じることができるのだ。
「リオ、改めて。私たちの家族になってくれてありがとう。あなたが生きていてくれて、あなたが笑顔を見せるようになってくれて。私たちはとても、嬉しくて楽しかったの。……だから、まだ。もっとずっと、ここにいてくれてもよかったのだけれど」
寂しさを滲ませたその声が、僅かな沈黙の後に、ふふっと柔らかな笑みをこぼす。リオの潤んだ瞳を覗き込んだファランディーヌは、悪戯っぽく微笑みながら、こっそりと囁いた。
「リオは知っているかしら。……この国ではね、赤ちゃんは。母方の家で育てるのよ」
「え?」
突然の話題転換に瞬いたリオは、ほんの少しの間を置いて。その話題が、今の自分と決して無関係ではないことを思い出して、涙に濡れた顔を真っ赤に染め上げた。
そんなリオと、可愛いものを見つめる瞳で見つめて笑ったファランディーヌが、歌うように楽しげに言葉を続ける。
「だからね、こればかりは。エヴァ様がどんなに羨ましがったところで、あなたとアルタイア様の、生まれたての赤ちゃんを育てる幸福は当家のものなの」
今からそれが楽しみだわ、と。殊更に甘い声音で囁かれて、リオは湯気が出るほど真っ赤になってしまう。
具体的にはまだ考えないようにしていたのに、と。恥ずかしさと気まずさに俯くリオの頬に、温かな指が添えられた。
「あなたが生きていてくれたから、私たちはとても楽しかった。エルドラは、自分で望んで、あなたについて行くと決めたのよ。……アルタイア様は、あなたを愛して癒やされた。オリガはこの先、あなたの里帰りを待ちながら花を摘み。キアラは、誰に命じられるまでもなく、あなたの子供のための産着を縫うでしょう」
優しいばかりの未来を語る、その柔らかな笑顔に、リオの目の前はまた涙で滲んでしまう。
リオは今、間違いなく幸せだった。……それは全て、彼女たちのお陰なのだと、伝えたかった。
言いたいことも、言わなくてはいけないことも、まだまだたくさんあったはずのに。――何も言えずに涙を落とすリオの背を、ファランディーヌは優しい手つきで撫で続けてくれた。
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