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後日談②
6-10(了)
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(……たくさん泣かせてしまった)
初めは確かに、間違いなく。泣き止んで欲しいと願いながら、彼を慰めていたはずなのに。最終的に、嫌われてしまわないだろうかと心配になるくらいに手酷くしてしまった。
失神はせずに頑張ってくれたリオの、とろとろに蕩けてしまった瞳に口付けを落とし、短くなってしまった髪にも優しく口づける。もう半分以上意識が飛んでいる様子のリオは、しかし、幸いなことにアルトを嫌いになったということはないようだ。
ふふ、と。甘い吐息をこぼして、夢見心地に微笑んでくれたことに安堵しつつ――もっと泣かせたい、と。そんな衝動が、己の内にもあることに。他でもないアルト自身が驚いていた。
「……おやすみなさい、リオ」
燃え盛る炎のような衝動をやり過ごし、優しい声で呼びかければリオも安心してくれたのだろうか。腫れてしまった目蓋がそっと下りて、健やかな寝息を立て始める。
これでは明日になる頃には、目が開かなくなっていることだろう。彼が困らないように、アルトは指先で、目蓋に冷却と回復の魔術をほんの少しだけ重ね掛けしておいた。
(……頭を冷やそう)
無防備な、可愛い寝顔を見ていると、先ほどまでの無体が一層申し訳なくなる。このまま何事もなく隣で眠れるほど肝が据わっているわけでもないアルトは天幕を出て、奇妙に静かな夜に瞬いた。
その違和感の元を突き止める前に、よっす、と。一国の王子にかけるには軽すぎる声を向けられたものの。そのこと自体には慣れてしまったアルトは、特に咎めはせずに顔を向けた。
「テオドール。お前だけか?」
「あー、まあ。勿論他にもいたけどさあ」
元より物怖じするところのない、飄々とした男ではあるが、最低限の礼儀は心得ている男でもある。そんな彼がこの口調ということは、恐らくは本当に、現在この場にいるのは彼だけなのだろう。テオドールの歯切れの悪い物言いに、アルトは怪訝な顔をした。
――そう、静か過ぎる。任務中である以上、誰も彼も、殊更に騒ぎ立てるようなことはしないはずだが。普段は、寝ずの番の兵たちが程々に談笑などしているはずなのだ。
何か不測の事態でもあったのかと眉をひそめれば、そんな深刻な顔をすることじゃないと、軽薄に笑い飛ばされる。真意を窺いづらいその態度に、ますます怪訝な目を向ければ。んー、と。どう言ったものかと思案するような態度でテオドールが間を置いた。
「まあ、いいことだとは思うんだけど。誰も俺ほど達観してるわけじゃないっつうか、なんつうかさ」
「……? お前は時々、言葉を濁し過ぎる」
はっきり言え、と。アルトが短くそう告げれば、今の会話の何がおかしかったのかは不明だがテオドールが吹き出す。だからさあ、と。彼はあくまで、砕けた物言いを続けた。
「んー……妃殿下の、お声をさあ。聞いて勃ったら死刑じゃん?」
全くもって品のないジェスチャーの後に、斬首を示唆して首を叩いたテオドールの直截な物言いに、アルトは流石に目を丸くした。そうして、険を浮かべた冷たい流し目を送る。
そんな顔すんなって、と。ますます愉快そうにケラケラ笑われて、不本意ながらに相手の言葉に一理を認めたアルトは、ため息を落として矛を収めた。
(これは……言われる私が悪い)
言い方があるだろうとは思ったが、はっきり言えと言ったのも自分なので仕方ない。図星を突かれている以上は、どう相手を非難しようともアルトの八つ当たりになってしまう。
放浪の間に築いた縁は、些か苦い記憶を含んでいたとしても、プラスの関係であることには間違いがない。アルトにとっても、殊更に節度を取り繕わないでも付き合える身近な相手の存在は、確かに有難いものだった。
「……心遣いに礼を言う」
恐らくは、気を利かせて人払いをしてくれたのだろう彼に、渋々ながらも感謝の意を示しておく。アルトだって、愛しい相手の嬌声など、他の誰にも聞かせたくはない。……だから、こんな野外に近い環境で、あんな無茶などする気はなかったのに。
それでも――髪を切られただけで、あんなにも泣いてしまうほど。アルトが知らないところで、誰に、どう傷を付けられたのかと。そう思い至った瞬間に燃え上がったそれは、怒りにも似た嫉妬だった。
たった一人に執着して、こんなにも不完全になってしまう自分を始めて知ったアルトのため息を受け流すように。どういたしまして、と。テオドールは、あくまでも気安い態度で軽やかに笑った。
「まあ俺は、お前の友達のつもりでいるからさ。お前にそんな顔をさせられるお姫様は貴重だって知ってるワケ」
知り合った頃は、まるで精緻な氷細工のようだった。そんな王子様の変化を好ましく思っているテオドールは。だからまあそんな難しい顔はしないで、と。ごく気安くアルトの肩を叩いた。
「お前のお姫様は素直だからさ、何でも真に受けすぎることはあるんだろうけど。その度にこんだけ情熱的に盛り上がれるなら、それはそれでいんじゃん?」
「……お前の助言は軽薄過ぎる」
「あれ、いい仕事したと思ってるんだけどな」
この前も楽しかったろ? と。隠す気もなくウインクなどされて。あまりにも堂々と告白されたいらぬお節介の正体に、流石に呆れたアルトが苦笑する。
「好きな相手は、自分の腕に抱いて守るのが一番だ。……だから、お前は正しいよ」
その言葉は、思いの外、真面目なものだった。
彼にも、誰か、想う相手でもいるのかと。初めて他人の恋模様などを気にしたアルトは。それでも年頃の男らしい会話というものが今一つ解らないまま、そうか、とだけ。短く答えた。
初めは確かに、間違いなく。泣き止んで欲しいと願いながら、彼を慰めていたはずなのに。最終的に、嫌われてしまわないだろうかと心配になるくらいに手酷くしてしまった。
失神はせずに頑張ってくれたリオの、とろとろに蕩けてしまった瞳に口付けを落とし、短くなってしまった髪にも優しく口づける。もう半分以上意識が飛んでいる様子のリオは、しかし、幸いなことにアルトを嫌いになったということはないようだ。
ふふ、と。甘い吐息をこぼして、夢見心地に微笑んでくれたことに安堵しつつ――もっと泣かせたい、と。そんな衝動が、己の内にもあることに。他でもないアルト自身が驚いていた。
「……おやすみなさい、リオ」
燃え盛る炎のような衝動をやり過ごし、優しい声で呼びかければリオも安心してくれたのだろうか。腫れてしまった目蓋がそっと下りて、健やかな寝息を立て始める。
これでは明日になる頃には、目が開かなくなっていることだろう。彼が困らないように、アルトは指先で、目蓋に冷却と回復の魔術をほんの少しだけ重ね掛けしておいた。
(……頭を冷やそう)
無防備な、可愛い寝顔を見ていると、先ほどまでの無体が一層申し訳なくなる。このまま何事もなく隣で眠れるほど肝が据わっているわけでもないアルトは天幕を出て、奇妙に静かな夜に瞬いた。
その違和感の元を突き止める前に、よっす、と。一国の王子にかけるには軽すぎる声を向けられたものの。そのこと自体には慣れてしまったアルトは、特に咎めはせずに顔を向けた。
「テオドール。お前だけか?」
「あー、まあ。勿論他にもいたけどさあ」
元より物怖じするところのない、飄々とした男ではあるが、最低限の礼儀は心得ている男でもある。そんな彼がこの口調ということは、恐らくは本当に、現在この場にいるのは彼だけなのだろう。テオドールの歯切れの悪い物言いに、アルトは怪訝な顔をした。
――そう、静か過ぎる。任務中である以上、誰も彼も、殊更に騒ぎ立てるようなことはしないはずだが。普段は、寝ずの番の兵たちが程々に談笑などしているはずなのだ。
何か不測の事態でもあったのかと眉をひそめれば、そんな深刻な顔をすることじゃないと、軽薄に笑い飛ばされる。真意を窺いづらいその態度に、ますます怪訝な目を向ければ。んー、と。どう言ったものかと思案するような態度でテオドールが間を置いた。
「まあ、いいことだとは思うんだけど。誰も俺ほど達観してるわけじゃないっつうか、なんつうかさ」
「……? お前は時々、言葉を濁し過ぎる」
はっきり言え、と。アルトが短くそう告げれば、今の会話の何がおかしかったのかは不明だがテオドールが吹き出す。だからさあ、と。彼はあくまで、砕けた物言いを続けた。
「んー……妃殿下の、お声をさあ。聞いて勃ったら死刑じゃん?」
全くもって品のないジェスチャーの後に、斬首を示唆して首を叩いたテオドールの直截な物言いに、アルトは流石に目を丸くした。そうして、険を浮かべた冷たい流し目を送る。
そんな顔すんなって、と。ますます愉快そうにケラケラ笑われて、不本意ながらに相手の言葉に一理を認めたアルトは、ため息を落として矛を収めた。
(これは……言われる私が悪い)
言い方があるだろうとは思ったが、はっきり言えと言ったのも自分なので仕方ない。図星を突かれている以上は、どう相手を非難しようともアルトの八つ当たりになってしまう。
放浪の間に築いた縁は、些か苦い記憶を含んでいたとしても、プラスの関係であることには間違いがない。アルトにとっても、殊更に節度を取り繕わないでも付き合える身近な相手の存在は、確かに有難いものだった。
「……心遣いに礼を言う」
恐らくは、気を利かせて人払いをしてくれたのだろう彼に、渋々ながらも感謝の意を示しておく。アルトだって、愛しい相手の嬌声など、他の誰にも聞かせたくはない。……だから、こんな野外に近い環境で、あんな無茶などする気はなかったのに。
それでも――髪を切られただけで、あんなにも泣いてしまうほど。アルトが知らないところで、誰に、どう傷を付けられたのかと。そう思い至った瞬間に燃え上がったそれは、怒りにも似た嫉妬だった。
たった一人に執着して、こんなにも不完全になってしまう自分を始めて知ったアルトのため息を受け流すように。どういたしまして、と。テオドールは、あくまでも気安い態度で軽やかに笑った。
「まあ俺は、お前の友達のつもりでいるからさ。お前にそんな顔をさせられるお姫様は貴重だって知ってるワケ」
知り合った頃は、まるで精緻な氷細工のようだった。そんな王子様の変化を好ましく思っているテオドールは。だからまあそんな難しい顔はしないで、と。ごく気安くアルトの肩を叩いた。
「お前のお姫様は素直だからさ、何でも真に受けすぎることはあるんだろうけど。その度にこんだけ情熱的に盛り上がれるなら、それはそれでいんじゃん?」
「……お前の助言は軽薄過ぎる」
「あれ、いい仕事したと思ってるんだけどな」
この前も楽しかったろ? と。隠す気もなくウインクなどされて。あまりにも堂々と告白されたいらぬお節介の正体に、流石に呆れたアルトが苦笑する。
「好きな相手は、自分の腕に抱いて守るのが一番だ。……だから、お前は正しいよ」
その言葉は、思いの外、真面目なものだった。
彼にも、誰か、想う相手でもいるのかと。初めて他人の恋模様などを気にしたアルトは。それでも年頃の男らしい会話というものが今一つ解らないまま、そうか、とだけ。短く答えた。
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