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第三章

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 リオの問いに、うーん? と。彼は、そんなこと初めて考えたと言わんばかりにきょとんとした顔で、大きく首を捻った。

「何だろ? こっちの方が楽しいからかな。……ウチはずっと、女王様のお城で下働きしてた家なんだけどね。ある日突然、女王様が療養に入るからって、一斉解雇されちゃってさあ」

 ひどくない? と。その言葉に滲む怒りは最もだ。仕事がなければ生活は成り立たない。貧しい国に生まれたリオは、特に冬に仕事を失うことは民の死活問題であったことを、実感として知っていた。
 寒い季節に幾度かの炊き出しをするだけで、民衆はリオと姉を、天の使いだと噂したくらいなのだ。

「でも当然、そんなのウチだけじゃなかったからさ。王都周辺の街は失業者とか浮浪者が路上に溢れて、治安も最悪になるし。それでも誰も何もしてくれないし、僕みたいのまで売り飛ばされそうになるしでさあ。焦った両親がひとまず僕と姉ちゃんだけでもってばあちゃんに預けたんだけど、ばあちゃんだって生活いっぱいいっぱいだし、姉ちゃんはグレるしさ……」

 もういたたまれないったら、と。頭を抱える彼が本当に参っているように見えて、リオは慰めだけではどうにもならないこともあると知りつつ、アスランの小さな背中を擦った。
 何をされているのか解らなかったのか、しばらくきょとんとした後に、ありがと、と。短く朗らかに笑ったアスランは、ため息と共に言葉を続けた。

「何かさあ、流石に何かあったのは察したけど、じゃあ何ができるかって言うと何もなくて……それが何か、嫌だったんだよね。自分たちは蚊帳の外で、結果だけに振り回される、っていうのが。だからね、こんな機会も滅多にないんだから。僕が好きな方に肩入れして、結果を待つのもいいかなって」

 そんな感じ、と。笑う顔は楽しそうだ。
 彼らの行動は、一つ間違えれば命の危険に直結する類のものであることを、リオはすでに何となく理解していたけれど。ただただ無邪気に可愛らしく見える彼は、びっくりするほど肝が太い部分も持ち合わせているようだ。

「もうさあ、ぶっちゃけ単純に、こっちの方が格好よかったんだよね。……変なのに絡まれて、ばあちゃんの店壊されそうになってた時にさ。アルトたちが足を止めてくれて」
「アルトくんが?」

 思わぬところで出てきた名前に、リオがぱちりと瞬けば。アスランは夕日のせいばかりでなく紅潮した顔で、にっこりと笑った。

「やー、ヤバかったよ。『見苦しい』って一言呟くなり、問答無用。喧嘩っ早いと言うか、意外に雑って言うか。しかもあの超美麗な鉄面皮じゃん? そんな王子様が、すごい強面の大男を顔色さえ変えずに吹っ飛ばすっていう。もうシュールったらなかったね」

 鉄面皮と言うには心当たりがなかったが、へええ、と。リオは興味を惹かれて目を輝かせた。これまでリオが目にしてきた、優美な彼の姿とはあまり一致しない過激な武勇伝に、思わず笑みがこぼれてしまう。
 リオの笑顔に、どこか得意げな笑顔を返したアスランが、ハッと急に顔色を変えて四方を窺う。誰もいないことを確認すると、今僕が喋ったこと大体内緒でヨロシク、と。突然箝口令を敷かれて、リオはまた笑ってしまった。

「そんな風にさ、肩書きがなくたって色々規格外なアルトがさ、まるでごく普通の青少年みたいにさあ……何か僕もしんみりしちゃうっていうか……あー、だからね」

 君はいっぱい、自分のことを大事にしてね! と。びしりと指を立てて言い聞かせられて、うん、と。リオは頷いた。
 そのあまりにもふわっとした返事に、解ってるのかなあ、と。アスランは困ったように首など傾げたが。

「そんなことがあったんだ。……でも、舞台を見ても思ったけど。アルトくん、かなり目立ってるよね。大丈夫なのかな」
「うーん、まあ、大胆だなとは思うけど。王子様みたいな美形を見てさあ、本当の王子様だと思うような客もそんないないよ」

 その言い分に、リオはちょっと吹き出してしまったが、それもそうかもしれない。まして彼は存在そのものが隠されていたようだし、彼とエヴァンジェリンを結び付けられるほどに女王の顔をよくよく見知ったものなど、街にはそうそういないだろう。
 仮面やフェイスベールを多用できる演目を選んだのは、万一のための備えであったかもしれないけれど。リオが参加した夜会でも、彼に熱を上げていたのは全体的に年若い少女たちばかりだった。

「僕たちだけで話題が攫えれば何よりなのかも知れないけど。でもまあ、確実に潜入させたいのはアルトだし。それに、僕とかだとそんなに魔力もないし、一芸ができるってわけでもないんだよね。ばあちゃんの家が花屋だったからさ、これだけ得意なんだけど」

 そう口にしたアスランが、すっとリオに手を差し出す。何かな? と。首を傾げたリオの目の前に、ぽん、と。微かな音を立てて、綺麗な白い花が姿を現した。

「……えっ? すごい!」
「すごくないよ!」

 アスランはそう言ったが、リオの目には十分にすごい。花を手にしたリオが、すごいすごいと繰り返していれば、彼はどこか照れくさそうな顔をして。ぽんぽん、と。また新たな色とりどりの花を、その手から生み出していく。
 かさりと乾いた色のその花は造花のようだったが、それでも細部までとても綺麗に造られていた。

「生花は高価だから、造花も喜ばれるんだ。役者の衣装に合わせた色を作って、皆のファンに売ったらさあ、これが中々大当たりで」

 結構儲かったんだ、と。少しだけ得意そうに笑ったアスランを、なおもすごいねと褒め讃えれば、そんなにすごい? と。顔を赤くした彼が、ぽん、と。大きな花輪を作ってくれた。
 わあ! と。単純にびっくりしたリオが大きな声を出し、そのままパチパチと拍手を送れば、本当に褒められ慣れていないらしいアスランは真っ赤になってしまった。
 殺される……などと、顔を覆って物騒なことを呟く彼をきょとんとした顔で見つめると、アスランは何故か後退った。とにかく、と。慌てたように話を逸らされる。

「君はアルトの特別だから! もう本当に、気を付け過ぎるくらい気を付けてね!」
「ふふ、うん。……でも、アルトくんは。その……他にもいっぱい、綺麗な人を、知ってるんだよね」

 ついつい、しゅん、と。項垂れてしまえば、アスランがパチリと瞬いた。思いがけないことを言われたとばかりの間を置いて、あーうん、と。どこか曖昧な返事を呟く。

「うーん、でも、アルトって潔癖症だから。そういうのはあんまり気にしなくていいと思うけど」
「そうなの? ……でも、あの。それこそ今日の舞台だって。シンシアさんがお姫様だった方がお似合いだったと思うし」
「えー? いやまあ、確かに最初はあの二人で組んでたけど……アルトはあの通りだし、シンシアちゃんは根っからの可愛いもの好きだしでさあ、全然心も籠ってなかったって言うか」

 もうそこばっかりは演技力でどうにかなる所でもなかったね、と。一角の演劇通のような顔をして辛めの評論をするアスランは、リオを慰めてくれているのだろうか。その気持ちは有難く受け取りつつ、夜会に集っていた、それこそお姫様に相応しいようなキラキラした少女たちのことも思い出すと、気分が塞いでしまう。

(あれは、アスランくんの造花だったんだ)

 彼と出会ったあの夜、彼を取り囲んでいた少女たちは皆、その瞳に真っ直ぐな思慕を溢れさせて。その誰もが、彼の目に留まることを願いながら、その胸に白い花を飾っていたのだから。
 リオはますますしょぼんとしてしまったものの、アスランは本当に心当たりがないという顔をして、うーんと首を捻った。

「でも本当、髪の毛に触られるだけでも嫌みたいだからさ。大丈夫だよ。君だって、どうせ目と目を合わせたくらいだったでしょう?」
「う、うん……そうだね、それと。足を撫でられたくらい……?」

 パニックでしかなかった初めての夜を思い返せば、確かに、それほど決定的なことは起こっていなかったような気もする。
 少しほっとしてきたリオとは逆に、え、と。呟くアスランは、どこなくぎょっとしているようだった。

「アルトって、自分から触ったりすることあるんだ……あー、ええと。あとは適当に、服装を乱すとか?」
「そうだね。そ、それと……首に、キスくらい……?」

 思い出しながら恥ずかしくなってしまったリオが、改めて顔色をぼわっと赤くしながら呟けば、うぇっ!? と。大きな声を上げたアスランが硬直した。

「? どうしたの?」
「あ、ああ、うん……。いや、何でも……無いこともないというか」

 挙動不審になったアスランが、視線を泳がせて口籠る。リオが不思議そうに首を傾げれば、彼は、ちょっと待って……と。片手で顔を覆うようにして深呼吸をした。
 大人しく待つリオの目前で、しばし深呼吸を繰り返したアスランが、最後に長く息を吐く。そうして、がばっと勢いよく顔を上げた。

「普通にスケベじゃん!」
「――何の話をしているんだ」

 呆れたような低い声でアスランに突っ込んだのは、いつの間にか二人の近くに立っていたアルトだった。
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