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第6部 飛び立つ勇気

5-7世界中の人たちの心の支えになりたい

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 夕方。私は会社のキッチンで、お茶の用意をしていた。以前は、もっと早い時間に、お茶をしてたけど、最近は、午後四時過ぎが多い。リリーシャさんは、相変わらず忙しいし。私は、ユメちゃんの家に、毎日、通っているからだ。

 ただ、ユメちゃんの家は、以前に比べて、滞在時間が、だいぶ短くなっていた。今では、私と一緒であれば、家の庭の散策ぐらいは、できるようになったからだ。最初のころに比べれば、大変な進歩だった。

 つい先日までは、窓の外すら、見られなかったのに。やっぱ、若いって凄いよねぇ。すぐに、順応しちゃんだから。

 ただ、万事順調に行ってるように見えるけど、恐怖がなくなった訳ではない。時折り、空を不安げに見上げたり、神経質な行動が多かった。完全に、普通の日常生活に戻るには、もうしばらく、時間が掛かりそうだ。

 私は、一緒に庭を歩きながら、いろんな話をした。ユメちゃんは、向こうの世界の話に、特に興味津々だった。私の話を聴くたびに『いつか行ってみたい!』と、息まいている。

 行くだけなら、そんなに難しくはない。向こうとこちらの世界の行き来に、ビザは必要ない。パスポートも、マギコンで、簡単に申し込める。ユメちゃんなら、旅費の心配も全くいらないし。順調に回復すれば、そう遠くないうちに、行けるはずだ。

 私が、こっちに来た時に比べれば、全然、楽勝だよね。心の病を除けば、あらゆる物を持ってるんだから。

 私は、用意できたお茶を、ダイニングのテーブルに並べる。さらに、焼き菓子の入ったお皿を、中央に置いた。

 準備が完了すると、私は、静かに隣の部屋に向かう。事務所では、リリーシャさんが、事務仕事をやっている最中だった。

 相変わらず、デスクワークは全て、リリーシャさんの担当だ。私は、邪魔にならないよう、タイミングを見計らい、そっと声を掛ける。

「リリーシャさん、お茶の準備が出来ました」
「ありがとう、風歌ちゃん」

 リリーシャさんは笑顔で答えると、一緒にダイニングに向かった。

 席に着くと、私は、じっと身構える。リリーシャさんが、お茶を飲んだ時の反応を、確認するためだ。ティータイムは、楽しい時間であると共に、私のお茶の腕前の、試験でもあった。

 お茶を一口、飲んだあと、
「今日も、とても美味しいわ。風歌ちゃん」 
 リリーシャさんは、優しい笑みを浮かべながら、感想を口にした。

 それを聴いて、私はホッとしながら、自分もお茶の味を確かめる。リリーシャさんは、優しいから、あまり厳しいことは言わない。でも、反応を見れば、本当に美味しいかどうかは、何となく分かる。

 うん、いい感じ。温度も渋みも、ちょうどいいかな。そういえば、ユメちゃんの家で出される、リチャードさんが淹れるお茶って、すっごく美味しいんだよね。あのお茶の淹れ方を見て、結構、勉強になったのかも……。

「お仕事はどう? 順調かしら?」 
「はい。今のところ、いたって順調です。まぁ、観光案内のほうは、相変わらずで。ちょっとした、道案内だけですけど――」

 今は、リチャードさんからの依頼で、ユメちゃん専属の、仕事があるからいいけど。本業の観光のほうは、パッとしない。フリーで見つけるお客様は、観光案内ではなく、道案内ばかりだ。

「最初は、誰もが、そんな感じだから。私も、そうだったし」
「リリーシャさんも、道案内とか、やってたんですか?」

「えぇ。毎日、雑用をやって、ちょっとした道案内をして。仕事がないほうが、多かったわ。母は、いつも予約で一杯だったから、焦ったりもしたし」
「ほへぇー……。なんか、信じられないですね」

 そもそも、リリーシャさんに、見習い時代があったこと自体、まるでイメージが湧かない。滅茶苦茶、大人気なのもあるけど、何でも、完璧にこなしてしまうから。最初から、何でも出来たのだと、つい思ってしまう。

「私は、母のような、天才肌ではなかったから。物凄く、地味に頑張って来たの。でも、ほとんどの人は、そうだと思うわよ」 
「ですよね。私も、凡人代表のような人間なので。こつこつ、頑張らないと」
 
 二人で視線を合わせると、くすくす笑う。

「あの――ところで、今回の件なんですけど。ユメちゃんは、大事な親友なので、私は、とても嬉しいんですが。会社としては、本当に、受けても良かったのでしょうか……?」

 私は、ずっと気になっていた疑問を、口にする。

 そもそも、私は、仕事としてではなく、個人的に、ユメちゃんを助けようと思っていた。つまり、友人として手伝うつもりで、元々は、仕事でやるつもりはなかった。

 私たちの友人関係は、会社には無関係だし。何より、ユメちゃんの件は、リリーシャさんにとっても、複雑な問題だからだ。

「それは、ユメちゃんの、お手伝いこと? 正式な依頼だし、何も問題はないと思うけれど。仕事の内容が、観光とは違うから?」

「いえ、そうではなくて――。その、つまり……アリーシャさんが、事故に巻き込まれた時の当事者で。それで、本当に良かったのかと、思いまして――」

 もし、私がリリーシャさんの立場だったら、そうとう複雑な心境だったと思う。自分の大事な家族が、命を落とす原因となった人を、素直に受け止められるか、正直、自信がない……。

「もしかして、私のことを、心配してくれているの?」

「そういう訳では――。いえ、そうです。ユメちゃんは、大事な友達ですけど。それ以上に、私にとっては、リリーシャさんが、大事なので。気分を悪くされたんじゃないかと思って……」

 ユメちゃんは、この世界に来て、初めての友達だから、とても大切だ。でも、それ以上に、私を救い上げてくれて、私の目標であるリリーシャさんは、何よりも大切だ。私にとっては、本物の天使のような存在だから。

 リリーシャさんは、しばし無言になって、考え込んでいた。やはり、色々と想うところが、あったのだろうか?

「確かに、母を失うことになった、あの悲しい事故は、今でも、私の心の傷になって、残っているわ。大げさな言い方かもしれないけれど、私の人生を、大きく狂わせてしまったのだから――」

 別に、大げさでも何でもないと思う。本来であれば、今もアリーシャさんが生きていて、二人でこの会社を切り盛りして、幸せにやっていはずだ……。

「でも、それとユメちゃんは、何も関係ないでしょ? むしろ、彼女は、被害者なのだから。体にも心にも、大きな傷を負って、今でも苦しみ続けている。それを助けてあげるのは、シルフィードとして、立派な仕事だわ」 

「私だって、そんな人がいたら、力になってあげたいと思う。でも、この仕事は、風歌ちゃんにしか、出来ないことだから。そうでしょ?」

「えぇ、まぁ、そうなんですけど――」

 理屈では、その通りだ。でも、ずっと苦しみ続けて来たのは、リリーシャさんだって、同じはず。一時は、シルフィードを引退しようとすら、思っていたのだから。本当に、納得できているのだろうか……?

「もしかして、私がユメちゃんこと、恨んでいるとでも思った?」
「えっ?! いや、そんなことは、絶対にありませんよ! 優しいリリーシャさんが、そんなこと、する訳ないじゃないですか」

「私は、別に優しくなんかないし、聖人でもないのよ。風歌ちゃんが、退院してきた時だって、私、とても怒ってたでしょ?」
「えぇ、まぁ――」

 あの時の無言の圧力は、物凄く怖かった。あんな静かな怒りは、初めて見たから。

「だから、私も、普通に怒ったり、恨んだりもするわ。でも、今回の件は別よ。たまたま、助かったのが、彼女だっただけで。もしかしたら、逆だったかもしれないし。二人とも、命を落としていたかもしれない」

「これは、誰が悪い訳でもないわ。その時、操縦していた、シルフィードもね。不幸な事故は、二度と起こしてはいけない。でも、誰かを悪者にしたり、恨んだりするのは、筋違いだと思うの」

 リリーシャさんは、真剣な表情で静かに語っている。その言葉は、自然と出ていて、何の迷いもなかった。きっと、本心から、言っているのだろう。

「すいません。変に気を回してしまって。そこまで、しっかり考えられていただなんて。やっぱり、リリーシャさんは、凄いですね。心から尊敬します」

 つくづく、リリーシャさんは、凄いと思う。懐が深いというか、達観しているというか。そんな優しさが、私がリリーシャさんに、強く惹かれる理由だ。

「そんなことないわ。偉そうに言っている割には、一年近くも、落ち込んでいたのだから。私も、ユメちゃんと同じで、かなり長く、引き籠っていたのよ」
「あぁ、そういえば……」

 そうだった。アリーシャさんが亡くなったあと、ずっと家に籠っていたって、ツバサさんが話してた。

「でも、風歌ちゃんこそ、本当に凄いわね」
「えっ、何でですか? 私なんて、何のとりえもない、ただの平凡な人間ですよ」

 お金もない、知識もない、経験もない、地位も人気もない。ないない尽くしの人間だ。凄いと言ったら、体力ぐらいかな?

「でも、風歌ちゃんは、すでに、二人の引き籠りを、救い出しているのよ。凄いと思わない?」

「あー、言われてみれば。って、リリーシャさんは、引きこもりじゃ、ないじゃないですか。自分で、克服した訳ですし」

 引きこもりだなんて、とんでもない。行き場のなかった、見ず知らずの私に、手を差し伸べてくれて。住居ばかりか、仕事まで与えてくれた。しかも、こんなに美しくて完璧な引きこもりが、いる訳がない。

「それは、違うわよ。ツバサちゃんにも、物凄く助けられたし。風歌ちゃんにだって、助けてもらってばかりだもの」

「えっ?! 私、何も助けてませんよ。私のほうこそ、助けられっぱなしで。今でも、あまり役に立ててませんし。ユメちゃんの件は例外で、相変わらず、営業も上手く行ってないのに――」

 お給料は上がったのに、売上では、ほとんど、貢献できてないんだよね。そのことは、日々物凄く気になっている。

「心の支えとして、どれだけ、助けられているか。助けるというのは、目に見えるものだけではないの。ユメちゃんの件もそうだし、人にとって、本当に大切なのは、心の助けなのよ」

「どんな人間だって。それが、例え上位階級の、シルフィードだとしても。心の支えなしには、生きていけないのだから」

 あぁー、なるほど……。それは、凄くよく分かる。私にとっても、リリーシャさんは、大きな心の支えだし。特に、ユメちゃんには、何度も何度も、心の支えとして助けて貰っていた。

 結局、人というのは、支えて支えられ。お互いに、心を支え合って、生きているのかもしれない。例えそれが、自分よりも、ずっと凄い人だったとしても。

「私でも、リリーシャさんの心の支えに、なれているんですか――?」
「えぇ、もちろんよ。今までも、これからも」

 リリーシャさんは、とても優しい笑みを浮かべる。その表情を見ていると、心がポカポカと、温かくなってきた。

「風歌ちゃんは『自分に何の才能もない』と言うけれど。けっして、そんなことはないわ。人の心を支えてあげる力。それは、何ものにも代えがたい才能だと思うわ」
「才能……私の……?」

 それは、全く思いもしない言葉だった。昔から、何をやっても、中途半端でダメだったし。何の才能もない人間だと思って、ずっと生きて来た。実際、目に見える才能は、今だって、何一つ持っていない。

 でも、人の心を支えるのが『才能』と言えるなら、私はこれからもっと、自信をもって進んでいける。私が、世界一、尊敬する人が、そう言ってくれているのだから。私は、私を認めてくれる、リリーシャさんの言葉を信じたい。

「だから、私を支えてくれたように、今度は、彼女のことを支えてあげて」
「はい! 全力で支えます」

 リリーシャさんの言葉に、私も心からの笑顔で答える。

「前から、思っていたけど。風歌ちゃんは、母に、よく似ているのよね」
「えっ――。私が、アリーシャさんにですか?」

 そういえば、以前、ユメちゃんにも、同じことを言われた気が……。

「母もね、人の心を支える才能を、持っていたのよ」
「それなら、リリーシャさんと、同じじゃないですか?」
「私の気遣いとは、また違うものよ。生まれながらの、性格の問題だから」

 確かに、アリーシャさんとリリーシャさんは、対照的な評価をされている。

 アリーシャさんは、明るくて自由闊達な性格。リリーシャさんから、聴いた話を総合しても、相当に大雑把な人だったらしい。

 でも『世界中の人を笑顔にしたい』という言葉を残した通り、その本質には、人の心を支える、強い想いがあったのだろう。

 私も、彼女のように、沢山の人たちの心の支えになりたい。もし、私の唯一の才能だというのであれば、なおのこと。

 シルフィードとしてだけでなく、人として、そう生きて行きたいから……。


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次回――
『憧れて追い掛ける側から追いかけられる側に』

 そうだ、誰かを助けたいという願いが綺麗だったから憧れた!
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