52 / 363
第2部 母と娘の関係
2-2近くて遠く感じる実家で久しぶりに母との会話
しおりを挟む
水曜日。今日は〈ファースト・クラス〉の定休日だ。しかし、会社が休みとはいえ、私の行動は何も変わらない。朝六時に起き朝食を済ませると、身だしなみを整え、朝の散歩に出掛けた。
今日は、事務や清掃、運送など、全ての業務がお休みなので、敷地内は、完全に静寂に包まれている。
でも、私はこの静けさが大好きだ。一人で心を落ち着けるには丁度いい。早朝の爽やかな空気を吸いながら、敷地内をぐるりと一周する。いつもよりも、ゆっくり時間をかけて散歩してから、寮に戻った。
部屋に着くと、ちょうど七時。今日は、九時五十分になったら外出するが、まだ時間はたっぷりある。私は机の前に座ると、マギコンを起動し、学習用ファイルを選択した。開いたのは、地理学の『グリュンノア観光名所』だ。
観光都市として、行政府が力を入れて整備しているだけあって、観光名所が非常に多い。その由来や歴史、特徴や見どころなどを、全てチェックしていった。お客様を案内する際に、完璧に説明できるようにするためだ。
ただ読むだけでなく、後日、実際に行ってみることも忘れないために、しっかりメモを取っておく。
しばらく勉強をしていると、時間は八時十分。切りのよいところで終了して、キッチンに向かった。
紅茶を用意すると、再び机に戻り、今日のニュースをチェックしていく。気になる話題を一通り確認すると、最後に天気予報と風予報を開いた。
「今日は、晴れのち曇りで微風。特に問題はなさそうね……」
空を飛ばない日も、予報をチェックするのが習慣になっている。天気や風の具合で、その日の調子や気分が変わるからだ。私にとって、天気や風は『占い』に近いのかもしれない。
全て見終わったところで、九時三分。まだ時間があるので、クローゼットから、はたきを持ってきた。机の上や窓枠などに、入念はたきを掛け、埃をとっていく。
次に濡らした雑巾を持ってきて、机の上を拭いて行った。ついでに、窓と窓枠も拭いておく。最後に、掃除機を持って来て『無音モード』にして、床を掃除した。
『無音モード』は、『物質転送』でごみを取るため、音が出ない。『通常モード』より吸引力が小さく、マナ消費量も大きいが、まだ寝ている人のことも考慮し、静かに掃除をしていく。
軽くやるつもりだったが、結局、隅から隅まで全て掃除してしまった。中途半端なのは嫌いなので、なかなか途中で止めらない。
掃除が終わると、九時三十分。ちょうどいい頃合いだ。私は洗面所に向かうと、髪と制服を念入りに整えた。
私は休日の外出時でも、制服で行動することが多い。身が引き締まるし〈ファースト・クラス〉の一員であることを、忘れないためだ。準備が終わると部屋に戻り、ティーカップを片手に、外を眺めて、少しだけ時間を潰す。
九時四十五分。玄関で靴に履き替えると、静かに部屋を出た。寮を出て会社の敷地を抜けると、目的地に向かう。
今日はあまり遠くないので、徒歩で移動だ。普段は、エア・ドルフィンに乗りっぱなしなので、休日は、なるべく歩くようにしている。
一度、十字路を左折すると、あとは直進するだけだ。やがて大きなマンションが見えてくる。会社から、徒歩十分も掛からない場所にある、私の実家だった。
とても近いが、帰って来るのは、月に一、二回ぐらい。家に帰っても、誰もいないことが多いし、寮暮らしで特に不自由はないので、帰る理由がないからだ。
マンションの入口をくぐって、すぐのところで、壁に設置された『魔力関知パネル』に掌をあてる。次に、ポケットから取り出したマギコンを、パネルの前にかざした。パネルが青く光った直後、自動ドアがゆっくり左右に開く。
魔力関知のみの『シングルロック』が一般的だが、このマンションはセキュリティが徹底されていた。そのため、魔力関知に加え、個人情報の確認も行う『ダブルロック方式』だ。
中に入ると警備員が立っており『おかえりなさい』と声を掛けられた。軽く会釈して通り過ぎると、フローターに向かう。操作パネルで『R』を選ぶと、扉が開いた。フローターに乗ると、スーッと上昇して行く。
ちなみに、このマンションは十二階建てだが、私が向かうのは、その一つ上の屋上部分だ。屋上の半分が部屋になっており、あとの半分は空中庭園になっていた。
ワンフロアを丸ごと占有しているので、かなりの広さがある。ただ、この大きさの部屋に一人でいるのは、居心地が悪い。こじんまりした寮の一人部屋のほうが、ずっと落ちつく。あまり帰って来ない理由の一つが、それだった。
目的の階に着くと、フローターを降りて、まずはゲートを通過した。これは、空港などにも置かれている『金属感知ゲート』で、危険物の持ち込みが、すぐに分かる。危険物や不審者を感知すると、警報が鳴る仕組みになっていた。
次に、扉の前にある円マークの中に立つと、全身の魔力スキャンが行われる。個人の確認が取れると、重い鉄の扉がスライドして開く。
他にも至る所に、監視装置や魔力感知センサーが設置されており、国の重要施設並みのハイセキュリティが、このマンションの売りだ。そのせいか、政府の高官や大企業の社長などが、多く住んでいる。
私は玄関でスリッパに履き替えると、
「ただいま、帰りました」
誰もいない空間に向かって、小さな声で形式的な挨拶をした。
いつも一人なのは、昔からなので、もう慣れている。とりあえず、自室に向かうと、制服をハンガーにかけ、動きやすい私服にサッと着替えた。
「さて、今日はキッチン周りの掃除をしようかしら」
自室の掃除は、前回きた時にやったので、今日はキッチンを掃除する。掃除が終わったら昼食を済ませ、のんびり読書をしてから、夕方、寮に戻る予定だ。帰宅の理由は、ほぼ掃除をするためだった。
私は髪を後ろで束ねると、颯爽と部屋を出た。天気の良いうちに終わらせて、庭でランチにしよう。そんなことを考えながら、ダイニングに向かうと、そこには予期せぬ人物がいた。
ダイニングのテーブルに着き、マギコンで複数のモニターを開いて、資料作成をしているようだ。
「あら、帰っていたのね」
「お母様……今日は、仕事はお休みなのですか?」
この時間に鉢合わせることなど、滅多にないので、思わず驚いてしまった。昔から、朝早くに家を出て、帰って来るのは夜遅くがほとんどだ。
「今日の講演会は、午後からだから、まだ時間があるわ。終わったあとは、懇親会があるから、帰りは遅くなると思うけど」
「そうですか」
特に何の感情もなく、少し離れた距離で、淡々とした事務的な会話が進む。これが、私と母の、いつも通りの距離感だ。
私が次の言葉に迷っていると、母のほうから声を掛けてきた。
「そんなところで立っていないで、座ったら?」
「いえ、これからキッチンの掃除をしようと、思っていましたので」
「掃除なら、業者に頼めばいいでしょ? お茶もあるから、座りなさい」
「はい」
私は母には逆らわない。いや、逆らえないのだ。目上の者の言葉には、絶対に従う。これが我が家のルールであり、子供のころから、ずっと言って聴かされていた。
ただ、これに関しては、特に疑問に思ったことはない。母の言葉は、いつだって正しいからだ。
私が席に着くと、母はお茶を入れたティーカップを、静かに差し出してきた。
「仕事はどうなの?」
「全て滞りなく、こなしています。規律ある〈ファースト・クラス〉は、私には合っていると思います」
私は背筋をまっすぐに伸ばして、はきはきと答える。
「それは良かったわ。定期考査でも、毎回一位を取っているようね」
「はい――。でも、どうしてそれを?」
母は、あまり深くは関わってこない。学生時代も、特に成績について訊かれたことはなかった。もっとも、常に学年首位だったのだが。興味がないのか、信頼しているのか、どちらなのかは、よく分からない。
「先日、とある会合で〈ファースト・クラス〉の社長さんと、お会いする機会があったの。そこで、あなたの話も少し出たのよ」
「そうですか」
母は現役時代、とても有名な人気シルフィードだった。加えて、現在はシルフィード協会の理事を務めているので、非常に顔が広い。なので、この業界のことは、何でも耳に入って来る。
ただ、いつも忙しいので、調べたのではなく、偶然、耳に入っただけだろう。どんな時でも、仕事が最優先な人だ。
「同期の子たちはどうなの?」
「まだ、見習いなのでよく分かりませんが、皆、真剣に取り組んでいます。昇級後、活躍する人も多いかと思います」
「そうではなくて、交友関係の話よ。しっかり、親交は深まったのかしら?」
「適度な関係を保っています。仕事と学業が優先ですので、今はそちらに専念しています」
母は軽くため息をついたあと、お茶を口にする。
「シルフィードにとって、人間関係はとても大切よ。お客様はもちろん、同業者ともね。会社の友人は、いないのかしら?」
「それは……他社の友人ならいますが」
私は少し口ごもりながら答えた。会社の同期とは、あまり関わりを持っていないからだ。成績さえ良ければ、慣れ合う必要はないと思う。どうせ、一人前になれば競い合う、ライバルなのだから――。
「あら、他社のシルフィードと交流を持つとは、素晴らしいことね。どんな方かしら?」
「一人は〈ホワイト・ウイング〉の新人で、マイアからやって来た子です。もう一人は〈ウィンドミル〉の新人で、カリバーン家の一員です」
今のところ、シルフィードで関わりがあるのは、この二人しか思い浮かばない。
「随分と、凄い友人ね。しかも、二人とも一流企業に所属。あなたが、他社の人と積極的に交流を持つとは、珍しいわね。どうやって、知り合ったのかしら?」
確かに、肩書だけ見れば、とても立派だ。ただ、あの二人を見たら、母はきっと驚くだろう。一人は全く無知など素人。もう一人は、やる気がなく礼儀知らず。あまり深くは、話さないほうがいいだろう。
「練習飛行中に、偶然、出会いました。特に、交流の努力をしたわけでは――」
「出会いの九割は、偶然によるもの。でも、一生に一度の、偶然の出会いもあるのだから、友人は大切になさい」
「はい、肝に銘じておきます」
実際、二人とは良好な関係だと思う。
ただ、他社の人間と、ここまで深く付き合うつもりはなかった。しかし、風歌がやたらと連絡してくるうえに、フィニーツァもいつの間にか、一緒にいるのが当たり前になっていた。
「それにしても〈ホワイト・ウイング〉が再開していたとは、知らなかったわ」
「今は、リリーシャさんと、新しく入った風歌の二人で、営業しているようです。彼女が入社したのが、今年の三月末らしいので、ちょうどその頃に、再開したのだと思います」
私も、風歌に会うまでは、もう閉業してしまったものだと思っていた。
「最悪、会社を閉めてしまうかと思っていたので、とても喜ばしいわ。あれは、この町全ての人が衝撃を受けた、とても痛ましい事件だったから」
「そうですね……」
風歌は、あの出来事を、どう考えているのだろうか? それより、ずっと休業していた会社に、なぜ入社できたのだろうか? そちらのほうが、大きな謎だ。
「他社のシルフィードとの交流は、とても良いことだけれど。自社内の人間関係は、それ以上に大切よ。特に、同期との交友関係はね」
「社内では、家柄や人脈などを、考慮して付き合っている人が、多いように感じます。私は、そういう利害関係での付き合いは、好きではありませんので」
人の力を利用するつもりがない代わりに、利用されるのもお断りだ。そもそも、利害関係で付き合うのが、友人と言えるのだろうか? 姉妹関係は、多少の利害はからんでも、しょうがないと思うが――。
それに、お世辞を言ったり、媚びたりするのは、私の性に合わない。だから、つまらない連中と、仲良くするつもりは全くなかった。
風歌やフィニーツァは、色々と問題はあるものの、言いたいことは遠慮なく言える。それに、二人とも、利害関係には無関心な性格なので、社内の人間よりも付き合いやすかった。
「人脈はシルフィードにとって、非常に強力な武器よ。それを考慮して人付き合いするのは、至って当然だわ。一人前になったあとも、仕事のアドバイスや助力、昇級などの時の推薦。誰もが、それを今から考えているのでしょう」
「でも、私は自分の実力で、上に行きたいのです。他人の力を期待するのは、何か違う気がしますので」
母の現役時代の二つ名は『白金の薔薇』だ。歴代の中で『最も高潔なシルフィード』と評され、毅然とした態度と、研ぎ澄まされた美しさは、多くの人を魅了した。
あまりにも、完璧で隙がないことから『全能の女神』や『完璧な才女』とも言われ、私の目指すシルフィード像は、まさにそれだった。
「人脈も、立派な実力の一つ。私がここまでやって来れたのも、多くの仲間や人脈があったからこそよ。他社の友人も大事だけれど、まずは社内の人と親交を深めなさい。今は関係なくても、いずれ必要になる時が来るわ」
「……はい、お母様」
今一つ納得は行かないが、母が言うことは正しいのだろう。今までだって、ずっとそうだったから。でも私は、何でも一人で出来る、母のような強い女性になりたいのだ――。
母は視線を空中のモニターに移すと、作業を再開した。それっきり会話はなかった。昔はもっと、色々話していた気がするが、どう話していたのかは、全く思い出せない。
私は席を立つと、静かに部屋に戻るのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『いくらなんでも突っ込みどころが多過ぎよ』
じゃあ無限じゃないじゃーんっていうツッコミはおいといて
今日は、事務や清掃、運送など、全ての業務がお休みなので、敷地内は、完全に静寂に包まれている。
でも、私はこの静けさが大好きだ。一人で心を落ち着けるには丁度いい。早朝の爽やかな空気を吸いながら、敷地内をぐるりと一周する。いつもよりも、ゆっくり時間をかけて散歩してから、寮に戻った。
部屋に着くと、ちょうど七時。今日は、九時五十分になったら外出するが、まだ時間はたっぷりある。私は机の前に座ると、マギコンを起動し、学習用ファイルを選択した。開いたのは、地理学の『グリュンノア観光名所』だ。
観光都市として、行政府が力を入れて整備しているだけあって、観光名所が非常に多い。その由来や歴史、特徴や見どころなどを、全てチェックしていった。お客様を案内する際に、完璧に説明できるようにするためだ。
ただ読むだけでなく、後日、実際に行ってみることも忘れないために、しっかりメモを取っておく。
しばらく勉強をしていると、時間は八時十分。切りのよいところで終了して、キッチンに向かった。
紅茶を用意すると、再び机に戻り、今日のニュースをチェックしていく。気になる話題を一通り確認すると、最後に天気予報と風予報を開いた。
「今日は、晴れのち曇りで微風。特に問題はなさそうね……」
空を飛ばない日も、予報をチェックするのが習慣になっている。天気や風の具合で、その日の調子や気分が変わるからだ。私にとって、天気や風は『占い』に近いのかもしれない。
全て見終わったところで、九時三分。まだ時間があるので、クローゼットから、はたきを持ってきた。机の上や窓枠などに、入念はたきを掛け、埃をとっていく。
次に濡らした雑巾を持ってきて、机の上を拭いて行った。ついでに、窓と窓枠も拭いておく。最後に、掃除機を持って来て『無音モード』にして、床を掃除した。
『無音モード』は、『物質転送』でごみを取るため、音が出ない。『通常モード』より吸引力が小さく、マナ消費量も大きいが、まだ寝ている人のことも考慮し、静かに掃除をしていく。
軽くやるつもりだったが、結局、隅から隅まで全て掃除してしまった。中途半端なのは嫌いなので、なかなか途中で止めらない。
掃除が終わると、九時三十分。ちょうどいい頃合いだ。私は洗面所に向かうと、髪と制服を念入りに整えた。
私は休日の外出時でも、制服で行動することが多い。身が引き締まるし〈ファースト・クラス〉の一員であることを、忘れないためだ。準備が終わると部屋に戻り、ティーカップを片手に、外を眺めて、少しだけ時間を潰す。
九時四十五分。玄関で靴に履き替えると、静かに部屋を出た。寮を出て会社の敷地を抜けると、目的地に向かう。
今日はあまり遠くないので、徒歩で移動だ。普段は、エア・ドルフィンに乗りっぱなしなので、休日は、なるべく歩くようにしている。
一度、十字路を左折すると、あとは直進するだけだ。やがて大きなマンションが見えてくる。会社から、徒歩十分も掛からない場所にある、私の実家だった。
とても近いが、帰って来るのは、月に一、二回ぐらい。家に帰っても、誰もいないことが多いし、寮暮らしで特に不自由はないので、帰る理由がないからだ。
マンションの入口をくぐって、すぐのところで、壁に設置された『魔力関知パネル』に掌をあてる。次に、ポケットから取り出したマギコンを、パネルの前にかざした。パネルが青く光った直後、自動ドアがゆっくり左右に開く。
魔力関知のみの『シングルロック』が一般的だが、このマンションはセキュリティが徹底されていた。そのため、魔力関知に加え、個人情報の確認も行う『ダブルロック方式』だ。
中に入ると警備員が立っており『おかえりなさい』と声を掛けられた。軽く会釈して通り過ぎると、フローターに向かう。操作パネルで『R』を選ぶと、扉が開いた。フローターに乗ると、スーッと上昇して行く。
ちなみに、このマンションは十二階建てだが、私が向かうのは、その一つ上の屋上部分だ。屋上の半分が部屋になっており、あとの半分は空中庭園になっていた。
ワンフロアを丸ごと占有しているので、かなりの広さがある。ただ、この大きさの部屋に一人でいるのは、居心地が悪い。こじんまりした寮の一人部屋のほうが、ずっと落ちつく。あまり帰って来ない理由の一つが、それだった。
目的の階に着くと、フローターを降りて、まずはゲートを通過した。これは、空港などにも置かれている『金属感知ゲート』で、危険物の持ち込みが、すぐに分かる。危険物や不審者を感知すると、警報が鳴る仕組みになっていた。
次に、扉の前にある円マークの中に立つと、全身の魔力スキャンが行われる。個人の確認が取れると、重い鉄の扉がスライドして開く。
他にも至る所に、監視装置や魔力感知センサーが設置されており、国の重要施設並みのハイセキュリティが、このマンションの売りだ。そのせいか、政府の高官や大企業の社長などが、多く住んでいる。
私は玄関でスリッパに履き替えると、
「ただいま、帰りました」
誰もいない空間に向かって、小さな声で形式的な挨拶をした。
いつも一人なのは、昔からなので、もう慣れている。とりあえず、自室に向かうと、制服をハンガーにかけ、動きやすい私服にサッと着替えた。
「さて、今日はキッチン周りの掃除をしようかしら」
自室の掃除は、前回きた時にやったので、今日はキッチンを掃除する。掃除が終わったら昼食を済ませ、のんびり読書をしてから、夕方、寮に戻る予定だ。帰宅の理由は、ほぼ掃除をするためだった。
私は髪を後ろで束ねると、颯爽と部屋を出た。天気の良いうちに終わらせて、庭でランチにしよう。そんなことを考えながら、ダイニングに向かうと、そこには予期せぬ人物がいた。
ダイニングのテーブルに着き、マギコンで複数のモニターを開いて、資料作成をしているようだ。
「あら、帰っていたのね」
「お母様……今日は、仕事はお休みなのですか?」
この時間に鉢合わせることなど、滅多にないので、思わず驚いてしまった。昔から、朝早くに家を出て、帰って来るのは夜遅くがほとんどだ。
「今日の講演会は、午後からだから、まだ時間があるわ。終わったあとは、懇親会があるから、帰りは遅くなると思うけど」
「そうですか」
特に何の感情もなく、少し離れた距離で、淡々とした事務的な会話が進む。これが、私と母の、いつも通りの距離感だ。
私が次の言葉に迷っていると、母のほうから声を掛けてきた。
「そんなところで立っていないで、座ったら?」
「いえ、これからキッチンの掃除をしようと、思っていましたので」
「掃除なら、業者に頼めばいいでしょ? お茶もあるから、座りなさい」
「はい」
私は母には逆らわない。いや、逆らえないのだ。目上の者の言葉には、絶対に従う。これが我が家のルールであり、子供のころから、ずっと言って聴かされていた。
ただ、これに関しては、特に疑問に思ったことはない。母の言葉は、いつだって正しいからだ。
私が席に着くと、母はお茶を入れたティーカップを、静かに差し出してきた。
「仕事はどうなの?」
「全て滞りなく、こなしています。規律ある〈ファースト・クラス〉は、私には合っていると思います」
私は背筋をまっすぐに伸ばして、はきはきと答える。
「それは良かったわ。定期考査でも、毎回一位を取っているようね」
「はい――。でも、どうしてそれを?」
母は、あまり深くは関わってこない。学生時代も、特に成績について訊かれたことはなかった。もっとも、常に学年首位だったのだが。興味がないのか、信頼しているのか、どちらなのかは、よく分からない。
「先日、とある会合で〈ファースト・クラス〉の社長さんと、お会いする機会があったの。そこで、あなたの話も少し出たのよ」
「そうですか」
母は現役時代、とても有名な人気シルフィードだった。加えて、現在はシルフィード協会の理事を務めているので、非常に顔が広い。なので、この業界のことは、何でも耳に入って来る。
ただ、いつも忙しいので、調べたのではなく、偶然、耳に入っただけだろう。どんな時でも、仕事が最優先な人だ。
「同期の子たちはどうなの?」
「まだ、見習いなのでよく分かりませんが、皆、真剣に取り組んでいます。昇級後、活躍する人も多いかと思います」
「そうではなくて、交友関係の話よ。しっかり、親交は深まったのかしら?」
「適度な関係を保っています。仕事と学業が優先ですので、今はそちらに専念しています」
母は軽くため息をついたあと、お茶を口にする。
「シルフィードにとって、人間関係はとても大切よ。お客様はもちろん、同業者ともね。会社の友人は、いないのかしら?」
「それは……他社の友人ならいますが」
私は少し口ごもりながら答えた。会社の同期とは、あまり関わりを持っていないからだ。成績さえ良ければ、慣れ合う必要はないと思う。どうせ、一人前になれば競い合う、ライバルなのだから――。
「あら、他社のシルフィードと交流を持つとは、素晴らしいことね。どんな方かしら?」
「一人は〈ホワイト・ウイング〉の新人で、マイアからやって来た子です。もう一人は〈ウィンドミル〉の新人で、カリバーン家の一員です」
今のところ、シルフィードで関わりがあるのは、この二人しか思い浮かばない。
「随分と、凄い友人ね。しかも、二人とも一流企業に所属。あなたが、他社の人と積極的に交流を持つとは、珍しいわね。どうやって、知り合ったのかしら?」
確かに、肩書だけ見れば、とても立派だ。ただ、あの二人を見たら、母はきっと驚くだろう。一人は全く無知など素人。もう一人は、やる気がなく礼儀知らず。あまり深くは、話さないほうがいいだろう。
「練習飛行中に、偶然、出会いました。特に、交流の努力をしたわけでは――」
「出会いの九割は、偶然によるもの。でも、一生に一度の、偶然の出会いもあるのだから、友人は大切になさい」
「はい、肝に銘じておきます」
実際、二人とは良好な関係だと思う。
ただ、他社の人間と、ここまで深く付き合うつもりはなかった。しかし、風歌がやたらと連絡してくるうえに、フィニーツァもいつの間にか、一緒にいるのが当たり前になっていた。
「それにしても〈ホワイト・ウイング〉が再開していたとは、知らなかったわ」
「今は、リリーシャさんと、新しく入った風歌の二人で、営業しているようです。彼女が入社したのが、今年の三月末らしいので、ちょうどその頃に、再開したのだと思います」
私も、風歌に会うまでは、もう閉業してしまったものだと思っていた。
「最悪、会社を閉めてしまうかと思っていたので、とても喜ばしいわ。あれは、この町全ての人が衝撃を受けた、とても痛ましい事件だったから」
「そうですね……」
風歌は、あの出来事を、どう考えているのだろうか? それより、ずっと休業していた会社に、なぜ入社できたのだろうか? そちらのほうが、大きな謎だ。
「他社のシルフィードとの交流は、とても良いことだけれど。自社内の人間関係は、それ以上に大切よ。特に、同期との交友関係はね」
「社内では、家柄や人脈などを、考慮して付き合っている人が、多いように感じます。私は、そういう利害関係での付き合いは、好きではありませんので」
人の力を利用するつもりがない代わりに、利用されるのもお断りだ。そもそも、利害関係で付き合うのが、友人と言えるのだろうか? 姉妹関係は、多少の利害はからんでも、しょうがないと思うが――。
それに、お世辞を言ったり、媚びたりするのは、私の性に合わない。だから、つまらない連中と、仲良くするつもりは全くなかった。
風歌やフィニーツァは、色々と問題はあるものの、言いたいことは遠慮なく言える。それに、二人とも、利害関係には無関心な性格なので、社内の人間よりも付き合いやすかった。
「人脈はシルフィードにとって、非常に強力な武器よ。それを考慮して人付き合いするのは、至って当然だわ。一人前になったあとも、仕事のアドバイスや助力、昇級などの時の推薦。誰もが、それを今から考えているのでしょう」
「でも、私は自分の実力で、上に行きたいのです。他人の力を期待するのは、何か違う気がしますので」
母の現役時代の二つ名は『白金の薔薇』だ。歴代の中で『最も高潔なシルフィード』と評され、毅然とした態度と、研ぎ澄まされた美しさは、多くの人を魅了した。
あまりにも、完璧で隙がないことから『全能の女神』や『完璧な才女』とも言われ、私の目指すシルフィード像は、まさにそれだった。
「人脈も、立派な実力の一つ。私がここまでやって来れたのも、多くの仲間や人脈があったからこそよ。他社の友人も大事だけれど、まずは社内の人と親交を深めなさい。今は関係なくても、いずれ必要になる時が来るわ」
「……はい、お母様」
今一つ納得は行かないが、母が言うことは正しいのだろう。今までだって、ずっとそうだったから。でも私は、何でも一人で出来る、母のような強い女性になりたいのだ――。
母は視線を空中のモニターに移すと、作業を再開した。それっきり会話はなかった。昔はもっと、色々話していた気がするが、どう話していたのかは、全く思い出せない。
私は席を立つと、静かに部屋に戻るのだった……。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回――
『いくらなんでも突っ込みどころが多過ぎよ』
じゃあ無限じゃないじゃーんっていうツッコミはおいといて
0
あなたにおすすめの小説
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
酒好きおじさんの異世界酒造スローライフ
天野 恵
ファンタジー
酒井健一(51歳)は大の酒好きで、酒類マスターの称号を持ち世界各国を飛び回っていたほどの実力だった。
ある日、深酒して帰宅途中に事故に遭い、気がついたら異世界に転生していた。転移した際に一つの“スキル”を授かった。
そのスキルというのは【酒聖(しゅせい)】という名のスキル。
よくわからないスキルのせいで見捨てられてしまう。
そんな時、修道院シスターのアリアと出会う。
こうして、2人は異世界で仲間と出会い、お酒作りや飲み歩きスローライフが始まる。
スキルはコピーして上書き最強でいいですか~改造初級魔法で便利に異世界ライフ~
深田くれと
ファンタジー
【文庫版2が4月8日に発売されます! ありがとうございます!】
異世界に飛ばされたものの、何の能力も得られなかった青年サナト。街で清掃係として働くかたわら、雑魚モンスターを狩る日々が続いていた。しかしある日、突然仕事を首になり、生きる糧を失ってしまう――。 そこで、サナトの人生を変える大事件が発生する!途方に暮れて挑んだダンジョンにて、ダンジョンを支配するドラゴンと遭遇し、自らを破壊するよう頼まれたのだ。その願いを聞きつつも、ダンジョンの後継者にはならず、能力だけを受け継いだサナト。新たな力――ダンジョンコアとともに、スキルを駆使して異世界で成り上がる!
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2巻決定しました!
【書籍版 大ヒット御礼!オリコン18位&続刊決定!】
皆様の熱狂的な応援のおかげで、書籍版『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』が、オリコン週間ライトノベルランキング18位、そしてアルファポリス様の書店売上ランキングでトップ10入りを記録しました!
本当に、本当にありがとうございます!
皆様の応援が、最高の形で「続刊(2巻)」へと繋がりました。
市丸きすけ先生による、素晴らしい書影も必見です!
【作品紹介】
欲望に取りつかれた権力者が企んだ「スキル強奪」のための勇者召喚。
だが、その儀式に巻き込まれたのは、どこにでもいる普通のサラリーマン――白河小次郎、45歳。
彼に与えられたのは、派手な攻撃魔法ではない。
【鑑定】【いんたーねっと?】【異世界売買】【テイマー】…etc.
その一つ一つが、世界の理すら書き換えかねない、規格外の「便利スキル」だった。
欲望者から逃げ切るか、それとも、サラリーマンとして培った「知識」と、チート級のスキルを武器に、反撃の狼煙を上げるか。
気のいいおっさんの、優しくて、ずる賢い、まったり異世界サバイバルが、今、始まる!
【書誌情報】
タイトル: 『45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる』
著者: よっしぃ
イラスト: 市丸きすけ 先生
出版社: アルファポリス
ご購入はこちらから:
Amazon: https://www.amazon.co.jp/dp/4434364235/
楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
本当に、ありがとうございます。
【これまでの主な実績】
アルファポリス ファンタジー部門 1位獲得
小説家になろう 異世界転移/転移ジャンル(日間) 5位獲得
アルファポリス 第16回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞
第6回カクヨムWeb小説コンテスト 中間選考通過
復活の大カクヨムチャレンジカップ 9位入賞
ファミ通文庫大賞 一次選考通過
ひっそり静かに生きていきたい 神様に同情されて異世界へ。頼みの綱はアイテムボックス
於田縫紀
ファンタジー
雨宿りで立ち寄った神社の神様に境遇を同情され、私は異世界へと転移。
場所は山の中で周囲に村等の気配はない。あるのは木と草と崖、土と空気だけ。でもこれでいい。私は他人が怖いから。
キャンピングカーで走ってるだけで異世界が平和になるそうです~万物生成系チートスキルを添えて~
サメのおでこ
ファンタジー
手違いだったのだ。もしくは事故。
ヒトと魔族が今日もドンパチやっている世界。行方不明の勇者を捜す使命を帯びて……訂正、押しつけられて召喚された俺は、スキル≪物質変換≫の使い手だ。
木を鉄に、紙を鋼に、雪をオムライスに――あらゆる物質を望むがままに変換してのけるこのスキルは、しかし何故か召喚師から「役立たずのド三流」と罵られる。その挙げ句、人界の果てへと魔法で追放される有り様。
そんな俺は、≪物質変換≫でもって生き延びるための武器を生み出そうとして――キャンピングカーを創ってしまう。
もう一度言う。
手違いだったのだ。もしくは事故。
出来てしまったキャンピングカーで、渋々出発する俺。だが、実はこの平和なクルマには俺自身も知らない途方もない力が隠されていた!
そんな俺とキャンピングカーに、ある願いを託す人々が現れて――
※本作は他サイトでも掲載しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる