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6. 白と靴探し

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 人混みの中、待ち合わせ場所だった駅の改札口近くの柱に、一際目立つ長身の男性がもたれ掛かるように立っている。そんな彼の姿をとらえるなり、私の胸は高鳴った。上着のポケットに両手を突っ込んで気だるそうに行き交う人々を眺めるその横顔は、一昨日の印象とは打って変わってどこかクールだ。そんなギャップにも、思わずときめいてしまう。
 彼を見つけた瞬間から、私の足はなぜかその場に釘付けで。そんな私を人の波の向こうから視界にとらえた瞬間、彼の顔に純粋な喜びがぱあっと広がった。まるで、ご主人様を見つけた子犬のような明るい表情に、私の心は陥落した。
 一歩一歩、彼のもとへと向かっていく。その足取りは、不思議なぐらい軽かった。

「おはようございます」

 密かに躍る心を隠すようにして、私は頭を下げる。私に合わせるように、彼も私と同じ台詞、そして同じ仕草を繰り返した。お互いに頭を上げると自然と目が合って、なんだか心がこそばゆくて、同時に照れ笑いを浮かべてしまった。まるで、初恋みたいだ。

「じゃあ、行きましょうか」
「はい」

 末田さんのリードで、私たちは歩き始める。彼に気付かれないように、こっそりと彼の手の行方を確かめた。両方ともポケットの中に収まったままであることを確認すると、浮かれていた気持ちが少し沈んだ。

「もうお店の目星とかついてます?」

 ゆっくりとした歩調にぴったりとした、独特のゆっくりした口調に、口の端が緩む。彼が発するこの独特の空気が、好きだ。そんなことを考えながら、一昨日の夜のやりとりを思い出す。

 彼の名前を聞いた後、会話は私たちが出会った瞬間の話になった。そこで私は、パンプスが壊れてしまった話をした。「週末に買いに行こうと思っている」と伝えると、彼はほんの少しだけ迷う素振りの後、「その買い物、一緒に行かない?」と提案してきた。
 唐突な誘いに驚いた私はどう反応したら良いのか分からず「一緒に行ければ嬉しい」なんて曖昧な返事をしてしまった。その曖昧な隙を彼は突いてきた。
「じゃあ、デートですね」
 いたずらっ子のような表情で繰り出された言葉に、私は照れて頷くことしかできなかった。そこから連絡先を交換したのは、なんとも自然な流れだった。

 
「中谷さん?」

 呼び掛けられて、私はハッとして顔を上げる。ポケットに手を入れたまま顔を覗き込まれて、思わず一歩、後ろに下がった。

「えっと、特には決めてないんですけど、デパートの婦人靴売り場が一番種類揃ってるかな、って」

 話しながら私たちは再び歩き始める。彼の髪の毛に当たる陽射しは、春から初夏へと変わろうとしていた。

「確かに、種類が多いのって大事ですよね。デザインはなんか希望とかあります?」
「んー、とにかく履きやすくて歩きやすいやつ、ってぐらいですかね。まあ、パンプスのデザインなんて、どれもそんなに変わらないですし」

 何気ない私の言葉に、突然、彼は足を止めた。

「今、なんて言いました?」

 末田さんの声の温度が唐突に変わった。
 え? 心の中の私は驚きを隠せなかったけれども、なんとかそれを表情に出さないように努める。いつもはふわふわとした口調の末田の、突然な力が込もった物言いに、私は戸惑ってしまった。

「パンプスのデザインなんてどれもそんなに変わらない、って言いましたよね?」

 じとっと私を見つめる末田さんの表情に、私はそっと目線を泳がせた。
 一体、何がいけなかったのだろうか?
 どんなに考えても、答えは見つからなかった。
  
「えっと、まあ、そんなようなことを……」

 頭の中でプチパニックを起こす私に、末田さんは呆れたように首を振る。

「違いますから」

 私の顔を真っ直ぐに見下ろしながら、諭すように彼は言う。

「どれもそれぞれ、全然違いますから!」

 一文字一文字を噛み締めるように、末田さんは言う。

「デザインの違いが、履きやすさや歩きやすさに繋がるのは事実です。人の足のかたちだってそれぞれ違うんですから、それぞれに合わせたデザインが必要です。でも、それだけじゃないんです。履きやすさやだけじゃない、履く人それぞれの好みに合ったデザインっていうのが、それぞれあるんですよ」

 唐突な熱の籠った言葉に、私は驚きながらただ頷いた。末田さんって、靴マニアか何か、だったりするのだろうか。
 唐突に、彼は私の両手をつかんだ。

「今日はおれが、中谷さんの足と好みにぴったりのパンプスを絶対に見つけてみますから!」

 約束だ、と言わんばかりにぎゅっと握りしめる力の強さに、彼の決意の強さを感じた。完全に勢いに押されてしまった私は、その場で静かに首を縦に振った。

「行きましょう!」

 そう言うと、末田さんはいきなり無邪気な少年のような笑顔で歩き始める。私の手は、彼の手に包み込まれたままだ。グイグイ、と私の手を引くその力強さぬ、なぜだか不思議と安心感を覚えた
 少し後ろからでと分かる彼の弾んだ空気に、私の心も自然と弾んだ。

 末田さんの唐突なハイテンションに驚いたかと問われれば、答えはもちろん、イエスだ。
 末田さんのいきなりの押しの強さに負けてしまったかといえば、それもイエスだ。
 けれども、末田さんがパンプス探しに熱を上げる様に引いてしまったかと訊かれたら、私はたぶん、ノーと答える。だって、初めての感覚に私の胸が弾んでいるのが分かるから。

「これなんかどうですか?」

 何軒目かの靴屋でボーッと棚を見ていると、後ろから声をかけられる。振り向けば、試し履き用の椅子の横に立って、私を手招く末田さん。子どものような純粋な笑顔に、思わず微笑み返す。

「ヒールが太めで歩くとき安心だし、クッション性も強いから足が疲れにくいだろうし、このカーブのデザインがキレイだなと思って」

 まるで店員さんのように話す末田さんの様子がなんだか面白くて、思わずクスリ、と笑ってしまった。薦められた靴に足を入れてみれば、確かに歩きやすい。この靴、良いかも。そう思った瞬間、頭の上からため息が聞こえた。

「履き心地、すごく良いですよ?」

 ゆっくり問いかけても、彼は腕を組んだまま静かに首を振った。

「踵の隙間。きっと、履き馴染んだ頃には踵が抜けやすくなると思います。靴擦れの原因になるんですよ」

 ほら、脱いで、と促され、椅子に腰かけてパンプスを脱ぐ。
 男性側がここまで熱心なのは珍しい、とどの店員さんも口を揃えて言った。中には、少し引いてしまっているような人もいた。私だって、末田さんがパンプス1つでここまでヒートアップするなんて、予想していなかった。
 けれども、1つ1つの言葉には、私への気遣いが感じられた。私に向けられたその優しさが、すごく嬉しかった。真剣に私のパンプスと向き合う彼の熱意に、胸が高鳴った。

「次のお店、行きますか?」

 パンプスを棚に戻してから彼がそう言った刹那、ハッとしたように彼はお腹を押さえると、そのまま耳を赤く染めた。一体どうしたのだろう? と困惑した表情で見上げれば、恥ずかしそうに彼は口を開く。

「今お腹鳴ったの、聞こえちゃいました?」

 消え入りそうな、蚊の鳴くような彼の小さな問いかけに、私は一瞬、その場で固まる。ようやく彼の言葉が頭に入ったとき、私は思わす吹き出してしまった。そんな私の様子に、彼は更に顔を赤らめる。

「大丈夫ですよ、こんな街中で他の人のお腹の音なんて、そうそう聞こえませんよ」

 あーおかしい、と店を後にしながら笑えば、彼は顔の赤さを誤魔化すように咳払いをする。

「お腹が空いたなら、そろそろお昼ごはんにしませんか?」

 目の端にチョチョ切れた涙をぬぐいながら訊ねれば、末田さんは居心地悪そうに頷いた。
 愛おしい。
 そんな言葉が、頭のなかを自然と駆け巡る。

 最初の印象は、どこか飄々とした人、だった。その後は、私を救ってくれた、頼れる人。私の心を見透かしたかと思えば、名前のことを指摘したら赤面して慌て出して。つかみどころのない、不思議な人。
 今日は子犬のような愛くるしさから、急にテンションが上がったと思えば、今度は空腹でお腹が鳴ったからと照れまくる。コロコロと変わる印象と表情が、なんだかもう愛おしい。ただただ、愛おしい。

 ランチの後にブラックコーヒーを飲みながら軽く欠伸をする末田さんをじっと見つめれば、「何?」と鼻にかかった甘い声で訊ねられる。

「疲れちゃいました?」

 完全に自分の用事に付き合わせてしまった自覚があるだけに、遠慮気味に問いかける。今日、出掛けるのが決まったのだって、一昨日の夜だったし、急だったかな。申し訳なさそうに見つめれば、彼は微笑みながらゆっくり首を振った。

「ダサいんですけど」

 カップをテーブルに置いて、彼は言った。

「今日、初デートだ、って思ったら、なんか緊張しちゃって。何着ようかな、とか、何話そうかな、とか考えてたら、夜あんまり眠れなくて」

 相変わらず、耳を赤くして言う彼がやっぱり愛おしくて。その言葉が嬉しくて。少しでも彼を近くに感じたくて。そっと、テーブルに投げ出された彼の左手に自分の右手を重ねた。
 あたたかい。

「中谷さん、引いちゃってませんか? 今日のおれ、すごいダサいじゃないですか 」

 前のめりぎみに訊ねる彼に、私は首を振った。
 
「ダサいだなんて思うわけないじゃないですか。それを言ったら、私の優柔不断さの方が、ウザくないですか?」

 さりげなく訊いている風を装いながらも、内心はドギマギしていた。このことが理由で離れていった人たちは、少なくなかったから。誤魔化すようにアイスティーのストローを口に含むのとほぼ同時に、右手の下敷きになっていた熱が、そっと離れる。
 ああ、彼もやっぱり。
 そんな諦めがちらついたのもつかの間、彼の左手の指がゆっくりと、私の右手のそれと絡み合う。一本一本を絡めとるみたいに、ゆっくりと。どこか官能的な動きに、自然と顔に熱が集まっていく。そしてすべての指が絡まったところで、ぎゅっと甘い力が込められた。

「ぜーんぜん」

 澄まし顔で優しく微笑む彼は、なんだか眩しかった。窓から差し込む光の加減とか、相変わらずの白い肌とか、透き通る茶色い髪の毛とか、そういう色んな要素がそう思わせたのかもしれない。けれども、本当に彼は眩しくて、優しくて、暖かかった。自然と、頬が緩む。

「……でも、今日の末田さんの靴探しにかける情熱には、少し驚きました」

 照れ臭さを隠すように、私は言った。

「んー、まあ、本業じゃないんですけど、近しい分野ですしね」
「え?」

 私の問いに、末田さんはなにか忘れ物をしたかのような表情を見せる。
 
「あれ? 言ってませんでしたっけ? おれの仕事、ファッションデザンなんですよ」

 さらっと言ってのける末田さんに、1拍おくれて驚きの声を上げてしまった。そんな私を見て、彼は楽しそうにカラカラと笑う。

「そんなに驚きます?」
「驚きますよ! だって、だってそんな、ファッションのプロとか」

 途端に気になり出す自分の服装に、末田さんは大丈夫だ、と何度も伝えてくれた。

*************************

 その後すぐに店を後にして、私たちは靴探しを再開した。数件巡った後、ある店で末田さんは瞳を輝かせた。

「この靴、絶対に中谷さんにぴったりだと思います」

 座って、と促されて、試し履き用の椅子に腰かける。高級感の漂う内装に合わせて選ばれた椅子は、なんだかお城かお屋敷にありそうなそれで。お店の雰囲気に合わせてか、末田さんは私の足元に跪く。
 ゆっくりと、彼の手によって選ばれた靴が、私の足にピタリと嵌まっていく。文字通り、ピタリと。
 王子さまに落とした靴を履かせてもらった時のシンデレラはこんな気分だったのだろうか。ドキドキと、期待と、満足感。出会いの喜び。そんな感情がじわりじわりと流れ込んでくる。
 末田さんのエスコートで立ち上がった私は、試しに数歩あるいてから、くるり、とその場で翻った。

「どうですか?」

 優しい問いかけに、私は満面の笑みで口を開いた。

「完璧。魔法みたいに」

 私の放った言葉は、靴のことを指しているのか、はたまた目の前の彼のことを指しているのか、自分自身でも判別がつかなかった。
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