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第四幕 みんなが子猫を探して上や下への大騒ぎ

乳弁天は斯く戦えり 1

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 同じ頃――。

 雷蔵は大きなカゴを抱えて伝試練寺を訪れていた。

『まさか、あのお侍が例え話で言った特徴を持つ猫を本当に見つけてしまうたぁな……』

 普段は何の役にも立たない青太郎だがこんなどうでもいい時に限って活躍する。

 本人に悪気なんてこれっぽっちも無いのは分かっているけれど、昔から青太郎の世話をしている雷蔵の身からすれば、わざとやっているのかと勘ぐりたくなるほどが悪い。

「若旦那ぁー。カゴを持ってきやしたぜー」

 蘭助から青太郎が伝試練寺にいると聞いて急いで来たというのに、青太郎の姿は無いし、返事も無い。

「若旦那―?」

 境内をぐるりと回ってみても見つかるのはノラ猫ばかり。当然愛姫の姿も無い。

「ったく、一体どこに――……」

 イラついた声色で目を眇めた雷蔵は、古い井戸の側に割れた蓋が立てかけられているのを見つけた。

『まさかあの馬鹿、あそこに落ちやがったのか!?』

 反射的にそう考えてしまった雷蔵はぞわりと肝を冷やして井戸に駆け寄った。

「……チッ、脅かしやがって!」

 古井戸を覗き込んだ雷蔵は、井戸に下がっているのが水桶ではなく縄梯子だったので、ここでおきた大方の展開をなんとなく察した。

「そうかい、そうかい、子供同士で井戸の底を冒険ですかい。楽しそうで何よりですなぁ……」

 そんな言葉をは裏腹に雷蔵はギリギリと奥歯を噛んで拳を固めた。

「あんの阿保太郎め! とことん余計な手間を掛けさせやがって!」

 追いかけてぶん殴ってやろうと決意した雷蔵はひらりと身軽に井戸の底へ降りて行った。



 それからしばらく後――。

 日本橋の近くを菊花が胸を揺らしながら通りかかっていた。

 少し前まで菊花は江戸城の中で大奥勤めをしている母と面会し、愛姫を大奥に戻す駕籠の手配とその打ち合わせをしいた。今はその帰り道である。

 今回の件は愛姫のわがままと、それを見て見ぬふりをして送り出した御台所様のイタズラ心によって起きた狂言芝居のようなものなので、成り行きで愛姫を匿った猫柳家に対しては『お咎め無し』という内諾を得てきた。

 手筈は万全。あとは打ち合わせ通りに愛姫を大奥に帰してしまえば一件落着。ここ数日は色々と騒がしい日々だったけれど、これでいつも通りの生活に戻れる。

 陰でいろいろと奔走していた菊花はようやく肩の荷を下ろした気分で、いつも以上に胸を弾ませながら猫柳邸に帰ろうとしていたところである。しかし――、

「ちょいと、ちょいと、お菊ちゃん。丁度良いところに通りかかったね」

 髪結い屋で時々顔を合わせるお都留という中年女性が菊花を見て嬉しそうに手招きをした。

「あら、お都留さん。何か?」

 噂話が大好きなお都留がにまぁと笑って「あんた知ってるかい?」と前置きして語り始めた話。それを聞かされた菊花は大きな胸の下にある心の蔵をドクンと跳ね上がらせた。

 彼女が語った内容は、将軍の一人娘の愛姫がしばらく前から城を出てお江戸見物をしているらしい事。北町奉行の天野がずっと勘違いしていて見逃していた娘が実は本物の愛姫だったって事。愛姫を捕まえて奉行所に届け出れば大判三枚が貰えるらしい事。そのせいで昼間なのに人相の悪い奴らがさっきから町中をうろついているという事。

 ――そんな話を早口にペラペラと教えられた菊花は『これは面倒なことになったわね……』と内心で冷や汗をかきながらも、お都留にはニッコリと微笑んだ。

「あらまぁ、そんなに褒美が貰えるなら私も愛姫を探してみようかしら。ちょうど越後屋で良い色の反物たんものを見つけたばかりですし」

「いいわねぇ。それじゃあもし姫様を保護して褒美を頂けたら私にも反物の端切れくらい分けておくれ」

「お安い御用ですわ」

 そう応えて歩き出した菊花はお都留から離れるほど足を早めて、百合丸たちが行くと言っていた伝試練寺に到着した頃には裾から土煙が巻き上がるほどの勢いを出していた。

『あのお奉行、あと半日だけ気付かなければ良かったのにっ!』

 いつもはニコニコと微笑みを絶やしたことのない菊花が、きれいな富士額に汗を滲ませて苦しそうに息を切らせながら伝試練寺の中に駆け込んだ。

 そのまま勢いを殺さずに本殿の裏手に回ると、そこには見るからに堅気じゃなさそうな女が古い井戸の縁に腰かけていた。

「おや、なんだいお姉さん。こんな人気ひとけのない所にわざわざやって来て。誰ぞと逢引あいびきでもしようってんなら他所よそでやんな」

 突然現れた菊花に真っ先に気付いた風花が、まるで盛りのついた犬でも追い払うようにシッシッと手を振る。

「いえいえ、そんなつやのある素敵な話じゃないんですよ。私の身内の子が迷子になってしまったので探しているところですの」

 乱れた息を整えながら菊花は辺りを見渡した。

 良くも悪くも人の目を惹く三人の女児たちの姿がどこにも無い。

「そうかい。じゃあここに子供なんていないから、とっとと帰れ」

 なかなか菊花が去ろうとしないので、風花はイラついた表情を隠しもせずに声を強めた。

「そういうわけにはいきませんの。私は自分の目で見て確かめないと気が済まない性分しょうぶんですので」

 当然菊花は退かない。江戸住みのヤクザ者にしては稀有なくらいはらにくる圧力をかけてくる女だけれど、この程度であれば軽くやり過ごせる。それよりも菊花には気になる事があった。

 風花の側でカゲロウのように存在感無く立っている町人風の男が横目でじっと菊花を見つめてる。

 まるで感情の読めないその表情に菊花は得体の知れない恐ろしさを感じたが、ここで怯んでしまうわけにはいかない。

 系統がまるで違う二人の美女が段々と敵対心を高めながら「去れ」「嫌です」と言葉の応酬をしていると、風花が腰掛けていた井戸から猿面の男がにゅっと顔を出した。

「おやぁ、どんな間抜けな野郎が来たのかと思ったらこりゃまた色っぽい姉さんが来たね。しかも風花の姐さんと張り合えるくらいに良い女だ――痛ぇ!?」

「バカ猿。出て来るんじゃないよ!」

 文字通り余計なことに顔を突っ込んだせいで小猿は風花が持っていた鉄の煙管でしたたかに頭を殴られた。

『なぜあの男は井戸から? あの井戸に何が……あ、もしかしてあそこが例の秘密の抜け路? 百合丸ちゃんたちったら本当に見つけたっていうの?』

 菊花は内心でかなり驚いたが、それを表に出さない程度の胆力もあったし、そういった訓練も受けている。平静を装いながらこの状況で自分が今何をすべきかを忙しく計算していた。

「なぁあんた。あたしは親切心で言っているんだよ。怪我したくなけりゃ早く消えな」

 小猿を殴った煙管を指先でクルクル回しながら風花はもう一度菊花に警告をする。

「あらあら、それはありがとうございます。けれど私にはあなたたちの存在こそが邪魔なんですけど。ねぇ、あなたたちこそどこか別のところに行っててくれません?」

 どうあっても菊花に引く気はないのだと分かった風花はチッと舌打ちをすると、底冷えのする冷たい声で横に立つ町人風の男に命令した。

「あぁもう、めんどくせぇ。のっぺら……やれ」
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