Ωの国

うめ紫しらす

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第二部

百年の計

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「奥の部屋へどうぞ。宮司様がお待ちです」
 迎えの神官についていくと、奥殿と呼ばれる神殿の最奥、普段は高位の神官たちしか立ち入らない場所に案内される。開けられた扉の奥には、もうひとつの扉。
 しずしずと歩き出すと、後ろで入ってきた扉が閉まる。この先は一人で行けということだろう。

「……失礼します。お召しにより柘榴の宮より参りました。サリューでございます」
 コンコン、とノックして名乗りを上げる。
「入れ」
 ハッキリと通る声が応えた。
 扉を開け、神官たちの振る舞いを真似て頭を下げる。

「よい、そうかしこまるな。こっちへ座れ」
「は、」
 軽い口調で言われて頭を上げると、ディナーテーブルの端に座した宮司様が見えた。威厳ある声にみれば、ちんまりと鎮座する姿は可愛らしい童女のようだった。首筋を覆う漆黒の封環を見せつけるように栗色の髪は高く結い上げられ、血のように暗い朱の瞳に、真紅の紅を差した唇。いったい齢の頃がいくつなのかも読み解けない。

 こちらの混乱を見抜いたのか、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべてみせる。
「よく来た。サリュー。わらわは名をカーニャと申す。ここで長いこと宮司を務めておる。今日は妾の私用扱いじゃから、どうか気を楽にな」
 ここへ、と膳が用意された席に座ると、宮司様は自らの手で2人の杯に酒を満たしてくれる。

「ありがとうございます。あの、なぜ私をお召しに……?」
「少し話をしたいと思ってな……なぁに、妾の昔話に付き合ってもらうだけよ」
 そう言うと軽やかに笑って、まずは食べよ、と華やかに盛り付けられた膳を勧める。言われるがままに手を付けると、宮司様はかたわらの杯を取って美味そうに酒を飲み干した。

「どうだ、柘榴宮の暮らしには慣れたか? あそこは良い宮じゃからな。シャオが嫁いで寂しくはなるが。じゃが、他のものも立派に育っておるし、混乱もなかろうよ」
 まるで訪れたことがあるように宮のことを話す口ぶりに驚くと「妾の力はな、遠見と呼ばれる。見知った場所ならどこでも覗くことが出来る便利な力よ」と種明かしのように囁く。

「それが、神降ろしの力、ですか」
「いいや。妾には小さい頃より視えたものじゃ。
 ただ自在に操れる様になったのは大人になってからじゃがな。それゆえ、もともとの妾自身の魔力によるものか、神降ろしのせいかははっきりとはせぬ。

 神官どもは神降ろしであるがゆえに、と解釈する向きが強いがの。奴らは神殿の権威を高めることに必死じゃからな」
 クク、と可笑しそうに嘲笑あざわらって手酌で次の杯を注ぎ、また美味そうに飲み干していく。

「俺には、――そんな力は何もありません」
「ある。妾が保証しよう。
 妾の遠見はな、先の未来も見通せる。まるで占いのように獏としたものじゃがな。
 その夢見で、そなたが神殿を倒す力を持つ逸材じゃと見通せた。だからな、信じよ。己に力があると」

「神殿を倒す? そのようなつもりはございませんが……」
「では今の神殿をどう思う。神殿に囲われるΩたちの暮らしをどう思う。……誰もおらぬ。率直に申せ」

 今の暮らし。
 柘榴の宮の皆の顔が思い浮かぶ。シャオも、リファも、カロルも、皆、この暮らしをどうにか楽しいものにしようとしている。
 シャオのように、この箱庭で幸せを見つけたやつもいる。

 けれどもし、皆が外で暮らせるなら。
 そのほうが絶対に良い。
 だってここには、

「ここには、――自由がありません。Ωたちはみな、与えられたルールの中でなんとか幸せになろうとしている。
けど、そもそもなぜルールに従わなければならないのか、誰も知らない。みな理不尽な目に遭っているのに、その理不尽さに気づくことができずにいる」
 言うと、宮司様はしかり、というように深く頷く。

「それはな、元を辿たどれば発情期のせいじゃな。発情期のΩの芳香はαを暴走させる。じゃから隔離される」

「なら…そうなら、発情期の時だけで良いはずです。なぜ子供のうちから囲われる必要があるのか。なぜ、αを、禰宜を選ぶ権利を神官たちに奪われなければならないのか」

「それよ。
 もともとはな、発情期がいつ来るかわからなかったせいじゃ。
 昔はな。いつ発情するのか、誰も知らなかった。およそ二ヶ月から三ヶ月程度で周期が安定することが多いのはいまと変わらぬ。
 だが各々が自分の周期を監視し、管理する事では、様々な事故が相次いだ。

 それで、Ωは寄り集まって暮らすようになったそうじゃ。お互いに助け合えば、大きな間違いは避けることができる、とな」
 いつの頃の話なのか、遠い歴史を辿るように宮司様は語る。

「やがてその寄り合いをまとめる、というお題目で、神がまつられ神殿がおこった。
 もともとはΩたちの自主的な統率組織として機能しておったそうだ。

 それが、いつの日か、Ωの発情期をダシに金を取るものが出るようになった。つまり発情を売り物にしたんじゃな。
 Ωにとってもっとも簡単に金を稼ぐ方法、その誘惑に勝てなかった。結果として、それは自分たちの価値を金に変えられるものにおとしめることになってしまった。

 その流れを止められなかったことが、最初の間違いだったのかも知れぬな。……そうして金が絡む様になると、神殿は徐々にΩを管理し、収益をあげることに特化した組織に変わっていった。
 管理者がΩではなくβに置き換わっていったのも、神殿の機能が肥大化し、出仕年齢が下がったのも、結局は金の問題よ。そうするほうがより効率的だ、というな。それを覆い隠すために神殿は神を持ち出し、発情期を聖なるものとして持ち上げ、自分たちを正統化する物語を生み出した」
 はぁ、と溜息をついて宮司様は言葉を切る。

「でも、今は……印を用いれば、発情するタイミングは分かります。ならば、Ωを巫覡として管理する必要は、もうないはずです」

「そうじゃ。その印はな、宮司となってから妾が作ったものよ。
 Ωの匂いから、次の発情期を当てる、そう言う魔法じゃ。完全ではないがな。
 妾もな、同じように、発情期さえ管理できれば……神殿がΩを管理する必要はないと、そう思っておった。
 じゃが、それだけでは、足りなかった」
 そう言うと、宮司様は静かに目を伏せた。

「妾の魔法は、ただ単に神殿がΩを管理しやすくするだけじゃった。
 もちろん、Ωにとっても、発情期が何時なのかわからないよりは、わかったほうがずっとよい。
 ただ、それだけではすでに完成していた神殿という枠組みを、Ωの生き方を変えることにはならなかった」
 己の無力さを嘆くように宮司様は杯に入った酒を飲み干し、俺を見た。

「そなたなら、どうする。この神殿の仕組みを取り払い、Ωに自由を取り戻すために、何をすべきだと思う」
 まっすぐに射抜くような眼差しで、宮司様は問う。
「それは……」
 簡単には思いつかない。いや、思いついたとして、上手くいくようには思えなかった。
 例えば、Ωの発情期を無くしたとして。
 それで失われるのはΩの商品としての価値だ。神殿は商品を、収入を失い、仕組みとしては崩壊するに違いない。
 だがそれで今より『幸せ』になるΩはどれほどいるだろう?

 マヤが言った言葉を思い返す。
 外をのことは何も知らない、と。生きるすべを持たないのだと。
 それは柘榴宮の皆とて同じだった。

 彼らがもっている知識や経験は、この箱庭を暮らすためのもので――外に出るときはあくまで『αに嫁ぐ』という状況しか想定していない。

 宮の中で身につけることといえば、もっぱら宮の、つまりは『家』の切り盛りの仕方だけだ。
 それは嫁ぎ先で家長の妻となり家の差配を賄うには足りるだろう。だがそれだけだ。マヤのように夫や家を失えば、生計を建てる術はない。
 そうしたΩたちに、急に別の生き方をしろと迫ったとして。そこに生まれるのは混乱でしかないだろう。

 それに、外の世界には、『Ωは神殿にいるべきもの』という価値観がある。
 自分自身、Ωとなるまではわかっていなかったが、明確な差別意識がとして存在している。
 ――Ωとは、ともに暮らせない。
 そう考えていた自分には、Ωがどんな存在であるか理解しようとする意識もなかった。

 この状況で、多くのΩが一度に外に出てたとして。βと同じように普通に暮らすのは、困難だろう。

「……すぐに答えられる問題ではない、そうじゃな? それで良いのだ、サリュー。それが解ってくれれば、とても嬉しい。
 そして、その上で、妾の夢に手を貸してほしい。それが、今宵そなたに伝えたかったことよ」

 ――どうしたらΩを自由にできるか

「宮司様。それが――俺の役目だと」
「さあな。断言などできぬ。妾の夢見は所詮、占い程度のもの。
 お主に託せばそれで上手くいく、というものではない。そこは勘違いするでないぞ。
 ただ、どうにかすれば勝算があるやも、ということだ。
 何もせず指を咥えていては、次の百年もこのままよ。それで……良いわけがなかろう」
 ぐ、と拳を握りしめ、宮司様は悔しそうに口を曲げる。

 百年。
 それほど先のことを考え、夢を見る……。それは途方もないことに思えて。
 けれど、果たすべき事だと、信じられる。

「承知つかまつりました。その任、俺の……私のお役目としてお引き受けします」
「ありがとう。感謝する。非力ではあるが、妾の手が回せる限りはそなたに便を図ろう」
 ふ、と笑って宮司様は言う。

「では……あの、……先の禰宜の神託を手配頂いたのも、夢見のせい、ですか」
「そうじゃな。気に障ったなら許してくれ。妾の夢見に応じて、差配いたした。それがどのような意味を持つかまでははっきりとはせぬがな。
 それに、同じ神降ろしとして、そなたの身が不憫だったのもある。並の神官に任せて粗野なαをあてがわれてはな」

「……ありがとうございます」
「なに、妾が禰宜の神託に口を出すのはよくあることよ。神官どもも慣れておるゆえ、問題なく通る。
 全ての、とはいかぬが出来るだけ皆の希望を叶えてやりたいからの」

 言って自嘲するように微笑む。
 遠見の力を使えば――巫覡達の状況を掴むのも可能だろう。
 リファやシャオたちが言っていた、手順を踏んで願えば、希望どおりの禰宜が得られるという話とも整合する。

 しかしそれは一体、どれほどの労力だろうか。
「なぜ、そこまで為されるのですか」
「買い被るな。妾に出来ることは大したことではない。せいぜいがこの大神殿のなかを見守ることよ。
 ……国の中にはな、もっと沢山のΩがいる。Ωというだけで、多くのものが理不尽に扱われている。
 妾が本当に成したいことには、まだ遠く及ばぬよ」
 憂いをはらんだ口ぶりで、言うと宮司様はじっとこちらを見据えた。その朱い瞳には、強い意志が宿り、静かな怒りが込められていた。

「さて……。妾の話を盗み聞きをしている小僧がおるようだな」
そう言ってパンッ、と宮司様が強く手を打つと、背中に隠れていたルーがびくりと震えた。
「このまま祓ってやろうか。痴れ者が」

「……おお怖い」
 声がして、背中からルーがぬっと抜け出していく。
 小さな龍の姿がくるりと宙で回ると、その姿は煙のように掻き消え、赤い眼の魔法使いが顕現した。
「ルシアン」
「失礼しました。宮司様が御召と聞いて、心配のあまり。先の不法侵入の責を負うべきは私ですので」
 そう言って、畏まった礼をして見せる。

「知っておる。大体、妾の眼を盗んでこの園に侵入出来るなど、思い上がりもいいもの。
 まったく……なぜお前なぞに神託をくれてやらねばならなかったのか」
 どうやら旧知の仲ではあるらしい。まあ、神殿と事を構えたという経緯を考えればそれもあるだろう。

「お主、考え直したほうが良いぞ。其奴そやつは少し魔法の腕が立つとはいえ、人として大事なものが欠けておる、欠陥品じゃ」
 こちらを向いて、宮司様はくだを巻くように言い捨てた。

「あなたが私の何を批判できると言うのです。大婆様。御自分の不始末を棚に上げて聖人ぶるなど、笑止」
「……妾の力不足は認めよう。じゃがな、神官どもに正面から楯突いて、挙げ句、追放の憂き目に遭うなど、子供の駄々と同じではないか。……それで変えられるものがあるというなら、見せてみよ」

 旧知の仲、にしては険悪な言葉が飛び交う。詳細はわからないが、浅からぬ因縁があるには違い無いようだった。

 二人の言葉の断片を集めながら、自分の理解を整理する。

「……あの。つまりは、……神官どもが邪魔だということですか」
 おずおずと口を挟むと、四つの赤い瞳が俺を見る。

「そうじゃな。
 神官長を始めとする神殿の管理者たち、そして、神官どもに権威を与える王家。
 具体的な相手となるとそういった者達になる。

 じゃがな、誰かを討ち滅ぼせば、それでΩの待遇が変わるものだろうか。神官長や王など、ころころ変わるただの置物よ。――真に変えねばならないのは、この体制、Ωを取り巻く仕組みそのものじゃ。
……だが、その手立てが分からぬ」
 長年の悩みを吐露するように宮司様は天を仰ぐ。

「そのように難しく考えるから、何も変えられないのです。一度、全てを壊してみれば良い」

 その姿を嗤うように事も無げに言う男は、その気になれば本当にやり遂げることができるだろう。
 実際に何があって国外追放に処されたかはわからないが、この調子では国家反逆罪の名に恥じぬ行いだったに違いない。

 まったく――困ったものだった。

「つまり、その二つの方略の真ん中に正解があるはず。……私にその道を探れと、そう仰せですね」
 努めて明るく言う。主義主張は違えど、二人の成したいことには重なる部分があるはずだった。
 であれば、対立させぬように、仲を取り持つことが自分の役目なのかも知れなかった。
「そうじゃ。難題を持ちかけてすまぬが、よろしく頼む」
「承知致しました。宮司様。長年の夢にどれだけお力になれるかわかりませんが――私も同じ夢を見たく思います」

 何から手を付ければ良いかなど分からなかった。
 けれど、心の中には確かな火が灯っていた。

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