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32・ケルベロス

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『The Prizoner』のダンジョンは100階層ある訳だが10階毎にボスがいる。つまりキングを含めて10体のボスが居る事になる。最初のコウモリは大きい個体が10階層のボスでこれはゲーム内では雑魚に等しい存在で弱い。まあ現実に現れた日には雑魚でもこんなに被害が出るのかと思ったが。

 その後はネズミ頭男で今度は間違いなくケルベロスだろう。ケルベロスも何とか倒したとしよう、ではその次は? 9体全部出てきたら最後はキングだ。キングが人間を襲っちゃうのか?? そうなったら誰がキングを倒すんだ?

「何か手を打たないとまずいという事だな」
「一応キングが一番強いんだから他のボスが現れても倒していけばいつかは終わりが来るはずだけど」

「一応というのは聞き捨てならないが、問題は昼間だな。昼間に襲われてはさすがの俺もどうにもならん」
「あっ、80階のボスもやばいぞ。あれって物理攻撃反射じゃん。この世界で魔法を使えるのは宏樹だけだぞ。あいつに昼間襲われたら詰むぞ」

「まずは目下のケルベロスだな。まだ頭が3つもある犬のニュースは出てないが、あいつは火炎を吐く。俺の苦手なヤツだ‥」

「お忘れではないですかにゃ。このディアンちゃんの事を!」

 今までずっと黙って話を聞いていたディアンがここでスクッと椅子から立ち上がった。

「忘れてなんかいないぞ。ディアンちゃんは昼間でも関係なく変身出来るしさ、頼りにしてるよ」
「そうだな。昼間はディアンしか頼れる者がいない」

 ディアンは手放しで褒められてご機嫌だ。「うん、直巳もたまにはいい事を言うにゃ」

 最近はディアンにこんな風にディスられても何とも思わなくなってきたよ。あ~あ慣れって恐ろしいもんだ。





 あれから数日経つがやはり双頭の犬だの、ケルベロスらしきクリーチャーが現れたという話は出てこなかった。ネズミ頭男のニュースはまだTVや週刊誌にも取り上げられていて、アマチュアの映画撮影だったのではないか、とか色々な憶測が飛び交っている。だがどれも真実からは程遠い仮説ばかりだった。

 俺はと言えば大学にバイトに忙しくして、頭からはケルベロスの事が消えかかっていた。

 そんなある日のバイトで俺はオーナーから珍しく残業をお願いされてしまった。

「悪いねぇ、五十嵐君。4時までお願いできるかな?」
「はい、問題ないっす」

 オーナーの都合で25時上がりの俺はそのまま朝の4時まで仕事をすることになった。25時からは宏樹が来て4時で一緒に上がる。

 まぁ今日の所は何事も無く平凡な一日で終わりそうだ。そうちょくちょく色んな事件が起こってたまるかっての。


 そうして今日のバイトが無事終わった帰り道。

「お前いくら何でもこの量は食いきれないんじゃないか?」

 俺は両手に特大のレジ袋一杯に入った切り落としのカステラを持って歩いていた。宏樹にも一袋持って貰っている。

「大丈夫だって、これ美味いんだぜ。ハチミツが入っててしっとりしててさぁ。切り落としで安いから入荷してもすぐ売り切れちゃうんだけど、オーナーが間違って大量に発注したから廃棄がこんなに出たんだよ。俺全部貰っちゃったもんね」

 そう、このカステラの切り落としは美味いんだよ。今日、残業を頑張った甲斐があったな。何飲みながら食うかなぁ。

 俺は浮かれてた。こんな切り落としのカステラで浮かれる俺って安上がりで悲しくなるが、確かに浮かれてたんだ。だから俺と宏樹の横を走って逃げる猫の事なんか目に入っていなかった。

 猫が俺たちを抜いて走り去って初めて、後ろで唸り声を上げる双頭の犬に気が付いた。俺よりほんのわずかだが先に宏樹が気づいて立ち止まった。

 るり子さんを襲った小さな犬と違って初めから双頭のこの犬はラブラドールくらいデカかった。もちろん首輪なんて付けておらず、ゲームに出てくる奴らと同じで炎の様な赤い毛並みをしていた。ズラッと牙が並んだ大きな口を開けてダラダラとよだれを垂らしながら息巻いている。

 宏樹も深夜のこの時間なら外でも人に見られる心配なく術をを使えるだろう。ただ住宅に被害が出ない様に広い場所に移動した方がいいかもしれない。駅前公園には遠いが近くに小学校がある。俺たちは小学校のグラウンドまで懸命に走った。

 グラウンドの中央に着いた時には犬もすぐ後ろまで迫って来ていた。まぁ1匹なら簡単に宏樹がやっつけてくれるだろう。

 だが振り返ると双頭の犬は3体に増えていた。このデカイのが3体か‥。大丈夫か? と声を掛ける前に宏樹の手には氷のソードが握られていた。前にネズミ頭男の首を刎ねたやつだ。

 先頭にいた犬が宏樹に飛びかかって来た。

「下がっていろ!」宏樹は俺にそう言うとソードを構え迎え撃つ。ズサッ! 下から切り上げる様にソードを振るうといとも簡単に片方の頭が切り落とされた。

 同じ瞬間に横からもう1匹が襲って来たが、宏樹も空いているもう片方の手で氷結の刃を飛ばした。無数の氷結の刃で切り裂かれた犬はあっけなくモザイク状になって消えていく。宏樹は素早くソードを両手で構え直し、最初の犬に止めの一撃を加えた。

 あと1体だ。こいつも不穏な唸り声を上げ続けているが、襲うのを少し躊躇しているようだ。そうだろう、最初の2匹は簡単にやられちまったんだから。

 だがグラウンドの土をジャリッジャリッと踏みしめる足音が後方から聞こえてきた。ハッとして振り返ると‥‥デカイ。

 ゆうに軽自動位はあるデカイあいつが‥3つの頭を持ったケルベロスがこちらに向かってゆっくりを歩を進めている。俺たちはケルベロスと1体の双頭の犬に挟まれた形となってしまった。

「で‥出た」俺はつばを飲み込もうとしたが、口の中はカラカラに乾いていた。
「なんだ、お漏らしでもしたのか?」

「ちょっ! ケルベロスだよ!」
「ふっ、そうだな」

 宏樹の声は笑っているように聞こえたが、ソードを握るその手に一層力が込められたのを俺は見た。

「なんだよ、お前だって緊張してんじゃんかよ」
「そうではない」

 そう言ったと思うと宏樹はまず目の前の双頭の犬に切りかかった。今度は一振りで頭ふたつをすっぱりと切って見せた。
 だが、双頭の犬が消えると同時に宏樹の手にあった氷のソードも蒸発するように消えてなくなってしまった。

「え? ど、どうしたんだ」

「見ろ、夜明けだ」
 
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