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三章
苦悩と慟哭 1
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「ん……」
眩しい光でゆっくりと意識が浮上し、アレンは顔を顰めながら瞼を押し上げた。
「ここ、は……?」
視界がはっきりとするまで何度となく瞬き、やっとそれだけを口の中で呟く。
ぼんやりと周囲が薄暗いが、今己がいる場所はベッドであることは理解した。
ふかふかと反発力のあるベッドはセオドアの店のものと似ているが、しかしそれ以上に上等だなと筋違いなことを思う。
アレンは恐る恐るベッドから降り、薄暗闇の中を一歩二歩と進んだ。
夜目は他の獣人に比べていい方だと自負しているが、それでもこの場は何か得体が知れず、同時に心細くて恐怖の方が勝った。
「っ!」
すると手が何かに当たり、図らずも小さく声が漏れる。
怖々と顔を近付けると鈍く自身の顔が映り、アレンはそっと手を触れた。
冷たく、しかし不思議と手に馴染むそれは置物か何かのようだが、その全貌は分からない。
アレンは何度か瞬きを繰り返し、周囲に目を慣れさせる。
「あ、っ」
図らずも大きな声を出しそうになり、アレンは反射的に口元を抑えた。
煌びやかな、それも王族が好んでいそうな調度品がいくつもベッドの近くに置かれている。
アレンが触っていたものは夜目にも分かるほど細かな装飾がされており、薄闇の中でもきらきらと光っているのが見て取れた。
調度品を載せている棚らしきものも上等で、とても庶民には手が出せないものだと分かる。
「城の、中……?」
小さく言葉にしたそれはあまりにも現実味がなく、アレンはそっと自分の頬を抓った。
「痛っ……!」
するとしっかりと痛みがあり、否が応でもこの状況を理解せざるを得なくなる。
しかしなぜ庶民、それもスラム街からやってきた自分が城に居るのか、そこまでの過程が分からなかった。
部屋の状態を見るに歓迎されているのかも曖昧で、扉に耳をそばだてても自身の息遣いしか聞こえない。
「俺、確かレオと一緒にいて……」
己に向けられたのかも分からない言葉に悲しくなり、無我夢中でセオドアの店から出てきたのだ。
その後をレオが追ってきてくれ、尚も店に戻るのを渋るアレンに『帰ろう』と言ってくれた。
しかしこのままのこのことセオドアの元へ戻りたくはなく、探している人──即ちアンナを弑した獣人の特徴を言い、レオから『条件』を提案されたところまではしっかりと覚えている。
その後、レオが何かを言ったと理解した時には目の前が暗くなったのだ。
「っ」
ずきん、と首筋が痛み、アレンは反射的に首に手をあてる。
同時にここに連れて来るために昏倒させられた、と漠然とながら理解した。
(でもなんのために……?)
大して金も持っておらず、特別何かに秀でている訳でもない。
それ以上に豪奢な部屋と自分の格好が合っていないのは明白で、アレンは扉の近くにあった鏡の前に半ばふらつきながら近寄った。
「え、っ……?」
そこに映っていたのは、真っ白なシャツとゆったりとしたスラックスに身を包んでいる自分自身だった。
それまで着ていた衣服は上下ともに薄汚れ、しかしセオドアの元で洗濯出来るようになってからは、少し見た目が良くなったと嬉しくなったものだ。
しかし、今アレンが纏っているものは薄闇の中でも上等なものだと分かる。
恐る恐るシャツの裾を触ってみると、しっとりと手に馴染んだ。
「絹、だっけ……」
それはスラムの仲間たちが懸命に一年働き、なんとか一枚買えるほどの高級なものだった。
「──あっ!」
すると扉の向こうから小さな悲鳴じみた声が聞こえ、アレンは緩くそちらに視線を向ける。
見れば淡い桃色の髪を一つに結んだ少女が、扉の隙間からそっと顔だけを覗かせていた。
その少女には見覚えがある。
レオから『マナ』と呼ばれ、大柄なレオにも臆する事なく説教をしていた少女だ。
「あ、あの」
「す、すみません! 覗くつもりはまったく、まっっったくなくて……!」
ここは何処なのか尋ねようとするよりも早く、マナはがばりと扉を開け放つと、その場に半ば崩れ落ちるように土下座した。
「え、ちょ、そんな……」
思ってもいなかった行動を取られ、アレンは慌てる。
少し大袈裟な気もするが、この状況を誰かに見られでもしたらマナが困るのではないか──そんな考えが頭をもたげた。
それについ数時間前──正確な時間は分からないが──、初めて顔を合わせた時よりもマナはずっと上等な衣服を身に纏っているのだ。
着ているワンピースはそのままに、柔らかそうな薄手の上着を羽織っている。
素材はアレンが纏っている服と同じようだが、それ以上にマナにはおよそ似つかわしくない短剣を腰に佩いていた。
アレンは改めて周囲に視線を巡らせ、やっとこの状況を呑み込む。
(あんまり信じたくないけど……)
マナの様相も、レオと接していた時のような丁寧な口調も、この部屋──もとい建物が王の住まう城にしか見えなくなっている。
仮に此処から一歩でも出れば、アレンが生涯目に掛かれないであろう煌びやかな世界が広がっていることだろう。
ただ、マナがこっそりと部屋を覗いていたのはアレンが逃げないか見張るためで、お目付け役と言うべきなのだろうか。
「あの、顔を上げてください」
何をするにもまずはマナから聞くしかなく、アレンは小さく声を掛けた。
「ああ怒られる……陛下に、きっとブライト様にも怒られてしまう……」
少女の前に膝を突いてそっと手を差し伸べても、頭を抱えてぶつぶつと何かを床に向けて言うばかりで、こちらの声など少しも聞こえていないようだった。
「最悪ご飯も食べられなくて……でもあの陛下なら、ティアラの分はきっと用意してくれる。私が一日我慢さえすればいいだけで」
艶のある髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、かと思えば床に顔を突っ伏した。
「え、ちょ……何を!?」
唐突な事にびくりと肩が揺れ、しかしアレンの静止も聞かずマナはガンガンと床に頭を打ち付ける。
血が出やしないか心配になると同時に、どう声を掛けていいものか困惑する。
ここまで突飛な行動をする相手はまず珍しく、次第に目の前の少女が怖くなってしまう。
「──はぁ。お見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ございません。しばらくの間、アレン様の身の回りのお世話を任されています、マナ・メアリー・フィコトワと申します」
やがてマナは赤くなってしまった額を撫でながら、床に座ったままぺこり頭を下げて言った。
にこにこと笑みを浮かべる丸みを帯びた頬は桃色に染まり、しかしすぐに唇を真一文字に引き結ぶ。
「絶対にばれないようにするつもりだったんですが……仕方ありません」
そう前置くと、マナは床に座ったままじっとアレンを見上げてくる。
肉食系獣人、中でもオオカミは微かな音に気付くほど聴力が良い、とマナは知らないようだった。
(ここがどういう所なのか聞きたいし、こっちからあんまり聞くのも駄目だよな)
最悪警戒されるのは必至で、そうなってしまえば何も分からないままここに居ることになる。
アンナを弑した獣人を探すために出てきたというのに、道半ばも同然な中でこれでは本末転倒だった。
「我が主のご命令で、しばらくの間貴方を留めおくよう申し付けられました」
「留める……?」
まるで『この国の王』がアレンを知っている、とでもいうような口ぶりだ。
しかし、そもそもアレンはスラムから都へ出てきてからそう長くないため、王が認識してくれているとはとても思えない。
それ以前に会った事はなく、マナの言っていることが分からなかった。
けれど少女の紫の瞳は真摯で、とても嘘を言っているようには見えない。
(もしかして、たまに来ていた人……?)
ふとアレンの脳裏に一つの考えが浮かんだ。
スラムの奥まった場所で、数人の大人達が高貴な成りをした獣人を案内している所を見たのだ。
その人はアレン達子どもに玩具を与えてくれ、日々で足りない食料や日用品の支給をしてくれたりもした。
近くでその獣人を見た事は無く、遠くから覗いているだけだったものの、この数年でぐっと環境が良くなったように思う。
(でも違ってたら)
「──本当に、どうして陛下は」
不意にマナが何かを呟いたのが聞こえたと同時に、ぴる、とアレンの耳が動く。
「……ううん、きっと何か考えがあるはず。でも私には教えてくださらないし、あまりしつこいとまた面倒臭いし」
どうやらマナはその『陛下』をよく思っていないらしく、渋面を作ってはうんうんと唸っている。
「ホウッ!」
「いったぁ……なんなの、ティアラ!」
ぶつぶつとマナが独り言を呟いていると、どこからかフクロウが姿を現した。
マナの頭に止まると、フクロウ──ティアラは小さな嘴で何度も頭をつつく。
「痛っ! 痛いってば……!」
小さいとはいえ鋭いためか、マナが悲鳴じみた声を上げる。
「ひ、っ」
ばちりと丸く大きな瞳と一瞬視線が交わったかと思えば、ティアラの金色の目がじわりと見開かれる。
動物の言っていることは分からないものの、このフクロウがマナに対して何か怒っているのは十分すぎるほど理解した。
「ホホウ! ホーウ!?」
「や、私が悪いのは分かったから! だからつつくのは止めて……!」
バサバサと大きく翼をはためかせながら、先程よりも激しくマナの頭をつつく。
床のあちこちに白い羽が散らばり、こんな時なのに綺麗だと場違いなことを思った。
「え、えっと……」
あまりに激しい攻防を黙って見ている気にはとてもなれず、アレンが口を開こうとした時だ。
「──ちょっと目を離したらお前らは……すぐに喧嘩して、よく飽きないな」
部屋の外からやや呆れた低い声が聞こえ、アレンは大きく目を見開いた。
同時に尻尾が下がり、ぶわりと逆立つ。
(なん、で……)
少し抑揚のある口調も、耳に残る低い声音も、つい昨日聞いたばかりだ。
しかし服装が普段とまるきり違うからか、すぐには『その人』だと気付けなかった。
ティアラから繰り出される攻撃に、頭を抱えてうずくまっていたマナが顔を上げる。
「陛下……! 酷いんです、ティアラが」
「愚痴なら後でいくらでも聞いてやる」
マナがその人の脚に縋ろうとし、しかしその人はすんでのところで伸ばされた手を躱した。
「……だが、今は止めてくれ。こいつの前でそんなふうに呼ぶのは」
はぁ、と腹の底から深く長い溜め息を吐くと、その人は頭をガシガシと掻く。
仕草一つ、口調一つ取っても、あまりにアレンの知っている獣人のそれだった。
(ちがう、うそ……だ)
否定の言葉を何度となく心の中で繰り返しても、無駄だった。
艶のある黒髪が少し乱れ、その人が頭を軽く振ると花に似た甘い香りが鼻腔を擽った。
ややあって男がこちらに視線を向け、淡く片頬を上げて笑みを浮かべる。
「悪いな、アレン。びっくりさせて」
少しも悪いと思っていないような楽しげな声には、聞き覚えがある。
笑う時の癖なのか小さく喉が鳴るのも、名を呼ぶ時の声があまりに優しいのも、忘れたくても忘れられないほどだ。
「レ、オ……?」
アレンはぽつりとその人──レオの名を口にした。
眩しい光でゆっくりと意識が浮上し、アレンは顔を顰めながら瞼を押し上げた。
「ここ、は……?」
視界がはっきりとするまで何度となく瞬き、やっとそれだけを口の中で呟く。
ぼんやりと周囲が薄暗いが、今己がいる場所はベッドであることは理解した。
ふかふかと反発力のあるベッドはセオドアの店のものと似ているが、しかしそれ以上に上等だなと筋違いなことを思う。
アレンは恐る恐るベッドから降り、薄暗闇の中を一歩二歩と進んだ。
夜目は他の獣人に比べていい方だと自負しているが、それでもこの場は何か得体が知れず、同時に心細くて恐怖の方が勝った。
「っ!」
すると手が何かに当たり、図らずも小さく声が漏れる。
怖々と顔を近付けると鈍く自身の顔が映り、アレンはそっと手を触れた。
冷たく、しかし不思議と手に馴染むそれは置物か何かのようだが、その全貌は分からない。
アレンは何度か瞬きを繰り返し、周囲に目を慣れさせる。
「あ、っ」
図らずも大きな声を出しそうになり、アレンは反射的に口元を抑えた。
煌びやかな、それも王族が好んでいそうな調度品がいくつもベッドの近くに置かれている。
アレンが触っていたものは夜目にも分かるほど細かな装飾がされており、薄闇の中でもきらきらと光っているのが見て取れた。
調度品を載せている棚らしきものも上等で、とても庶民には手が出せないものだと分かる。
「城の、中……?」
小さく言葉にしたそれはあまりにも現実味がなく、アレンはそっと自分の頬を抓った。
「痛っ……!」
するとしっかりと痛みがあり、否が応でもこの状況を理解せざるを得なくなる。
しかしなぜ庶民、それもスラム街からやってきた自分が城に居るのか、そこまでの過程が分からなかった。
部屋の状態を見るに歓迎されているのかも曖昧で、扉に耳をそばだてても自身の息遣いしか聞こえない。
「俺、確かレオと一緒にいて……」
己に向けられたのかも分からない言葉に悲しくなり、無我夢中でセオドアの店から出てきたのだ。
その後をレオが追ってきてくれ、尚も店に戻るのを渋るアレンに『帰ろう』と言ってくれた。
しかしこのままのこのことセオドアの元へ戻りたくはなく、探している人──即ちアンナを弑した獣人の特徴を言い、レオから『条件』を提案されたところまではしっかりと覚えている。
その後、レオが何かを言ったと理解した時には目の前が暗くなったのだ。
「っ」
ずきん、と首筋が痛み、アレンは反射的に首に手をあてる。
同時にここに連れて来るために昏倒させられた、と漠然とながら理解した。
(でもなんのために……?)
大して金も持っておらず、特別何かに秀でている訳でもない。
それ以上に豪奢な部屋と自分の格好が合っていないのは明白で、アレンは扉の近くにあった鏡の前に半ばふらつきながら近寄った。
「え、っ……?」
そこに映っていたのは、真っ白なシャツとゆったりとしたスラックスに身を包んでいる自分自身だった。
それまで着ていた衣服は上下ともに薄汚れ、しかしセオドアの元で洗濯出来るようになってからは、少し見た目が良くなったと嬉しくなったものだ。
しかし、今アレンが纏っているものは薄闇の中でも上等なものだと分かる。
恐る恐るシャツの裾を触ってみると、しっとりと手に馴染んだ。
「絹、だっけ……」
それはスラムの仲間たちが懸命に一年働き、なんとか一枚買えるほどの高級なものだった。
「──あっ!」
すると扉の向こうから小さな悲鳴じみた声が聞こえ、アレンは緩くそちらに視線を向ける。
見れば淡い桃色の髪を一つに結んだ少女が、扉の隙間からそっと顔だけを覗かせていた。
その少女には見覚えがある。
レオから『マナ』と呼ばれ、大柄なレオにも臆する事なく説教をしていた少女だ。
「あ、あの」
「す、すみません! 覗くつもりはまったく、まっっったくなくて……!」
ここは何処なのか尋ねようとするよりも早く、マナはがばりと扉を開け放つと、その場に半ば崩れ落ちるように土下座した。
「え、ちょ、そんな……」
思ってもいなかった行動を取られ、アレンは慌てる。
少し大袈裟な気もするが、この状況を誰かに見られでもしたらマナが困るのではないか──そんな考えが頭をもたげた。
それについ数時間前──正確な時間は分からないが──、初めて顔を合わせた時よりもマナはずっと上等な衣服を身に纏っているのだ。
着ているワンピースはそのままに、柔らかそうな薄手の上着を羽織っている。
素材はアレンが纏っている服と同じようだが、それ以上にマナにはおよそ似つかわしくない短剣を腰に佩いていた。
アレンは改めて周囲に視線を巡らせ、やっとこの状況を呑み込む。
(あんまり信じたくないけど……)
マナの様相も、レオと接していた時のような丁寧な口調も、この部屋──もとい建物が王の住まう城にしか見えなくなっている。
仮に此処から一歩でも出れば、アレンが生涯目に掛かれないであろう煌びやかな世界が広がっていることだろう。
ただ、マナがこっそりと部屋を覗いていたのはアレンが逃げないか見張るためで、お目付け役と言うべきなのだろうか。
「あの、顔を上げてください」
何をするにもまずはマナから聞くしかなく、アレンは小さく声を掛けた。
「ああ怒られる……陛下に、きっとブライト様にも怒られてしまう……」
少女の前に膝を突いてそっと手を差し伸べても、頭を抱えてぶつぶつと何かを床に向けて言うばかりで、こちらの声など少しも聞こえていないようだった。
「最悪ご飯も食べられなくて……でもあの陛下なら、ティアラの分はきっと用意してくれる。私が一日我慢さえすればいいだけで」
艶のある髪をぐしゃぐしゃと掻き乱し、かと思えば床に顔を突っ伏した。
「え、ちょ……何を!?」
唐突な事にびくりと肩が揺れ、しかしアレンの静止も聞かずマナはガンガンと床に頭を打ち付ける。
血が出やしないか心配になると同時に、どう声を掛けていいものか困惑する。
ここまで突飛な行動をする相手はまず珍しく、次第に目の前の少女が怖くなってしまう。
「──はぁ。お見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ございません。しばらくの間、アレン様の身の回りのお世話を任されています、マナ・メアリー・フィコトワと申します」
やがてマナは赤くなってしまった額を撫でながら、床に座ったままぺこり頭を下げて言った。
にこにこと笑みを浮かべる丸みを帯びた頬は桃色に染まり、しかしすぐに唇を真一文字に引き結ぶ。
「絶対にばれないようにするつもりだったんですが……仕方ありません」
そう前置くと、マナは床に座ったままじっとアレンを見上げてくる。
肉食系獣人、中でもオオカミは微かな音に気付くほど聴力が良い、とマナは知らないようだった。
(ここがどういう所なのか聞きたいし、こっちからあんまり聞くのも駄目だよな)
最悪警戒されるのは必至で、そうなってしまえば何も分からないままここに居ることになる。
アンナを弑した獣人を探すために出てきたというのに、道半ばも同然な中でこれでは本末転倒だった。
「我が主のご命令で、しばらくの間貴方を留めおくよう申し付けられました」
「留める……?」
まるで『この国の王』がアレンを知っている、とでもいうような口ぶりだ。
しかし、そもそもアレンはスラムから都へ出てきてからそう長くないため、王が認識してくれているとはとても思えない。
それ以前に会った事はなく、マナの言っていることが分からなかった。
けれど少女の紫の瞳は真摯で、とても嘘を言っているようには見えない。
(もしかして、たまに来ていた人……?)
ふとアレンの脳裏に一つの考えが浮かんだ。
スラムの奥まった場所で、数人の大人達が高貴な成りをした獣人を案内している所を見たのだ。
その人はアレン達子どもに玩具を与えてくれ、日々で足りない食料や日用品の支給をしてくれたりもした。
近くでその獣人を見た事は無く、遠くから覗いているだけだったものの、この数年でぐっと環境が良くなったように思う。
(でも違ってたら)
「──本当に、どうして陛下は」
不意にマナが何かを呟いたのが聞こえたと同時に、ぴる、とアレンの耳が動く。
「……ううん、きっと何か考えがあるはず。でも私には教えてくださらないし、あまりしつこいとまた面倒臭いし」
どうやらマナはその『陛下』をよく思っていないらしく、渋面を作ってはうんうんと唸っている。
「ホウッ!」
「いったぁ……なんなの、ティアラ!」
ぶつぶつとマナが独り言を呟いていると、どこからかフクロウが姿を現した。
マナの頭に止まると、フクロウ──ティアラは小さな嘴で何度も頭をつつく。
「痛っ! 痛いってば……!」
小さいとはいえ鋭いためか、マナが悲鳴じみた声を上げる。
「ひ、っ」
ばちりと丸く大きな瞳と一瞬視線が交わったかと思えば、ティアラの金色の目がじわりと見開かれる。
動物の言っていることは分からないものの、このフクロウがマナに対して何か怒っているのは十分すぎるほど理解した。
「ホホウ! ホーウ!?」
「や、私が悪いのは分かったから! だからつつくのは止めて……!」
バサバサと大きく翼をはためかせながら、先程よりも激しくマナの頭をつつく。
床のあちこちに白い羽が散らばり、こんな時なのに綺麗だと場違いなことを思った。
「え、えっと……」
あまりに激しい攻防を黙って見ている気にはとてもなれず、アレンが口を開こうとした時だ。
「──ちょっと目を離したらお前らは……すぐに喧嘩して、よく飽きないな」
部屋の外からやや呆れた低い声が聞こえ、アレンは大きく目を見開いた。
同時に尻尾が下がり、ぶわりと逆立つ。
(なん、で……)
少し抑揚のある口調も、耳に残る低い声音も、つい昨日聞いたばかりだ。
しかし服装が普段とまるきり違うからか、すぐには『その人』だと気付けなかった。
ティアラから繰り出される攻撃に、頭を抱えてうずくまっていたマナが顔を上げる。
「陛下……! 酷いんです、ティアラが」
「愚痴なら後でいくらでも聞いてやる」
マナがその人の脚に縋ろうとし、しかしその人はすんでのところで伸ばされた手を躱した。
「……だが、今は止めてくれ。こいつの前でそんなふうに呼ぶのは」
はぁ、と腹の底から深く長い溜め息を吐くと、その人は頭をガシガシと掻く。
仕草一つ、口調一つ取っても、あまりにアレンの知っている獣人のそれだった。
(ちがう、うそ……だ)
否定の言葉を何度となく心の中で繰り返しても、無駄だった。
艶のある黒髪が少し乱れ、その人が頭を軽く振ると花に似た甘い香りが鼻腔を擽った。
ややあって男がこちらに視線を向け、淡く片頬を上げて笑みを浮かべる。
「悪いな、アレン。びっくりさせて」
少しも悪いと思っていないような楽しげな声には、聞き覚えがある。
笑う時の癖なのか小さく喉が鳴るのも、名を呼ぶ時の声があまりに優しいのも、忘れたくても忘れられないほどだ。
「レ、オ……?」
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