その美人、執着系攻めにつき。

月城雪華

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第三部 二章

不意打ちな告白 2

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「俺だけ、が……?」

 ネロの言葉を無意識に口の中で繰り返す。

「……そう。まっすぐに僕と目を合わせてくれて、避けないでくれる。王宮でそうしてくれるのは君だけなんだ」

 ゆっくりとネロは口角を上げ、もう一度同じ言葉を紡ぐ。

 真正面の男が何を言っているのか、いよいよ分からなかった。

 ネロの口振りでは、国王であり伯父でもあるライアンも向き合ってくれない、と言っているも道義だ。

 加えて晩餐会で顔を合わせた女性──マリアは妹だと聞かされていたが、仲が悪いのかと邪推してしまう。

「でも惜しいな。君がエルヴィズのものじゃなかったら」

 そこでネロは言葉を切ると、何もできずにいるアルトの耳元に唇を寄せてきた。

「──すぐにさらってしまうのに」

「っ……!」

 ぞく、と身震いがした。

 柔らかな口調はそのままだが、声音は先程よりも低く冷たい。

 淡い微笑みを浮かべているものの、一瞬でネロの纏う空気ががらりと変わったためか、悪寒が止まらない。

「何、を……言っ、て」

 じわりと背中に冷たい汗が伝い、はくはくと口を開いては閉じてを繰り返すしかできない。

 次第に呼吸が苦しくなり、壁に背中を預けて立っているのがやっとだった。

 そうでもなければその場からくずおれ、幼い子供を抱いているとはいえネロから逃げられないのは明白だ。

 しかし脳は『今すぐに逃げろ』と警鐘を鳴らしているのに、脚が震えて一歩も動かせない。

「僕の言ってること、冗談だと思う? これはただの戯れ言だって、聞き流そうとしてる?」

 ネロは元通り人ひとり分の距離を空け、歌うように問い掛けてくる。

 紫の瞳が妖しく光り、その瞳から目を逸らせば最後、囚われてしまうという錯覚すら覚えた。

「──トさま……アルト様!」

 不意に自分を呼ぶかすかな声が耳に届き、アルトは機械仕掛けの時計のように首だけをそちらに向ける。

 ネロの視線から逃げるように声がした方を見ると、慌てた様子の侍従がこちらに走ってくるところだった。

「ああ良かった、お二人ともお揃いで」

「……ノ、ア」

 たった二文字の名前を口にするだけでも声が掠れていた。

 しかしその変化に気付かないふりをして、アルトは懸命に脚を叱咤して壁から離れる。

「ど、どうしたんだ。そんなに慌てて」

 助かった、と心の中で呟きながらノアに駆け寄る。

 幸いネロが後を付いてくることはなかったが、ただただこちらに向けられる視線が痛かった。

 ノアは丸い瞳をやや鋭くさせ、普段よりもわずかに低い声で言った。

「すぐに執務室に来てくれ、と陛下からの伝言です」

 そっと目を伏せ、ノアは尚も続ける。

「本当ならば朝のうちにお伝えした方が良かったのですが……すみません、あまりにも時間が取れず」

 辺境伯らが王宮に滞在してからというものの、ノアは国王の側近として傍で細々とした雑務をになっていた。

 というのもミハルドは国の使いで他国へ出向いており、ライアンの傍に誰もいないのは不安だから、と直々にノアを指名したのだ。

『ミハルド様の代わりなど恐れ多い……! けれどご指名いただいた限りは、精一杯努めさせて頂きます!』

 丁度自室でエルを待ちながら本を読んでいた時、目の前でその光景が繰り広げられていたため、ノアの喜びようは記憶に新しい。

 以後ミハルドの代わりとして王宮を奔走しているためか、数日のうちに丸みの残る頬は心做しか痩せたようだった。

 伏せられた目元にもうっすらと隈があり、疲労が隠しきれていない。

 足取りはまだしっかりとしているが、このままの状態が続けば倒れてしまうのは必至だろう。

(休めって言っても嫌がるんだろうな)

 人一倍真面目なノアの考えそうなことだな、と思うと同時に元の世界で必死に生きていた己の境遇とと似ていて、次第に恥ずかしくなった。

「お部屋にいらっしゃらないので、随分と探したのですが……」

 そこまで言うと黙ってしまったノアの視線を追い、アルトは首を傾げる。

「あれ……ネロ、は?」

 先程まで居たであろう場所には男の姿はなく、ただただ柔らかな風が吹いているだけだった。




「──アルト王配殿下をお連れ致しました」

 ノアに先導されて執務室の扉を開けると、ライアン以外に頭の中に浮かんでいた者が既に揃っていた。

 扉を開けてすぐの真正面の机にはライアンが座っており、その右側にはナハトが立っていた。

(いつもミハルドさんが居るところだ)

 国王の護衛も兼ねているようで、ナハトは軽装ながら腰に短剣を差している。

 辺境伯という身分上、やはりナハトはミハルド並かそれ以上に強いのだという予感がした。

「──アルト」

 柔らかくこちらを呼び掛ける声が聞こえると、扉付近に立っていたエルがにこりと微笑んだ。

 そっと肩を抱かれ、部屋の中に入るとすぐに扉が閉まる音が聞こえた。

 どうやらノアは共に入らず、執務室の外で待機するらしい。

かしてすまないね、アルト。喉は渇いていないか?」

 ライアンはにこやかな笑みを崩さず、手元にあった水差しを持ち上げて尋ねてくる。

「大丈夫、です。あの、何かあったんですか?」

 緊張を解すために言ってくれたのだと分かっているが、アルトは短く固辞した。

 普段であれば国王から直々の呼び出しはない。

 あっても直接会話をする事はなく、ミハルドや他の者を通じて伝えられる。

 そのため無意識に身体が強ばってしまい、ライアンは安心させるように笑みを深くした。

「いやなに、ナハトの領地へ向かおうと思ってな」

 ちらりと背後に立つ男に視線を向け、ややあってライアンはそっと瞼を伏せた。

「ここ数日、一部の領地で暴動が起こっている。それとなく調べさせたら、国境付近の貴族が起こしたものだと分かった」

「私が治めている領地の近くだった。まさか不在中にこんな事になるとは……」

 ライアンの言葉を引き継ぎ、ナハトが申し訳なさそうに目を伏せる。

 露出している右目はわずかに陰りを帯びており、不甲斐なさからなのか小さく身体が震えていた。

「数日留守にするんだが、その間この周辺でも似たような暴動が起きてはいけない。──そこで王太子と、王配である君に頼みがある」

 ライアンは淡く浮かべていた笑みを消して柳眉をひそめ、しかし威厳のある声でゆっくりと続けた。

「私の代わりに王宮を守って欲しい」

 その言葉に、隣りに立つエルの肩がぴくりと揺れる。

(ここに誰かが攻めてくる、のか……?)

 深刻な事を言われているのに、ライアンの言っている全貌が見えず頭にいくつもの疑問が浮かぶ。

 暴動の規模がどれくらいなのか分からないが、もしライアンの予想が本当になってしまえば、最悪の場合王宮に居る全員が危ない。

 その前に食い止めればいいだけだが、そもそも国王自ら領地へ向かう、という点が気になった。

 辺境伯の領地で起きた問題ならば、ナハトはすぐに戻ってその対処をせねばならないはずだ。

 しかしライアンがこうしてアルトを呼び、わざわざ暴動の顛末を聞かせたのはなぜなのか。

(攻め入ってきたら、俺は何もできない。……でも、何日か陛下がいないってまずい事なんじゃ)

 するとアルトの疑問が顔に出ていたのか、ライアンは小さく息を吐いた。

「──今でこそ平和だが、未だこの国のどこかに反乱分子があるのは事実だ。ナハトの領地の事もあるし、多少の用心はした方がいいと思ったんだが」

 お前は納得していないようだな、とライアンは息子に視線を投げ掛ける。

「貴方の側近と同じく……いえ、それ以上に心配し過ぎかと思います」

 ライアンの瞳を真正面から見返しながら、エルが呆れたように溜め息を吐いた。

 しかしライアンは尚も形のいい唇を動かす。

「何かあってからでは遅い。これはお前が誰よりも……私よりも、分かっているはずだろう?」

「っ」

 圧を感じさせる低く声音に、アルトは短く息を詰める。

 向けられている相手は己ではないのに、口を挟むでもなくただただ黙っているしかできなかった。

「……すまない、話を戻そう」

 ライアンは小さく咳払いをすると、やがてアルトを見つめた。

 晴れた空のような青い瞳は澄んでおり、エルとはまた違う意味で何もかもを見透かされている気になった。

「この際だ、君も知った方がいいと思って呼んだんだ」

 言いながらライアンは立ち上がると、机に手を突いてこちらをじっと見据えてくる。

 それまでの優しげな瞳ではなく、一人の『国王』としての顔だった。

「知っての通り、我が国は強い。しかし、それ以上にもろくもある」

 ゆっくりとした声音は落ち着いているが、その奥には後悔にも似た火が燃え盛っているように感じた。

「たった数十人、数百人が起こした反乱を放ってしまえば、破滅の道を辿る。今回ばかりはナハトだけでは無理だろう」

 規模が大き過ぎる、とライアンは悲痛な面持ちで続ける。

「──だから、そうなる前に国王である私が出向かわないといけないんだ」
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