彼岸の王と首斬り姫

KaoLi

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第六章

第五十三話 日記 頼守の我儘

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「水埜辺さま……!」
「よかった。無事だったか頼守、心配した」
「はい……。水埜辺さまは、どうしてこちらに?」
「お前の誕生日を祝いに来たのだが……。浮かない顔だな。どうした」
「……家が、燃えていました。私は何もできなくて……。何が何だかさっぱりで……」
「そうか。……人というのは本当に、時に、愚かな選択をするな……」

 人が好きである以上、こういった憎景を目の当たりにしてしまうと悲しく思う。ふと、頼守から何かが臭う。俺の嫌な予感が的中した。
 ――この間まではこの文字痣に臭いなんて付いていなかった。
 どうして!? 蛇の臭いが頼守の痣から漂う。偽物の痣が本物の印になったのだ。
 いつ、どこで? 俺は、守り切れなかったというのか。

「……お前、どこかで蛇に会ったか?」
「……いえ。……あ、そう言えば……。先ほど見かけはしましたが、それ以外は……」

 この時俺は頼守が何か隠していると分かっていたが、敢えて何も聞かなかった。

「そうか」

 しかし警戒するに越したことはない。俺は心を落ち着かせようと深呼吸する。土や木が焼けた臭いが鼻腔を擽る。やはり、人間と言うのは時に愚かだ。

「さあ、ここは危ない。俺と一緒に帰ろう」

 俺は頼守に提案した。しかし、彼はどこか表情を渋らせた。

「……そうしたいのは山々なのですが、私にはやらなければならない事があるのです。これを終えない限りは、一緒には帰れません。……申し訳ありません」

 ああ、そう言えばと思い出す。

「刀を完成させたと聞いた。頼舟に、渡しに行くのだったな」
「はい」
「では謝る必要はない。行ってこい。俺は待っているから」
「ありがとうございます!」

 頼守は一礼し、朝凪を握り締めて頼舟を探しに行ったのだった。

「……さて。嫌な予感がするなぁ……」

 首を左右に振り鳴らす。鳴らし終えた時、目の前から何人か武器を持った人間が俺の前に立ちはだかった。嫌な予感の正体はこれだろうか? いや、違うな。もっと嫌な感じがまだ残っている。まあ、考えたところで意味はない。俺は目の前の人間を見た。

「何だか黒い靄が目立つなあ。……まさか、妖怪憑か? 術者が近くにいるのか?」

 この村の村民であろう彼らに意識が感じられない。向けられているのは敵意。そして殺意。

「どこの誰だか知らないが、ここから先へは行かせないよ」

 俺は腰に携えていた太刀を抜き、やりたくもない戦闘態勢へと入る。村民を傷付けるわけにはいかないので、刃を内側にし、みね打ちにて応戦する。ふと、後部に立っている奴から目が離せなくなった。

 ――あいつは……。

 その顔には見覚えがあった。
 そして思考は次の瞬間には「しまった」と、頼守のことに向いた。

「なるほど……。全て貴様の仕業か……桔梗院!!」

 桔梗院と呼ばれた男はにやりと不敵な笑みを浮かべた。奴良野と彼ら一族とは因縁めいたものがあった。それは母上の時代から続くもので、話にしか聞いたことがない。実感など今まで湧かなかったが、彼を目の前にして彼女の言っていたことを思い出す。

 ――桔梗院は許すな。
 ――父の仇を許すな。

 それは呪いにも似た言葉。俺は苦笑いをし、人間を倒していく。

 ❀

 同時刻、頼守は未だ頼舟を探していた。一体どこにいるのだろうか。今はただ死んでいないことを祈るばかりだった。探せど探せど、見つからない。休憩する暇などなかったが、まずは焦って上がった呼吸を整えるためにその場に立ち尽くした。そこに――。

「頼守……!?」
「……頼舟兄上さま……?」
「お前、どうして……」
「やっと会えた。……良かった! ご無事だったのですね!」
「お前どうしてここにいる! お前はあのまま吉田上家で刀鍛冶として生きていくはずではなかったのか!」

 久し振りの再会だというのに頼守は頼舟に叱責される。しかしそれは当然のこと。彼との約束を破ったのは他でもない、頼守自身なのだ。それだけのことをしたのだと頼守は自分を責めた。

「……あなたがそうだと言われるのであれば私はその言葉に従います。もとより私には兄上さまに逆らう意味などないのです。……ですが、今日はどうしても、兄上さまにお会いしたく外出の許可を頂いて参りました。この小太刀『朝凪』をお渡ししたくて」

 頼守は跪き、くだんの小太刀、朝凪を頼舟に差し出した。だが頼舟は受け取らず、頼守の頬を思い切り叩いた。

「それは後でも良かっただろう!!」

 頼守は予期しない平手打ちに少しだけ動揺した。

「……とにかく、今は来てはならなかった。……村の皆が血眼になりお前を殺そうと探している。危険だから、早く戻りなさい」
「…………では、一層逃げられませんね」

 にこりと、頼守は微笑んだ。

「兄上さま、私は本日元服いたしました。十五になったのです。ここまで生きてこられたのは一重に、父上に母上、そして兄上さまのご尽力のお陰でございます。……そして私は、今日、自決するために生きてきた」

 その発言に頼舟の思考は止まった。

「なに……」
「もともと元服した暁にはそうしようと心に決めておりました。私は死ぬべき存在だから。だから武士の子として、」
「だから何だ。お前は普通に暮らすんだ。吉田上殿のもとで生き、妻を子を……。幸せになることを望むんだ! 普通になることを望むんだ頼守! ……それが嫌だと申すのであれば、私と共に来い。痣のことなど誰にも気にしない場所に行こう。そうすれば――」
「私は十分幸せを頂きました。それにもう決めていたこと。逃げたりはいたしませぬ」
「この兄の言うことが、聞けぬというのか……?」
「こればかりは……変わりませぬ。これ以上兄上さまに迷惑は掛けられませぬ。さあ、兄上さま。今ここで私は切腹いたします。そして死んだ私の髪をお切り取りください。血に濡れた刃を、村の者に見せつければ彼らも私が死んだと信じざるを得なくなることでしょう」
「……頼守……!」
「私は恩返しがしたいのです! これ以上の負担は掛けられない!」
「お前を負担だと思ったことは一度もない!」
「これは私の我儘です」

 ――もう、兄上さまにそんな表情をさせたくないという、私の我儘なのです。
 頼守は一息、気持ちを落ち着かせるために深呼吸したかと思うと、自分の携えてきた『夜凪』をすらりと音も静かに抜き、そして自身の腹部にその綺麗な刀身を突き立てた。

「――ぐふっ!」

「頼守!!」

 口から滴る赤が、頼舟の服を少しだけ汚してしまう。

「…………兄上さま……、服が……」
「そ、そんなことはどうでもいい! どうしてこんな馬鹿な真似を!」
「……ああ、私は、ほんに……幸せ者、ですねぇ……」

 どくどくと、刺した腹部から赤が流れゆく。支える手に触れた熱が冷めていく。

「本当に幸せそうな顔で逝く奴があるか……!」
「ああ……本当に……。兄上さまの腕の中は、温かい……」

 頼守は笑ってそう言うと、とうとう気を失った。血が、止まらない。体温も下がっていくばかり。まるで命が掌から零れ落ちていくような感覚に、頼舟は現実を受け入れられなかった。どうしてこんな馬鹿なことを。いつからこんな馬鹿なことを考えていたのか。頼舟は自分を責めた。

「頼守!」

 そこへ、弟の名を呼ぶ誰かが頼舟の耳に通る。振り返るとそこには黒い姿をした人間のような者が立っていた。それは水埜辺であった。
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