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第六章
第五十二話 日記 大麓村
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最初は彼のことを祝いに行こうと、再び此岸に向かったことが始まりだった。頼守のいる吉田上家の母屋へ向かう途中、一匹の使役鴉が俺のもとにやってきた。腕を差し出し宿り木として留まらせると、鴉は口を開き言葉を放った。
「カァ! カァ!」
「母上の鴉か? どうした」
「頼守、刀、完成! 頼舟、村、向カウ! カァ!」
「頼守が刀を完成させて、頼舟のいる村に向かっている……ということか? 相変わらずお前は言葉が足らないな」
「カァ!」
「して、その村は」
「大麓村、カァ!」
「村まで案内しろ、鴉!」
この時、なんだか嫌な予感が俺の脳裏を過ぎった。
❀
今日が頼守の十五歳の誕生日だと、頼舟は知っていた。それもそうだ。可愛い弟の誕生日だ。忘れるはずもない。
だから、身構えていた。妖怪がこの村に来るのではないかと。村の言い伝えが嘘か誠か、その真実は分からないが、あの子が特別だということは頼舟も幼い頃から重々承知していた。
三年前に世継ぎが生まれ、頼舟には家族を守る義務がある。しかし、予想よりも現実は酷いものだった。
「――源頼舟殿」
「……桔梗院有宗殿? ……どうされたのですか? こんなところまで」
桔梗院有宗――頼舟の妻である樂の幼馴染で、藤原家に仕えていた陰陽師の名家の嫡男である。有宗にとって頼舟は良き戦友であったが、頼舟にとって有宗は毒以外の何者でもなかった。弟を『妖怪』と罵る敵だからだ。
「そちらの痣者……いや、貴殿の弟殿をお渡し願いたい」
痣者と聞いて、頼舟の中で静かに怒りが込み上げる。
何故弟は生きているだけで、こうも世間から酷い仕打ちを受けなければならない? 頼守が一体、彼らに何をしたというのか。ぐっと、口の端を噛むと血が滲んだ。
「……渡すとは? あの子は痣者ではなく、人です」
「痣者は殺さねば、こちらが殺されますぞ」
「根拠は」
「痣者は村の贄としてあの山に献上するもの。なのに、約束の期限はとうに過ぎている。山神は怒り、この地に必ず災いを起こす。村は呪われるぞ」
彼の背後に何か黒い靄が掛かっている。シュルシュルと何かが息巻いている。一言で表すならば、これは『蛇』だ。
「出さぬと申すのなら、かくなる上は」
有宗が手を上げる。すると後ろから頼舟の家屋へ火が放たれた。だが生憎と家の中には誰もいない。妻子も女中も全て、何があるか分からないため離れに避難させてあった。家は全焼するが家族を守るためならば安いものだ。
「……ここに弟はいない。残念だったな」
「……」
「どこを探しても無駄だ。見つかりはしない」
「……ほう」
この火事が火種となり、頼守がやってくることになるなんて、頼舟はこの時思いもしなかっただろう。
❀
今日、頼守は一本の小太刀を完成させた。
「……出来た! お前の名は『朝凪』。お前はこれから兄上さまのもとへ行き、兄上さまを守る刀となるのだ」
小太刀はキンと美しい音を立てる。朝に吹く風が止み、波が穏やかになるような意味を持つ刀身。誰もがその刀身の美しさに癒され、穏やかな笑顔になれるようにと名付けた。
早速兄のもとへ行き『朝凪』を渡しに行こう。頼守はすでに作り終わっていた『朝凪』と対を成す小太刀を携え、吉田上家を出て山を下りた。
しかし、目の前の光景は目を疑うものだった。
「……え?」
故郷には業火が広がっていた。それは、まるで地獄のようだった。
「……あ、兄上さま……!」
我に返った頼守の心に兄は死んでしまったのではないかという不安が一気に押し寄せる。
肺が破れそうになるくらい走った。痛い、辛い、恐い。それでも、兄のもとへ、前へ、行かなければという思いが頼守を動かした。
幼い頃の記憶を必死に思い出しながら源家へと急ぐ。家に着くなり、庭にあった井戸の水を被り辺りをくまなく探したが、それらしき死体も人影も何もなかった。
「頼舟兄上さまは、既にどこかへ逃げ仰せたのか……?」
その結論に至ると体から力が抜けた。頼守はすぐさま源家から離れ、焼け落ちていく姿をただじっと見つめていた。幼き頃、住んでいた家が無くなり、思い出が消えて無くなっていくような気がして、少し寂しい気持ちになった。
「……母上……父上……」
気を落としていると、背後に何か気配を感じた。持っていた朝凪をぎゅっと握り締めるとゆっくりとその気配の正体を確認した。
「…………っ、蛇……? ――うっ」
正体は巨大な蛇だった。その姿に息を呑んでいると蛇の尾が勢いよく頼守の首を狙った。頼守は痛みにより気を失った。――家は、全焼した。
❀
「……ん……」
次に目が覚めた時、あの大蛇は消えていた。首元を痛めたがそれ以外は変わったところはない。何より朝凪が無事だったことにほっとした。火の手も休まり、辺りは黒ずんでいた。
「……大変な時、お守りできず……申し訳、ありませんでした」
涙が零れる。いつも大事な時に自分はいることができない。
痣者であるから。
この痣があるから。
「悔しいなぁ……」
ぐしぐしと目元を着物の端で涙を拭うと、再び頼舟を探す為に走り出す。
どのくらい走っただろうか。正直あの家以外に頼舟を辿るものがない。探せど探せど、辺りは緑に支配されていた。
「――迎えに来た、頼守」
ふと、久々に今一番聞きたいと思っていた声が頼守の耳に入る。その瞬間、泣き出しそうになるのをぐっと堪える。振り向くと、そこには水埜辺が立っていた。
「カァ! カァ!」
「母上の鴉か? どうした」
「頼守、刀、完成! 頼舟、村、向カウ! カァ!」
「頼守が刀を完成させて、頼舟のいる村に向かっている……ということか? 相変わらずお前は言葉が足らないな」
「カァ!」
「して、その村は」
「大麓村、カァ!」
「村まで案内しろ、鴉!」
この時、なんだか嫌な予感が俺の脳裏を過ぎった。
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今日が頼守の十五歳の誕生日だと、頼舟は知っていた。それもそうだ。可愛い弟の誕生日だ。忘れるはずもない。
だから、身構えていた。妖怪がこの村に来るのではないかと。村の言い伝えが嘘か誠か、その真実は分からないが、あの子が特別だということは頼舟も幼い頃から重々承知していた。
三年前に世継ぎが生まれ、頼舟には家族を守る義務がある。しかし、予想よりも現実は酷いものだった。
「――源頼舟殿」
「……桔梗院有宗殿? ……どうされたのですか? こんなところまで」
桔梗院有宗――頼舟の妻である樂の幼馴染で、藤原家に仕えていた陰陽師の名家の嫡男である。有宗にとって頼舟は良き戦友であったが、頼舟にとって有宗は毒以外の何者でもなかった。弟を『妖怪』と罵る敵だからだ。
「そちらの痣者……いや、貴殿の弟殿をお渡し願いたい」
痣者と聞いて、頼舟の中で静かに怒りが込み上げる。
何故弟は生きているだけで、こうも世間から酷い仕打ちを受けなければならない? 頼守が一体、彼らに何をしたというのか。ぐっと、口の端を噛むと血が滲んだ。
「……渡すとは? あの子は痣者ではなく、人です」
「痣者は殺さねば、こちらが殺されますぞ」
「根拠は」
「痣者は村の贄としてあの山に献上するもの。なのに、約束の期限はとうに過ぎている。山神は怒り、この地に必ず災いを起こす。村は呪われるぞ」
彼の背後に何か黒い靄が掛かっている。シュルシュルと何かが息巻いている。一言で表すならば、これは『蛇』だ。
「出さぬと申すのなら、かくなる上は」
有宗が手を上げる。すると後ろから頼舟の家屋へ火が放たれた。だが生憎と家の中には誰もいない。妻子も女中も全て、何があるか分からないため離れに避難させてあった。家は全焼するが家族を守るためならば安いものだ。
「……ここに弟はいない。残念だったな」
「……」
「どこを探しても無駄だ。見つかりはしない」
「……ほう」
この火事が火種となり、頼守がやってくることになるなんて、頼舟はこの時思いもしなかっただろう。
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今日、頼守は一本の小太刀を完成させた。
「……出来た! お前の名は『朝凪』。お前はこれから兄上さまのもとへ行き、兄上さまを守る刀となるのだ」
小太刀はキンと美しい音を立てる。朝に吹く風が止み、波が穏やかになるような意味を持つ刀身。誰もがその刀身の美しさに癒され、穏やかな笑顔になれるようにと名付けた。
早速兄のもとへ行き『朝凪』を渡しに行こう。頼守はすでに作り終わっていた『朝凪』と対を成す小太刀を携え、吉田上家を出て山を下りた。
しかし、目の前の光景は目を疑うものだった。
「……え?」
故郷には業火が広がっていた。それは、まるで地獄のようだった。
「……あ、兄上さま……!」
我に返った頼守の心に兄は死んでしまったのではないかという不安が一気に押し寄せる。
肺が破れそうになるくらい走った。痛い、辛い、恐い。それでも、兄のもとへ、前へ、行かなければという思いが頼守を動かした。
幼い頃の記憶を必死に思い出しながら源家へと急ぐ。家に着くなり、庭にあった井戸の水を被り辺りをくまなく探したが、それらしき死体も人影も何もなかった。
「頼舟兄上さまは、既にどこかへ逃げ仰せたのか……?」
その結論に至ると体から力が抜けた。頼守はすぐさま源家から離れ、焼け落ちていく姿をただじっと見つめていた。幼き頃、住んでいた家が無くなり、思い出が消えて無くなっていくような気がして、少し寂しい気持ちになった。
「……母上……父上……」
気を落としていると、背後に何か気配を感じた。持っていた朝凪をぎゅっと握り締めるとゆっくりとその気配の正体を確認した。
「…………っ、蛇……? ――うっ」
正体は巨大な蛇だった。その姿に息を呑んでいると蛇の尾が勢いよく頼守の首を狙った。頼守は痛みにより気を失った。――家は、全焼した。
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「……ん……」
次に目が覚めた時、あの大蛇は消えていた。首元を痛めたがそれ以外は変わったところはない。何より朝凪が無事だったことにほっとした。火の手も休まり、辺りは黒ずんでいた。
「……大変な時、お守りできず……申し訳、ありませんでした」
涙が零れる。いつも大事な時に自分はいることができない。
痣者であるから。
この痣があるから。
「悔しいなぁ……」
ぐしぐしと目元を着物の端で涙を拭うと、再び頼舟を探す為に走り出す。
どのくらい走っただろうか。正直あの家以外に頼舟を辿るものがない。探せど探せど、辺りは緑に支配されていた。
「――迎えに来た、頼守」
ふと、久々に今一番聞きたいと思っていた声が頼守の耳に入る。その瞬間、泣き出しそうになるのをぐっと堪える。振り向くと、そこには水埜辺が立っていた。
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