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短編・中編や他の人物を中心にした物語

医聖 張仲景11

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 許靖や張機が中央の官僚として働いていたこの時代、宦官たちが非常に強い権勢を保っていた。

 そうなったのは、少し前の時代に好き勝手していた外戚がいせき(皇后の親族)を、宦官たちの働きによって排除できたからだ。

 帝は宦官たちに感謝し、重く用いるようになった。

 が、その結果として生じたのは外戚に代わって政治を壟断ろうだんする宦官と、外戚の時代よりも酷くなった汚職だった。

 今の中央政府は腐っている。

 これに怒った一部の役人たちは自らを『清流派』と称して徒党を組み、公然と宦官たちを批判した。

 劉表もその清流派の人士であり、中でも八及はっきゅう(及は人々を導き宗主を追う者の意)の一人とされる、ちょっとした有名人だった。いわゆる名士だ。

(大きいな)

 張機はその立派な体躯を見上げ、生物としての尊敬を抱いた。

 劉表リュウヒョウは大柄な男だ。八尺はある。

 一般的な家屋では生活するのも窮屈そうに見えた。

 が、劉表の住んでいる屋敷はなかなかに豪壮で、劉表の大きな体はゆったりとして余裕が漂うようですらあった。

「張機殿。私の使用人を救ってくれたこと、感謝の言葉もない」

 劉表は屋敷の客間に張機を通し、鷹揚に頭を下げた。

 その様子には気品があり、さらには器の大きさも感じさせる。

 この男は帝の血を引く皇族でもあるから、まとう雰囲気が普通ではなかった。

「それに雪梅セツバイの手当までしてもらって」

 張機は雪梅を屋敷までおぶって運び、さらに手当を施した。

 冷やし、固定し、それから薬の処方を書いて屋敷の人間に薬種商から買ってくるよう伝えた。

 この娘は名前とそばかすが玉梅に少し似ている。そんなことを思いながら処置をした。

 一緒にいた許靖はというと、この場にはいない。事後処理で兵たちのところに残っている。

 あの後、兵たちの目が覚める前に張機と雪梅は去った。雪梅がすがるようにしてそう頼んできたからだ。

(多分今頃、あの兵たちは青くなってるんだろうな)

 張機は自身が殴り倒した兵たちに同情していた。

 許靖も張機も自分たちでは下っ端だと言っているが、それでも中央官庁の官僚だ。しかも孝廉に挙げられて行政の中枢部署にいる。

 当然のことながら兵たちよりも立場はずっと上で、それに問答無用で手を上げた兵たちは生きた心地がしないだろう。

(まぁ、許靖なら何の処罰も無いようにしてあげるだろうけど)

 同期の優しげな瞳を思い浮かべながら、張機は劉表に頭を下げ返した。

「いえ、大したことではありません。それより今回のことは一体どういうことで……?」

 張機は早速それを尋ねた。

 雪梅は正規兵に追われていたのだ。そして張機はそれをボコボコにしてしまった。

 状況からして仕方のないことだったとは思うが、事情を聞いて己の正当性を確固たるものにしたい。

 劉表は問われたことに自分では回答せず、斜め後ろに向けて手を上げた。

 そこには雪梅がいる。使用人だというから普段なら立って控えているのだろうが、捻挫した今はさすがに座らせてもらっていた。

「雪梅、お前の方から事情を説明して差し上げなさい」

 その命令は雪梅にとって意外なものだったようで、困惑に眉を曇らせた。

「あの……事情というと……その……」

「全てだ。本当の意味で、全て話していい」

 どうやらどこまで話していいか検討をつけられず、戸惑っていたらしい。

 雪梅は全て、と言われても迷っているようで、チラチラと劉表を確認しながらゆっくりと喋った。

「私は……雑仕女ぞうしめとして軍のとある部隊に潜入しておりました。宦官と関係の深い部隊です」

「潜入?それは間者か何かしとして、ということですか?」

「おっしゃる通りです。軍が劉表様を捕縛するという情報があればいち早くお伝えするため、紛れていたのです」

「捕縛って……」

「劉表様は清流派の大物として、宦官たちから敵視されておりますから」

(とはいえ……それだけでそこまでするか?もしや聞かない方が良い話のでは?)

 きな臭くなってきた話に張機は眉をしかめたが、雪梅は構わず続けた。

「今日の昼、私は宦官と部隊長が劉表様の名を口にしているのを耳にしました。それでもしやと思い、捕縛の命令書などが届いていないか軍営内を密かに物色していたのです。しかしそこを先ほどの兵二人に見つかり、追われることになりました」

「あの……逃げていた経緯は分かったんですが……その……劉表様には捕縛されるような事情が本当におありなわけは……ありませんよね?」

 張機は迷いながら尋ねた。やはり聞かぬ方が良い気もするが、その点はっきりさせないわけにもいかない。

 普通に考えれば捕縛される理由などやましいことだろうが、劉表の目に恥じる風はまるでなかった。

「捕縛されるべき事情なら、確かにある。私は張倹チョウケンという友人を匿っていたのだが、これはいわゆるお尋ね者だ。私と同じ清流派で、宦官の不正を告発しようとして逆に罪を着せられた」

 張機は政界にあまり詳しくないが、その名には聞き覚えがあった。

「あ……確か一回目の党錮の禁で」

 党錮の禁とは、清流派の幾人かが処罰された事件だ。

 汚職を続ける宦官たちを排除しようとして、返り討ちに遭った。

 この事件が今の腐敗政治を決定づけるものになったので、張機たちも大いに害を被っていると言える。

「張機殿の記憶通りだ。張倹はその際に反逆者に仕立て上げられた。そしてそれを匿った私も、公的には反逆者ということになるのだろうな」

 張機は自分で自分の顔が引きつっていることを自覚した。

 雪梅がどこまで話していいか迷っていたのも当たり前だ。同じ中央官庁の役人とはいえ、繋がりの薄い他人に話していいことではない。

 たとえ劉表たち清流派の方が倫理的に正しかったとしても、今の政界では宦官に処断されるだけだ。

「あの……今のお話は聞かなかったことにしますので、自分はこれで……」

 己の正当性を固めるための話を聞きたかったのに、逆に反逆者を助けた事実を知ってしまった。口をつぐむしかないだろう。

 しかし劉表は後ろに引きかけた張機の肩へ腕を伸ばし、グッと掴んで自らの方へ引いた。

 やたらと大きな手で、逃れられそうな気がまるでしない。

「張機殿。一不做二不休(一やらない、二止まらない)と言うだろう?」

 それは日本語で言うところの、『毒食わば皿まで』という意味のことわざに当たる。
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