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短編・中編や他の人物を中心にした物語

選ばれた子、選ばれなかった子24

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 徐林ジョリンは目的もなく街道を歩いていた。

 宝飾品の納品帰りだ。つまり商用の旅ではある。

 しかし、やはり自分の中では目的もなく歩いているのと同じなのだった。

「俺……何してんだろうな……」

 何をしているのかと聞かれれば、商売をしていると答えるだろう。徐林は暗殺者の偽装としてやっていた商売をその後も続けている。

 ただ、それは偽装という目的があったからやっていたのだ。つまり暗殺という復讐手段を諦めたことで無目的と同じになった。

(でも、生きていくのに十分過ぎる稼ぎにはなるんだよな)

 乱世の影響で物流は寸断されている。それに賊が多いから荷を運ぶのには護衛が必要で、大きな費用がかかる。

 しかし徐林は身を守るのには過剰なほどの戦闘能力があるし、関所なども一人なら忍び越えてしまうのだ。

 確実に物を届けてくれるこの男を信頼する売り手、買い手は多く、一度たりとも商売が滞ったことはない。

 いい稼ぎになるのも当たり前だった。

(まぁ……そもそも稼ぐ必要がないんだけど)

 人が聞けばよだれを垂らして羨ましがりそうなことだが、徐林は資産家なのだ。

 黄巾残党の軍資金をくすねてきたから、十回遊んで暮らせるほどの資産がある。

 いや、その後の商売による稼ぎでかなり増えたから、十回はもう超えているだろう。

 徐林が背に抱えている袋には、それだけの価値がある貴金属や玉などが詰まっていた。

張魯チョウロのところも案の定、たくさん買ってくれたしな)

 徐林は直近の取引を思い出し、少しだけ懐かしい気分になった。宗教組織という、自分が育った環境が思い起こされたのだ。

 張魯チョウロというのは益州の北部、漢中かんちゅう郡に割拠する宗教勢力の長だ。

 漢中は益州の一部ではあるが、四半世紀近く前から益州の統治に従わず、独立国の体をなしている。

 つまり現時点で益州を支配する劉備にとって目の上のたんこぶのような存在だ。できれば攻め落としたい。

 そしてそれは中華統一に最も近い曹操にとっても同じことで、何年も前から侵攻が画策されている。

 そんなふうに群雄たちから狙われる中、張魯は上手く舵取りしてこの地を治めてきた。私欲を抑えて民のために税を使い、戦乱の間隙で栄えている。

 徐林は成都から北上してそこへ商品を卸しに来た。

 張魯は五斗米道という道教の創始者の孫であり、現教祖でもある。

 宗教勢力に身を置いていた徐林は、その住まう地に行けば自分の扱う宝飾品の需要があることを確信していた。

(宗教って質素倹約を勧めることが多いのに、なんでか神様回りには結構な銭を使うんだよな)

 五斗米道では天・地・水の神に懺悔し、その罪を書いた紙を山上・地中・水中に捧げる。

 そういった神様の周りはそれなりに飾るし、儀式などにも銭は惜しまない。

 案の定、持ち込んだ宝飾品は全て売れてかなりの利益になった。今はその帰り道だ。

(でもまぁ……やっぱり意味はないんだけど)

 稼がなくてもいいのだから稼いでも仕方ない。

 いや、そもそも暗殺による復讐を諦めた時点で自分の人生は意味を失ってしまったようにも思える。

 一縷の望みにかけて相談に行った従妹も親身にはなってくれたようだが、助言は『結婚して子を作れ』というよく分からないものだった。

 既婚者たちはそれを是非にと勧めていたが、徐林としてはピンとこない。具体的な行動は起こさないまま日が経っていた。

「はぁ……」

 徐林はため息を吐きつつ、歩んでいる道を見下ろした。己の人生の道とは異なり、良い道だ。

 張魯は漢中で善政を布いており、街道はしっかりと整備されている。しかも要所要所に旅人が休憩したり食事したりできる施設まで建てられているから、旅は比較的楽だった。

(でも今日は次の村で一泊だな)

 時間的にはそういうことになる。

 往路でもそこに泊めてもらったので不安はない。貧しいが、人は親切な村だった。

 居心地が良いので休憩がてらについ二泊して、村の子供たちと遊んでやったりもした。

 石と紐で流星錘を作ってやると、的当てがちょっとした流行になるほど喜ばれた。

(ああいう事はあんまりしたことなかったけど、子供が笑ってくれると気分がいいもんだな)

 徐林はその時、久しぶりに自身も笑ったのを思い出していた。

(子の親になれとか言われたけど、こんな気持ちかな?……いや、桃花たちは可愛がるだけじゃなくて世話をしてるうちに親になるとか言ってたから、やっぱり違うか)

 実際のところ自分が変わった気はしないし、満たされたとまでは感じない。

 父のいなくなったことで開いた胸の穴は、子供と遊んだ程度では塞がりようもない。

(でもまぁ楽しかったから帰りも少し長居して、また遊んでやってもいいかな)

 徐林は悪くない気持ちで子供たちの顔を思い浮かべた。

 その村の村長には小さな玉を渡しているのだが、二泊には高すぎる支払いだ。

 それで今後通った時にも泊めてもらえるように頼んだので、復路も歓迎してくれるだろう。

 徐林が村に着くと、思った通り往路で会った村人が笑顔を向けてくれた。

 農作業をしていたのだが、顔を見るなり駆け寄ってくる。

「あっ、徐林さん!また寄ってくれたんだな!」

「ええ、帰りもまた休ませてもらえますか?」

「もちろんだよ!商売は上手くいったのかい?」

「そうですね。売るつもりの物は全部売れました」

「そりゃ良かった!じゃあひとっ走りして村の皆に伝えておくよ!」

 村人はそう言って駆けて行った。

(村の皆に伝えておく?)

 徐林は村人の言うことに違和感を覚えた。

 徐林は村長の家に泊めてもらうのだが、人一人を世話するのにそれほど多くの人間を動かす必要などないだろう。

(そんなに歓待してくれるってことか?でも、往路で泊まった時だって大した食事も出なかったのに……)

 結構な支払いをした後でもそうだった。本当に貧しい村なようで、もてなそうにも物が無いのだと謝られたほどだ。

(金づるだと思われて、復路用の準備をしてくれたとか?)

 別に贅沢をしたいわけではないから無用のことだが、もしそうなら追加で何かあげてもいいと思った。

 というのも、遊んだ子供たちは皆かなり痩せていたのだ。

(別に慈善事業をしてやる気はないけど、俺が無駄に資産家やってるよりはいいかな)

 そのくらいの心はあるし、自分の人生に意味を見いだせなくなった徐林としては捨てる気持ちで資産を投げ与えられる。

 そんなことを考えながら村長の屋敷に行くと、案の定やたら高い声で迎えられた。

「徐林様!ようこそおいでに!」

 村長は足腰も怪しいような老人だったのだが、十は若返ったような声音だ。

 しかも往路の時は『様』付けではなかった。

(こりゃいよいよかな?)

 そう思った徐林だったが、意外にも出てきた食事は往路とさして変わらない質素な内容だった。

 もしかしたら村人が芸でもしてもてなされるのかと思ったが、それもない。

(俺の思い違いか)

 内心首を傾げながら、普通に食事を済まして湯浴みもさせてもらった。

 それから徐林が部屋で休もうとしたところで、部屋の外から声がかけられた。

「徐林様、よろしいですかな?」

 村長の声だ。

「はい、何でしょう?」

「実は徐林様に買っていただきたいものがあるのですが」

「……?どういうものですか?」

 徐林が扱っているのは玉や貴金属、宝飾品などで、言ってみれば高級品だ。この貧しい村に売るほどのものがあるとも思えない。

「とりあえず、来て見ていただければ」

 そう言う村長に案内され、屋敷の一番広い部屋まで連れてこられた。

 その部屋に入った徐林は思わず緊張に体を固くした。

 というのも、百以上の目玉が一斉に徐林へと向いたからだ。

「……そ、村長さん?これは?」

 徐林は軽い恐怖すら感じながら部屋を見回した。

 そこには数十人の子供たちが所狭しと座っている。

 男女入り混じり、齢もまちまちだ。上は十代半ばもいるし、下はつい先日まで赤子だったのではないかというような子までいた。

「この子たちのうち、気に入った者だけでいいので買っていただきたいのです」

 村長はそう言って、徐林に恭しく頭を下げてきた。

 まだ驚きから立ち直れない徐林は村長の言ったことをただ繰り返した。

「子供を買うって……」

「買った後は徐林様のお役に立てるよう、何なりと命じてお使いください」

 媚びを売るような口調に、徐林は腹が立ってきた。

 要は、村の子供を奴隷として売ろうとしているわけだ。

「……どういうつもりですか。それに、この子たちの親はどう言ってるんです」

 声は静かだったが、明らかに怒りを込められた声だった。

 村長はそういう反応を予想していなかったようで、焦った声を返す。

「お、親たちはもちろん了承しておりますよ。ほら、あちらに……」

 と、村長が手で指し示した先には次の間に繋がる戸が開いている。

 その先には大人たちがずらりと並んで座っていた。この子たちの親だろう。

 徐林はそれらを思い切り睨みつけた。

「あんたら……自分の子供を売るなんてどういう了見だ」

 己の傷口をえぐられたような気分になり、その怒りを口から出して親たちにぶつける。

「親から捨てられた子供がどんな思いをするか考えたことがあるか?親にとっては何人もいる子供の一人かもしれない……また作ることもできるかもしれない……でもな、子供にとっての親はあんたらだけなんだぞ!!」

 感情をむき出しにした叫びに対し、一人の父親が反論してくる。

「捨てるんじゃない。売るんだ」

 それを聞いた徐林はいっそう怒った。

「同じことだろう。いや、それで利益を得ようとしている分だけ余計に悪い。子供の気持ちを考えてやれないなら親になんてなるな!!」

 怒る徐林だったが、言われた親の中にはその言葉に怒る者もいた。

 目を吊り上げて立ち上がった。

「そう言うあんたの方は、親の気持ちが分かってないじゃないか!!」

「……なに?」

「親が好きで子供を売るもんか!好きで手放すもんか!俺らだって、仕方ないからこうしてるんだよ!」

「……?それは、どういう……」

 眉をひそめた徐林の裾を村長が引っ張った。

 そしてすまなそうに何度も頭を下げてくる。

「申し訳ありません、まず事情を説明しなかった私が悪いのです。この子たちにとって、徐林様に買われた方が幸せだと思ったからこうしているのです」

「それは買われて奴隷になる方が、ということですか?」

「正確に言うと、鬼の奴隷になるよりも徐林様の奴隷になる方が、ということです」

「鬼?」

句質コウシツという男の名を聞かれたことはありませんか?」

「句質……っていうと、最近この辺りで私有地を増やしてる?」

 コウ氏はここから少し南へ行った地域の大姓だが、そこから出た句質コウシツという男がここのところ勢力を伸ばしているという話を徐林は街の噂で聞いていた。

 銭や食料を貸し、返せなければ土地を没収して小作農にするのだが、要は農奴だ。句質の所有物のような存在になる。

 そうやって勢力を築き、豪族と呼ばれる人間になっていく者は多い。

 村長は徐林のことを様付けで呼ぶくせに、句質のことは呼び捨てにした。そこに相手への認識が見え隠れしている。

「おっしゃる通り、その句質です。この村は飢饉の際に句質から銭を借りなければならないことがあったのですが、その利息が膨らんでとても返せない額になってしまいました」

 村長は懐から竹簡を一巻取り出した。

 そこには村が借りた額、利息、そして現在の額が書かれている。句質からの督促状のようだ。

 確かに先々の利息まで考えると、すでに返せそうな状況にないと徐林は理解した。

「……つまり、村全体が句質のものになるということですか?」

「そういうことです。しかし句質の小作農になった人間はひどい扱いを受けると聞きます。子供ですら家畜のように働かされ、体を壊せば山に捨てられるのだとか」

「でも、だからってなんで俺に」

「徐林様は重い荷物をお持ちなのに、供も付けず一人で旅をされています。しかも利は上がっているよう。ならば一人二人は買っていただけるのではないかと考えました」

「それはまぁ……それくらいの仕事と余裕がないわけじゃありませんけど……」

 徐林が一人で仕事をしているのは、あくまでただの偽装だったからだ。当然人を雇った方が商売は広げられるが、その必要も欲求もない。

 それに重い荷物は鍛錬になるし、防犯上も自身で常時持ち歩くのが一番間違いがない。

 だから正直なところ、奴隷も使用人も不要なのだ。

「うーん……」

 困り顔で唸る徐林に、村長は拝むようにまた頭を下げた。

「お邪魔にならない人数だけで結構です。いくらでも結構です。どうか、うちの村の子をお願いできないでしょうか。徐林様が村で過ごされたのは短い時間でしたが、皆良い人柄だと感じ入ってのことです」

「いや、俺はそんな善人じゃありませんよ」

「ですが今も子供たちのために怒ってくださいました。このまま使い捨てられる農奴になるよりも幸せな人生を歩めるでしょう」

(使い捨てられる農奴……)

 徐林はあらためて部屋に並んだ子供たちを見やった。

 もし自分が何人か連れて行ったとしても、残されたほとんどはそのひどい待遇に堕ちるのだ。

 そう思うと、子供たちの無垢な視線が針のように感じられた。

「痛いな……」

「はい?」

「いえ、何でもありません。そういうことなら分かりました。買いましょう」

 了解の返事に、村長は満面の笑みを浮かべた。

「おお、本当ですか!ありがとうございます!では何人、どの子にいたしましょう?」

 問われた徐林へ、今度は親たちの必死な視線が注がれる。

 うちの子を選んでくれるだろうか。しかし選ばれればそれはそれで別れが辛い。

 そんな複雑な視線だった。

 様々な温度の入り交じる衆目の中、徐林は淡々と答えた。

「全部」

「……は?」

 予想だにしない回答を耳にして、村長はつい聞き返してしまった。聞き間違いだろうか。

 しかし、確かに全部と言った気がする。

「あの……全部というと、この子たちの全員ということで?」

「いやいや、違いますよ」

 徐林は笑って否定した。

 その場にいた大人たちは全員、それはそうだろうと思った。

 さすがに数十人いる子供全部を買い取るわけはない。

 が、徐林は笑顔のまま、村人たちがいっそう予想だにしないことを言い出した。

「この村全部です」
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