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ソロキャンプ

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 キャンプは楽しい、キャンプに行きたい、ときおり無性にキャンプがしたくなる。
 大自然の中、みんなで楽しくバーベキュー、昼間っからお酒を飲んで、暗くなったら花火でひと盛り上がり。それも終わったら、きらきらと輝く満天の星を眺めて、いつもと違う 特別な夜をすごしたい。
 今回はそんな、楽しいキャンプの最中に起きた奇妙なお話を紹介したい。


 竹下すず子のもとに、一本の電話が掛かって来たのは、しのつく雨の晩のこと。
「もしもし?」
「スーちゃん? あたしだよ、久しぶり」
 すず子はもう一度携帯電話の画面を見た。
「だーれー?」
「あさみだよ、あさみ。忘れちゃったかな? 柿沼あさみ」
「あさみ? あー、あー、ぜんぜん違う番号だったから、まったく気が付かなかった。久しぶりだねー」
 突然の電話の相手は 以前バイトで一緒だった 柿沼あさみという友人だった。サイパンで開催された大食い大会で優勝したり、美容整形している事をみんなに公言したり、とにかく常識にとらわれない子だった。
「どうしたの 急に。あれっきりじゃない?」
「そうだねー」
「一回電話はしたんだけど、使われない番号になっていて」
「うん、ちょっとね。しばらく遠くへ行っていたから。
 ねえスーちゃん、久しぶりにキャンプへ行かない?」
 すず子はカーテンに隙間を作った。街灯の明かりに雨のしぶきが上がっていた。
「突然ねー。どうしたの? なんかあった?」
「べつに。久しぶりにこっちへ戻って来たから、無性にキャンプへ行きたくなっちゃって。ソロキャンプでもいいと思ったんだけど、あたしが行きたいキャンプ場というのが、ちょっと曰くつきってやつでさー、誰かと一緒の方が安心だと思って」
 すず子の眉が寄った。
「曰くつき? なにそれ そんなキャンプ場あるの?」
「あるんだよねーそれが」
 あさみの話では、そのキャンプ場には第二キャンプ場と呼ばれる もう一つのキャンプ場というものがあって、現在そのキャンプ場は閉鎖されているのだが、最近になってそこで霊の姿が目撃されるという。霊感の強い人に言わせると、そこは地理的に霊道になっていて、たくさんの霊が集まっているとのこと。
「なんでそんなヤバい所へ行きたがるの。普通のキャンプ場にしておけば?」
 すず子はあさみに正論をぶつけた。
「うーん、でもそこってさ、霊のうわさはあるんだけど、星がめっちゃきれいなんだよね。学生の頃に一度、あたしそこへ行った事があるんだけど、あの満天の星を見上げた感動が今も忘れられなくて」
 もう一度すず子はカーテンの隙間を見た。
「いつ行くの?」
「来週三連休あるでしょう。そこでどうかなって、思って」
 すず子はカレンダーの方を見た。週末には予定がたくさん書き込まれていたが、すべて×が付けられていた。
 すず子は最近彼氏と別れていた。やたら優しい男で、やたらすず子の事を褒めて来る男だった。変だな、と思っていたら、結局その男にはたくさん彼女がいた。貸したお金も返って来なかった。
 という事で、すず子はキャンプを断る理由が見つからなかった。
「まあ、別に用事はないけど」


 キャンプ当日はすっきりとよく晴れた。前日まで降り続いた雨も止み、やっと晴れたと思ったら 季節は夏から秋へと変わっていた。いただきが紅く染まった山の向こうに、水色の秋の空が広がっていた。
「結構人いるねー、このキャンプ場」
 ゴトンと焚き火台に薪を落とし、すず子は野球場くらいあるキャンプ場を見渡した。草は自然のまま伸びていて、あまり手入れがされてない印象だった。水はけの良さそうな所を選んで、みんな思い思いにテントを張っている。家族連れや、若い男たちや、ソロキャンパーまで、それぞれ好きなようにキャンプを楽しんでいた。
「穴場なんだよねーここ。こんな人里離れた山奥に、みんなよく来る」
 ペグ打ちをしながら、あさみが額の汗をぬぐう。
「どこ?」
「え?」
 軍手を外しながら、すず子は遠くを見渡していた。
「あさみが言っていた、幽霊が出るっていう第二キャンプ場」
 よっこいせとあさみは立ち上がって、山の方向を指差す。
「あそこ。ここからじゃサラ地に見えるでしょう。だけど、実はあそこは沼地になっていて、その向こうの林を歩くと、すぐに閉鎖されたキャンプ場に出る。もう、誰もテントなんて張らない。近寄らない方がいいよ」
「近寄らないって。近寄らないために聞いたの。心霊とか、怪談とか、あたしはとにかく苦手だから。
 そっかー、あっちの方角に背を向けていれば とりあえず楽しいキャンプになるって事ね」
 山の日没は早かった。あっという間にキャンプ場は日陰になって、焚き火が本領を発揮した。近くの草むらからは、もう秋の虫の声が聞こえている。
「確かにこのキャンプ場はいいね。都心から近いし、ほどよく人がいるし、あれはダメこれはダメってうるさい看板もないし。まさに穴場」
 すず子はバーベキューの網に次々と焼き鳥を並べた。
「そうなんだよねー。あたしこのキャンプ場が一番思い出に残っていて、学生の時に来たって言ったじゃない? そのとき初めて出来た彼氏と来た思い出の場所なんだー。だからあたし、キャンプっていうと、いつもこの場所を思い出す」
 焚き火に顔を照らしながら、あさみはビールをあおった。
「曰くつきとか言うから、あたしはもっと警戒していたんだぞ? いちおう塩をひと袋持ってきた」
 大真面目にリュックの方を指差す。
「ハハハハ、それは料理に使うってものね」
 少し離れた所で、家族が花火を始めた。
「ねえ見て、星がきれい」
 イスに深く腰掛けて、あさみが天を指差す。
「なるほどねー、都会にいて、こんな星空は見る機会がないわ。星屑という言葉がぴったり」
 熱燗を楽しみながら、すず子は思わず鼻歌を歌い出した。
「ねえあさみ、あんたそう言えば遠くへ行っていたって言ってたじゃない。どこへ行っていたの?」
 リンリンリンと虫の声がするばかりで、相手の返事が返らない。
「あさみ?」
「ねえ」
 あさみは沼地の方を見ていた。
「廃キャンプ場の方で人が立っている」
 言われてそっちの方を見ようとして、あわててすず子は顔を戻す。
「やめてよもう、やばい方を見る所だったじゃない」
 スッと立ち上がって、その方向をライトで照らす。
「人? 木? よく分からない、待って、ねえやだ、動いている」
「やめてって。人だとしても、幽霊だとしても、見ない方がいいって。せっかくのいい雰囲気が台無しだって」
 花火をやっている子供たちのはしゃいだ声が聞こえる。
「そ、そうね。ここは楽しいキャンプ場。気にしないで続きを楽しもう」
「そう そう。だって、よく言うじゃない? 幽霊って、自分が見えると分かると近寄って来るって。だから見ない方がいい。知らんぷり、知らんぷり」
 わざと明るい口調を持ち出して、すず子は焼き鳥にガーリックパウダーをふりかけた。その実、閉鎖されたキャンプ場からこちらへ移動して来る霊の姿を想像して、すず子は背筋に冷たいものを感じた。
 あさみはゴクゴクと喉を鳴らしてビールを飲んで、
「やっぱりスーちゃんと来て正解だったなー。さっきの変なの、一人で見ちゃったらあたし即撤収だった」
 すず子は携帯電話を操作しながら、
「飲んでいるんだから、ひと眠りしないと運転はダメだぞー。あ、ほら焼き鳥が出来た、食べて 食べて」
 夜も更けて、ほかのキャンプ客たちの声が聞こえなくなった。みんなテントの中へ入ったようで、テントの中で人の影が動いている。
 食べ散らかした網を眺めて、すず子が日本酒の最後の一滴を口の中へ落とした。
「へえー、ニューヨークへ行っていたの」
 あさみが薪の位置を変えると、ぱあっと夜空に火の粉が舞った。
「そうなの。アテもなく、ツテもなく、とにかく行けばどうにかなると思って、貯めたお金を持って単身渡米。そこで何か新しい事を始めたい、それが見つかるかもってね」
「冒険するなー。で、どうだった?」
 薪が湿っていたと見え、バチッと激しい火の子が飛んだ。二人はあわてて服のあちこちを手で払う。
「あっぶなー、服に穴が開く所だった。
 えーと、何の話だったっけ。そうだ、ニューヨークの話だったね。
 実はね、ぜんぜんダメだったんだー。渡米しても労働ビザがなかったから、まずはそこでつまずいた。働いてない状態だったから、アパートも借りられないし、フラットシェアでなんとかしのいだ。いろいろ調べて、スポンサーシップというものを使って、やっと職にありつけたけど、それがやりたい事かと言ったら、ぜんぜん違っていた。もう、食べて行くので手一杯だった。んー、これおいしい!」
 焼き鳥を食べて目を見開くあさみ。
「ふーん、しばらく会わないうちに、だいぶ苦労したんだね。いつこっちへ帰って来たの?」
 急に風が強くなり、すず子は煙にのまれた。
「ぶわっ」
「ねえ」
 あさみは沼地の方を見ていた。
「なにか、声が聞こえない?」
「は?」
 イスを持って移動するすず子。
「ほら、やっぱりあっちの廃キャンプ場から」
 思わずあさみは立ち上がる。
「もうやめてって、怖い事を言わないの……って、あれ? 本当だ、何か聞こえる」
「お寺で聞く、お経みたい。う、痛ったー!」
 激しく頭を抱えて、テーブルの空き缶をぶちまけるあさみ。
「ど、どうしたの?」
「頭が痛い。痛い、ズキズキする」
「え、もしかして霊障ってやつ?」
 すず子の体はなんともなかった。
「ごめんスーちゃん、ちょっとあたし、先に休むわ。残りはぜんぶあげるから 飲んで」
 よろめきながら、あさみは自分のテントへ逃げ込んだ。
「ちょ、ちょっとぉー。もう一人にしないでよー。あたしも寝るぞ」
 とりあえず火の始末だけは済まし、すず子も自分のテントへ逃げ込んだ。
 読経のような男の声は、寝袋に入った後も続いていた。


「わっ」と誰かに驚かされたみたいに、すず子は突然目を覚ました。すっかり明るくなった幕内は、オレンジ一色に染まっていた。ツキツキッと、すず子の頭が痛んだ。
「つー、ちょっと、飲み過ぎちゃったかなー」
 携帯電話で時刻を確認すると、もう八時を回っていた。
「やばー、寝過ごしちゃったー」
 もぞもぞと寝袋から抜け出して、のろのろと靴下を履き替えて、チャックの音を立てて、テントから顔を出すすず子。
「え」
 目の前に、背丈くらいのススキが茂っていた。下までチャックを下ろし、少しテントから出してみると、周辺はススキだらけだった。それは昨夜見たキャンプ場とは明らかに別物だった。
「あれ?」
 いろいろに頭をさわって、昨夜の出来事を思い出そうとした。このキャンプ場へあさみと来て、バーベキューを楽しんで、お酒を飲んで。
 目の前を見た。バーベキューの食べ残しは、あった。酒も、飲みかけのままテーブルに置いてある。焚き火台の薪は半分炭になっている。
「だよねー、昨夜のまま」
 横を見ると、あさみのテントがない。
「あれ?」
 頭を混乱させながら、テントから靴を出して、それを履いてその辺を歩いてみる。
 何もない原っぱ。草が伸び放題の原っぱ。昨日はたくさんのテントが張ってあったのに、今は何もない。何もないというか、ススキの成長がすごくて、テントを張るスペースがなかった。
「ちょっとぉ、なによこれ」
 大量のススキの中で、すず子はゆっくりと腕を組んだ。
「あれー、もしかしてもうみんな帰っちゃったとか?」
 すず子はゆっくりと首を傾げて、呆然とその場に立ち尽くしていた。
「あさみもあの後、頭痛がひどくて撤収しちゃった? あ、もしかしてあたしが寝坊していたから何も言わないで帰っちゃったとか?」
「おはよう」
 背後から突然男に声を掛けられた。ビクッとしてすず子が振り返ると、作業服を着た小柄なおじさんが歩いて来た。
「どうか、したかな?」
 すず子はおろおろとして、知らない人に道をたずねるように、
「あのー、ここって、キャンプ場ですよね? 昨日までみんなでキャンプを楽しんでいたのに、朝になったら、みんないなくなってしまって」
 言いながら、ぶるぶるっとすず子は身震いをした。山から吹き下ろす風が真冬のように冷たかった。
「ほう。ここでみんな、キャンプをしていたと」
 おじさんは興味津々に聞き返した。
「だってここ、キャンプ場だし」
 おじさんは後ろ手に組んで、思わせぶりな態度を見せてその辺を歩く。
「私には、ここがキャンプ場とは思えないがね」
「?」
 おじさんは沼地の向こうを指差して、
「ほら、あの林の辺り。私は昨夜あそこへ立って、こちらの方を眺めていた。閉鎖された第二キャンプ場に、焚き火の明かりが見えて、おやと思った」
『廃キャンプ場の方で人が立っている』
『人? 木? よく分からない、待って、ねえやだ、動いている』
 おじさんはじゃらじゃらと数珠を鳴らしてあちこちを拝み始めた。
「ここはね、幽霊が出るといううわさが絶えなかったんだ。だから昨日お坊さんから来てもらい、除霊祈願をしてもらった。昨夜もここはたくさんの霊が集まっていてね。安全のためだと言って、お坊さんは沼地を挟んだ向こうからお経を上げていた。あなたにも、その読経が聞こえていただろう」
『なにか、声が聞こえない?』
『ほら、やっぱりあっちの廃キャンプ場から』
 すず子はゆっくりと視線を下げた。そして携帯電話を取り出して あさみに連絡をしようとして、
「!」
 携帯電話の着信履歴に、あさみからの電話は一つも無かった。
「うそ」
 おじさんはもう後ろ姿を見せて、廃墟となったキャンプ場から立ち去って行った。
「無事に、お祓いは成功したようだね。これでここも、しばらくは静かになるだろう」
 キツネにつままれたような顔をして、すず子は一人ススキの中に立っていた。
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