死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第2部

#51 紅茶と音楽の奏でるは

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 青く澄みきった空を見上げる。
 インセインパークと呼ばれる遊園地で、悪魔──ブレイズと対峙した。あの、文字通り血で血を洗う争いから、一日が経った。
 結局、フィリアを救うこと能わず。少女は、忽然と現れた名前も知らない恐怖を体現したような怪物と共にいなくなった。
 勝算があるのかさえも定かでない敵を前にして、すぐに諦めがついた。
 そして朝、早々に旅立った僕たちは、インセインパークの更に北へと歩いていた。禍々しい遊園地から、直ちに離れたかったわけではないと言えば嘘になる。
「あ! 灯台が見えてきたよ」
 ツナギ服を着た赤髪の男と歩いていた、エレナが前方を指差す。太陽はちょうど真上に上りつめていた。
「ちと歩き疲れたな……。なあ、あそこで休憩にしようぜ」
 カノンが、後方にいた僕とレイセン君の方を振り返った。
 彼の言う通り、朝から昼に変化しようとしているこの瞬間まで、僕たちは休まず歩き通している。僕もカノンに賛成した。
「うん……僕もそろそろ休みたいなあって思ってたし」
「では、今日はこちらで一晩過ごしましょうか」
「いいの? まだお昼前だけど」
 僕は半日も経っていないのに、今夜の宿を決めてしまっても良かったのか、という意味を含ませた言葉を頼れる青年にかける。
 レイセン君はシルバーブロンドの髪を風になびかせながら、目元を緩ませた。
「はい。あの灯台は、見晴らしが良いことで有名な場所です。それに、灯台の側には宿もあって、花が綺麗に咲いていて──」
「本当だわ!! すごく綺麗。……そうだ、お茶会を開きましょう。カノン君が楽器を演奏してくれるって」
「言ってねえよ。──って、オレの腕引っ張るんじゃねえ」
 エレナは鼻歌を歌いながら、駆け足に坂道を登っていった。
 カノンはというと、彼女に無理やり引っ張られながら、仕方なしに足を動かしているようだった。しかし、表情は満更でもなさそうだ。僕は少しの間だけ、二人の様子を眺めていた。
 カノンとエレナは、男女の関係を、少なくとも半歩は越えているように感じられた。
 二人が小さくなって見えなくなってしまう前に、僕は歩き出した。

 坂の頂上に着くと、首が痛くなりそうなほど高い灯台が聳え立っていた。
 灯台の左側には、いつぶりだろうか、穏やかな海の波が押し寄せては引いていた。ラブラドライト海岸以来のような気がする。
 それは崖の下に見えるが、端に沿って階段が降りているのがわかった。遠くを見れば見るほど、海は青い色をしている。
「ねえ、今日はここで寝泊まりしようよー、宿もあるよー」
 エレナが僕たちを見て、手を振った。
 灯台のすぐ横に、色とりどりの石でできた、小さな宿が建っている。今まで見てきた建物の中でも、比較的縦に長い。そして一階建てだ。僕にはこの建物が、かつて寝泊まりをした宿の中で最も宿泊施設らしく思えた。
 灯台および宿の周囲には、覆い尽くすほどの花が咲いていた。後になってレイセン君に聞いてみると、コスモスという名前らしい。
「本当にするの? その、お茶会」
「エレナは既にそのつもりのようですが」
 宿の玄関を覗くと、小麦粉の入った袋と調理器具が山のようにかき集められたキッチンが目に入る。
「これくらいあれば十分でしょう。今から作れば、おやつの時間には間に合う!」
 泡立て器とジャムの瓶を両手に握りしめたエレナが、レイセン君を見て言った。
「……お菓子の類いは、あまり得意ではないのですが」
「ふふ、察しが早くて助かる~」
 青年は手袋を外しながら、エレナのいるキッチンに近づいていった。
 お菓子を作るのは得意ではない、とレイセン君は言うが、僕はそう思わない。彼が食後のデザートに作ってくれるおやつは、どれも美味しかったからだ。
 いつしかカノンに「お菓子しか作れない」と言われていたエレナが、本領を発揮する時だ。
 僕はこの二人が作るなら、不満はないどころか、想像以上にいいものが出来上がるはずだと期待に胸を弾ませた。

「そこ、そこでストーップ!!」
「え、ここ? じゃあ下ろすよー」
 お菓子が出来上がるまで、特に何もしていなかった僕とカノンは、エレナに呼ばれてテーブルを外に運び出していた。
「よっこら、せっ……」
「うん、完璧。いい眺めじゃない、あとは椅子を出しましょ」
 大した仕事をしていない、テーブルを運んだだけのカノンが、腰を抑えてうなだれた。
 そこに、赤みがかった飴色の飲み物が入った、ガラスのティーポットを持つレイセン君がやって来た。
「おお、これ何が入ってるんだ?」
「こちらですか、ピーチティです」
「美味しそう、甘い匂いがする……」
「後ほど、切った桃を持ってきます。紅茶に落としていただきましょう」
 想像を掻き立てられる文字列に、空想の涎が零れた口元を拭う。僕は頷くと、二人分の椅子を両手で運んで相応しい位置に並べた。
 準備が全て終わった頃には、テーブルの上がお菓子たちの舞踏会になっていた。一週間分と見紛うくらいの量が、そこには置いてある。
「やっぱり、お菓子はできたてが一番美味しいよね~。そんなわけで、早速いただきましょう」
 エレナの開催宣言により、お茶会が幕を開けた。コスモスの花畑を鑑賞しながらの、優雅な時間が始まった。
 デザートのメインを飾るのは、なんと言ってもジャムクッキーだ、とエレナは豪語する。タルトやプリンなど、他にも主役となり得るものはいくつかある中での、素朴なジャムクッキー。
 赤は苺、紫はブルーベリー、緑は青りんご、オレンジはアプリコット。
 僕たちの周りに咲いているコスモスのように、バスケットいっぱいに詰め込まれた様々な色のクッキーは、質素だが確かに輝いて見える。まるで、小宇宙を見ているような気分にさせた。
「この紅茶に合う味だよね」
「わかってるじゃない、アクア。どれも自信作だけどね、特に紅茶とクッキーは相性が良いからおすすめなの」
 僕はクッキーを一枚頬張った。青りんごの味を堪能すると、ティーカップを口元に運んだ。
 茶葉の豊かな香りが鼻腔をくすぐっては、紅茶の湯気が落ち着いた溜息に変わった。
「こんだけ食っても、まだ減らないのかよ……見てるだけで胸焼けしてきた」
「ほらほら、カノン君も頑張らないとなくならないぞー」
 ほんのり蜂蜜風味な優しい味わいのピーチティを啜る。そして、バスケットからもう一枚、今度は苺味のクッキーを取り出した。花の形だ。このクッキーの生地を花形にくり抜いたのが、レイセン君だったら。
「……ねえ、このクッキー、誰が作ったの?」
「ほとんどはエレナですが、私も手伝いました。……それがどうかしましたか」
「そっか。いや、なんでもないよ」
 僕のために、と言えば大げさかもしれないけれど。青年が花の型抜きを片手に、目の前の菓子を作ったんだと想像しただけで、僕の頬は緩んだ。
 レイセン君は僅かに首を傾げていたが、気にしない。
「──よし、オレは休憩がてら一曲演奏しよう」
 カノンが勢いよく席を立った。用意していたヴァイオリンを担いで、テーブルから三歩ほど離れた位置に立つ。
「待ってました! あ、二人は食べながら聞いてね、もちろんあたしも!」
「おい! 食べるのに夢中で、聞いてなかったからもう一回とかはナシだからな」
 奏者はヴァイオリンの弓を持った右手をこちらに向けて忠告すると、演奏の構えを取った。
 そして、弓と弦が重なり、音楽が奏でられる。楽器を演奏しているカノンは、まるで別人のようだった。
 風に乗って運ばれる音と花の香りを堪能しながら、お茶会および演奏会はゆったりと幕を閉じていった。

 ***

 夜、全員が夕餉を摂り終えた後のことだ。
「どうすんの、風呂」
 机に頬杖をついたカノンが、辺りに散らばった各々の人物を見て呟いた。
「シャワールームは二つあるようですが、いつかは全員入ることを考えると……」
──やはり、ここは女性が優先されるべきだ。差別の意味を含めたつもりは一切ないが、形式的にはその方が男性側としてありがたいというだけのことである。
「あたし? あたしはいいよ、先に入っちゃって」
「──オレも、後ででいい」
 エレナに続けて、カノンも入浴を断った。
 椅子を仕舞っていた僕と、食器を洗っていたレイセン君は顔を見合わせる。青年は手を止め、念を押してエレナに確認を取った。
「本当によろしいのですか、エレナ」
「うん、だって今日は無理をさせちゃったもん」
 そう言うと、彼女はレイセン君からまだ泡のついた皿とスポンジを取り上げて、微笑んだ。
「それにあたし、まだやることがあるから」
 青年は、二度瞬きをした。
 僕には彼女の表情と声音から、言わんとしていることに嘘偽りはないと思った。ただ、彼女の言う「やること」が何かまでは想像もつかなかった。

 食卓が片付くと、それぞれ自由時間に入る。
 一人に一部屋割り振ったとしても有り余るほど、この宿泊施設の部屋数は充実していた。部屋の家具も、どれくらい放置されていたかはわからないが、多少ホコリを被っているくらいであまり気にはならない。
 それぞれが寝る部屋を決め、まずはそこに訪れる。僕はキッチンとシャワールームから一番近い部屋になった。
 というのも、僕は普段から端っこの部屋を好んで選んでいた。しかし、この宿に限っては奥が遠すぎるため、今回は妥協点として別の意味での端を選んだというわけだった。
「着替えとタオル……うん、あとは忘れ物ないはず……」
 独り言をぼそぼそと呟きながら、ベッドの上に広げた荷物から必要なものだけを拾っていく。左腕に積めるだけ積むと、一つ息を吐いて部屋の明かりを消した。
 ドアを閉めると、廊下に出る。シャワールームへはすぐそこだ。
「……開いてる?」
 廊下を宿泊部屋全体の長さだとすると、エレナとカノンの部屋はちょうど真ん中辺りだった。シャワールームとは逆方向だが、中途半端に空いた斜め向かいの戸から光が漏れていて、どうしても気にかかる。
 僕は親切心からその扉を閉めようと、部屋の方へ歩き始めていた。
──最初は、戸が開いていることを指摘したら、すぐに去るつもりだった。
『あっ……まだ、動いちゃ……』
「……!!」
 僕が部屋に入るよりも先に、女の人の声がした。はじめ、誰の声かわからなかった。嬌声で、誰の声でもないように聞こえたからだ。
 ここで、声が聞こえなかったフリをして、いきなりドアを開けなくてよかったと心底思った。後になって、カノンに空気の読めない奴だと罵られる以上のことになりかねなかっただろう。
 けれど、その代りに興味本位で中を覗いてしまった。
「……っ、やめていいのかよ」
「ああ、うぅ……」
 ベッドで仰向けになったエレナと、カノンが向かい合うようにして歪な動きをしていた。僕は気配を悟られないように、口元を手で覆う。
 カノンの顔は、僕の位置からはよく見えない。ただ、エレナに擦り付けるような腰の動きだけが伺えた。ズボンを穿いていない。
「…………」
「エレ、ナ……」
「ん、んんっ」
 二人が舌を絡めた熱いキスを交わす。体の関係があるならば、それは当然のことで、何ら不思議ではないのだろう。
 女性の金の髪は乱れてくしゃくしゃになっていた。服は開けて、ほとんど着ていないに等しい。
 唇を重ねたまま、カノンはエレナの乳房を鷲掴みにした。わざとぶつかったというわけではなく、意図的に。
「──キッツ……。なあ、出してもいい……?」
 カノンが囁くように言った。それは縋るような、どうにもならない頼み事をするような言い方だった。
 エレナは仰け反ったまま、ゆっくりと頷いてみせた。
 すると、男は女の腰を両手で押さえつけるように掴んだ。律動が早まった。止めたくても止められない、本能的な衝動のように感じられた。
「あっ、カノンく……ああ、あ──」
 その時、僕の背中を冷たい風が通り抜けたような気がした。否、胸が締め付けられたような感覚が、脳を支配している。
 ほぼ同時に、僕がいる空間と同じ場所から、足音が聞こえた。
「ご主人様、何を……」
 足音の正体は、レイセン君だった。なぜキッチンにいたのか推測できない。
 彼の声は、愛を確かめあっている二人には届かない。か細く、しかし僕にだけはっきりとした音で聞こえた。
「…………」
 僕は無言で、レイセン君のいるキッチンに近づいた。もとい、シャワールームに駆け込もうとしたのだ。
 部屋の位置といい、シャワー室の方向といい、彼になんと説明すればいい? 僕があの場所にいた事に対する、尤もらしい言い訳が思いつかない。
 レイセン君の横を通り過ぎる。青年は僕の顔ではなく、他の部位に視線を落としていた。
「──お待ち下さい」
「……なに」
 やはり引き止められたか、と僕は思った。一体何を言われるのだろう。僕はレイセン君が次に発する言葉を待った。
「……私の部屋に来てくださいませんか」
「え……?」
 予想もしていなかった台詞に驚いて、彼の方を振り向いた。
 青年の顔は、考えを悟らせないような無情に近い形をしていた。思惑通り、僕にはレイセン君の考えていることはわからない。
 突拍子もない誘いを断る理由もなく、僕は着替えとタオルを両腕に抱いて、青年の後ろをついて行った。
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