死の餞ヲ、君ニ

弋慎司

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第1部

#15 王国へ

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「ご主人様……やはり、先程は悪魔に襲撃を受けたのでしょうか」
「うん、第六の悪魔って名乗ってた。……でも、悪魔の足元から急に炎が……」
「そういうことでしたか」
「と、言うと?」
 宿へ無事帰還した僕たちは、水浸しになった装備を外に干し、シャワーを浴びて状況報告をしていた。
「妖樹で貴方たちを探している途中、空に火の塊があることに気が付きました」
「じゃあ、それが……?」
「ですが、おそらくはその第六の悪魔の死後、すぐに消滅してしまったのです。何が起きたのかと、近場まで行ってみれば貴方が……。本当に、気の毒です」
 レイセン君は両足を組んで椅子に背中を預け、淹れたての珈琲を啜っていた。僕は俯き、決意にも似た感傷を抱いていた。
「レイセン君……僕、人を守れるようになりたいんだ。……もう二度とあんな悲しい思いはしたくない……だから」
「──弓」
「え?」
「人を守るには、まず己の身を最優先に考えなければなりません。……その杖では心許無いでしょう。ですが、貴方の立場を考えると、近距離の武器は避けたい所です」
「そっか! 遠くから攻撃できる弓なら、僕が前に出ることもない……よね?」
 僕の質問に答える前に、レイセン君は立ち上がって着替えを始めた。
「行きましょう」
「ってことは……?」
「武器屋です。貴方、どうせ弓など触ったこともないでしょう。船に乗る前に、私が指導させていただきます」
「ありがとう! あっ、待ってー‼」

 ***

 ──敵に向かい一直線に立つ。
 体重を平等になるよう両足にかけ、膝は力まず、真っ直ぐに。
 ──腰を据え、両肩の力を抜き、背骨から頭の先までストレートに伸ばす。
 落ち着いて、狙う敵の部位を定める。
 ──矢を乗せ、弦に番えた後、弓を持ち上げて。
 肩の位置を決め、敵に向かって直線的に伸ばす。
 ──引き手の肘を大きく廻り込ませる様、意識しながら引く。
 顔に引き手を固定する。そして──。
 ──放つ!
「……やった!! 当たった!!」
「ふあ……魔法使いさん? 何してるの?」
 見事木の幹の中心部に矢を命中させた。かれこれ数十本は射たことだろう。
 歓楽に浸っていると、眠気覚ましに偶々ここを訪れたというベンティスカの声がした。
 彼女はレイセン君に頼まれ、船がじきに到達することを知らせに来たのだと言う。もうそんな時間か。僕は急いで宿に戻り、荷物の整理を始めた。
 新調した武器を何度も眺めながら、セナの事を思い出さずにはいられなかった。

 ***

 早朝から賑わいを見せる港町の船乗り場に現れた、一隻の白い船。
 搭乗口では、騒々しくも人影が行列を作っていた。
 その中に、桃色の髪の少女と、僕とレイセン君を見て仰天した少年の二人組も並んでいた。
「あ……あーー!! ノア、見てください。もう、そっちじゃないですわよ。ほーら!」
「えっ、君!? まさか、君たちも王国フォシルに行くの?」
「その口振りですと、お二人も舞踏会に行くようですね」
「うん、まあね。僕はそうでもないけど……」
「何を仰いますの! まるでフィリアの我儘に付き合わされているみたいじゃないですか‼」
「クク、私どもも同じようなものです」
 そう言うとレイセン君はベンティスカを一瞥し、またノアとフィリアの方へ向き直った。ベンティスカは彼らの様子を交互に見つめてオロオロしている。
「あら? そちらの背の高い女の方は……」
「えと、ベンティスカっていうんだ! スペリォールの館で眠っているところを見つけて……」
「よろしくね、お姫様」
「あら、お姫様だなんて……フィリアと申しますわ。そういえば、グレイさんはどうしたんですの? 見当たりませんわね」
「…………」
「彼はもう、この世にはいません」
「……そう……ですの。なら、仕方がありませんわね。できればもう一度お会いしたかったんですけど」
 自由奔放な少女の代わりに謝罪をするノアは、フィリアを軽く小突くと、僕たちに礼をして堵列の中を進んでいった。
「僕らも、並ばなきゃね」
「そうだね。……もうすぐ、十日か……」
 ベンティスカは意味あり気に呟くと、日が昇る海面を見つめていた。
 斯くして、僕たちは王国フォシルへと向かう宿泊船へと乗り込んだ。

 ***

──エンゲイジリングとは、装備した者を死の概念から解放させる指輪の事である。また、本来の死から逃れる為の力を与えられる。但し、一度嵌めた指輪を外し肉体が破壊された時、只の人となる事を忘れてはならない。
 揺動する船の個室で、エンゲイジリングについて記載された書類の解読を進めていた僕は、ある一文に疑問を持ち始めた。
「……何、これ」
『生前の記憶を持つ者は、此の指輪の作用により侵食される事を危惧すべきである。』
 生前の記憶とはどういうことか。皆「今を生きている」ではないか。
 そんな時だった。熟読していた文字の羅列に吐き気を感じ、酔ったのは。
「うっ、まずい、気持ち悪くなってきた……」
 胃の奥から逆流してくる酸っぱい液体に襲われ、口を抑えて曝された露天甲板へと急いだ。

「スゥーーッ……。ふぅ……」
 物がすぐそこまで出かかった時、青い空を覗いた。あと一歩遅かったら、船内に汚物を撒き散らしていたことだろう。
 船を囲んで合唱をする漣の音を聞きながら、肺を満たすように深呼吸をする。とても気分がいい。
 狭い甲板にぽつりと人が佇んでいる。手摺りに身を乗り出し、僕の格好は宛ら干された布団のようだ。
「あ……もしかして、ノア?」
「うっ……アクア、君か。僕、船嫌いなんだよ。絶対酔うから……おええ」
「大丈夫? 無理して話さなくていいから……」
 ノアの背中を擦りながら、僕が感じた疑念を、エンゲイジリングに詳しい彼に問いかけてみたくなった。
「ねえ、ノアはエンゲイジリングの事、どれくらい知ってるの?」
「どれくらい……そうだなあ。作り方と、あとは死の概念から解放されるって事くらいだよ」
「じゃあ、これは?」
 僕は本の内容を朗読し、ノアに聞かせた。彼は驚愕した表情を浮かべながら、僕の話に耳を傾けている。
「成る程ね、確かにこの文章には違和感を覚えるよ」
「もし僕の推測が正しいなら、生前の記憶を持つものは既に死んでいることになる」
「そして、エンゲイジリングを装備した者は、何らかの作用で記憶……生前の記憶が戻ってくる可能性がある……」
 僕はある出来事を思い浮かべていた。僕の推測と一致するとは思わないが、それはグレイの死についてだった。
 そこまで言い終わると、ノアは眉を顰めて口を噤んだ。
「……どうしたの、ノア」
「実は……もう、着けてる」
 彼の左手に嵌められている青碧の指輪。僕は言葉を失った。
「…………」
「フィリアが心配で……ううん、どっちかっていうと興味本位かな。でも、今まで何ともなかったよ」
「もし、さっきのことが本当だったら……」
「侵食される。何かに」
「…………」
「外せば元に戻る。って書いてあったよね。もし危険な状態になった時にはそうするよ。……あ、見て。城が見えてきた」

 ***

 船を降りた僕たちは、王国フォシルへと続く渡橋──フェーン・ブリッジに向かった。
 丘を登ると、海に浮かぶ優雅な佇まいの、上品な城塞が聳え立っている。
「今夜はここで舞踏会かあ……楽しみだな、ふふ」
「おーっほっほっほ!! そういうことですので、皆様お先ですわー!!」
「待ってフィリア!! ……はあ。ということで、僕とフィリアは先に向かうよ。またね」
 フィリアが猪突と同じ勢いで脇を通り過ぎていく。ノアは軽く一礼した後、わんぱくな少女を追いかけた。
「レイセン君、舞踏会ってどんなことするの?」
「主に、貴族階級の人々が集まって踊り明かすイベントです。勿論、それに見合うドレスコードで臨まなければなりません」
「……と、言うと?」
「主催にもよりますが、基本的にはホワイトタイと呼ばれる正装です。男性は燕尾服に白の蝶ネクタイ。女性はボールガウンと呼ばれる、舞踏会専用の大きなシルエットのロングドレスを着用します」
「兵隊さんは何でも知っているんだね」
「この程度は、常識の範囲内です」

 フェーン・ブリッジの入口に、槍を持った兵士が二人立っている。彼らは兜を深く被っており、表情は闇に覆われている。僕たち三人を侵入者と判断すると、槍を差し交わし警告した。
『この先は、今夜の舞踏会に招かれた者のみが立ち入ることを許されている』
『我々にそれを証明せよ』
「ええ、きちんと人数分。これで通して頂けますね?」
 レイセン君は易々と招待状を彼らに見せつける。兵士は槍を下ろし、元の立ち位置へと戻っていった。
「さあ、行きましょう。夕暮れ時まで時間がありますので、舞踏会に向けて万全の準備を致しましょう」
「うわあ……この橋、落ちたらまずいよね……」
「魔法使いさん危ないよ。気をつけて」
 橋から下を見下ろすと、穏やかな川が流れていた。吸い込まれそうな感覚と波の音に、体が縺れる。ぶんぶんと頭を横に振って、威風堂々たるフォシル城を見上げた。
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