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書宿の明

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「泰紀それ向きが違う。もうちょっと右」

「こうか?」

「行き過ぎ行き過ぎ、ちょっと左に戻して」


約束の時間になって社務所に集った私たちは、千江さんに頼まれて本殿で神事の用意をすることになった。恐らく権宮司たちが持ち帰ってくるであろう呪いの媒介を修祓するための神事だ。

そういう神事は初めてなので、借りた教本を見比べながら祭壇を整えて行く。ああでもないこうでもないと言いながら三十分くらいかけてやっと完成させた。

千江さんの合格も頂戴し、祭壇の前に丸くなって座る。真ん中には禰宜から借りた本を広げて皆各々に覗き込む。


「俺も実は気になってたんだよね、最後まで任せて貰えなかったこと。タイムリミットが迫ってるとは言え、やっぱり任された仕事は最後までやり遂げたいじゃん」

「俺もせっかくなら最後まで見届けてぇかな」

「俺も俺もー!」


集まる前に三人で呪いについての調査を続けていたことを話せば、自分たちもやりたいと名乗り出てくれた嘉正くんたち。

結局やはりみんなで呪いを突き止める調査を続けることになった。

わいわいと賑やかな雰囲気で始まって、恵衣くんは物凄く迷惑そうな雰囲気を出していたけれど、来光くんと議論するうちに直ぐに真剣な顔になる。

私も負けてられないな、と気合いを入れ直した。


そして二時間後、時刻が丑三つ時に差し掛かった頃にやけに周りが静かな事に気がついた。

パッと顔を上げると慶賀くんと泰紀くんが後ろにひっくりかえって眠っている。嘉正くんですら少し眠そうに目頭を抑えては欠伸をこぼす。

仮眠を取ったとはいえ普段なら眠っている時間、昼間は色々あって疲れているだろうし仕方ない。

私も頬を叩いて気合を入れて何とか意識を保っているような状況だ。


「慶賀泰紀、起きて。一応僕達は待機組なんだから、ひっくり返って寝こけるやつがあるか」


来光くんにおでこを弾かれた二人が「フガッ」と変な音を立ててのそのそ起き上がった。


「やっぱりこれだけの条件が揃ってても絞り込むのは難しいね」


ふぅ、と息を吐いた来光くん。


「呪い関連の授業が始まってたら良かったんだけどね」

「あーあ、悔しいなぁ。禰宜たちもそろそろ終わった頃じゃね? 帰ってくるまでには俺達で突き止めたかったのにな~」

「半分以上も寝てたヤツが僕らと同じレベルで悔しがるなッ!」


欠伸をこぼした慶賀くんにすかさずそう噛み付いた来光くん。

そんなやり取りにくすくす笑いながらスマホの画面を叩く。23時から動き始める作戦だったからもう2時間は経った。そろそろなにか動きがあってもいい頃合だ。

何かあった時は社務所で待機している宮司か志らくさんにに連絡が来ることになっている。


「まぁ何事もなく終わるだろ。邪魔してくるような妖はいなかったし、無害な浮遊霊ばっかだったからな」


伸びをしながら泰紀くんがそう言う。

確かに校舎内で妖を見かけることがなかった。力の弱い妖は私たちに害を加えることはないけれど、音を立てて驚かしたりわざと足元を通って転ばせようとしたりする。

私も神修へ来てすぐの頃は、よく家鳴やなりと呼ばれる小さな鬼の妖にものを隠されたり転ばされたりした。

慣れるとそれなりに対処が出来るけれど、慣れないうちはかなり厄介だ。


「そういや青坊主あおぼうずもいなかったよな。俺昼飯の後トイレ行ったんだよ。あいつ、どこ行っても驚かしてくるから警戒してたとに結局出てこねぇの。逆に漏らすかと思ったわ!」

「俺はまなびの社に来た初日に驚かされたよ。分かっててもヒヤッとするよね」

「それが生き甲斐なんだろ、あのオッサン妖怪」


みんなが話す青坊主あおぼうずというのは、和式トイレに住み着いている妖怪だ。

青い顔をした坊主頭の一つ目をした妖怪で、和式トイレの中からひょっこり現れては人間を驚かせて楽しんでいる。

神修の男子トイレからは毎日誰かが驚く悲鳴が聞こえるくらいイタズラが好きで、私も一度だけ会ったことがある。

一学期の放課後、学校内を歩いていると『お嬢さーん』という声がして足を止めた。辺りを見回しても誰もいなくて空耳かと思って通り過ぎようとしたけれど、やっぱり『こっちじゃこっち、無視するでない~』という声が聞こえた。

声の方に歩みを進めると、やがて男子トイレに辿り着いた。

流石に中に入るのは気が引けるので、周りをキョロキョロ見渡したあとドアに近づき耳を澄ます。


『扉の前に居るか~?』


やっぱり男子トイレの中から声が聞こえた。


「えっと……います」

『バァッ!』


返事をした途端、そんな声が帰ってきた。

反応に困って沈黙する。


『久しぶりに来た編入生の事を、ずっと驚かしたかったんじゃ~。しかし今の時代女子トイレに入ったりすれば、瞬く間に祓われてしまうからのぉ』


楽しそうな声でそう言ったトイレの中の人。

正直全く驚いてないんだけどな、と心の中でつぶやく。


『顔を合わせて喋る事はないじゃろうが、以後お見知りおきを~』


急いで寮に帰って皆に教えてもらった情報によるとその愉快な声の主はやっぱり妖だったらしい。全国津々浦々の和式トイレに住む青坊主という妖怪なんだとか。

顔を合わせることはないと言ったのは、数年前に女子トイレで女子生徒を驚かせた際にご両親からクレームが来て立ち入り禁止になったらしい。

前も思ったけれど、妖もコンプラを守らないといけない時代とは何とも世知辛い。

とまあそんな感じで和式トイレがあれば基本バアッと飛び出してきて驚かせようとする愉快な妖だ。とにかく男子勢曰く、和式であれば何処にでも現れるらしい。


「あの学校でやな事でもあったんじゃねーの? 妖がいない場所なんて一周まわって怖ぇよ」


はぅ、と欠伸をこぼした泰紀くんがそう呟いたその瞬間。


「泰紀今なんて?」

「お前今なんて言った?」


恵衣くんと来光くんの声が揃った。

え?と目を瞬かせた泰紀くんに二人は詰寄る。目をかっぴらいた来光くんが激しく肩を揺すった。


「今なんて言った!? ねぇ泰紀!!」

「え、ええ? 俺なんか不味いこと言ったか?」


焦る泰紀くんの胸ぐらを恵衣くんが掴み捻り上げる。


「三秒前に自分が吐いた言葉も覚えてない鳥頭なのかお前は。いいからもう一度言え」


いつにもまして怖い顔をした恵衣くんに「ひぃッ」と泰紀くんが震え上がる。


「な、なんだよ二人してッ! 妖がいない場所なんて一周まわって怖いつっただけだろー!」


泣きそうな顔でそう叫んだ泰紀くんに、二人は顔を見合わせるならパッと離れた。二人してがさごそと本を漁り始める。

私がついでに持ってきた社務所に置きっぱなしにしていた西院高校のパンフレットを広げた来光くんはグッと顔を近づけて何かを探している。


「恵衣、やっぱりそうだ。創立から百年以上経ってる」

「そうか、となるとやっぱり────」

「ちょい待って二人とも、わかるように話して。じゃないと泰紀が浮かばれない」


脅迫まがいの詰められ方をした泰紀くんは膝を抱えてしくしく泣き真似をしている。慶賀くんがよしよし可哀想にと背中を撫でた。


「あ、ごめん。悪気はない。ただ泰紀にしてはなかなかいい所に気付いたからつい興奮しちゃって」

「お前らヤバい奴の目だったぞ」


あはは、と頬をかいた来光くんは私たちの中心に学校のパンフレットを広げた。


「建物に妖がいないことって、さして珍しい事ではないじゃん? 妖だって住む場所には好きこのみあるしさ」


来光くんの言う通り、妖にも住む場所には違いがある。

深海魚が淡水の川では生きられないように、種類によって住みやすい環境があるのだと授業で習った。


「それを踏まえて、これ見て」


来光くんがパンフレットを指さした。


「西院高校は2017年に百周年を迎え、創立時に市長より寄贈された置時計や記念品は校舎入口にて展示された……?」


代表して私が読み上げる。

この文の何が変なんだろう?


「てことはさ、あの学校には絶対に妖がいるはずなんだよ。"百年"経ってるってことは」

「何が────あ」


何がいるの、と聞き返す前に気が付いた。


「付喪神……!」


そう、と来光くんが頷く。

付喪神、長い年月を経た道具に魂が宿ったもので、地域によっては神や精霊として崇められている存在だ。から傘小僧や化け提灯なんかも付喪神の類にあたる。

名前には神と付いているけれど妖の一種だ。


「このパンフレットによると、創立時から使用されている道具があの学校内にはある。だったら付喪神がいるはずなのに、僕達は一度も見かけなかった」


校舎入口、学生の下足場を入ってすぐのところにガラスケースがあったのは覚えている。古そうな小物や写真が沢山陳列してあった。

そうか、あれは全て付喪神になった物たちだったんだ。

あれ、でもじゃあどうして付喪神の姿が見えなかったんだろう。物から付喪神になった道具は、本体そのものが壊れるか物に宿った魂が傷付けられない限り消えることは無い。

あのショーケースの中にあった置時計や小物は壊れているようには見えなかったけど……。


「じゃあ付喪神たちはどこへ行ったんだろう? 道具本体は壊れていない……つまり付喪神たちの魂が何かに攻撃されたってことだ」


嫌な胸騒ぎがした。


「もしかしたら、僕らが思っているよりも遥かに悪い事が起きているかもしれない」


そう呟いた来光くんに、私たちは戸惑い気味に視線を合わせる。

来光くんと恵衣くんが手当たり次第に書物をひっくり返していく。サッサッとページをめくる音が静かな本殿に響いた。


「わ、悪いことってなんだよ……! はっきり言えよ!」

「一度薫先生の別荘の本棚で、見た事があるんだ。一般的には虫とか小動物を使って行う呪術なんだけど、複数の妖で行う方法もあるんだって」


これだ、そう言った恵衣くんがページを開いた本を差し出した。来光くんがそれを確認して悲痛な面持ちで目を瞑るとひとつ頷いた。


「古代中国で用いられた呪術の一つだ。生き物を共食いさせて勝ち残った一匹を呪いの媒介にする、最悪の呪い」


ふぅ、と息を吐くと私たちの前に本を滑らした。



「────蠱毒こどくだ」



祭壇に灯したロウソクの灯りが揺れる。

反射した火の光で来光くんの瞳がゆらりと赤く光った。




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