MASK 〜黒衣の薬売り〜

天瀬純

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山奥で

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「マスター。こちら、頼まれていた飲み薬になります」

 上下黒のスーツをお召しになった常連のお客様が品物をカウンターの上に置く。

「用法用量は前回と同じになります。1錠あたり2時間ほどの催眠効果がありますので、6時間ほどの睡眠時間をご希望なら1回3錠を寝る前にお水と一緒に服用してください」

「はい。わざわざ、ありがとうございます。黒衣さん」

「いえいえ、仕事ですから」

トレードマークの黒い布マスクを上着のポケットにしまい込み、カウンター席でブレンドコーヒーを飲む彼が答える。黒衣さんから受け取った飲み薬は【睡魔の添い寝】という睡眠導入剤になる。

(まさか自分が寝付きにくいことで悩むことになろうとは……)

 長い間、私はこの辺り一帯の山々のヌシとして、生き物たちの暮らしを守ってきた。ヌシとしての力は絶大だ。選ばれた者は知能が飛躍的に向上し、強靭的な肉体と精神力を手に入れる。それによって高い統率力を持ち、あらゆる種の生き物をまとめ上げて山に平和をもたらす。私もかつては1羽の小さなフクロウにすぎなかった。けれど先代に見出され、ヌシの力によって人型の身体を手に入れることができた。

(…顔はフクロウのままだが)



半世紀以上はヌシとして尽力してきたが、20年近く前に別の者に“力”を譲り、引退した。新しい世代が生まれてくるなかで、に居座り続けるべきではない、と考えたからだ。“力”を失った私は、それまでの怪力や妖術の類はあまり使えなくなったが、ヌシとして培った知恵は失われずに済んだ。

『マスター、来たヨォ~』

「あぁ、いらっしゃい。空いている席へどうぞ」

色々あって、今は長年住み続けた山の奥で“喫茶店”なんていう人間の真似事なんかをして他の者達に憩いの場を提供している。必要な機材は知り合いの妖たちに頼んで、一通り揃えさせてもらった。食器やカトラリー、冷蔵庫やガスコンロをはじめとしたキッチン用品、そして珈琲豆を焙煎するために必要な機械など。飲食店として必要な道具の多くが、ここにはある。カウンターのなかにある、店のシンボルは特に気に入っている。弧を描くようにして作られた、その巨大な木製の食器棚は実に圧巻だ。



『マスター、ビールちょうだい。いつもみたいに瓶で』

「はいはい」

(一応、珈琲にこだわっているんですけどね…)

苦笑いしながら、私はカウンター下の冷蔵庫から冷えた瓶ビールを取り出す。

* * * 

* * 



 お客様方と世間話をしばらくしていると、カウンター席に座る常連のお客様たちの背後にある獣道から足音が聞こえてきた。

ミシッ。ミシッ。ミシッ。パキッ。

途中、落ちてる小枝を踏みながら、音が近付いてくる。やがて獣道から現れ、近くに置いてある灯籠に照らされたことで姿をはっきりと確認できた。

『おっ?なんだ、漆黒も来てたのか』

「仕事帰りですか、二宙にそらさん」

本日の常連さん、3人目。各地で結界を張ることを生業とされる二宙さん。お店の結果も彼が施している。このお店は野外レストランならぬ野外喫茶店のため、雨風から食器棚、カウンター、キッチンなどを守るために私が彼に依頼したものだ。もっとも、夜空を眺めながら珈琲を飲んでみたいというのが本音だ。



『マスター。ウイスキーをロックで』

(まっ、この方にとってはバーみたいなものですが)

カチッ。シュボッ。

席に座ってすぐに二宙さんが作業着のポケットからジッポを取り出し、タバコに火をつけた。

『はぁ~、うっめぇぇぇ~』

タバコを嗜まない私でさえも感嘆するほど、二宙さんの吸いっぷりは実に豪快でかつ爽快。その所作から性格も似たような物かと思ったりすれば、案外そうでなかったりもする。現に二宙さんは他のお客様のご迷惑にならないようにと、1番端の席に座り、煙を吐くときは誰もいない方向に向いて吐く。ちゃんと配慮ができるからこそ、大変なお仕事をこなしていけるのだろう。

 二宙さんにウイスキーを出したあともとお客様が来店され、お店は少しずつ忙しくなっていった。
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