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大迷宮ニクス・ヘル編
アンナ・レイング(2)
しおりを挟むアンナ・レイングの仕事はシンプルだった。
早朝から西の遺跡へ向かい、見回りし、夕方頃に町へと戻る。
やりがいなど微塵もない、ただ平凡な作業を毎日、休みなく続ける。
最初は凄まじい強さの魔物が封印された場所であるということで緊張していたが、一週間、一ヶ月と過ぎると、それは何の変哲もない日常となっていた。
アダン・ダルに配属されている王宮騎士たちは全部で5人ほど。
王都から派遣されたアンナが指揮を取る形だったが、余所者の女騎士というだけで、心を開く者はいなかった。
"何をやらかしたらこんな辺境の地まで飛ばされるんだ?"
口には出さずとも皆がそう思った。
その空気が嫌で、アンナが遺跡から戻る時はいつも1人だった。
夕刻になるといつも現れる少年がいた。
雑貨屋の少年ジョシュアだ。
物陰から気配を消して近づき、いつもアンナを触る。
「また、お前か!!」
町の住民たちにとっては、もう見慣れた光景で、みな苦笑いする。
アンナは仕事の疲労を感じつつも雑貨屋まで追いかけるが、ジョシュアにはいつも追いつけない。
雑貨屋では毎回のようにケイトは平謝りで、父のドミニクは頭を掻いた。
そしてアンナは雑貨屋で買い出しをして帰る……
これが日課になっていた。
____________________
ある日、アンナは町の領主であるオーレル卿の元を訪れていた。
一ヶ月に一度の報告。
西の遺跡に封印された魔物の件だった。
魔物の封印をおこなったのは第一騎士団長のアデルバート・アドルヴ。
魔物を土の波動で閉じ込めてから数十年は経つ。
アデルバートの波動数値は明かされていないが、"王国歴代最強の騎士"と言われるほどだ。
その安心感によって町の平穏が保たれていると言っても過言ではなかった。
執事にオーレル卿の書斎の前まで案内されたアンナ。
珍しく来客があるのか、ドア越しにオーレル卿の声が漏れていた。
「スペルシオ家の三女をもらえることになったよ!ああ、これで大貴族との関係性も持つことができる!我が家も安泰だ!」
そう言って高笑いするオーレル卿。
「君が上手く橋渡しをしてくれたお陰だ。本当に感謝しているよ。まぁ三女は低波動のガキだが、この際仕方ない。若い娘をもらえるだけ有難いと思わねばな」
その発言に顔を引き攣らせるアンナ。
これが"町の領主"なのかと疑うほどの発言だ。
「では、また酒でも飲み交わそう。私はこれから仕事の話がある。本当に面倒な話だが、まぁ仕方ない。また立ち寄ってくれたまえ」
再度、高笑いが聞こえた。
そしてすぐに書斎のドアが開かれると、オーレル卿が話していた人物が出てきて、アンナと目があった。
アンナは息を呑んだ。
透き通るほどの銀色の長い髪を後ろで結って肩に流し、重厚な鎧を見に纏った男だった。
「……」
男はアンナを一瞥した。
彫りが深い顔に、蛇のように鋭い目つきで睨まれ、時間が止まったようになる。
サッとアンナをかわして横を通りすぎた男は、そのまま屋敷を出て行った。
「なぜ……第二騎士団長がここにいるんだ……」
そう呟き、思考しようとするも、考える暇なくすぐに書斎に通される。
書斎のテーブルの上には一本の酒のボトルと二つのグラスが置いてあった。
ソファに座るオーレル卿はふんぞり返ったままアンナを見た。
「ああ、ご苦労さん。遺跡の方はどうかね?」
「特に問題はありません」
「そうか。ならよかった」
「では、私はこれで」
アンナは軽く頭を下げてドアノブに手をかける。
いち早くこの場所を去りたいという思いがあったのだ。
だが、オーレル卿は不意に口を開いた。
「ちょっと待て」
「はい?」
アンナは珍しいと思った。
ここに来て半年以上経つが、オーレル卿に呼び止められたことは一度もない。
「なんでしょうか?」
「君、中央広場にある雑貨屋に出入りしているだろ?」
「それが何か?」
「もうあそこには行くな」
「なぜでしょうか?」
「君が理由を知る必要はない」
アンナは訝しげな表情をした。
それを見たオーレル卿はため息をつく。
「あの店が繁盛してちゃ困るんだ。話は以上だ」
それだけ言うとボトルを開けて酒をグラスに注いだ。
動かぬアンナを見ると少し顎を上げてみせ、書斎から出るように促す。
アンナは納得がいかなかったが、そのまま屋敷を出るしかなかった。
__________________
アンナが赴任してから一年が過ぎた頃だ。
いつもと同じように、部隊を編成して西の遺跡に向かうアンナ。
そして帰りはやはり1人。
町の入り口付近、いつも通りジョシュアを待つ。
不思議なことに少年のおかげでアンナは励まされていた。
最初は死刑同然の人事だと思っていたが、この町に来てジョシュアと雑貨屋の2人、また住民たちの親切さに触れる中、本気でアダン・ダルを守りたいという気持ちに駆られ始めていたのだ。
心情の変化にも程がある……
そんな事をしみじみ思いながら周囲を見渡した。
時は夕刻。
いつもの通りジョシュアが待ち構えていて隙を見て自分に触れるだろう。
そして全力で追いかける。
最後は雑貨屋で何を買おうか……そう考えると自然に口元が緩んだ。
だが、その顔は日が沈むと同時に困惑の表情へと変わった。
この日、なぜかジョシュアは現れなかったのだ。
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