18 / 71
16:気づいてくれる人(2)
しおりを挟む
昔から、父や兄だけでなく、彼らに近しい人たちもジェレミーに対する噂から守ってくれていた。
彼らはジェレミーが不義の子であるという噂を流す者たちを罰し、ジェレミーには『お前は正当の血筋だ』と言い聞かせた。
それが彼らの優しさであり、慰めであることをジェレミーはきちんと理解していた。
だが、理解していても、そう言われるたびに胸が苦しくなった。
ジェレミーは怖かったのだ。彼らは自分が父の子であることを信じている。第二皇子が正当な血筋であることを信じて疑わない。
けれど、それを証明する術などない。
もし本当に血のつながりがなかった場合、彼らの態度はどう変わるのだろう。彼らはどんな目で自分を見てくるのだろう。あの温厚な父が、自分を溺愛してくれる兄が、豹変してしまったらどうしよう。
想像しただけでも死にたくなる。
いっそのこと、虐げてくれればよかったのにとさえ思ったこともあった。
父の最愛の人であり、兄の大事な母である皇后クレアを悩ませ、彼女の精神を壊したのは間違いなく、ジェレミー・フォン・ベイルという人間だ。
自分が存在しているから、全てがうまくいかない。
お前のせいだと、お前は自分の子ではない。自分の弟ではないと、突き放して欲してくれてもよかったのに。そうすれば、素直に自死を選ぶこともできていただろう。
優しくしてくれるから、彼らを思うと死ねない。
ジェレミーはずっと、愛されているのに息苦しかった。
そんな彼が久しぶりに息をすることができたのが6年前。あの国境沿いの魔獣討伐に参加した時のことだった。
彼はそれまでは兄と一緒の時にしか会ったことがなかった兄の婚約者候補と、初めて二人で話した。
自分よりも年上なのに、いつまでも少女のように笑う彼女の名前は、リリアン・ハイネ。
実を言うと、ジェレミーは昔、この年上っぽくない幼馴染のことが苦手だった。
明らかに愛されて育ったリリアンの心は透き通るくらいに美しく、汚れを知らない。純真無垢という言葉を体現しているかのような少女。悩みなんてないような彼女の姿がジェレミーには眩しかったのだ。
そんな彼女が野営のテントの中で言った。ジェレミーの黄金の瞳をじっと見つめて、
『ねえ、何でそんなに死にそうな顔してるの?』、と。
デリカシーをどこに置いてきたのか、それとも、そもそも持ち合わせていないのか。あまりにもサラッと聞いてくるので、ジェレミーはあっけに取られてしまった。
驚きのあまり、ジェレミーはポロッと本音をこぼした。
『皇帝の子どもではないのに皇子として生きる辛さがお前にわかるのか?』
きつい口調だった。思わず口から出た棘のある言葉。
それはまさしく、ただの八つ当たりだった。
やってしまった、ジェレミーがそう思った時には遅かった。
兄の婚約者となる予定の人を傷つけてしまった。
そのことで兄や父に嫌われたらどうしよう。そんな思いが彼の頭をよぎる。
しかし、リリアンはキョトンとした顔で絶望に震えるジェレミーを見つめた。
『えーっと、私、あなたじゃないからわからないけど……?』
あまりに興味なさそうな答え。怪訝な顔をして『何言ってんの? わかるわけないじゃん?』とでも言いたげな目をしている彼女に、ジェレミーは開いた口が塞がらなかった。
こういう場合は普通、気まずそうにごめんなさいと謝るか、気まずさのあまりに何も言わずに立ち去るかだ。それがまさか、こんな風に返されるなんて思ってもいなかったジェレミーは耐えきれず吹き出してしまった。
こんな人、見たことがない。
『ちょっと。どうして笑うのよ』
『君がおかしいから』
『おかしくないわよ。あのねぇ、皇子様。陛下がダメだって仰ったのに、無理矢理ついてきたのは貴方でしょう?無理矢理ついてきたくせに、そんな悲壮感漂う顔されたらこちらの士気も下がるのよ。辛気臭い顔しないで笑っていなさい』
『ふははっ! 何? それが言いたかったの?』
『別に笑うことじゃないでしょう? 何なのよ。さっきから』
『いや、僕が血筋の話をしたら大抵の人は気まずそうにするのに、君は一切そんな素振りがないからおかしくて』
そう言ってケラケラと笑うジェレミー。リリアンはそんな彼に頬を膨らませ、『何? 皇子様扱いされたいの? ならこんな所に来るんじゃないわよ!』と叱責した。
こんな風に叱ってもらうのも、この金色の瞳をまっすぐに見つめて話してもらうのも、ジェレミーは初めてだった。心から嬉しかった。
リリアンとジェレミーが急激に仲良くなったのはそれからだった。
リリアンは決してジェレミーの血筋の正当性を語らない。
まるで『血筋がどうした』とでも言うかのように、ただ、ジェレミーという一人の人間と向き合ってくれる。
それもごく自然に、当たり前のように。
そこには、憐れみも同情もない。
けれど、かといって冷たいと言うわけではなく、彼が悩んでいると真っ先に気づいてくれて、そして何も言わずとも欲しい言葉をくれる。
それが意識的にそうしているのか、無意識的なものなのかはわからないが、彼女の優しさはジェレミーにとってとても心地よかった。
***
「リリアン。聞いてほしい話がある」
静かな個室で、リリアンの手を握りしめたジェレミーは真剣な眼差して自分の前に跪く彼女を見下ろした。触れ合う手にじんわりと汗が滲んできているのがわかる。
リリアンは柔らかい笑顔で『なあに?』と返した。これから何を言われるのか、彼女はおそらくわかっていないのだろう。だからそんな顔をして笑えるのだ。
ジェレミーは椅子から立ち上がると、リリアンの手を引いてソファへと誘導した。
そしてそこに彼女を座らせると、外に待機していたキースに何かを命じる。
しばらくするとキースが戻ってきて、ジェレミーに大きな薔薇の花束を渡した。
彼はそれを手に再びリリアンの元に戻ると、彼女の前に跪いた。
「リリアン。君が好きだ。俺と結婚して欲しい」
定番の薔薇の花束とシンプルな言葉による求婚。
けれど、この言葉には、これまでのジェレミーの苦悩と葛藤、そして彼女への激しい想いが込められていた。
彼らはジェレミーが不義の子であるという噂を流す者たちを罰し、ジェレミーには『お前は正当の血筋だ』と言い聞かせた。
それが彼らの優しさであり、慰めであることをジェレミーはきちんと理解していた。
だが、理解していても、そう言われるたびに胸が苦しくなった。
ジェレミーは怖かったのだ。彼らは自分が父の子であることを信じている。第二皇子が正当な血筋であることを信じて疑わない。
けれど、それを証明する術などない。
もし本当に血のつながりがなかった場合、彼らの態度はどう変わるのだろう。彼らはどんな目で自分を見てくるのだろう。あの温厚な父が、自分を溺愛してくれる兄が、豹変してしまったらどうしよう。
想像しただけでも死にたくなる。
いっそのこと、虐げてくれればよかったのにとさえ思ったこともあった。
父の最愛の人であり、兄の大事な母である皇后クレアを悩ませ、彼女の精神を壊したのは間違いなく、ジェレミー・フォン・ベイルという人間だ。
自分が存在しているから、全てがうまくいかない。
お前のせいだと、お前は自分の子ではない。自分の弟ではないと、突き放して欲してくれてもよかったのに。そうすれば、素直に自死を選ぶこともできていただろう。
優しくしてくれるから、彼らを思うと死ねない。
ジェレミーはずっと、愛されているのに息苦しかった。
そんな彼が久しぶりに息をすることができたのが6年前。あの国境沿いの魔獣討伐に参加した時のことだった。
彼はそれまでは兄と一緒の時にしか会ったことがなかった兄の婚約者候補と、初めて二人で話した。
自分よりも年上なのに、いつまでも少女のように笑う彼女の名前は、リリアン・ハイネ。
実を言うと、ジェレミーは昔、この年上っぽくない幼馴染のことが苦手だった。
明らかに愛されて育ったリリアンの心は透き通るくらいに美しく、汚れを知らない。純真無垢という言葉を体現しているかのような少女。悩みなんてないような彼女の姿がジェレミーには眩しかったのだ。
そんな彼女が野営のテントの中で言った。ジェレミーの黄金の瞳をじっと見つめて、
『ねえ、何でそんなに死にそうな顔してるの?』、と。
デリカシーをどこに置いてきたのか、それとも、そもそも持ち合わせていないのか。あまりにもサラッと聞いてくるので、ジェレミーはあっけに取られてしまった。
驚きのあまり、ジェレミーはポロッと本音をこぼした。
『皇帝の子どもではないのに皇子として生きる辛さがお前にわかるのか?』
きつい口調だった。思わず口から出た棘のある言葉。
それはまさしく、ただの八つ当たりだった。
やってしまった、ジェレミーがそう思った時には遅かった。
兄の婚約者となる予定の人を傷つけてしまった。
そのことで兄や父に嫌われたらどうしよう。そんな思いが彼の頭をよぎる。
しかし、リリアンはキョトンとした顔で絶望に震えるジェレミーを見つめた。
『えーっと、私、あなたじゃないからわからないけど……?』
あまりに興味なさそうな答え。怪訝な顔をして『何言ってんの? わかるわけないじゃん?』とでも言いたげな目をしている彼女に、ジェレミーは開いた口が塞がらなかった。
こういう場合は普通、気まずそうにごめんなさいと謝るか、気まずさのあまりに何も言わずに立ち去るかだ。それがまさか、こんな風に返されるなんて思ってもいなかったジェレミーは耐えきれず吹き出してしまった。
こんな人、見たことがない。
『ちょっと。どうして笑うのよ』
『君がおかしいから』
『おかしくないわよ。あのねぇ、皇子様。陛下がダメだって仰ったのに、無理矢理ついてきたのは貴方でしょう?無理矢理ついてきたくせに、そんな悲壮感漂う顔されたらこちらの士気も下がるのよ。辛気臭い顔しないで笑っていなさい』
『ふははっ! 何? それが言いたかったの?』
『別に笑うことじゃないでしょう? 何なのよ。さっきから』
『いや、僕が血筋の話をしたら大抵の人は気まずそうにするのに、君は一切そんな素振りがないからおかしくて』
そう言ってケラケラと笑うジェレミー。リリアンはそんな彼に頬を膨らませ、『何? 皇子様扱いされたいの? ならこんな所に来るんじゃないわよ!』と叱責した。
こんな風に叱ってもらうのも、この金色の瞳をまっすぐに見つめて話してもらうのも、ジェレミーは初めてだった。心から嬉しかった。
リリアンとジェレミーが急激に仲良くなったのはそれからだった。
リリアンは決してジェレミーの血筋の正当性を語らない。
まるで『血筋がどうした』とでも言うかのように、ただ、ジェレミーという一人の人間と向き合ってくれる。
それもごく自然に、当たり前のように。
そこには、憐れみも同情もない。
けれど、かといって冷たいと言うわけではなく、彼が悩んでいると真っ先に気づいてくれて、そして何も言わずとも欲しい言葉をくれる。
それが意識的にそうしているのか、無意識的なものなのかはわからないが、彼女の優しさはジェレミーにとってとても心地よかった。
***
「リリアン。聞いてほしい話がある」
静かな個室で、リリアンの手を握りしめたジェレミーは真剣な眼差して自分の前に跪く彼女を見下ろした。触れ合う手にじんわりと汗が滲んできているのがわかる。
リリアンは柔らかい笑顔で『なあに?』と返した。これから何を言われるのか、彼女はおそらくわかっていないのだろう。だからそんな顔をして笑えるのだ。
ジェレミーは椅子から立ち上がると、リリアンの手を引いてソファへと誘導した。
そしてそこに彼女を座らせると、外に待機していたキースに何かを命じる。
しばらくするとキースが戻ってきて、ジェレミーに大きな薔薇の花束を渡した。
彼はそれを手に再びリリアンの元に戻ると、彼女の前に跪いた。
「リリアン。君が好きだ。俺と結婚して欲しい」
定番の薔薇の花束とシンプルな言葉による求婚。
けれど、この言葉には、これまでのジェレミーの苦悩と葛藤、そして彼女への激しい想いが込められていた。
0
お気に入りに追加
325
あなたにおすすめの小説
人生の全てを捨てた王太子妃
八つ刻
恋愛
突然王太子妃になれと告げられてから三年あまりが過ぎた。
傍目からは“幸せな王太子妃”に見える私。
だけど本当は・・・
受け入れているけど、受け入れられない王太子妃と彼女を取り巻く人々の話。
※※※幸せな話とは言い難いです※※※
タグをよく見て読んでください。ハッピーエンドが好みの方(一方通行の愛が駄目な方も)はブラウザバックをお勧めします。
※本編六話+番外編六話の全十二話。
※番外編の王太子視点はヤンデレ注意報が発令されています。
愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました
Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。
そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。
相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。
トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。
あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。
ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました
Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。
順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。
特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。
そんなアメリアに対し、オスカーは…
とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。
執着系逆ハー乙女ゲームに転生したみたいだけど強ヒロインなら問題ない、よね?
陽海
恋愛
乙女ゲームのヒロインに転生したと気が付いたローズ・アメリア。
この乙女ゲームは攻略対象たちの執着がすごい逆ハーレムものの乙女ゲームだったはず。だけど肝心の執着の度合いが分からない。
執着逆ハーから身を守るために剣術や魔法を学ぶことにしたローズだったが、乙女ゲーム開始前からどんどん攻略対象たちに会ってしまう。最初こそ普通だけど少しずつ執着の兆しが見え始め......
剣術や魔法も最強、筋トレもする、そんな強ヒロインなら逆ハーにはならないと思っているローズは自分の行動がシナリオを変えてますます執着の度合いを釣り上げていることに気がつかない。
本編完結。マルチエンディング、おまけ話更新中です。
小説家になろう様でも掲載中です。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
好きな人の好きな人
ぽぽ
恋愛
"私には10年以上思い続ける初恋相手がいる。"
初恋相手に対しての執着と愛の重さは日々増していくばかりで、彼の1番近くにいれるの自分が当たり前だった。
恋人関係がなくても、隣にいれるだけで幸せ……。
そう思っていたのに、初恋相手に恋人兼婚約者がいたなんて聞いてません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる