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西賀愛華
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腰まで伸ばした黒髪の女性――西賀愛華は佐渡倉水葉のお見舞いに来ていた。佐渡倉は先日の『幼児保持者』との戦闘で脳を損傷し、記憶喪失になったと医者から聞いた。
この空蒼病院は研究所に資産を投資し、研究に協力していたスポンサーだった。その研究には政府も関わっていた。数年前に『幼児保持者』が現れ始めてから、空蒼病院では多くの犠牲者が出ている。それも赤ちゃんによる殺人だ。普通なら営業停止になっている。そうならないのにはある理由があった。
妊婦は陣痛が始まると、この町で唯一の空蒼病院を訪れる。研究所の爆発事故の時、この町に住んでいたなら、『幼児保持者』が生まれる可能性が高い。なるべく病院内で被害を抑えるために、政府の命令で営業停止にしていない。もし営業停止にしたら、妊婦は他の町の病院を訪れることになる。そうなると被害は拡大してしまう。また住民が他の町へ引越しする可能性を考慮し、政府は別の地への引越しを禁じた。もちろん住民は疑問の声を上げて政府を批判したが、無理に押し通した。被害の拡大を防ぐための処置であり、現在ではこの町内にしか引越しできない。
西賀は政府に所属しているため、『幼児保持者』が生まれた経緯についてよく知っていた。研究所に投資していた空蒼病院の病院長や一部の医者も事情を知っている。
「何か欲しいものはあるか?」
西賀はベッドの上で自分の両手を見つめる佐渡倉に話しかけた。佐渡倉は顔を上げ、西賀を見た。その表情からは不安が見て取れた。
「……失った記憶が欲しいです。自分が何者か分からなくて怖いんです。その子に腕を強く握られたり、誤って腕を壁にぶつけたりして痛みを感じるのは別にいいんです。ですが、なぜか痛みが液状化するんですよ。こんなのっておかしいです」
佐渡倉はチラリと隣で砂嵐を映したテレビを見つめる自分の妹に視線を向けた。佐渡倉には隣の女性が妹だということは告げていた。しかし、佐渡倉が何者かは教えていなかった。教えられるわけがなかった。政府の命令で赤ちゃんを抹殺しているなんて口が裂けても言えなかった。そんなことを記憶喪失の佐渡倉に話したりしたら、妹と同じように、精神に異常をきたすかもしれない。
痛みが液状化するのは自分の身を守ろうとして無意識のうちに能力を発動しているからだろう。でなければ記憶喪失の佐渡倉が能力を使用できるはずがない。能力を持っていることも覚えていないのだから。
「……申し訳ないが、失った記憶はあげられない。ただこれだけは言える。佐渡倉は正常だよ。おかしくなんてない」
「……正常? そんなわけないじゃないですか! あなたは痛みが液状化するんですか!」
佐渡倉は泣きそうな表情で西賀を睨みつける。心の不安を表しているかのように、体が小刻みに震えていた。妹はどこか不思議そうに佐渡倉を見つめていた。
「いや、しないよ」
「……やっぱり私はおかしいんですね」
佐渡倉は遠くを見つめたかと思うと、お見舞い品の側にあった包丁を手に取った。お見舞い品は西賀が持参したものだった。包丁は果物の皮をむくために持ってきていた。
「見せてあげますよ。痛みが液状化するところをね」
佐渡倉はそう言うと、包丁を左腕に突き刺そうとした。だが、その直前で動きが止まった。佐渡倉は驚いたように、目を見開いている。
「どういうこと? なんで右腕が動かないの?」
佐渡倉は怪訝な表情を浮かべながらも、必死で右腕を動かそうとしているようだった。その思いに応えるかのように右腕が動き出し、包丁を元の位置に戻した。佐渡倉の表情からは恐怖の感情が伺えた。
「……何で腕に眼球が?」
佐渡倉の視線は右腕に埋まった複数の眼球に注がれていた。すぐに眼球は消え失せ、安堵したように、佐渡倉は息を吐いた。
佐渡倉の右腕に埋められた眼球は西賀の能力によるものだった。西賀の能力は『寄生する眼球軍団』。複数の眼球を寄生させ、五秒間、体を支配する能力だ。佐渡倉が包丁で突き刺す直前に能力を発動し、眼球を寄生させて動きを止めたのだ。支配という強力な能力のゆえに一日に三回しか使用できない。
西賀は政府に所属しながら、『幼児狩人』としても活動していた。主に『幼児狩人』として活動することが多く、政府の仕事が疎かになり、上司に叱られている。政府に所属する身として西賀は責任を果たす義務があると思っている。それ故に『幼児狩人』の活動を優先しているのだ。
「今のは……私の能力だから怖がらなくていい」
「能……力? あなたは何を言ってるんですか?」
佐渡倉は怪訝な表情を浮かべて西賀を見た。その目には僅かに怯えの色が見て取れた。
「怖がらせるつもりはなかった。本当にすまない」
西賀は佐渡倉を落ち着かせようと肩に触れようとした。その瞬間、携帯端末型のレーダーが反応した。すぐにレーダーを確認し、西賀は驚愕した。五つの反応があった。しかも、この階の廊下に密集している。
西賀が振り向くのと病室の扉が吹き飛ぶのは同時だった。病室に入ってきた五人の赤ちゃんはよく似ていた。見分けがつかないくらいだった。
「な、何なんですか、この赤ちゃんたちは?」
佐渡倉は驚いたように、赤ちゃんたちに視線を向けた。まるで異質な存在でも見るかのような目だった。
「私が赤ちゃんたちを支配するから、その間に妹を連れて逃げろ!」
「え? は、はい!」
佐渡倉は慌ててベッドから起き上がると、妹の元に駆け寄り、体を起こした。それと同時に西賀は能力を発動し、眼球を五人の赤ちゃんに寄生させた。すぐに体を動かし、五人の赤ちゃんを反対側の奥に移動させる。
「今だ、逃げろ!」
「はい!」
佐渡倉が妹を連れて病室を出たのを確認すると、すぐに西賀は出入口の前に立った。五人の赤ちゃんが病室を出ないようにするためだった。扉は病室の中心まで吹き飛ばされている。
すでに五秒は経過しているにも関わらず、五人の赤ちゃんは動こうとしなかった。警戒していると、真ん中の赤ちゃんが大きく口を開けた。驚くべきことに口から六人目の赤ちゃんが這い出てきた。西賀は瞬時に分身を生みだす能力だと推測した。
六人に増えた赤ちゃんが西賀に向かって走り出した。西賀も同じように赤ちゃんに向かって駆けだした。『寄生する眼球軍団』はあと一回しか使えない。確実に倒せると踏んだ時に使うべきだ。
西賀は中央で立ち止まると、床に倒れたままの扉の端を両手で掴み、勢いよく斜め上に引いた。扉の上に乗っていた六人の赤ちゃんはバランスを崩し、派手に転んだ。その隙に能力を発動しようとしたが、五人の赤ちゃんがいきなり消えた。すぐに身構えると、赤ちゃんは口から石礫を放出した。
慌てて横に避けると、石礫は廊下の壁に激突した。赤ちゃんは二つの能力を有する『二重幼児保持者』だった。
「分身に石礫か……厄介だな」
西賀は呟きながら、お見舞い品の側にある包丁をチラリと見た。『寄生する眼球軍団』は支配に特化した能力であり、攻撃力は皆無に等しかった。そのため西賀はいつも赤ちゃんの動きを止めてから、その場にある物を用いて止めを刺している。
赤ちゃんは口から八人の分身を生みだすと、佐渡倉が使用していたベッドを放り投げてきた。避けようとした時、誰かが西賀の前に立った。
「佐渡倉? 何で戻ってきたんだ!」
西賀を守るように立っていたのは妹と一緒に逃げたはずの佐渡倉だった。ベッドは佐渡倉の体に直撃した。その直後、ベッドを石礫が貫通し、佐渡倉の体に激突する。すぐに佐渡倉は痛みを液状化させると、ベッドを蹴り飛ばし、赤ちゃんに向かって放り投げた。能力の使い方を思い出したのではなく、本能に基づいた行動だろう。本人は忘れていても、体には染みついているはずだ。何度も使用しているのだから。
液体は赤ちゃんに直撃し、全身に広がった。赤ちゃんは甲高い悲鳴を上げ、口を開けた。西賀は瞬時に石礫を放つ気だと察知し、眼球を赤ちゃんに寄生させて動きを止めた。佐渡倉が作ってくれた隙を逃すわけにはいかない。
「……ごめんな」
西賀は呟くと、お見舞い品の側の包丁を手に取り、赤ちゃんのお腹を刺した。赤ちゃんは口から血反吐を吐いた。絶命したことを確認すると、政府に電話をかけ、上司に任務完了を告げた。
「……佐渡倉、すべてを話すよ」
西賀は振り返りながら言った。目の前で赤ちゃんを殺した以上、話さないわけにはいかなかった。それにいつかは真実を話さなければいけないと思っていた。ちょうどいい機会かもしれない。
「……ええ、お願いしますね」
「その前に傷の手当てをしよう。先生を呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」
西賀は病室を出ると、階段に向かった。階段を降りながら、佐渡倉だけでなく、他の『幼児狩人』にも話さなければならないと考えていた。
「……気が重いな」
西賀はポツリと呟き、そっとため息をついた。
この空蒼病院は研究所に資産を投資し、研究に協力していたスポンサーだった。その研究には政府も関わっていた。数年前に『幼児保持者』が現れ始めてから、空蒼病院では多くの犠牲者が出ている。それも赤ちゃんによる殺人だ。普通なら営業停止になっている。そうならないのにはある理由があった。
妊婦は陣痛が始まると、この町で唯一の空蒼病院を訪れる。研究所の爆発事故の時、この町に住んでいたなら、『幼児保持者』が生まれる可能性が高い。なるべく病院内で被害を抑えるために、政府の命令で営業停止にしていない。もし営業停止にしたら、妊婦は他の町の病院を訪れることになる。そうなると被害は拡大してしまう。また住民が他の町へ引越しする可能性を考慮し、政府は別の地への引越しを禁じた。もちろん住民は疑問の声を上げて政府を批判したが、無理に押し通した。被害の拡大を防ぐための処置であり、現在ではこの町内にしか引越しできない。
西賀は政府に所属しているため、『幼児保持者』が生まれた経緯についてよく知っていた。研究所に投資していた空蒼病院の病院長や一部の医者も事情を知っている。
「何か欲しいものはあるか?」
西賀はベッドの上で自分の両手を見つめる佐渡倉に話しかけた。佐渡倉は顔を上げ、西賀を見た。その表情からは不安が見て取れた。
「……失った記憶が欲しいです。自分が何者か分からなくて怖いんです。その子に腕を強く握られたり、誤って腕を壁にぶつけたりして痛みを感じるのは別にいいんです。ですが、なぜか痛みが液状化するんですよ。こんなのっておかしいです」
佐渡倉はチラリと隣で砂嵐を映したテレビを見つめる自分の妹に視線を向けた。佐渡倉には隣の女性が妹だということは告げていた。しかし、佐渡倉が何者かは教えていなかった。教えられるわけがなかった。政府の命令で赤ちゃんを抹殺しているなんて口が裂けても言えなかった。そんなことを記憶喪失の佐渡倉に話したりしたら、妹と同じように、精神に異常をきたすかもしれない。
痛みが液状化するのは自分の身を守ろうとして無意識のうちに能力を発動しているからだろう。でなければ記憶喪失の佐渡倉が能力を使用できるはずがない。能力を持っていることも覚えていないのだから。
「……申し訳ないが、失った記憶はあげられない。ただこれだけは言える。佐渡倉は正常だよ。おかしくなんてない」
「……正常? そんなわけないじゃないですか! あなたは痛みが液状化するんですか!」
佐渡倉は泣きそうな表情で西賀を睨みつける。心の不安を表しているかのように、体が小刻みに震えていた。妹はどこか不思議そうに佐渡倉を見つめていた。
「いや、しないよ」
「……やっぱり私はおかしいんですね」
佐渡倉は遠くを見つめたかと思うと、お見舞い品の側にあった包丁を手に取った。お見舞い品は西賀が持参したものだった。包丁は果物の皮をむくために持ってきていた。
「見せてあげますよ。痛みが液状化するところをね」
佐渡倉はそう言うと、包丁を左腕に突き刺そうとした。だが、その直前で動きが止まった。佐渡倉は驚いたように、目を見開いている。
「どういうこと? なんで右腕が動かないの?」
佐渡倉は怪訝な表情を浮かべながらも、必死で右腕を動かそうとしているようだった。その思いに応えるかのように右腕が動き出し、包丁を元の位置に戻した。佐渡倉の表情からは恐怖の感情が伺えた。
「……何で腕に眼球が?」
佐渡倉の視線は右腕に埋まった複数の眼球に注がれていた。すぐに眼球は消え失せ、安堵したように、佐渡倉は息を吐いた。
佐渡倉の右腕に埋められた眼球は西賀の能力によるものだった。西賀の能力は『寄生する眼球軍団』。複数の眼球を寄生させ、五秒間、体を支配する能力だ。佐渡倉が包丁で突き刺す直前に能力を発動し、眼球を寄生させて動きを止めたのだ。支配という強力な能力のゆえに一日に三回しか使用できない。
西賀は政府に所属しながら、『幼児狩人』としても活動していた。主に『幼児狩人』として活動することが多く、政府の仕事が疎かになり、上司に叱られている。政府に所属する身として西賀は責任を果たす義務があると思っている。それ故に『幼児狩人』の活動を優先しているのだ。
「今のは……私の能力だから怖がらなくていい」
「能……力? あなたは何を言ってるんですか?」
佐渡倉は怪訝な表情を浮かべて西賀を見た。その目には僅かに怯えの色が見て取れた。
「怖がらせるつもりはなかった。本当にすまない」
西賀は佐渡倉を落ち着かせようと肩に触れようとした。その瞬間、携帯端末型のレーダーが反応した。すぐにレーダーを確認し、西賀は驚愕した。五つの反応があった。しかも、この階の廊下に密集している。
西賀が振り向くのと病室の扉が吹き飛ぶのは同時だった。病室に入ってきた五人の赤ちゃんはよく似ていた。見分けがつかないくらいだった。
「な、何なんですか、この赤ちゃんたちは?」
佐渡倉は驚いたように、赤ちゃんたちに視線を向けた。まるで異質な存在でも見るかのような目だった。
「私が赤ちゃんたちを支配するから、その間に妹を連れて逃げろ!」
「え? は、はい!」
佐渡倉は慌ててベッドから起き上がると、妹の元に駆け寄り、体を起こした。それと同時に西賀は能力を発動し、眼球を五人の赤ちゃんに寄生させた。すぐに体を動かし、五人の赤ちゃんを反対側の奥に移動させる。
「今だ、逃げろ!」
「はい!」
佐渡倉が妹を連れて病室を出たのを確認すると、すぐに西賀は出入口の前に立った。五人の赤ちゃんが病室を出ないようにするためだった。扉は病室の中心まで吹き飛ばされている。
すでに五秒は経過しているにも関わらず、五人の赤ちゃんは動こうとしなかった。警戒していると、真ん中の赤ちゃんが大きく口を開けた。驚くべきことに口から六人目の赤ちゃんが這い出てきた。西賀は瞬時に分身を生みだす能力だと推測した。
六人に増えた赤ちゃんが西賀に向かって走り出した。西賀も同じように赤ちゃんに向かって駆けだした。『寄生する眼球軍団』はあと一回しか使えない。確実に倒せると踏んだ時に使うべきだ。
西賀は中央で立ち止まると、床に倒れたままの扉の端を両手で掴み、勢いよく斜め上に引いた。扉の上に乗っていた六人の赤ちゃんはバランスを崩し、派手に転んだ。その隙に能力を発動しようとしたが、五人の赤ちゃんがいきなり消えた。すぐに身構えると、赤ちゃんは口から石礫を放出した。
慌てて横に避けると、石礫は廊下の壁に激突した。赤ちゃんは二つの能力を有する『二重幼児保持者』だった。
「分身に石礫か……厄介だな」
西賀は呟きながら、お見舞い品の側にある包丁をチラリと見た。『寄生する眼球軍団』は支配に特化した能力であり、攻撃力は皆無に等しかった。そのため西賀はいつも赤ちゃんの動きを止めてから、その場にある物を用いて止めを刺している。
赤ちゃんは口から八人の分身を生みだすと、佐渡倉が使用していたベッドを放り投げてきた。避けようとした時、誰かが西賀の前に立った。
「佐渡倉? 何で戻ってきたんだ!」
西賀を守るように立っていたのは妹と一緒に逃げたはずの佐渡倉だった。ベッドは佐渡倉の体に直撃した。その直後、ベッドを石礫が貫通し、佐渡倉の体に激突する。すぐに佐渡倉は痛みを液状化させると、ベッドを蹴り飛ばし、赤ちゃんに向かって放り投げた。能力の使い方を思い出したのではなく、本能に基づいた行動だろう。本人は忘れていても、体には染みついているはずだ。何度も使用しているのだから。
液体は赤ちゃんに直撃し、全身に広がった。赤ちゃんは甲高い悲鳴を上げ、口を開けた。西賀は瞬時に石礫を放つ気だと察知し、眼球を赤ちゃんに寄生させて動きを止めた。佐渡倉が作ってくれた隙を逃すわけにはいかない。
「……ごめんな」
西賀は呟くと、お見舞い品の側の包丁を手に取り、赤ちゃんのお腹を刺した。赤ちゃんは口から血反吐を吐いた。絶命したことを確認すると、政府に電話をかけ、上司に任務完了を告げた。
「……佐渡倉、すべてを話すよ」
西賀は振り返りながら言った。目の前で赤ちゃんを殺した以上、話さないわけにはいかなかった。それにいつかは真実を話さなければいけないと思っていた。ちょうどいい機会かもしれない。
「……ええ、お願いしますね」
「その前に傷の手当てをしよう。先生を呼んでくるから、ちょっと待っててくれ」
西賀は病室を出ると、階段に向かった。階段を降りながら、佐渡倉だけでなく、他の『幼児狩人』にも話さなければならないと考えていた。
「……気が重いな」
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