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RESTART──先輩と後輩──

崩壊(その二十二)

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「ラグナ!待って!ねえ、ラグナッ!!」

 少し出遅れたはしたが、メルネがラグナに追いつくことは容易であった。

 既に引退した身とはいえ、元は《S》冒険者ランカー────その中でも番付表ランキング最上位六人である『六険』の一人に数えられていた彼女の身体能力は未だ衰えてはいないのである。

 対して今のラグナの身体能力、そして運動神経はお世辞にも優れているとは言えず、実にお粗末なものであることは周知の事実。その上、ラグナはここに辿り着くまでに、元々あってないまでに少ない体力を限界以上に費やしたのだ。

 故に例えるなら、これは亀と兎の競争。加えて兎には油断も慢心が微塵もまるでない。一体どちらが勝つのか、その結果は見るまでもなく明らかである。

 目と鼻の先にある小さな背中は、未だに懸命にも離れようとしている。しかし、メルネがその気になればいつでも詰められる程、二人の距離は狭まっていた。

 必死に、切実にメルネはラグナのことを呼びかける。だが、彼女の呼びかけに対してラグナは応えようとしない。応える素振りをまるで見せてくれない。

 ──……もうっ!

 そんな意固地なラグナの態度に、メルネは遂に業を煮やし。直後、辛うじて開いていたラグナとの距離を瞬く間に詰め切り、そして腕を伸ばし。彼女はラグナの手を掴んだ。

「ラグナ!」

 メルネに手を掴まれては、ラグナも流石に止まらざるを得なかったのだろう。その場に留まったラグナの手を、出来るだけ優しく包み込むように握り締めながら。メルネは諭すようにラグナに言葉をかける。

「大丈夫。大丈夫よ。だから逃げようとしないで?一旦、とりあえず、今は落ち着きましょう?ね?」

 我ながら、聞いていて滑稽だった。怒りすら込み上げてくる。

 全くと言っていい程に中身が伴わない、何もかもが空虚で役立たずな言葉────もはや、こんな言葉しか今のメルネは言えなかったのである。

「……」

 ラグナは黙っていた。黙ったまま、メルネの方に振り返ることもしない。そのやたら不穏な様子に、不安を煽られ焦燥に駆られたメルネが、慌てて呼びかける。

「ラグナ?どうしたの……?」

 メルネが訊ねて、数秒後。ようやっと、ラグナがその口を開かせた。

「……てた」

 だが、その声はか細く小さく。全てを漏らさず聞き取るには些か苦労を要するもので。そして今どうしようもない危機感に迫られているメルネでは、とてもではないが聞き取れる筈もなかった。

「え……?」

 困ったような声を漏らすメルネ。そんな彼女に対し、ラグナが再度呟いた。

「違うって思ってた」

 ……流石に、今度ばかりははっきりと。一言一句間違いなく、メルネは聞き取った。ラグナの、怒りと悲しみと、そして淋しさ。それら全てがぐちゃぐちゃの滅茶苦茶に、ごちゃ混ぜにされたような。

 そんな、言葉では言い表せないような声音の、言葉を。

「ち、違う?ちょ、ちょっと待ってラグナ。一体何が────

 予想だにしていなかったその言葉に、容易く困惑と混乱の渦中に突き落とされたメルネ。彼女はその言葉の意味を、真意を訊ねようと。依然情けなく震えて揺れる声で、ラグナに訊こうとしたが。

 ────」

 が、その途中で。まるでメルネの言葉を遮るかのように。突然、今の今までこちらに背を向けていたラグナが、振り向いた。

 その時メルネが目の当たりにしたものは────正しく、絶望そのものだった。

 止め処なく溢れて零れて落ちる、透き通って輝く涙。悲哀と憎悪に塗れた表情。

 そしてこちらを射殺さんばかりに鋭く、尖り切った眼差しを宿すその瞳は、仄昏ほのぐらく淀んで、穢れたように濁ってしまっていた。

 メルネは絶句する。言葉を失ってしまう。当然だろう。当たり前だろう。

 何故ならば、それはもうメルネの知るものではなかった。見たことがないものだった。

『嫌だ、やだ……置いてくな、捨てんなぁ……クラハ、クラハぁぁぁ……っ!』

 あの時とは比べ物にならない。否、比べること自体が烏滸がましく、そしてお門違いで、甚だしい。

 そもそも、あの時の場合は錯乱に近く、気の動転のようなものだ。その証拠に少しすればラグナは落ち着き、どうにか収まることができていた。

 ……だが、これは違う。間違いなく、違う。全身を衝撃に打たれながら、メルネはそう思う。思わざるを得ない。

 まさか、まさかラグナが。あの天真爛漫で、燦々と他を照らす太陽の如きラグナが、こんな。ここまで、これ程までに。筆舌に尽くし難い、壮絶な泣き顔を、するなんて。

 メルネは知らなかった。見たことがなかった────そして知りたくも、見たくもなかった。

 大事で大切だった彼女の中の何かが、儚い破砕音を響かせると同時に。派手に崩れ落ちて、周囲に散らばって、消えて、失われていく。

 手遅れ。もはや手の施しようがないまでの、圧倒的で致命的な手遅れ。それを無理矢理に、否が応にもメルネは理解させられる。確と理解し、受け止めること。彼女はそれを強いられる。

 ──ラグ、ナ……。





 ラグナが泣いたという現実。ラグナが傷ついたという事実────否、泣かせた最悪の現実と、傷つけた最低の事実。その二つを。





 ──……あ、あぁ、ぁぁぁ……っ!

 無駄になった。無駄だった。今までの行い、その全てが。この瞬間に徒労に終わり、水泡に帰したことを、メルネが悟る。悟った彼女は、胸の奥を掻き毟るような、声にならない絶叫を。弱々しく、惨めったらしく、心の中で漏らす。

 そして思い知った──────────結局メルネ=クリスタという女は。優しくもないただ甘いだけの偽善者で、事なかれ主義を貫かんとした傍観者だったのだと。

 自分が塵芥ゴミクズのような人間の一人であることを再認識し、再自認しているメルネを他所に。ラグナがぽつりと漏らす。

「クラハは……クラハは、違うんだって、俺は……っ」

 ラグナの声音は酷く悲しそうで、淋しそうで────そして柔らかな優しさが滲んでいて。その言葉を、もっと言えばその名前を耳にした瞬間。

 スゥッ、と。メルネの頭の奥が、冷えた。

 ──………………は……………?

 理解、できなかった。どうしてそんな声色で、どうしてそんな風に。その名を口にできるのか。

 ついさっき。今し方、あんな風に。冷酷に残酷に、放り捨てられたというのに。なのに、一体どうして。どうしてそんな、全てを赦すような、甘く蕩けるような、追い縋るような。そんな声音で、クラハの名前を口にできるのか。

 普通ならば、声を荒げるべきだろう。ここは怒りを剥き出しに、喉を潰さんばかりに叫び、クラハを責め立てる場面だろう。

 だというのに、何故────呆然自失とするメルネの頭の中で、そのような疑問が次から次に沸いてくる。

 どうして?どうして、どうして?どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして───────────

「…………ねえ、ラグナ」

 メルネは理解に苦しんだ。メルネは理解できなかった。メルネは理解したくなかった。

 処理し切れないその疑問が、あっという間に彼女の頭の中に蔓延して、埋め尽くしていって。





「もう、忘れましょう?」





 そして気がついた時には、もう。既に、メルネはラグナにそう言っていた。
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