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199、閑話ー業風ー
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(こういった事は、ここ最近は無かったんだけどねぇ……)
深刻な顔をしてこの国の宰相、アレクシス・テーム・ハーヴィストは頭を掻く。
特にこの国に隣国の姫、レイティア・エレオノーラ・アールテンがやって来てからは、自らの主は機嫌良く自分の務めを果たしていた。
宰相は自身の上官にあたる、軍師の執務室にやって来た。
「や。閣下はいる?」
気安い笑顔を衛士に向けて手を上げた。
「は、ハーヴィスト閣下。御在室中です」
「そうか、ご苦労さん」
無許可での入室を認められているので、ノックだけして入室した。
書類を手にそれを睨み付けている軍師は宰相が入室しても視線をやらずに言葉を投げた。
「どうした?」
「は、それがですね……。陛下のその……、例の『御病気』が再発されまして……」
その言葉に反応したのか、軍師は書類を置いて宰相の方を見た。
「この所、その様な事はなかっただろう?」
「ええ、なかったんですけどね……。一応、侍女や近衛達には部屋には近づくなと命じました。そもそも御本人が誰も近づくなと仰ったようですけどね」
軍師は机に両肘をついて指を組んだ。
「そうか……。一片の理性はまだ保っていらしたか」
「それ以降は引き篭もっておられるので、どんな様子かはわからないのですけど、ま、況んやってとこでしょう」
軍師は深いため息を吐く。
「陛下の癇癪にも困ったものだ……」
そう言った所でノックが鳴った。
「なんだ?」
衛士が扉の向こうから返事をする。
「マグダラス王女殿下がお見えです」
「お通ししろ」
扉が開かれて、レイティアが通された。
「どうされました? 姫」
軍師は指を組んだ姿勢のまま、レイティアに笑いかけた。
「あの、こちらに宰相様がいらっしゃるとお聞きして……。私、陛下とお会いしたいのですけれど、陛下にお会い出来ないって、侍女長のフローラさんが仰って……。もしかして、どこかお加減が悪いのですか?」
レイティアは眉を寄せて、深刻そうに軍師に訊ねた。
「……まあ、悪いと言えば、悪いでしょう……けど……」
宰相がレイティアと目を合わせずに呟くように言った。
「やっぱりお悪いのですか? では誰かが付いていなくては。是非私にそのお役目を与えて下さいませんか?」
「しかし陛下のご命令で誰も近づくなとの仰せですので」
軍師はいつもの何を考えているのかわからない薄い笑いを浮かべる。
「具合が優れないのに、皆を慮っておいでなのではないのでしょうか……? 陛下は優しい方ですから」
軍師の後ろの席に控える補佐役と書記官は、機密の書類をさり気なく仕舞いながら、レイティアのその言葉に内心は感嘆に埋まった。
「……姫、実はですね……」
軍師はそのまま姿勢を崩す事無く話始める。
軍師が言うベネディクト王のこの病気というのは恐ろしく精神状態が不安定になる日が年に何度かある、この状態の事を言っている。
軍師の推測だが、元々ベネディクト王は感情に乏しい。
本人の申告によれば初陣の際、初めて人を斬った時ですら、何の感情も動かなかったという。
だが、実際にはその感情は整理しきれずに、本人の精神を蝕んでいるのかもしれないと分析している。
「……それは、本当に苦しんでおられるのでしょうね……」
レイティアは悲し気に目を伏せて俯いた。
「そういう訳ですので、陛下がお鎮まりになられるまでは、姫様もどうぞ……」
「私、陛下の元に行きますね」
宰相の言葉の途中で、レイティアは思い立ったように言い、踵を返した。
「お待ちください! 姫様!」
その言葉に焦った宰相はレイティアの肩を掴んで、向き直らせた。
「今の陛下にははっきり言ってお言葉は届かないと思います! どうぞ今はご自重下さい!」
「? どうしてですか?」
「どうしてって……、我々も何度かあの様になられた陛下とは対峙してきましたが、とてもではないですがまともに話を聞き入れて下さる状況ではありません!」
「でも、陛下は優しい方ですもの。何も怖い事はありませんよ?」
レイティアは本当に何が怖いのかわからない様子でキョトンと宰相を見た。
「……そりゃ、まともな精神状態であれば陛下は姫様にはお優しいでしょう。しかし今回ばかりは状況が違います。陛下は今まともな判断が下せる時ではないのです!」
宰相は必死でレイティアに思いとどまる様に言い募る。
しかしやはりレイティアには宰相の思う危機感は想像出来ない様で困り顔をしている。
「姫、どうか陛下の元へ向かって頂けますか?」
そのやり取りを今まで黙して聞いていた軍師が立ち上がり、レイティアに頭を下げた。
レイティアはその軍師の様子に焦った。
「ああ、軍師様、どうか頭を下げるなんてやめて下さい! 私が自ら進んで陛下の元へ行きたいと願い出たのですから。そもそも王命を無視して部屋に入るのは私なのですから!」
「閣下! 何を仰るんですか!」
宰相は軍師を振り返って諫めた。
「姫、今宰相が申し上げた事は誇張でも何でもありません。今の陛下には言葉が届きません。それは姫の身も危険に晒される可能性があるという事です」
軍師は宰相の諫めた言葉も無視して、レイティアに問いかけた。
レイティアはいつもの柔和な笑顔で問いに答える。
「そもそも、私は陛下の物ですから。陛下の扱いたい様に扱って頂いて構わないのですよ?」
「……それは、正式なお輿入れの済んだ後の話でしょう?」
宰相が押し殺したような声で言った。
「いいえ? 私はグリムヒルトの軍船に乗ったその時から、陛下の物です。少なくとも私はそう思ってここにいます」
やはりレイティアはいつもと変わらない笑顔を宰相に向けた。
「あのですね? 命に背いたのは私だけという事にしましょうね? きっとお叱りを受ける事になると思いますので、その時はそういう風に言って下さいね?」
宰相のレイティアの肩に乗った手に少しだけ力が篭められる。
「……何も姫様がそこまで背負う事はないでしょう?」
「だって、私のわがままですから。皆さんにご迷惑おかけする訳にはいきません」
レイティアがそう言って微笑むと宰相の手がレイティアの肩から離れた。
「では、私は陛下の元へ参ります」
レイティアは軽く頭を下げると軍師の部屋を出た。
そしてベネディクト王が引き篭もる王の間へと急ぐ。
王の間から少し離れた所に王直属の近衛がいる。
その近衛に軍師からの許可を得ている事を伝え、廊下を通して貰う。
そして王の間の前に着いたレイティアは、その扉をそっと開けた。
カーテンは閉め切られ、いつも美しく整えられている王の間は惨憺たる状態で、調度品は無残になぎ倒されて、家具は引き倒されている。
王の間の寝室まで進んでいくと、ボロボロになった天蓋の下にあるベッドに座っているベネディクト王がいた。
レイティアは黙してベネディクト王をじっと見つめる。
ベネディクト王はゆっくりと仄暗い瞳をレイティアの方へ向けた。
「…………誰の許しを得てこの部屋に入った?」
今までに聞いた事のない低く暗い声音をベネディクト王は発した。
レイティアはやはり黙してただベネディクト王を見つめている。
「…………煩わしい…………」
ぼそりと呟いたベネディクト王は腕を振り上げてベッドの脇にあったサイドテーブルの上の水差しを払い落とした。
水差しの割れる大きな音が部屋に響く。
それでもレイティアはベネディクト王から目を離そうとはしない。
ベネディクト王はレイティアの腕を掴み、ベッドに引き倒した。
押し倒されたレイティアの長い髪がベッドの上に広がり仰向けになった。その細い身体の上にベネディクト王は自身の身体を乗せる。
そしてレイティアの顎を掴み親指でくいと引き上げる。
そんな状態になってもレイティアはやはり何も言わずに、ただただベネディクト王を見つめていた。
その瞳には恐れも何もなく、いつもの清廉な瞳が真っすぐにベネディクト王の瞳を見つめ返す。
「…………姫は口も聞けんようになったか? このまま手籠めにしてやっても良いのだぞ?」
それでもレイティアは何も言わない。
その黙して何も話さないレイティアにベネディクト王は怒りを覚える。
激昂して大声を上げた。
「誰がここに入って良いと許可したっ!! 言い訳位して見せろっ!!」
レイティアは右手を差し伸べ、ベネディクト王の頬にそっと触れた。
「アナバス様のお傍にいたかったのです。今日だけは、絶対に」
「それ相応の覚悟は出来ておるのかっ?! いつもの様に許すと思ったかっ?!」
「私はアナバス様の物です。どうぞ、ご随意に」
レイティアの落ち着いた静かな声がベネディクト王の耳を撫でる様に妙に響いた。
レイティアは頬に触れていた手を降ろして、瞳を閉じた。
ベネディクト王はそんなレイティアの両手首を掴んで、その胸に頬を乗せた。
レイティアはそんなベネディクト王に呟くように言った。
「……こんな所で独りぼっちにならないで下さい……」
レイティアを拘束する手首の戒めが緩む。
ベネディクト王の仄暗い瞳にほんの少し光が灯る。
「アナバス様が嫌だと仰っても、私は絶対に今夜は一緒に過ごしたいんです」
緩んだ戒めをすり抜けて、レイティアの右手はベネディクト王の銀色の乱れ解けた長い髪を撫でる。
その優しい手つきに、ベネディクト王は目を見開く。
「……独りぼっちは、ダメなんです……」
「……儂は今まで独りで突然時化の様に吹き出すこの感情に耐えて来た……」
「では今日からは私もご一緒致します」
「……姫は儂が怖くはないのか……?」
「アナバナ様が怖いなんて事、あるはずがありません。アナバス様はいつだってとても優しい方です。怖かった事なんて、一度だってないです」
ベネディクト王は毒気が抜かれた様にそのままレイティアの胸の上に頭を乗せて、瞳を閉じた。
そんなベネディクト王をしばらく眺めていたレイティアは小さくその尊名を呼んだ。
「……陛下?」
「なんだ」
レイティアは自分の胸の上に乗ったベネディクト王の顔を覗き込む。
「王命に背いて王の間に入ってしまいました。ごめんなさい……」
「……そうか、ならば罰しなければいかんな……」
「はい、どんな罰でもお受け致します」
「ならば、今夜は眠らず儂に付き合え。こんな風に感情が暴れる日は一睡も出来ん」
「陛下の御心のままに」
レイティアはそのまま天蓋のかかるベッドの真上を仰ぐ。
そしてベネディクト王の髪を両の手で優しく撫でる。
「……こんな風になる時は、感情が逆巻いて敵わん……。思い出したくもない事ばかりが頭の中を駆け巡る」
レイティアの胸の上で瞳を閉じたベネディクト王はポソリと呟く。
レイティアはそれには何も答えずに、黙ってその髪を撫で続けた。
ボロボロになった天蓋の隙間からやはりボロボロに破けてしまったカーテンがかかった窓が見える。
窓の向こうには沈んだ太陽の残滓をわずかに湛えた薄紫色の空が見えた。
灯りのないこの部屋はもう闇に満ちている。
闇の中で、ベネディクト王はレイティアの胸の上でその鼓動を感じた。
その鼓動のリズムは心地よく、髪を撫でる手の平は安らぎを与え、ベネディクト王の逆巻く心の襞を慰める。
レイティアはベネディクト王の髪を撫でながら窓の向こうに目をやった。
もう空は太陽の残滓すら残しておらず逢魔が時も過ぎ、代わりに黄色い満月が煌々と照らし出され雲の複雑な曲線を映し出している。
それをぼんやりと眺めながら、レイティアはベネディクト王の髪を撫で続けた。
ベネディクト王は痛みに耐える様にレイティアの胸に顔を埋める。
レイティアの鼓動は、押し寄せる感情と不快な記憶の残像を徐々に打ち消していく。
そうして黙ってただ二人、長い時間過ごす。
業風の吹き荒れるベネディクト王の心にレイティアはただ満月の光を見つめながら、寄り添い続けた。
朝を迎える頃には二人はいつもの様に抱き合いながら眠りについて、逆巻く業風はベネディクト王の心から消え去っていた。
深刻な顔をしてこの国の宰相、アレクシス・テーム・ハーヴィストは頭を掻く。
特にこの国に隣国の姫、レイティア・エレオノーラ・アールテンがやって来てからは、自らの主は機嫌良く自分の務めを果たしていた。
宰相は自身の上官にあたる、軍師の執務室にやって来た。
「や。閣下はいる?」
気安い笑顔を衛士に向けて手を上げた。
「は、ハーヴィスト閣下。御在室中です」
「そうか、ご苦労さん」
無許可での入室を認められているので、ノックだけして入室した。
書類を手にそれを睨み付けている軍師は宰相が入室しても視線をやらずに言葉を投げた。
「どうした?」
「は、それがですね……。陛下のその……、例の『御病気』が再発されまして……」
その言葉に反応したのか、軍師は書類を置いて宰相の方を見た。
「この所、その様な事はなかっただろう?」
「ええ、なかったんですけどね……。一応、侍女や近衛達には部屋には近づくなと命じました。そもそも御本人が誰も近づくなと仰ったようですけどね」
軍師は机に両肘をついて指を組んだ。
「そうか……。一片の理性はまだ保っていらしたか」
「それ以降は引き篭もっておられるので、どんな様子かはわからないのですけど、ま、況んやってとこでしょう」
軍師は深いため息を吐く。
「陛下の癇癪にも困ったものだ……」
そう言った所でノックが鳴った。
「なんだ?」
衛士が扉の向こうから返事をする。
「マグダラス王女殿下がお見えです」
「お通ししろ」
扉が開かれて、レイティアが通された。
「どうされました? 姫」
軍師は指を組んだ姿勢のまま、レイティアに笑いかけた。
「あの、こちらに宰相様がいらっしゃるとお聞きして……。私、陛下とお会いしたいのですけれど、陛下にお会い出来ないって、侍女長のフローラさんが仰って……。もしかして、どこかお加減が悪いのですか?」
レイティアは眉を寄せて、深刻そうに軍師に訊ねた。
「……まあ、悪いと言えば、悪いでしょう……けど……」
宰相がレイティアと目を合わせずに呟くように言った。
「やっぱりお悪いのですか? では誰かが付いていなくては。是非私にそのお役目を与えて下さいませんか?」
「しかし陛下のご命令で誰も近づくなとの仰せですので」
軍師はいつもの何を考えているのかわからない薄い笑いを浮かべる。
「具合が優れないのに、皆を慮っておいでなのではないのでしょうか……? 陛下は優しい方ですから」
軍師の後ろの席に控える補佐役と書記官は、機密の書類をさり気なく仕舞いながら、レイティアのその言葉に内心は感嘆に埋まった。
「……姫、実はですね……」
軍師はそのまま姿勢を崩す事無く話始める。
軍師が言うベネディクト王のこの病気というのは恐ろしく精神状態が不安定になる日が年に何度かある、この状態の事を言っている。
軍師の推測だが、元々ベネディクト王は感情に乏しい。
本人の申告によれば初陣の際、初めて人を斬った時ですら、何の感情も動かなかったという。
だが、実際にはその感情は整理しきれずに、本人の精神を蝕んでいるのかもしれないと分析している。
「……それは、本当に苦しんでおられるのでしょうね……」
レイティアは悲し気に目を伏せて俯いた。
「そういう訳ですので、陛下がお鎮まりになられるまでは、姫様もどうぞ……」
「私、陛下の元に行きますね」
宰相の言葉の途中で、レイティアは思い立ったように言い、踵を返した。
「お待ちください! 姫様!」
その言葉に焦った宰相はレイティアの肩を掴んで、向き直らせた。
「今の陛下にははっきり言ってお言葉は届かないと思います! どうぞ今はご自重下さい!」
「? どうしてですか?」
「どうしてって……、我々も何度かあの様になられた陛下とは対峙してきましたが、とてもではないですがまともに話を聞き入れて下さる状況ではありません!」
「でも、陛下は優しい方ですもの。何も怖い事はありませんよ?」
レイティアは本当に何が怖いのかわからない様子でキョトンと宰相を見た。
「……そりゃ、まともな精神状態であれば陛下は姫様にはお優しいでしょう。しかし今回ばかりは状況が違います。陛下は今まともな判断が下せる時ではないのです!」
宰相は必死でレイティアに思いとどまる様に言い募る。
しかしやはりレイティアには宰相の思う危機感は想像出来ない様で困り顔をしている。
「姫、どうか陛下の元へ向かって頂けますか?」
そのやり取りを今まで黙して聞いていた軍師が立ち上がり、レイティアに頭を下げた。
レイティアはその軍師の様子に焦った。
「ああ、軍師様、どうか頭を下げるなんてやめて下さい! 私が自ら進んで陛下の元へ行きたいと願い出たのですから。そもそも王命を無視して部屋に入るのは私なのですから!」
「閣下! 何を仰るんですか!」
宰相は軍師を振り返って諫めた。
「姫、今宰相が申し上げた事は誇張でも何でもありません。今の陛下には言葉が届きません。それは姫の身も危険に晒される可能性があるという事です」
軍師は宰相の諫めた言葉も無視して、レイティアに問いかけた。
レイティアはいつもの柔和な笑顔で問いに答える。
「そもそも、私は陛下の物ですから。陛下の扱いたい様に扱って頂いて構わないのですよ?」
「……それは、正式なお輿入れの済んだ後の話でしょう?」
宰相が押し殺したような声で言った。
「いいえ? 私はグリムヒルトの軍船に乗ったその時から、陛下の物です。少なくとも私はそう思ってここにいます」
やはりレイティアはいつもと変わらない笑顔を宰相に向けた。
「あのですね? 命に背いたのは私だけという事にしましょうね? きっとお叱りを受ける事になると思いますので、その時はそういう風に言って下さいね?」
宰相のレイティアの肩に乗った手に少しだけ力が篭められる。
「……何も姫様がそこまで背負う事はないでしょう?」
「だって、私のわがままですから。皆さんにご迷惑おかけする訳にはいきません」
レイティアがそう言って微笑むと宰相の手がレイティアの肩から離れた。
「では、私は陛下の元へ参ります」
レイティアは軽く頭を下げると軍師の部屋を出た。
そしてベネディクト王が引き篭もる王の間へと急ぐ。
王の間から少し離れた所に王直属の近衛がいる。
その近衛に軍師からの許可を得ている事を伝え、廊下を通して貰う。
そして王の間の前に着いたレイティアは、その扉をそっと開けた。
カーテンは閉め切られ、いつも美しく整えられている王の間は惨憺たる状態で、調度品は無残になぎ倒されて、家具は引き倒されている。
王の間の寝室まで進んでいくと、ボロボロになった天蓋の下にあるベッドに座っているベネディクト王がいた。
レイティアは黙してベネディクト王をじっと見つめる。
ベネディクト王はゆっくりと仄暗い瞳をレイティアの方へ向けた。
「…………誰の許しを得てこの部屋に入った?」
今までに聞いた事のない低く暗い声音をベネディクト王は発した。
レイティアはやはり黙してただベネディクト王を見つめている。
「…………煩わしい…………」
ぼそりと呟いたベネディクト王は腕を振り上げてベッドの脇にあったサイドテーブルの上の水差しを払い落とした。
水差しの割れる大きな音が部屋に響く。
それでもレイティアはベネディクト王から目を離そうとはしない。
ベネディクト王はレイティアの腕を掴み、ベッドに引き倒した。
押し倒されたレイティアの長い髪がベッドの上に広がり仰向けになった。その細い身体の上にベネディクト王は自身の身体を乗せる。
そしてレイティアの顎を掴み親指でくいと引き上げる。
そんな状態になってもレイティアはやはり何も言わずに、ただただベネディクト王を見つめていた。
その瞳には恐れも何もなく、いつもの清廉な瞳が真っすぐにベネディクト王の瞳を見つめ返す。
「…………姫は口も聞けんようになったか? このまま手籠めにしてやっても良いのだぞ?」
それでもレイティアは何も言わない。
その黙して何も話さないレイティアにベネディクト王は怒りを覚える。
激昂して大声を上げた。
「誰がここに入って良いと許可したっ!! 言い訳位して見せろっ!!」
レイティアは右手を差し伸べ、ベネディクト王の頬にそっと触れた。
「アナバス様のお傍にいたかったのです。今日だけは、絶対に」
「それ相応の覚悟は出来ておるのかっ?! いつもの様に許すと思ったかっ?!」
「私はアナバス様の物です。どうぞ、ご随意に」
レイティアの落ち着いた静かな声がベネディクト王の耳を撫でる様に妙に響いた。
レイティアは頬に触れていた手を降ろして、瞳を閉じた。
ベネディクト王はそんなレイティアの両手首を掴んで、その胸に頬を乗せた。
レイティアはそんなベネディクト王に呟くように言った。
「……こんな所で独りぼっちにならないで下さい……」
レイティアを拘束する手首の戒めが緩む。
ベネディクト王の仄暗い瞳にほんの少し光が灯る。
「アナバス様が嫌だと仰っても、私は絶対に今夜は一緒に過ごしたいんです」
緩んだ戒めをすり抜けて、レイティアの右手はベネディクト王の銀色の乱れ解けた長い髪を撫でる。
その優しい手つきに、ベネディクト王は目を見開く。
「……独りぼっちは、ダメなんです……」
「……儂は今まで独りで突然時化の様に吹き出すこの感情に耐えて来た……」
「では今日からは私もご一緒致します」
「……姫は儂が怖くはないのか……?」
「アナバナ様が怖いなんて事、あるはずがありません。アナバス様はいつだってとても優しい方です。怖かった事なんて、一度だってないです」
ベネディクト王は毒気が抜かれた様にそのままレイティアの胸の上に頭を乗せて、瞳を閉じた。
そんなベネディクト王をしばらく眺めていたレイティアは小さくその尊名を呼んだ。
「……陛下?」
「なんだ」
レイティアは自分の胸の上に乗ったベネディクト王の顔を覗き込む。
「王命に背いて王の間に入ってしまいました。ごめんなさい……」
「……そうか、ならば罰しなければいかんな……」
「はい、どんな罰でもお受け致します」
「ならば、今夜は眠らず儂に付き合え。こんな風に感情が暴れる日は一睡も出来ん」
「陛下の御心のままに」
レイティアはそのまま天蓋のかかるベッドの真上を仰ぐ。
そしてベネディクト王の髪を両の手で優しく撫でる。
「……こんな風になる時は、感情が逆巻いて敵わん……。思い出したくもない事ばかりが頭の中を駆け巡る」
レイティアの胸の上で瞳を閉じたベネディクト王はポソリと呟く。
レイティアはそれには何も答えずに、黙ってその髪を撫で続けた。
ボロボロになった天蓋の隙間からやはりボロボロに破けてしまったカーテンがかかった窓が見える。
窓の向こうには沈んだ太陽の残滓をわずかに湛えた薄紫色の空が見えた。
灯りのないこの部屋はもう闇に満ちている。
闇の中で、ベネディクト王はレイティアの胸の上でその鼓動を感じた。
その鼓動のリズムは心地よく、髪を撫でる手の平は安らぎを与え、ベネディクト王の逆巻く心の襞を慰める。
レイティアはベネディクト王の髪を撫でながら窓の向こうに目をやった。
もう空は太陽の残滓すら残しておらず逢魔が時も過ぎ、代わりに黄色い満月が煌々と照らし出され雲の複雑な曲線を映し出している。
それをぼんやりと眺めながら、レイティアはベネディクト王の髪を撫で続けた。
ベネディクト王は痛みに耐える様にレイティアの胸に顔を埋める。
レイティアの鼓動は、押し寄せる感情と不快な記憶の残像を徐々に打ち消していく。
そうして黙ってただ二人、長い時間過ごす。
業風の吹き荒れるベネディクト王の心にレイティアはただ満月の光を見つめながら、寄り添い続けた。
朝を迎える頃には二人はいつもの様に抱き合いながら眠りについて、逆巻く業風はベネディクト王の心から消え去っていた。
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敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
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