君に打つ楔

ツヅミツヅ

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40、避難

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「正直、バイト先はストーカーに知られてるから、行かない方がいいけど……、美優は行くって言うんでしょ?」
 壱弥のマンション前に辿り着き、バイクを降りている最中の美優に壱弥は問いかけた。
「……うん、突然休めないよ。ただでさえ明日入る筈だった子がインフルで休んでるし……。店長一人で一日中回すなんて絶対無理だもん」
「じゃ、俺送迎するから。寒いけど帰りはバイクにしよう。その方が機動性あるし、付けられてたらすぐにわかるし、そうだった場合振り切れるから」
 ヘルメットを外しながら壱弥は言った。
「……ごめんね、壱弥。迷惑かけちゃって」
「迷惑な訳ないでしょ? 俺がご両親の代わりに美優守るって決めてるから」
「……ありがとう。でも、壱弥がもしストーカーの人に何かされたら私……」
 美優もヘルメットを外し、壱弥を真っすぐ見つめた。
「大丈夫。そんなにやわじゃないから」
 壱弥はいつもの優し気な笑顔で美優に答える。
 そして美優の頬を優しく撫でた。
「美優、寒かったでしょ? ほっぺ冷たい」
「大丈夫。壱弥こそ寒かったでしょ? 前に乗ってるし、ジャケットも冷えてたし……」
「うん、さすがに寒かった。今日はお風呂お湯溜めて入ろっか」
「……うん、ありがとう……」
 そう言うと壱弥は美優と手を繋いでエントランスに向かって歩き出す。
 オートロックを解除してマンションの玄関を開け、エレベーターに向かう。
「で、何か心当たりってあるの?」
「……それが、全く無いの。手紙貰って初めて気が付いた位で」
 2台あるエレベーターは両方ともエントランスのある一階にあり、ボタンを押して駐車場のある地下に呼び出す。
「……そっか。多分ストーカーは後付けて写真撮ってるだけだと思うんだ」
「どうして?」
「他の情報は知らないから、写真撮っておいて、俺の話出して怖がらせて、あわよくば遠ざけようと思ってるんじゃないかと思う」
「そうなのかな?」
「もし盗聴されてたら、俺達の通話での会話を聞いてるだろうし、そこから引き出せる情報は多いよ。メッセージやSNSとかで接触してこないのもスマホなんかの情報は漏れてないって思っていいよ。もし知ってたら絶対それを同時に使って来る」
「……そうなんだ……」 
「うん。俺が許せないなら絶対どうにか遠ざけたいだろうし。……だから危ないんだ」
「……?」
 エレベーターは壱弥の部屋の階に着いた。
 二人はエレベーターを降りて廊下を歩く。
 美優は歩きながら疑問の表情を乗せて壱弥を見上げた。
「逆に言えばストーカーの手段は限られてるって事だ」
 部屋の前に着き壱弥は鍵を開けた。
 そして扉を開けて美優の肩を優しく抱いて部屋に招き入れる。
 玄関先で革のジャケットを脱ぎ、それを大きなシューズクロークに仕舞いながら言葉を続けた。
「手段がないって事は実力行使に出る時期も早まるんだよ」
 壱弥は美優に右手を差し出した。
「……実力行使?」
 脱いだ革のジャケットを壱弥に手渡し、疑問も同時に訊ねた。
「……うん。多分、ストーカーは美優に接触する。ストーカーの思い込み具合にもよると思うけど、最悪なら殺そうとすると思う」
 それを聞いて恐怖が臓腑から込み上げる。
 きっと顔に恐怖が出てしまっていたのだろう。美優の手渡したジャケットを仕舞い終えた壱弥は美優の顔を覗き込む。
「怖がらせるつもりはないんだ。これはホントに最悪のケースだからね?」
「……どうして、私なんだろう……? 私特別目立つ事とかしてないのに……」
「美優、良い子な上に可愛いからね。ちょっときっかけがあったら、そりゃターゲットにされると思う」
「……そんな事ないよ……。……ちゃんと話したら誤解が解けたりしないかな?」
「絶対ダメ。話なんか通じないよ。想いを勝手に暴走させてる奴に何言ってもムダ」
 壱弥は埋め込みキャビネットの扉を開いてバイクのキーを入れて、車のキーを取り出した。
「大丈夫だから。俺が守るから、安心して? 家に帰るのはまずいから、今から買い物行こうか」
「……買い物?」
「美優、何も持って来てないでしょ? しばらくうちにいた方がいいから、色々買い出し」
 確かにバイト先から帰って来た時の鞄をとりあえず抱えてやって来たので、スマホと財布位しか持っていない。
 よくよく考えてみれば下着なども無い為、本当にどうしようもない。
「とりあえず今の時間やってるのはトラの屋位しかないよね。行こう」
 トラの屋とは全国展開の24時間営業の大型ディスカウントストアだ。かなり品揃えの良い店で大抵の物は置いてある。 
 二人は再び家を出て地下の駐車場まで降りて今度は車に乗り込んだ。
「……外出て大丈夫かな?」
 美優は壱弥が開けてくれた車の助手席に乗り込みながら駐車場の出入り口を見つめる。
「さっきバイク付けられたりしてないから、少なくとも俺の家はバレてないよ」
「……そうかな? それならいいんだけど……。ストーカーの人、壱弥の事気にしてるから、ここも知ってたりしないかな?」
「それは多分大丈夫だよ。ストーカーする様な奴は基本的にターゲットにしか興味無いから」
 車に乗り込んだ壱弥はエンジンをかける。
 車は走り出して駐車場から地上に出た。
「……どうしたらいいのかな……? どうしたらストーカーやめてくれるのかな……?」
 つい独り言のように呟く美優に壱弥は視線を前に向け、運転しながらその疑問に答えた。
「大丈夫。心配要らないよ。ストーカー捕まえてちゃんと話するから」
「話聞いてくれないんでしょ? どうやって?」
「……そういう奴にはそういう奴への交渉の仕方があるんだよ。それは俺に任せてくれたらいいから」
 いつもの様に笑顔だけど、何処か硬質な声音で壱弥は言った。
「……でも……、壱弥が危ない目に遭ったりしない?」
 美優がそう問いかけたタイミングで信号が赤に変わり車は停車する。
 そして壱弥は美優の方を見て笑いかけた。
「大丈夫だよ。ちゃんと自分の身は守れるから。ほら、前に言わなかったっけ? 護身術みたいなの習ったって」
 美優も壱弥を見上げた。
 不安が顔に出ていたのか、壱弥は安心させるように美優の頭を撫でる。
「一応さ、実家の跡取りだった時は誘拐される可能性もあったから護身術習わされたんだ。今も錆び付かなように多少は体動かしてるから大丈夫だよ」
「……うん……」
 そう壱弥は言うが、自分の問題で壱弥を危険な所に向かわせる事になるのは心苦しくて仕方ない。
 出来る事なら自分で解決したいがとてもでは無いけれど、ストーカーへの対応策など美優にはわからない。
 信号は青に変わって、壱弥は再び前を向いて運転し始めた。
 そのまま何も言えずにいたら、5分ほどでトラの屋に辿り着く。
 駐車場に車を停めて、迷路の様な経路の店内を二人は手を繋いで歩いていく。
「とりあえず、今夜必要なものだけ買えばいいんじゃないかな? ちゃんとしたのはまた明日バイトの後にでも買いに行くかネットで買おう」
「うん、わかった。……とりあえず今夜の寝着になるものと、明日着替えられる服があった方がいいかな。今日ジーンズでよかった」
「ちゃんとしたのは今度美優ちゃんが休みの時にでも買いに行こう」
「今日買うもので充分だよ?」
「いつまで避難してなきゃいけないかわからないから、ちゃんと買っておいた方がいいよ。不便なんじゃ快適に過ごせないでしょ?」
「……でも、ホントに私、今日買うものだけで充分だから……」
「ま、それはおいおい買い足すとして、他何か必要な物ない?」
 壱弥は買い物かごを持って美優の手を引き、とりあえず洋服などが並ぶエリアやってくる。
「……う~ん……、この服にする」
 美優は手頃な価格のジーンズに合いそうなシンプルな無地の黒いパーカーを選ぶ。
「まあ、服は穂澄の店で買えばいいから今日のはそういうのでいいね。パジャマになりそうなのはあの辺かな?」
 美優はそれを聞いて驚いて壱弥を降り仰ぐ。
 壱弥はそんな美優にいつもの優し気な笑顔できっぱり言い放った。
「家には帰せないからね。必要なものは全部揃えるよ?」
「で、でもね? そんな何も穂澄さんのお店で買う事ないよ? それに私そんな穂澄さんのお店でいっぱい服買える程……」
「そんなの俺が全部出すに決まってるでしょ? その辺の事はもう暗黙の了解にしようね?」
「でも……、そんなのっ……!」
「今回は本当に緊急だから。これを機に言っておくけど、経済的な事はこれから先俺に全面的に任せて欲しい。何も気にする事ないから、それが当然になってね?」
「そんなのダメだよ? いくら付き合ってたって……」
「俺は美優と結婚する気なんだ。そしたら養っていく気だし、美優に金銭的に負担をかけるつもりもないよ? 美優もそのつもりでいて欲しいんだ」
「……でもね……? それじゃあまりにも私、壱弥に甘え過ぎじゃない? そんなに甘やかされたら私……、ダメな子になっちゃいそうで怖いよ……」
 美優は俯く。そうしたら視界には繋がれた自分と壱弥の手が見えた。
 壱弥はその手をぎゅっと握った。
「……大丈夫。もしダメな子になっても俺はずっと傍にいるから。ダメな子になっても、大好きだよ、美優」
 その壱弥の声はいつもの優しい声音とは違って、少し切実な響きがあった。
 その事に少し疑問を感じて顔を上げて壱弥を見つめてみた。
 壱弥の顔を覗き込んでみたら、壱弥は少し切な気に笑っていた。
「……って、言ったって美優はダメになんてならないんだけどね」
「……そうかな……? もう既に結構ダメな子な気がしてるよ? なんでも壱弥にばかり頼っちゃう……。今だって結局こうして壱弥に守ってもらって……」
 壱弥はいつもの優し気な笑顔に戻ってその言葉に答える。
「ストーカーされるなんて普通に一人で解決出来るような事じゃないよ。あ、警察も行こうね? 何かしてもらえる訳じゃないと思うけどとにかく相談実績だけは作っといた方がいいからね」
「……警察……? 大袈裟じゃない?」
「大袈裟なんて事ないよ。相談しとくって結構大事なんだよ。通報しとくとこっちの信頼度が上がるから。さ、次は何買うんだっけ?」
「……えっとね、後は……下着かな?」
「じゃ、俺は見てない方がいいね。あっちかな? 行っておいで?」
「うん、行ってくるね」
 美優は壱弥と離れて女性物の下着のある一角にやって来る。
 品揃えが多くて少し迷う。
 中には相当際どいデザインのものもあって、何故か恥ずかしくなる。
 あまり派手ではなくて、かといってシンプルすぎない上下セットの下着を2着ほど選ぶ。一つはピンクと一つは白。
 フリルの付いた、少し甘めのデザインのものにした。
 それを持って壱弥の元に戻ると壱弥は何やらギャル風の女の子二人に声をかけられていた。
 壱弥はそれに笑顔で対応しているが、それでも最近ずっと一緒にいるからわかる。
 その笑顔はどこか無機質で、いつも美優に向けるものとは明らかに違っている。
 女の子達は壱弥の前でスマホを出して何やら壱弥と話をしている。
 女の子と女の子の持つスマホを覗き込んでその無機質な笑顔を向ける。
 女の子達はご機嫌な様子で壱弥の元から去って行った。
「ごめんね、お待たせ」
 美優は少しだけ間を置いて壱弥の元に戻った。
 壱弥はやはり先ほどまでとは違う、いつもの優し気な笑顔で美優を出迎えた。
「おかえり。さっきの女の子達、連絡先教えてって言われたけど彼女いるからSNSフォローしてって言っといた。怒る?」
 どうやら壱弥は美優が既に戻っていた事も女の子達と会話していたのを見ていた事もわかっているようだった。
「ううん、怒らないよ。壱弥はモテるから仕方ないね」
「断ったら断ったで面倒臭そうなんだよね。しつこくついて来られても鬱陶しいし。さ、これでとりあえず事足りるかな? 会計済ませて帰ろうか」
「うん」
 二人は再び手を繋いで遠いレジまで歩いていく。
 やっと辿り着いたレジで会計を済ませると、足早に家路に着いた。
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