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(二十三)大物見
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翌日。朝のうちから長義は諸将を広間に集めた。
開口一番、伊達への内通を謀った横田大学を取り押さえた功績を長義に激賞され、斯忠はおおいに面目を施した。
もっとも、横田大学が間者と密会している現場を押さえたのが於きたであることに長義が一切触れなかったため、手柄を横取りしたような居心地の悪さも若干感じたが。
ひとしきり斯忠を持ち上げた長義は、横田大学を鶴ヶ城に連行すると告げた。
「これは異なことを。この城にて首を刎ねれば済むことではござらんか。万が一、他にも内応を考えておる者が城内にいたとすれば、見せしめにもなりましょう」
それまで苦虫を噛み潰したような顔で斯忠への賛辞を黙って聞いていた築地修理亮が、ここぞとばかりに声をあげる
「それも一つの考えではある」
頷きながらも、長義は意見を変えるつもりはない様子だった。そして当然、築地修理亮も納得しない。
「理由をお聞かせ願いたい」
「一つには、横田大学を拷問にかけて口を割らせたとて、伊達に関して我等が得るものは取り立ててあるとは思えぬ。されど、どのような甘言で彼の者がたぶらかされたのかをつまびらかにすることについてなら、続く内応者を出さぬためには無駄ではない」
そしてそれは、ただ梁川城にとどまらず、上杉家全体が知るべき内容である、と長義は続ける。
「それゆえに、あえて鶴ヶ城に送ると仰せか」
「左様。そしてもう一つは、横田大学を責めて口を割らせる暇が我等にはないことじゃ。あと、これは万が一の話ではあるが、下手に内応者を城内に閉じ込めていて、伊達が奪還のために間者を送り込んで来て争いの元になっても面倒というのもあるな」
長義は自嘲めいた苦笑を浮かべながら、そう説明を加える。
確かに伊達方が、裏切りが露見した横田大学を救出するためにわざわざ動く可能性はまず考えられない、と斯忠も思う。
とはいえ、現に城内まで間者が潜り込んで来ていた事実がある以上、絶対にありえないとも言い切れない不気味さが残った。
土地不案内の風車衆に、あまり無理はさせられないのも、斯忠には悩ましいところであった。
その後、これまで横田大学が率いていた人数は、おなじく組外衆である斯忠が暫定的に引き受けて面倒を見ることに決まった。
斯忠の配下のほぼ全員が常陸出身であるのとは異なり、横田大学の配下は、諸国から上杉家に仕官を求めて集まってきた牢人者が雑多に集められている。
いざ合戦となっても、すぐに素直に斯忠の下知に応じるとは考えづらい。
(面倒ごとを抱え込むことになったかな)
と斯忠も思わないではないが、拒否はできない。
手勢を任せるというのは、内応者を捕らえた斯忠に対する報酬の意味合いもあるからだ。
ともかく、早いうちに見込みのある者を見出して采配を任せるしかないか、と斯忠は漠然と考えている間に、横田大学に関する話は終わった。
すると、長義が次の議題に入ろうとする間合いを見計らったかのように、高櫓の配置についていた物見が、息せき切って馳せ参じる。
「申し上げまする! 伊達勢が城下に現れましてございます!」
「なにっ。すぐ参る!」
長義は腰を浮かせ、軍評定の打ち切りを告げるや、真っ先に広間を飛び出した。
諸将も慌てて一斉に立ち上がった。
斯忠も、遅れまいとその後に続いて本丸御殿から走り出る。
本丸にある高櫓の一つに登った長義らは、梁川城東側の林の前でうごめく伊達勢の旗印を望見した。
「いよいよおいでなすったか」
高櫓の欄干に手を載せて身を乗り出す斯忠は、眉間にしわを寄せてつぶやく。
「いや、いや。あの様子では、本腰を据えた仕寄りとは見えませぬな。大物見といったところでしょうか。数はせいぜい五百、多くても一千か」
斯忠と同じような姿勢で城下を見下ろす長義は、つとめて冷静に伊達勢の動きを見極めている。
「確かに、あの程度ではこの城は落とせそうもないですな」
よくよく動きを観察すると、伊達勢は梁川城を前にして戸惑っているようにも見えた。
「おそらく、あてにした横田大学の内応が不首尾であったことが効いておるのでしょう。加えて、新たな曲輪が普請されているのも目の当たりにして、かつて有効であった攻め口も失われたと知ったと思われます。故に、真正面から攻め落とすには時を要する、と見立てたとしても、不思議ではないかと」
長義が、明るい声で応じた。
横田大学の内応を阻止した斯忠の手柄が効いたのだ、と言いたげだった。おだてに弱いと自覚しつつ、斯忠としても悪い気はしない。
「そうとなれば、このまま無傷で逃がしちゃ男がすたる。ここは、ひと当てくれてやりましょう」
すぐにでも駆けだそうとする斯忠の腕を、長義が慌て気味に掴む。
「お待ちあれ。城を空にする訳には参りませぬぞ。確かに敵勢は思いのほか小数ではござるが、あえてこれみよがしに動き、城兵を外に吊り出し、伏せ勢による付け入りを狙うておるやもしれませぬからな」
「だとしても、黙って帰す手はございますまい。なぁに、出陣するのは我が手の三百のみ。すぐに門を固く閉じていただき、仮に我等が討ち負けたとしても後詰は無用」
万が一、伊達の罠にはまったとしても、損害は自分の手勢のみで済む。斯忠は言外にそう伝えていた。
しばし、鼻息も荒い斯忠の顔をしばし見つめた長義は、苦笑いを浮かべて肩の力を抜く。
「そこまで申されるのであれば、止め立てはいたしますまい。車殿の武辺のほどを、この場にて拝見いたしましょうぞ」
***
「野郎ども、支度は出来ているだろうな!」
高櫓を滑り落ちるように降り、その勢いのまま大学館まで駆け戻った斯忠が、騒ぎを聞きつけて陣屋から出てきている配下に向かって呼びかける。
すると、待ってましたとばかりにそれぞれが手にした得物を掲げ、「おう」と声があがった。
荷駄組を除く三百名は、とうに出陣の準備を済ませていた。
「ようし、皆、やる気だな。結構結構」
「よろしいのですか。こちらを誘い出す罠やも知れません」
左源次は困惑の表情をみせているが、斯忠は意に介さない。
「そりゃ気の回しすぎだ。今の伊達がわざわざそんな小細工をする必要もねぇ」
ほどなくして出陣の支度が整うと、斯忠は大黒に跨って大手門へと向かう。
「車丹波守が出るぞ! 開門、開門!」
腹巻の上から陣羽織を羽織る戦装束に身を固めた斯忠が、大手門の番兵に向かって怒鳴る。
番兵たちはその気勢に押されるように、閂を外して門を八の字に開く。
真っ先に大手門から城外に飛び出した斯忠は、そのまま陣の先頭で大黒を駆けさせる。
がむしゃらに突っ込んでいる訳ではなく、伊達の軍勢との距離を詰めつつ、その人数を目測で確かめていた。
長義の見立てどおり、敵は一千足らず程度と思われた。伏勢の気配もない。
やがて、その旗印の意匠も見分けられる距離にまで迫る。
「敵の大将は石川大和守か。知らぬ相手ではないな」
見覚えのある旗印をみて斯忠は呟く。
石川大和守昭光は、今でこそ伊達の軍門に降ってはいるが、元々は独立した地位の領主として葦名や佐竹と領地を奪い合った相手である。
一方、人取橋の合戦では佐竹の友軍として参戦しており、斯忠とは味方として共に伊達相手に戦った経験もある。
敵味方に分かれるのも兵家の常ならば、恨みはなくとも相手にとって不足なし。
斯忠の気迫が配下に伝わったか、車勢三百は一塊になって石川勢目掛けて前進する。
対峙する石川勢は、車勢が掲げる火車の旗印を前にして、動揺したように旗指物が揺れた。
わずか三分の一ほどの兵数の敵が、真正面から突っかけてくるとは思わなかったのかもしれない。
「鉄砲組、前へ!」
斯忠の号令一下、鉄砲組三十名が最前列へと進み出る。
鉄砲がかろうじて届くほどに間合いを詰めた鉄砲組は、組頭の指揮にあわせて、歩調を緩めることなく地面に膝から滑り込むように折り敷く。
「てっ!」
色黒の鉄砲組の組頭が叫ぶや、筒先を揃えた三十挺の鉄砲が間髪入れず一斉に火を噴く。
轟音が虚空に響くが、実際に被弾した石川勢の兵は数名といったところだ。
それでも斯忠は構わず、今度は弓組に射かけさせる。
弓組の組頭が、相変わらず穏やかな顔立ちのまま、手本のような強弓を放つ。
それに負けじと弓組の兵が射た矢は、放物線を描いて石川勢に矢が降り注ぐ。
石川勢はさらに数名が倒れる。
もちろん、石川勢も打たれっ放しではない。
昭光が采配を振るい、鉄砲と弓矢が放たれる。
飛来した鉄砲玉の一発が、斯忠の鉄錆地六十二間筋兜に当たってカーンと音を響かせた。
ただし、浅い角度で命中した鉄砲玉に兜を貫く力はなく、明後日の方向に跳ね飛んでいった。
危うく大黒の鞍から転げ落ちそうになった斯忠は、腹と太腿に力を込めて踏みとどまる。
「ちくしょうめ、頭がくらくらすらぁ」
衝撃を払うように頭を振り、体勢を立て直した斯忠が顔をあげると、石川勢が隊伍を乱すことなく、じりじりと後退していく様が目に飛び込んできた。
「退け、退けい。退いて、陣を立て直すぞ!」
昭光の胴間声が、風に乗って斯忠の耳にも届く。
本来ならこのまま石川勢の陣中に突入し、敵兵を馬蹄にかけて大いにかき乱してやりたいたいところである。
しかし今、出陣しているのは己の手勢のみであるとの現実が、斯忠を押しとどめる。
後詰を断っている以上、立ち直った相手に包囲されて潰される可能性も考慮せねばならないのだ。なにしろ、相手はこちらの三倍だ。
「今日はこのぐらいにしておいてやらぁ」
斯忠はそううそぶいて、逸る手勢に対して、撤退する石川勢への深追いを厳禁する。
無法にみえて、無茶は最後まで押し通さないのが、車丹波という男である。
そしてその場で鯨波をつくらせると、悠々と梁川城へと引き上げた。
形の上だけのこととはいえ、伊達勢を追い払ったのは事実。
留飲を下げたのは斯忠だけでなく、城兵も同じだったらしい。
たいした手柄ではないにも関わらず、開かれた大手門をくぐる車勢に向けて歓呼の声をあげる。
誇らしい気分になる中、斯忠はふと詰め掛けた人々の中に於きたの姿を探していた。
しかし、その姿を見つけることは出来なかった。
***
「車殿の働きで大物見は蹴散らしたが、言うまでもなく、伊達もそう容易く諦めはせぬであろう。されど、案ずることはない。我等は、せいぜいひと月を持ちこたえればよいのじゃ」
改めて開かれた軍評定の場で、長義は自信に満ちた表情でそう断言した。
「ひと月あれば、後詰が来るってことですかな」
斯忠が尋ねる。
「それもありますが、雪ですよ」
「空から降る雪ですかい」
斯忠の空とぼけた言葉に、ふと場が和む。長義も笑って応じる。
「左様です。伊達が大軍であればあるほど、雪の中での長対陣は難儀でありますゆえ」
「はあ、そういうもんかね」
首をひねる斯忠であるが、無論、雪を知らぬ訳ではない。当然、常陸にも雪は降る。
しかし、常陸よりもよほど北にある地の話だけに、実感はわかない。
よほど寒さが厳しいのだろうか、と漠然と思い浮かべるのみである。
いみじくも、後世に残る「直江状」の写しにも、「なかんずく当国は雪国にて十月より二月までは何事も罷りならず候」と記されている。
会津における旧暦の十月は、既に雪を前提に行動すべき時節なのだった。
開口一番、伊達への内通を謀った横田大学を取り押さえた功績を長義に激賞され、斯忠はおおいに面目を施した。
もっとも、横田大学が間者と密会している現場を押さえたのが於きたであることに長義が一切触れなかったため、手柄を横取りしたような居心地の悪さも若干感じたが。
ひとしきり斯忠を持ち上げた長義は、横田大学を鶴ヶ城に連行すると告げた。
「これは異なことを。この城にて首を刎ねれば済むことではござらんか。万が一、他にも内応を考えておる者が城内にいたとすれば、見せしめにもなりましょう」
それまで苦虫を噛み潰したような顔で斯忠への賛辞を黙って聞いていた築地修理亮が、ここぞとばかりに声をあげる
「それも一つの考えではある」
頷きながらも、長義は意見を変えるつもりはない様子だった。そして当然、築地修理亮も納得しない。
「理由をお聞かせ願いたい」
「一つには、横田大学を拷問にかけて口を割らせたとて、伊達に関して我等が得るものは取り立ててあるとは思えぬ。されど、どのような甘言で彼の者がたぶらかされたのかをつまびらかにすることについてなら、続く内応者を出さぬためには無駄ではない」
そしてそれは、ただ梁川城にとどまらず、上杉家全体が知るべき内容である、と長義は続ける。
「それゆえに、あえて鶴ヶ城に送ると仰せか」
「左様。そしてもう一つは、横田大学を責めて口を割らせる暇が我等にはないことじゃ。あと、これは万が一の話ではあるが、下手に内応者を城内に閉じ込めていて、伊達が奪還のために間者を送り込んで来て争いの元になっても面倒というのもあるな」
長義は自嘲めいた苦笑を浮かべながら、そう説明を加える。
確かに伊達方が、裏切りが露見した横田大学を救出するためにわざわざ動く可能性はまず考えられない、と斯忠も思う。
とはいえ、現に城内まで間者が潜り込んで来ていた事実がある以上、絶対にありえないとも言い切れない不気味さが残った。
土地不案内の風車衆に、あまり無理はさせられないのも、斯忠には悩ましいところであった。
その後、これまで横田大学が率いていた人数は、おなじく組外衆である斯忠が暫定的に引き受けて面倒を見ることに決まった。
斯忠の配下のほぼ全員が常陸出身であるのとは異なり、横田大学の配下は、諸国から上杉家に仕官を求めて集まってきた牢人者が雑多に集められている。
いざ合戦となっても、すぐに素直に斯忠の下知に応じるとは考えづらい。
(面倒ごとを抱え込むことになったかな)
と斯忠も思わないではないが、拒否はできない。
手勢を任せるというのは、内応者を捕らえた斯忠に対する報酬の意味合いもあるからだ。
ともかく、早いうちに見込みのある者を見出して采配を任せるしかないか、と斯忠は漠然と考えている間に、横田大学に関する話は終わった。
すると、長義が次の議題に入ろうとする間合いを見計らったかのように、高櫓の配置についていた物見が、息せき切って馳せ参じる。
「申し上げまする! 伊達勢が城下に現れましてございます!」
「なにっ。すぐ参る!」
長義は腰を浮かせ、軍評定の打ち切りを告げるや、真っ先に広間を飛び出した。
諸将も慌てて一斉に立ち上がった。
斯忠も、遅れまいとその後に続いて本丸御殿から走り出る。
本丸にある高櫓の一つに登った長義らは、梁川城東側の林の前でうごめく伊達勢の旗印を望見した。
「いよいよおいでなすったか」
高櫓の欄干に手を載せて身を乗り出す斯忠は、眉間にしわを寄せてつぶやく。
「いや、いや。あの様子では、本腰を据えた仕寄りとは見えませぬな。大物見といったところでしょうか。数はせいぜい五百、多くても一千か」
斯忠と同じような姿勢で城下を見下ろす長義は、つとめて冷静に伊達勢の動きを見極めている。
「確かに、あの程度ではこの城は落とせそうもないですな」
よくよく動きを観察すると、伊達勢は梁川城を前にして戸惑っているようにも見えた。
「おそらく、あてにした横田大学の内応が不首尾であったことが効いておるのでしょう。加えて、新たな曲輪が普請されているのも目の当たりにして、かつて有効であった攻め口も失われたと知ったと思われます。故に、真正面から攻め落とすには時を要する、と見立てたとしても、不思議ではないかと」
長義が、明るい声で応じた。
横田大学の内応を阻止した斯忠の手柄が効いたのだ、と言いたげだった。おだてに弱いと自覚しつつ、斯忠としても悪い気はしない。
「そうとなれば、このまま無傷で逃がしちゃ男がすたる。ここは、ひと当てくれてやりましょう」
すぐにでも駆けだそうとする斯忠の腕を、長義が慌て気味に掴む。
「お待ちあれ。城を空にする訳には参りませぬぞ。確かに敵勢は思いのほか小数ではござるが、あえてこれみよがしに動き、城兵を外に吊り出し、伏せ勢による付け入りを狙うておるやもしれませぬからな」
「だとしても、黙って帰す手はございますまい。なぁに、出陣するのは我が手の三百のみ。すぐに門を固く閉じていただき、仮に我等が討ち負けたとしても後詰は無用」
万が一、伊達の罠にはまったとしても、損害は自分の手勢のみで済む。斯忠は言外にそう伝えていた。
しばし、鼻息も荒い斯忠の顔をしばし見つめた長義は、苦笑いを浮かべて肩の力を抜く。
「そこまで申されるのであれば、止め立てはいたしますまい。車殿の武辺のほどを、この場にて拝見いたしましょうぞ」
***
「野郎ども、支度は出来ているだろうな!」
高櫓を滑り落ちるように降り、その勢いのまま大学館まで駆け戻った斯忠が、騒ぎを聞きつけて陣屋から出てきている配下に向かって呼びかける。
すると、待ってましたとばかりにそれぞれが手にした得物を掲げ、「おう」と声があがった。
荷駄組を除く三百名は、とうに出陣の準備を済ませていた。
「ようし、皆、やる気だな。結構結構」
「よろしいのですか。こちらを誘い出す罠やも知れません」
左源次は困惑の表情をみせているが、斯忠は意に介さない。
「そりゃ気の回しすぎだ。今の伊達がわざわざそんな小細工をする必要もねぇ」
ほどなくして出陣の支度が整うと、斯忠は大黒に跨って大手門へと向かう。
「車丹波守が出るぞ! 開門、開門!」
腹巻の上から陣羽織を羽織る戦装束に身を固めた斯忠が、大手門の番兵に向かって怒鳴る。
番兵たちはその気勢に押されるように、閂を外して門を八の字に開く。
真っ先に大手門から城外に飛び出した斯忠は、そのまま陣の先頭で大黒を駆けさせる。
がむしゃらに突っ込んでいる訳ではなく、伊達の軍勢との距離を詰めつつ、その人数を目測で確かめていた。
長義の見立てどおり、敵は一千足らず程度と思われた。伏勢の気配もない。
やがて、その旗印の意匠も見分けられる距離にまで迫る。
「敵の大将は石川大和守か。知らぬ相手ではないな」
見覚えのある旗印をみて斯忠は呟く。
石川大和守昭光は、今でこそ伊達の軍門に降ってはいるが、元々は独立した地位の領主として葦名や佐竹と領地を奪い合った相手である。
一方、人取橋の合戦では佐竹の友軍として参戦しており、斯忠とは味方として共に伊達相手に戦った経験もある。
敵味方に分かれるのも兵家の常ならば、恨みはなくとも相手にとって不足なし。
斯忠の気迫が配下に伝わったか、車勢三百は一塊になって石川勢目掛けて前進する。
対峙する石川勢は、車勢が掲げる火車の旗印を前にして、動揺したように旗指物が揺れた。
わずか三分の一ほどの兵数の敵が、真正面から突っかけてくるとは思わなかったのかもしれない。
「鉄砲組、前へ!」
斯忠の号令一下、鉄砲組三十名が最前列へと進み出る。
鉄砲がかろうじて届くほどに間合いを詰めた鉄砲組は、組頭の指揮にあわせて、歩調を緩めることなく地面に膝から滑り込むように折り敷く。
「てっ!」
色黒の鉄砲組の組頭が叫ぶや、筒先を揃えた三十挺の鉄砲が間髪入れず一斉に火を噴く。
轟音が虚空に響くが、実際に被弾した石川勢の兵は数名といったところだ。
それでも斯忠は構わず、今度は弓組に射かけさせる。
弓組の組頭が、相変わらず穏やかな顔立ちのまま、手本のような強弓を放つ。
それに負けじと弓組の兵が射た矢は、放物線を描いて石川勢に矢が降り注ぐ。
石川勢はさらに数名が倒れる。
もちろん、石川勢も打たれっ放しではない。
昭光が采配を振るい、鉄砲と弓矢が放たれる。
飛来した鉄砲玉の一発が、斯忠の鉄錆地六十二間筋兜に当たってカーンと音を響かせた。
ただし、浅い角度で命中した鉄砲玉に兜を貫く力はなく、明後日の方向に跳ね飛んでいった。
危うく大黒の鞍から転げ落ちそうになった斯忠は、腹と太腿に力を込めて踏みとどまる。
「ちくしょうめ、頭がくらくらすらぁ」
衝撃を払うように頭を振り、体勢を立て直した斯忠が顔をあげると、石川勢が隊伍を乱すことなく、じりじりと後退していく様が目に飛び込んできた。
「退け、退けい。退いて、陣を立て直すぞ!」
昭光の胴間声が、風に乗って斯忠の耳にも届く。
本来ならこのまま石川勢の陣中に突入し、敵兵を馬蹄にかけて大いにかき乱してやりたいたいところである。
しかし今、出陣しているのは己の手勢のみであるとの現実が、斯忠を押しとどめる。
後詰を断っている以上、立ち直った相手に包囲されて潰される可能性も考慮せねばならないのだ。なにしろ、相手はこちらの三倍だ。
「今日はこのぐらいにしておいてやらぁ」
斯忠はそううそぶいて、逸る手勢に対して、撤退する石川勢への深追いを厳禁する。
無法にみえて、無茶は最後まで押し通さないのが、車丹波という男である。
そしてその場で鯨波をつくらせると、悠々と梁川城へと引き上げた。
形の上だけのこととはいえ、伊達勢を追い払ったのは事実。
留飲を下げたのは斯忠だけでなく、城兵も同じだったらしい。
たいした手柄ではないにも関わらず、開かれた大手門をくぐる車勢に向けて歓呼の声をあげる。
誇らしい気分になる中、斯忠はふと詰め掛けた人々の中に於きたの姿を探していた。
しかし、その姿を見つけることは出来なかった。
***
「車殿の働きで大物見は蹴散らしたが、言うまでもなく、伊達もそう容易く諦めはせぬであろう。されど、案ずることはない。我等は、せいぜいひと月を持ちこたえればよいのじゃ」
改めて開かれた軍評定の場で、長義は自信に満ちた表情でそう断言した。
「ひと月あれば、後詰が来るってことですかな」
斯忠が尋ねる。
「それもありますが、雪ですよ」
「空から降る雪ですかい」
斯忠の空とぼけた言葉に、ふと場が和む。長義も笑って応じる。
「左様です。伊達が大軍であればあるほど、雪の中での長対陣は難儀でありますゆえ」
「はあ、そういうもんかね」
首をひねる斯忠であるが、無論、雪を知らぬ訳ではない。当然、常陸にも雪は降る。
しかし、常陸よりもよほど北にある地の話だけに、実感はわかない。
よほど寒さが厳しいのだろうか、と漠然と思い浮かべるのみである。
いみじくも、後世に残る「直江状」の写しにも、「なかんずく当国は雪国にて十月より二月までは何事も罷りならず候」と記されている。
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