【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(十七)茶室

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 斯忠つなただが出くわした白石城からの使番は、懸念したとおり福島城に凶報をもたらした。

 七月二十一日に岩出山城を出陣した伊達政宗率いる軍勢が、境目の城である白石城を急襲。
 二十四日の朝には落城間近となったところで、使番は決死の覚悟で城を抜け出したのだという。

 その報せを聞いた繁長は、直江兼続の元へ急使を走らせるとともに、白石城の状況を確かめるべく子飼いの間者を放った。

 結果、二十四日のうちに白石城はあっけなく陥落し、本丸の城代であった豊野又兵衛も討死していたことが確かめられた。

 伊達勢襲来、白石城落城の噂は福島城内にたちまち広がった。

 城兵が動揺を隠せない中、七月二十七日になって、本村親盛率いる福島在陣衆が悠々と帰城してきた。

 桜田元親勢を追い散らし、大館と川俣城を奪還して意気盛んであった彼らも、自分達の預り知らぬところで白石城が伊達勢に攻め落とされたと知って愕然となり、ついで怒りを露わにする。

「白石城の守りはどうなっていたのだ。油断していたのではないか」
 山上道牛の怒声が空しく響く。

 川俣および大館に侵入した桜田元親を容易く追い払えたのは、最初から長期的に占領するつもりなどなかったからだ。
 明らかに上杉方は、まんまと陽動策に引っかかったことになる。

 なお余談ながら、上杉方は川俣城攻めの際に桜田元親を討ち取ったと喧伝したが、実は当人は無傷で伊達領に帰還していることが後に判明する。

 偽情報が広められた理由は、単なる腹立ちまぎれか、味方を鼓舞するためか不明であるが、失態を糊塗するどころか恥の上塗りであった。

 いずれにせよ、伊達勢は白石城を攻め落としたことによって、長躯して福島城を直接衝ける位置にまで兵を進めた形になる。

 緒戦のつまづきに福島城内が不穏な空気に包まれる中、斯忠は本庄繁長からの呼び出しを受けた。

 場所はなんと、福島城二の丸外庭に設えられた茶室である。

 茶の湯の心得など斯忠は持ち合わせていないが、刻限まで指定されて呼び出された以上、足を運ばない訳にはいかない。

「いやあ、茶室があることはかねてより知っておりましたが、まさか足を踏み入れる機会があるとは思っておりませなんだ。不調法の段、お許しくだされ。それにしても、茶室ってのは狭いものですな」
 にじり口をくぐった斯忠は、亭主の位置に座る繁長に対して言い訳じみた言葉を並べながら正客の位置に腰を下ろした。

 落ち着かない様子で室内を見回す斯忠に、繁長は微苦笑を向ける。

「狭いのは同感じゃな。この城は元々、杉目城と呼ばれておってな、福島城と名を改めたのは、木村伊勢守吉清なる御仁が当城を居城とした折であるそうな。この茶室も、伊勢守が作事したものよ」

 元々、明智光秀の臣であった木村吉清は本能寺の変後、豊臣秀吉に仕えるようになった男だ。

 天正十八年(一五九〇年)の奥州仕置の軍功によって、葛西および大崎の旧領およそ三十万石の大領を与えられる大出世を遂げた。

 しかし、元々五千石の領主だった吉清には、一足飛びに三十万石の太守を勤めるには荷が重すぎた。

 領内仕置の不手際からほどなく大規模な一揆を誘発した咎により、吉清は所領を没収されている。

 その後、会津九十二万石を治める蒲生氏郷の客分となった吉清は、文禄元年(一五九二年)に信夫郡五万石を与えられてこの福島城を新たな居城と定めた。

 蒲生氏郷は千利休の高弟であり、利休七哲の筆頭格と目されるほど茶の湯の造詣が深いことはつとに知られている。

 吉清が、いわば恩人である氏郷に倣う形で茶室を建てたとしても不思議ではない。

 問わず語りにそのような説明をする繁長に、斯忠は感心して拝聴するばかりである。

 茶室の来歴はともかくとして、茶筅を振り、濃茶を練る繁長の作法は堂に入ったものだった。

 斯忠は差し出された茶碗を受け取る。
 どれほど値が張るのだろうかなどと考えながら器を眺めた後、どろりとした濃茶を口に含む。

 味の良しあしなどろくに判らないが、少なくとも「とら屋」で出す茶などとは比べ物にならない上質の抹茶を使っていることだけは確信できた。

「結構な御手前で。失礼ながら、本庄様に茶湯の心得があるとは存じませなんだ」
 顔を合わせた当初こそ、腫れ物に触るような態度で繁長に接していた斯忠であるが、その後、幾度か言葉を交わす間に、随分と打ち解けていた。

 少なくとも、理不尽に激昂していきなり斬りつけてくるようなことはない。

 上杉謙信に歯向かった反骨の男も、年齢を重ねて多少は丸くなったのだろうか。

「なに、六十の手習いじゃな。儂は大和国に行っておったこともあるでな。その折に覚えた」
 繁長はさらりと言ってのけるが、事はそう単純な話ではない。

 天正十八年(一五九〇年)に発生した庄内藤島一揆を裏で煽動したとの嫌疑により改易された繁長は、一時期大和国に配流されていた。

 その後、文禄の役に参陣してようやく赦免されるまで二年を要している。

 幸か不幸か、そういった繁長の細かな来歴など、斯忠は知らない。

 ただ、煮ても焼いても食えない爺さんだ、と感じている。

 少なくとも、茶を喫する相手をさせられるためだけに呼び出された訳ではないことぐらいは、斯忠にも判る。

「茶室と申すのは、密談には持って来いの場でもございますな」
 そう誘い水を向けると、案の定、繁長はきな臭い話題を口にした。

「そういうことじゃ。時に車殿は、白石城がかくも容易く陥ちた訳を聞き及んでおるかな」

「それは、嫌でも耳に入ってきますよ。巷の噂ってのは面倒なもので」
 濃茶が苦かったからという訳ではないが、斯忠は顔をしかめて頷き、言葉を継ぐ。

「城主の甘粕備後守殿が白河の軍議に参加していたため、折悪しく不在。弟の登坂式部殿が城代として指揮を執ったが、やはり城主不在では城兵の士気も維持できなかったとか」

「件の軍議は、一揆勢の対処を直江殿と協議するためだったそうじゃがな。北からの侵攻に備えていた備後守殿にとっては、背後で出来した騒動を見過ごせなんだのであろうが、迂闊であったな」
 応じる繁長の表情も渋い。

「噂では、もっと酷いですな。備後守殿が城を離れたのは母親の葬儀に参列するためだったとか、登坂殿は伊達の調略に応じて寝返り、城内に兵を引き入れたとか」

「憶測に尾ひれがついた噂もあろうが、どうやら城下に噂を広めておる者がおる様子よ」
 小声になった繁長は、聞き捨てならない話を持ち出す。

「伊達には、黒脛巾とかいう乱波がいると聞きますな。そいつらが城下に潜り込んで、上杉の武名を落とそうと企んでいるんじゃないんですかね」
 斯忠は当て推量を口にするが、自分で言っておきながら、あまり効果がある計略とも思えず、首をひねった。

 しかし、繁長からは思わぬ言葉が返ってきた。

「我が手の者も用いて調べさせておるが、間者が噂を広めている形跡は確かに見受けられる。さりながら、動いているのは伊達の黒脛巾ではなく、軒猿ではないかと言うておる」

「なんと」
 斯忠は口に運んでいた茶菓子を取り落としそうになる。

 伊達に黒脛巾があるように、上杉にも忍び衆はあり、軒猿と称されていることは斯忠も善七郎から聞いている。

 さらに、直接確かめた話ではないが、軒猿に具体的な指示を出しているのは直江兼続だという噂も耳に入っていた。

 というよりも、直江家が代々諜報をつかさどる家であったからこそ、家中で重きをなしているのだという話もあった。

(つまり、どうなる)
 斯忠は無責任に想像を膨らませ、ふいに気づく。

 いつ伊達の侵攻があるか判らぬ大事な時期に甘粕景継を軍議に呼び出し、登坂式部に城の守りを託さざるを得ない形を作ったのは、他ならぬ直江兼続ではないのか。

 だが、白石城が陥落したのが甘粕景継の油断と登坂式部の裏切りが原因となれば、原因の元を作った兼続に非難の声が集まるのを避けられる。

(あいつ、やりやがったか)

「さりとて、軒猿の関与をさらに探ったところで詮無い話じゃ」

 斯忠が何かに勘付いたと知ってか知らずか、繁長は力の入らぬ声で言い、首を横に振った。

「左様ですな」
 束の間、肩を怒らせてみたものの、斯忠の気勢はすぐにしぼんだ。

 風車衆を動かして真相を探らせるか思案してみたが、答えは「否」である。

 城を失った甘粕景継のことは気の毒に思うが、助けてくれと直接頼まれた訳でもな。
 大火傷を覚悟で真実を暴いたところで、上杉の内紛を暴いて喜ぶのは伊達や徳川でしかない。

(ここは見逃すが、ここまでやっておいて、勝てませんでしたなんてことになったら承知しねえぞ、筆頭家老殿)
 斯忠は不機嫌そうな表情を隠さず、胸の中で直江兼続に向かって呼びかける。

 その時、繁長が不意に表情を険しくして、にじり口に視線を向けた。

 繁長の視線の動きに気づいた斯忠は、茶室の外に気配を感じて思わず身構える。

 まさか討手が入ってきて、いきなり斬られる訳でもなかろうが、茶室では当然、腰のものを外している。

 この茶室は繁長の配下が四方を見張っていた筈であり、善七郎はじめ風車衆も近くにはいない。

(いったい、何奴だ)
 茶室の中に、時ならぬ緊張が走った。
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