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(十六)留守居役
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本村親盛は日没をもって、四散した一揆勢の追い討ちを打ち切った。
山上道牛らはまだ戦い足りないといった風情であるが、不満の色は見せない。
福島城から八里もの距離を強行軍で駆け付けた疲労は無視できない。
そもそも地元の郷民のほうが地勢に明るく、夜間の追撃戦では思わぬ不覚を取りかねない。
いったん兵をまとめる判断は妥当であった。
その晩、斯忠らは制圧した刈田の古塁で野営することになった。
当然ながら夜討を警戒して篝火を盛んに焚き、交替で不寝番を勤めながら一夜を明かす。
幸いに何事も起こらず朝を迎えると、改めて周辺集落に向かう。
しかし、一揆に加わっていた郷民が己の在所に戻ってしまえば、探し出すのは困難である。
敵地ならばともかく上杉領内であるからこそ、撫で斬りなどできる話ではなかった。
結局、成果が上がらないまま、一揆の掃討はその一日のみで打ち切られた。
荷駄も伴わず、腰兵糧だけで駆け付けている以上、長滞陣は元々想定していない。
梁川城から進出してきた築地修理亮に後を託す形で、斯忠たちは福島城に引き上げることとなった。
なお、築地修理亮が刈田の古塁攻めに参陣しなかったのは決して手をこまねいていたからではない。
刈田の古塁から分派され、梁川城周辺で焼働きをしていた一揆勢五百を討ち果たしていたのだ。
結果的に、二手に分かれた一揆勢を、梁川城と福島城の上杉勢がそれぞれ撃破した形になる。
築地勢から多少の兵糧の融通を受けたこともあり、斯忠らは福島城への八里の帰路を、今度は道中で一泊して二日がかりで帰還した。
敢えて時間に余裕のある行軍となったのは、街道上に上杉勢の存在を示すことで、あらたな一揆勢の放棄を牽制する意味あいもあった。
***
それから大きな動きがないまま、数日が過ぎた。
今回の戦さで大きな働きをした前田慶次らには、直江兼続からねぎらいの言葉を記した書状が届いたという話が漏れ聞こえてくる。
「俺のところには何も来ねぇけどな」
噂話を耳にした斯忠は、陣屋で横になりながら不満げに口をとがらせた。
年のせいか、八里の道のりの往復は足腰に堪えた。
連日の土運びで膂力が鍛えなおされた気になっていたが、そう単純な話ではないらしい。
「そりゃ、一人も討たれていない代わりに、一人も討っていないんだから当然かと」
部屋の隅にだらしない恰好で座り込んでいた嶋左源次が、言わずもがなの正論を口にする。
「判ってるってんだよ、そんなこたぁ」
身体を起こした斯忠は、左源次の額をぱしりと叩く。
「あ痛てぇ」
「だいたい、たかが一揆をちょいと蹴散らしただけでお手柄だなんて大袈裟なんだよ。伊達の動きがこんなもので済むはずねえんだからよ」
腹立たしげに呟いた斯忠は、痛がる左源次を横目に、再び板の間に大の字に寝転がった。
確かに福島在陣衆の睨みが効いたか、一揆勢は一時はなりを潜めていた。
しかし七月も下旬となった頃、斯忠の予言めいた言葉は現実のものになった。
***
七月二十三日。
福島城で再び軍評定が開かれ、上座の本庄繁長は厳しい表情で口を開く。
「川俣城が伊達勢に攻め落とされた。城主安田太郎左衛門は討死。敵の大将は桜田玄蕃と知れておる」
繁長の言葉の意味を理解するのに数瞬の間が必要だった。やがて、諸将から言葉にならぬうめき声がもれる。
川俣城は、福島城から南東約五里に位置し、上杉と伊達の領地の境目からは離れている。むしろ、東の相馬領との境目にあるといってよい。
早晩、伊達との戦端が開かれるであろうことは誰もが覚悟していた。
だが、白石城でも梁川城でもなく、こんな場所の城が最初に敵手に落ちるとは予想外だった。
繁長は物見からの報せを、そのまま諸将に告げた。
曰く、
桜田元親が率いる兵数は、およそ二千。
川俣城を占拠後、周辺の集落を焼き払ったうえで、兵の一部を城に残し、大館まで進出して陣を張っている。
「まともに兵もいれておらぬ城じゃ。ひとたまりもあるまい」
「伊達勢は、相馬領を抜けてきたことになる。相馬は伊達と手を結んだのか……」
諸将の中から、そんな声があがる。
徳川家康が示した上杉征伐の陣立てでは、相馬の当主・相馬義胤は、仙道口の大将である佐竹義宣の組下となっている。
その相馬が徳川方である伊達勢の領内通行を許したことは、表向きにはなんの不思議もない。
しかし、佐竹義宣は上杉と密かに結び、機を見て家康に痛撃を食らわせる手筈ではなかったのか。
相馬単独ではさほど兵力を動かせるものではないが、事は佐竹に対する信頼に関わる。
斯忠も渋面を作る。
さすがに面と向かって、「佐竹は本当に味方なのか」などと斯忠に尋ねてくる者はいない。
斯忠は元々、その佐竹家と折り合いが悪くなって追い出された立場なのだ。
それでも、なんとなく肩身の狭い思いがする。
しかし、今は佐竹の真意を詮索している場合ではなかった。
「出張ってきてったのは、せいぜい二千程度とのこと。これを蹴散らすだけであるならば、我等の手に余るということはあるまい」
今回も、動揺を振り払うように本村親盛が口火を切り、強硬論を述べる。
上座の本庄繁長が我が意を得たりとばかり、力強くうなずく。
先日の勝ち戦で気をよくしている前田慶次や山上道牛は余裕の体だが、前回参陣できなかった組外衆の荒武者たちが、今度こそはと我がちに威勢の良い声をあげて出陣を求める。
(そう慌てなさんな。わざわざ出陣を申し出るまでもねぇ。此度は嫌でもみんな出陣することになるだろうよ)
斯忠は内心でつぶやく。
福島城に駐留する兵力は、本庄繁長配下の守備兵を除くと約二千程度でしかない。
つまり、伊達勢二千に数の上で対抗しようと思えば、必然的に福島在陣衆が全力をあげて出陣することになる。
ただし、そのうち五百が斯忠の手勢であり、その中には前述のとおり荷駄組二百も含まれている。
充分な調練も出来ていない彼らを数合わせのために参陣させて良いものか、あくまでも人夫として控えさせておくべきか。
斯忠がそんなことを考えながら周囲の喧騒をどこか他人事の顔で眺めていると、上泉泰綱と目があった。
「車殿。なにやらご思案の様子であるが、此度は御手前には留守居を願いたい」
泰綱の冷えた声が広間に響くと、ざわめきがたちまち水を打ったように静まり返った。
「そりゃまた、思いもかけない言葉。なんぞ、意趣でもおありにござるか」
眉を逆立てて斯忠が問う。自分だけ出陣できないとなれば心中穏やかではいられない。
泰綱は、斯忠の鋭い視線を真正面から受け止めて動じる気配もない。
「意趣とは申さぬ。ただ、車殿は先の古塁攻めにおいて動きが鈍うござったゆえ、戦さを厭うておられるのだと思うたまでのこと」
「なにぃ」
怒声を発しそうになるのを、かろうじてこらえる。
周囲を見回せば、山上道牛をはじめ、先日の戦さに参陣していた組外衆は、明らかに泰綱の発言に同調しているように見受けられた。
ただし前田慶次がどう思っているかだけは、その顔をまともに見づらいために判らない。
しかし慶次は別としても、全体の雰囲気として斯忠の懈怠を責める空気であることは明らかだった。
「後備として一揆勢の不意打ちに備えていたまでのこと。我が身可愛さに保身に走ったなどと思われたとあっちゃあ、心外だね」
そう反論してみるが、練度不足の兵を死なせまいと考え、積極的に敵に討ちかからせようとしなかったことは事実である。
斯忠の知らぬところで、温存策が予想外に反感を買っていたものらしい。
あるいは、独自に動かせる自前の兵を持つ斯忠に対する嫉妬が根底にあるのかもしれないが、確かめるすべはない。
(「初陣だからって手柄を立てようと思うな」ぐらいは言ったのも確かだ。まさか聞かれた訳でもあるまいが……)
そんな思いが脳裏によぎると、反論の語気にも力がこもらない。
己にも非があると感じてしまったが最後、何食わぬ様子ではったりをきかせられないのが、車丹波という男である。
「では、留守居の段、よろしく御頼み申す。伊達の不意打ちにも存分に備えられるように」
勝ち誇った口ぶりで皮肉を放つ泰綱に対して、斯忠は歯噛みして耐える。
結局、斯忠の手勢五百を除き、本村親盛を大将とする福島在陣衆一千五百が再び、福島城を出陣した。
***
七月二十五日。
斯忠は福島在陣衆出陣の翌日から、本庄繁長に許可を得たうえで、松川の河原にて二日続けて練兵を行っていた。
かねてより、土運びばかりに時を取られ、充分な練兵の時間が取れていないことを、斯忠は気にかけていた。
先日の戦さでは、引き連れた百名を押し引きさせることに不安は感じずに済んだ。
それは、小規模であったため、斯忠が直接、兵ひとりひとりに指示を出せたからである。
しかし、斯忠の号令を組頭から小頭、小頭から兵卒へと遅滞なく伝え、各兵科三百名すべてを自在に動かせるかどうかは判らない。
ましてや武士以外の出身も多い荷駄組の二百名も加えると、はたして斯忠の下知通りに動けるものか、全く未知数である。
もっともこの練兵をあえて福島城下で行うことで、「戦さを恐れている」との評価を払拭したいとの思いがないといえば嘘になる。
加えて言えば、福島在陣衆が出払った時期を見計らったのは、前田慶次に己の采配をみられたくなかった、という意味もあったのだが。
いずれにせよ、武芸を鍛えるのが目的ではなく、兵の動き具合の確認が目的である。
従って本物の得物をわざわざ持ち出す必要はなく、むしろ怪我の危険もあって不要である。
そのため、兵はそれぞれの兵科にあわせて鑓や鉄砲に見立てた棒切れを持たされており、士気があがらないことはなはだしい。
加えて、練兵が始まった当初は薄曇りだった空は、時が経つにつれて次第に分厚く黒曇が広がり、ついに雨が降り始める始末である。
「兵はやる気がなく、天気は雨模様か。ふん、条件がよくないほど、練兵のしがいがあるってもんだ」
斯忠はそう強がりの言葉をつぶやき、自らも雨に打たれながら号令を出し続ける。
姿なき敵勢に対して、弓組が射掛け、長鑓組が鑓衾をつくり、その間を抜けた徒組が斬り込み、馬廻りが側面を衝いて蹂躙する、といった動きが何度も繰り返された。
***
夕闇が迫り、そろそろ今日の練兵を終わりにしようかと斯忠が考えていると、敵陣への斬り込みを想定して草むらへと駆け入った徒組の兵の間から、時ならぬ声があがった。
「なんだ、なにがあった」
斯忠が叫ぶ。何かただならぬ予感がして、練兵を一時中断させる。
やがて徒組の小頭を中心とした数名が、一人の男を引きずるように引っ立ててきた。
「こちらを伺う怪しい者を捕らえましたゆえ、詮議願います」
徒組の小頭が得意げに胸を張る。
「まあ確かに怪しいかも知れねぇが、伊達の間者とは違うんじゃねぇか」
斯忠がそんな感想を漏らすのは、捕らわれた男が抵抗も出来ないほど疲労困憊しており、その身なりも追剥ぎにでもあったかのようにボロボロだったからだ。
(これが伊達の間者の演技だとは、ちょっと思えねえな)
「あ、あれに見えるは福島の御城でございましょうか……」
息も絶え絶え、といった口調で男が問うた。
そんなことを最初に尋ねるのは、斯忠らが外郭の普請を行った結果、外から見える福島城の姿は従前と異なって見えるためか、それとも相当に意識が朦朧としているからなのかは判然としない。
「おうよ、間違いねぇ。俺は福島在陣衆の留守居役、車丹波守斯忠だ。それで、こうまでくたびれ果てているお前さんは何者だい」
「それがしは、白石城より遣わされた使番にございます。火急の用向きゆえ、急ぎ本庄越前守に御目通りを」
使番と名乗るその男は、言葉の途中で膝から崩れ落ちそうになり、両脇から徒組の兵に支えられる。
「白石城だと。よし、すぐに連れて行ってやるゆえ、気をしっかり持て。おい、源公。なにぼさっと突っ立ってるんだ。水を持って来い!」
伊達領との境目にある白石城からの使番が、このような哀れな姿になって福島城下に現れる。
無論、本庄繁長に遣わされた使番から、繁長より先に口上の内容を聞き出す訳にはいかないが、この状況ではどう考えても良い知らせを伝えに来たとは思えない。
左源次から水を与えられた使番だが、己の足ではこれ以上歩けそうもない。
斯忠は徒組の兵に、使番を担いで福島城まで運ぶよう命じた。
「嵐が来るかな」
空を覆う黒雲をちらりと見上げ、斯忠はそう呟いた。
山上道牛らはまだ戦い足りないといった風情であるが、不満の色は見せない。
福島城から八里もの距離を強行軍で駆け付けた疲労は無視できない。
そもそも地元の郷民のほうが地勢に明るく、夜間の追撃戦では思わぬ不覚を取りかねない。
いったん兵をまとめる判断は妥当であった。
その晩、斯忠らは制圧した刈田の古塁で野営することになった。
当然ながら夜討を警戒して篝火を盛んに焚き、交替で不寝番を勤めながら一夜を明かす。
幸いに何事も起こらず朝を迎えると、改めて周辺集落に向かう。
しかし、一揆に加わっていた郷民が己の在所に戻ってしまえば、探し出すのは困難である。
敵地ならばともかく上杉領内であるからこそ、撫で斬りなどできる話ではなかった。
結局、成果が上がらないまま、一揆の掃討はその一日のみで打ち切られた。
荷駄も伴わず、腰兵糧だけで駆け付けている以上、長滞陣は元々想定していない。
梁川城から進出してきた築地修理亮に後を託す形で、斯忠たちは福島城に引き上げることとなった。
なお、築地修理亮が刈田の古塁攻めに参陣しなかったのは決して手をこまねいていたからではない。
刈田の古塁から分派され、梁川城周辺で焼働きをしていた一揆勢五百を討ち果たしていたのだ。
結果的に、二手に分かれた一揆勢を、梁川城と福島城の上杉勢がそれぞれ撃破した形になる。
築地勢から多少の兵糧の融通を受けたこともあり、斯忠らは福島城への八里の帰路を、今度は道中で一泊して二日がかりで帰還した。
敢えて時間に余裕のある行軍となったのは、街道上に上杉勢の存在を示すことで、あらたな一揆勢の放棄を牽制する意味あいもあった。
***
それから大きな動きがないまま、数日が過ぎた。
今回の戦さで大きな働きをした前田慶次らには、直江兼続からねぎらいの言葉を記した書状が届いたという話が漏れ聞こえてくる。
「俺のところには何も来ねぇけどな」
噂話を耳にした斯忠は、陣屋で横になりながら不満げに口をとがらせた。
年のせいか、八里の道のりの往復は足腰に堪えた。
連日の土運びで膂力が鍛えなおされた気になっていたが、そう単純な話ではないらしい。
「そりゃ、一人も討たれていない代わりに、一人も討っていないんだから当然かと」
部屋の隅にだらしない恰好で座り込んでいた嶋左源次が、言わずもがなの正論を口にする。
「判ってるってんだよ、そんなこたぁ」
身体を起こした斯忠は、左源次の額をぱしりと叩く。
「あ痛てぇ」
「だいたい、たかが一揆をちょいと蹴散らしただけでお手柄だなんて大袈裟なんだよ。伊達の動きがこんなもので済むはずねえんだからよ」
腹立たしげに呟いた斯忠は、痛がる左源次を横目に、再び板の間に大の字に寝転がった。
確かに福島在陣衆の睨みが効いたか、一揆勢は一時はなりを潜めていた。
しかし七月も下旬となった頃、斯忠の予言めいた言葉は現実のものになった。
***
七月二十三日。
福島城で再び軍評定が開かれ、上座の本庄繁長は厳しい表情で口を開く。
「川俣城が伊達勢に攻め落とされた。城主安田太郎左衛門は討死。敵の大将は桜田玄蕃と知れておる」
繁長の言葉の意味を理解するのに数瞬の間が必要だった。やがて、諸将から言葉にならぬうめき声がもれる。
川俣城は、福島城から南東約五里に位置し、上杉と伊達の領地の境目からは離れている。むしろ、東の相馬領との境目にあるといってよい。
早晩、伊達との戦端が開かれるであろうことは誰もが覚悟していた。
だが、白石城でも梁川城でもなく、こんな場所の城が最初に敵手に落ちるとは予想外だった。
繁長は物見からの報せを、そのまま諸将に告げた。
曰く、
桜田元親が率いる兵数は、およそ二千。
川俣城を占拠後、周辺の集落を焼き払ったうえで、兵の一部を城に残し、大館まで進出して陣を張っている。
「まともに兵もいれておらぬ城じゃ。ひとたまりもあるまい」
「伊達勢は、相馬領を抜けてきたことになる。相馬は伊達と手を結んだのか……」
諸将の中から、そんな声があがる。
徳川家康が示した上杉征伐の陣立てでは、相馬の当主・相馬義胤は、仙道口の大将である佐竹義宣の組下となっている。
その相馬が徳川方である伊達勢の領内通行を許したことは、表向きにはなんの不思議もない。
しかし、佐竹義宣は上杉と密かに結び、機を見て家康に痛撃を食らわせる手筈ではなかったのか。
相馬単独ではさほど兵力を動かせるものではないが、事は佐竹に対する信頼に関わる。
斯忠も渋面を作る。
さすがに面と向かって、「佐竹は本当に味方なのか」などと斯忠に尋ねてくる者はいない。
斯忠は元々、その佐竹家と折り合いが悪くなって追い出された立場なのだ。
それでも、なんとなく肩身の狭い思いがする。
しかし、今は佐竹の真意を詮索している場合ではなかった。
「出張ってきてったのは、せいぜい二千程度とのこと。これを蹴散らすだけであるならば、我等の手に余るということはあるまい」
今回も、動揺を振り払うように本村親盛が口火を切り、強硬論を述べる。
上座の本庄繁長が我が意を得たりとばかり、力強くうなずく。
先日の勝ち戦で気をよくしている前田慶次や山上道牛は余裕の体だが、前回参陣できなかった組外衆の荒武者たちが、今度こそはと我がちに威勢の良い声をあげて出陣を求める。
(そう慌てなさんな。わざわざ出陣を申し出るまでもねぇ。此度は嫌でもみんな出陣することになるだろうよ)
斯忠は内心でつぶやく。
福島城に駐留する兵力は、本庄繁長配下の守備兵を除くと約二千程度でしかない。
つまり、伊達勢二千に数の上で対抗しようと思えば、必然的に福島在陣衆が全力をあげて出陣することになる。
ただし、そのうち五百が斯忠の手勢であり、その中には前述のとおり荷駄組二百も含まれている。
充分な調練も出来ていない彼らを数合わせのために参陣させて良いものか、あくまでも人夫として控えさせておくべきか。
斯忠がそんなことを考えながら周囲の喧騒をどこか他人事の顔で眺めていると、上泉泰綱と目があった。
「車殿。なにやらご思案の様子であるが、此度は御手前には留守居を願いたい」
泰綱の冷えた声が広間に響くと、ざわめきがたちまち水を打ったように静まり返った。
「そりゃまた、思いもかけない言葉。なんぞ、意趣でもおありにござるか」
眉を逆立てて斯忠が問う。自分だけ出陣できないとなれば心中穏やかではいられない。
泰綱は、斯忠の鋭い視線を真正面から受け止めて動じる気配もない。
「意趣とは申さぬ。ただ、車殿は先の古塁攻めにおいて動きが鈍うござったゆえ、戦さを厭うておられるのだと思うたまでのこと」
「なにぃ」
怒声を発しそうになるのを、かろうじてこらえる。
周囲を見回せば、山上道牛をはじめ、先日の戦さに参陣していた組外衆は、明らかに泰綱の発言に同調しているように見受けられた。
ただし前田慶次がどう思っているかだけは、その顔をまともに見づらいために判らない。
しかし慶次は別としても、全体の雰囲気として斯忠の懈怠を責める空気であることは明らかだった。
「後備として一揆勢の不意打ちに備えていたまでのこと。我が身可愛さに保身に走ったなどと思われたとあっちゃあ、心外だね」
そう反論してみるが、練度不足の兵を死なせまいと考え、積極的に敵に討ちかからせようとしなかったことは事実である。
斯忠の知らぬところで、温存策が予想外に反感を買っていたものらしい。
あるいは、独自に動かせる自前の兵を持つ斯忠に対する嫉妬が根底にあるのかもしれないが、確かめるすべはない。
(「初陣だからって手柄を立てようと思うな」ぐらいは言ったのも確かだ。まさか聞かれた訳でもあるまいが……)
そんな思いが脳裏によぎると、反論の語気にも力がこもらない。
己にも非があると感じてしまったが最後、何食わぬ様子ではったりをきかせられないのが、車丹波という男である。
「では、留守居の段、よろしく御頼み申す。伊達の不意打ちにも存分に備えられるように」
勝ち誇った口ぶりで皮肉を放つ泰綱に対して、斯忠は歯噛みして耐える。
結局、斯忠の手勢五百を除き、本村親盛を大将とする福島在陣衆一千五百が再び、福島城を出陣した。
***
七月二十五日。
斯忠は福島在陣衆出陣の翌日から、本庄繁長に許可を得たうえで、松川の河原にて二日続けて練兵を行っていた。
かねてより、土運びばかりに時を取られ、充分な練兵の時間が取れていないことを、斯忠は気にかけていた。
先日の戦さでは、引き連れた百名を押し引きさせることに不安は感じずに済んだ。
それは、小規模であったため、斯忠が直接、兵ひとりひとりに指示を出せたからである。
しかし、斯忠の号令を組頭から小頭、小頭から兵卒へと遅滞なく伝え、各兵科三百名すべてを自在に動かせるかどうかは判らない。
ましてや武士以外の出身も多い荷駄組の二百名も加えると、はたして斯忠の下知通りに動けるものか、全く未知数である。
もっともこの練兵をあえて福島城下で行うことで、「戦さを恐れている」との評価を払拭したいとの思いがないといえば嘘になる。
加えて言えば、福島在陣衆が出払った時期を見計らったのは、前田慶次に己の采配をみられたくなかった、という意味もあったのだが。
いずれにせよ、武芸を鍛えるのが目的ではなく、兵の動き具合の確認が目的である。
従って本物の得物をわざわざ持ち出す必要はなく、むしろ怪我の危険もあって不要である。
そのため、兵はそれぞれの兵科にあわせて鑓や鉄砲に見立てた棒切れを持たされており、士気があがらないことはなはだしい。
加えて、練兵が始まった当初は薄曇りだった空は、時が経つにつれて次第に分厚く黒曇が広がり、ついに雨が降り始める始末である。
「兵はやる気がなく、天気は雨模様か。ふん、条件がよくないほど、練兵のしがいがあるってもんだ」
斯忠はそう強がりの言葉をつぶやき、自らも雨に打たれながら号令を出し続ける。
姿なき敵勢に対して、弓組が射掛け、長鑓組が鑓衾をつくり、その間を抜けた徒組が斬り込み、馬廻りが側面を衝いて蹂躙する、といった動きが何度も繰り返された。
***
夕闇が迫り、そろそろ今日の練兵を終わりにしようかと斯忠が考えていると、敵陣への斬り込みを想定して草むらへと駆け入った徒組の兵の間から、時ならぬ声があがった。
「なんだ、なにがあった」
斯忠が叫ぶ。何かただならぬ予感がして、練兵を一時中断させる。
やがて徒組の小頭を中心とした数名が、一人の男を引きずるように引っ立ててきた。
「こちらを伺う怪しい者を捕らえましたゆえ、詮議願います」
徒組の小頭が得意げに胸を張る。
「まあ確かに怪しいかも知れねぇが、伊達の間者とは違うんじゃねぇか」
斯忠がそんな感想を漏らすのは、捕らわれた男が抵抗も出来ないほど疲労困憊しており、その身なりも追剥ぎにでもあったかのようにボロボロだったからだ。
(これが伊達の間者の演技だとは、ちょっと思えねえな)
「あ、あれに見えるは福島の御城でございましょうか……」
息も絶え絶え、といった口調で男が問うた。
そんなことを最初に尋ねるのは、斯忠らが外郭の普請を行った結果、外から見える福島城の姿は従前と異なって見えるためか、それとも相当に意識が朦朧としているからなのかは判然としない。
「おうよ、間違いねぇ。俺は福島在陣衆の留守居役、車丹波守斯忠だ。それで、こうまでくたびれ果てているお前さんは何者だい」
「それがしは、白石城より遣わされた使番にございます。火急の用向きゆえ、急ぎ本庄越前守に御目通りを」
使番と名乗るその男は、言葉の途中で膝から崩れ落ちそうになり、両脇から徒組の兵に支えられる。
「白石城だと。よし、すぐに連れて行ってやるゆえ、気をしっかり持て。おい、源公。なにぼさっと突っ立ってるんだ。水を持って来い!」
伊達領との境目にある白石城からの使番が、このような哀れな姿になって福島城下に現れる。
無論、本庄繁長に遣わされた使番から、繁長より先に口上の内容を聞き出す訳にはいかないが、この状況ではどう考えても良い知らせを伝えに来たとは思えない。
左源次から水を与えられた使番だが、己の足ではこれ以上歩けそうもない。
斯忠は徒組の兵に、使番を担いで福島城まで運ぶよう命じた。
「嵐が来るかな」
空を覆う黒雲をちらりと見上げ、斯忠はそう呟いた。
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天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

【完結】電を逐う如し(いなづまをおうごとし)――磯野丹波守員昌伝
糸冬
歴史・時代
浅井賢政(のちの長政)の初陣となった野良田の合戦で先陣をつとめた磯野員昌。
その後の働きで浅井家きっての猛将としての地位を確固としていく員昌であるが、浅井家が一度は手を携えた織田信長と手切れとなり、前途には様々な困難が立ちはだかることとなる……。
姉川の合戦において、織田軍十三段構えの陣のうち実に十一段までを突破する「十一段崩し」で勇名を馳せた武将の一代記。
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