【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原

糸冬

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(九)神指城

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 組外衆として上杉家の配下に組み入れられた斯忠つなただ率いる五百名は、兼続の指図の元、さっそく神指城の外堀の土運びや石垣づくりに駆り出されることになった。

 五百人もいれば、戦さのために来たのであって、人足の真似ごとをしたい訳でもない、などとヘソを曲げる者もいないではなかった。

 だが、まだ合戦が起こっていない以上、遊んでいる訳にもいかない。

 斯忠自身もふんぞり返って配下だけに働かせるわけではなく、自ら鍬を振るい、もっこを担ぐ。

 もちろん、白壁を塗ったり瓦を葺いたりといった技術が要求される作業は職人の手によるが、人数に物を言わせる力仕事が必要な場所はいくらでもあった。

 雇われた人足だけではなく、給金を別途得ている斯忠らにも、朝夕には食事が提供された。

 斯忠が驚いたのは、動員されている地元の領民に対しても平等に食事が与えられていることだ。

「なかなか出来ることじゃないですぜ。さすがは直江山城守様は民にお優しい」
 遠慮なく握り飯を頬張りながら、嶋左源次などは感心しきりで、あっさり兼続贔屓になってしまったようである。

「そう単純な話でもないだろうさ」
 左源次ほど兼続に対して素直に敬意を払えない斯忠は、どうしても斜めに構えて現実を見てしまう。

 長年にわたって上杉家の統治が行き届いていた越後と異なり、近年になって蒲生、伊達、上杉とめまぐるしく支配者が変わった会津の事情もあるのだろう。

 すなわち、赴任して数年の新しい領主に対して、領民も心から帰服しているとは言い難い。

 無理な動員は一揆を誘発しかねず、無理をさせられない事情を垣間見たように、斯忠には思えた。

***

 普請に参加するようになって数日も経つと、最初のうちは右も左も判らなかった神指城の普請現場の姿が、次第に斯忠にも理解できるようになってくる。

 縄張り図を見た訳ではないが、この城の縄張りが本丸と呼ばれる内郭と、二の丸と呼ばれる外郭が、空から眺めた場合、あたかも漢字の「回」の字をした輪郭式の平城であることを把握しつつあった。

 もちろん単純な四角形ではなく、横矢掛かりを考慮した窪みが設けられているが、それほど複雑な構造にはなっていない。

 防御の要となるのは、二十間堀と呼ばれる幅の広い水濠である。

 普請を監督する奉行の一人にそれとなく訊ねたところ、本丸は東西百間、南北百七十間、二の丸は東西二百六十間、南北二百九十間にもおよぶ巨大な縄張りであることも判った。

「こりゃあ、どうも徳川を迎え撃つための急普請の城って訳じゃなさそうだぞ」
 斯忠は土運びの手をとめて、傍らの左源次にそう話しかける。

「虎の兄貴もそう思われますか。恐らくは、上杉百二十万石にふさわしい城として、政庁としての役割を重んじた縄張りかと」
 兵法の知識を披露できるのが嬉しいのか、左源次は笑顔だった。

 そもそも、現在の上杉氏の居城である鶴ヶ城は、名将の誉れ高い蒲生氏郷が心血を注いで築いた城である。

 町割すら城郭の防御施設とみなして計算されて築かれており、その工夫は住人の往来に支障をきたすほどのもので、その守りに隙などあろう筈がない。

 一方で、神指城が天険の要害に築かれる山城ならいざしらず、鶴ヶ城と同じく平地に築かれる平城である。

 鉄砲対策として欠かせない幅の広い水濠を掘削するためには、どれだけ大量の人手を動員しても、相応の時間を要することは避けられない。

 徳川家康がいつ大軍を率いて攻め寄せてきてもおかしくない情勢では、鶴ヶ城に代わる要衝として機能するまで普請が進むとはとても思えない。

 この城を築き始めたことが豊臣家に対する叛意の証拠とされてしまっているのは、兼続にとって不本意な話なのかもしれない。

 その兼続は、内政も外交も一身に背負っており、神指城の普請に掛かり切りではいられない。

 斯忠は最初に仕官を申し出て以来、兼続の姿を見ていない。

「こんな城、作ってる場合じゃねえんじゃございやせんか、山城守様よぉ」
 どこにいるとも知れぬ兼続に向け、斯忠は胸のうちで呼びかけた。

***

 その日の晩。
 普請働きを終えた斯忠は、馬廻、鑓組、弓組、鉄砲組、荷駄組の各組頭と、物の道理が判りそうな小頭を呼び集めた。

 斯忠らに割り当てられた作事現場近くの狭い掘立小屋は、男どもでぎゅうぎゅう詰めになる。

「集まってもらったのは他でもねぇ。皆、頑張ってもらっているが、根を詰めすぎる必要はねぇからな。役人の目が届かないところがあったら、手を休められるときは休めるようにしてやってくれ」
 斯忠の言葉を聞いた組頭たちの反応は二つに分かれた。

「さすがは車の旦那は話が判る」
 真っ先に膝を叩いて相好を崩したのは、鉄砲組の組頭である。

 硝煙に燻され続けたためでもなかろうが、異様に浅黒い肌の持ち主の小柄な男だった。

 年の頃は四十がらみなのだろうが、どこか小僧っこのような面立ちのため、年齢より若くみえる。

 彼の配下は、いずれも腕に覚えがあって鉄砲放ちを志願した者たちである。そのため、一緒くたに人夫として働かされる目下の扱いに不満を募らせている様子であった。

 他に、小頭の多くも、斯忠の言葉に安堵の表情をみせていた。

 それは斯忠にとっては予想の範囲内だった。

 顔を合わせてからまだひと月も経っていないが、お互いに人となりを知り、それぞれの呼吸をつかみつつあった。

 一方、浮かぬ顔をみせる者もいる。
 その一人である弓組の組頭が、小首を傾げながら斯忠に問う。

「戦さは間近との風聞もございますが、そのように悠長に構えていてよろしいのでしょうか」
 弓組の組頭は、鉄砲組の組頭とは対照的に色白の男だ。

 面長ののっぺりとした顔立ちは一見すると荒事に向きそうにはとてもみえない。

 斯忠にしても、この男の弓の腕前は、満願寺で実際に目の当たりにするまでは信じられなかったほどだ。

「お前さんの言うことも判る。だがな、この中には薄々勘付いている者もいるかと思うが、あの城、戦さまでに間に合うと思うか」
 斯忠が投げ返した問いかけに、組頭達はざわつきながら顔を見合わせる。

「なにしろ堀の幅が広うございますれば、十分な深さに掘り進めるまでには相当に時間を要するものと存じます。当地では冬場の普請が出来ぬとあれば、来春に持ち越すのではないでしょうか」
 やがて、荷駄組の組頭がおずおずといった調子で意見を述べた。

 荷駄組の組頭は老人一歩手前の風貌で、髪にも白いものが多く混じっている。
 実際、斯忠よりも年上であろう。

 荷駄組は戦さ働きこそしないものの、二百人と各組の中でも最大の人数を采配する必要があり、年の功を期待して抜擢した男だ。

 本人にも、元々戦場以外での働きを求められているとの自覚があり、築城に関しても己の考えを持っている様子がうかがえた。

「俺もそう思う。単なる勘ではあるが、徳川がいざ攻めてくるとなれば明年という話はあるまい。つまり、城は間に合わねぇってわけだ」

「では、直江様はなにゆえに、普請にこれほどの人数を集めているのでしょうか」
 弓組の組頭がさらに問うた。

「正直、そのあたりは俺にも判らねぇよ。ただよ、普請でくたびれ果てて、いざ戦さって段になって動けませんじゃ話にならねぇや。そう心得て、うまく力を抜けるときは抜いてやってくれ」
 斯忠の言葉は、回答としてはほとんど意味はなかった。

 しかし、理屈はどうあれ配下を消耗させたくないとの意図は皆に伝わったようだった。

「委細承知いたしました」
 弓組の組頭に続き、他の組頭や小頭達も一斉に頭を下げた。

 散会となったのち、その晩のうちに斯忠の「根を詰めるな」との意向は、組頭から小頭、そしてその配下へと密かに伝達された。

 そのため、翌日から彼らの動きが目に見えて手抜きになった……、訳ではなかった。

 現実には、兼続に懈怠を許さぬよう厳命されているであろう役人が、抜かりなく普請現場を見張っている。
 そうそう簡単に手を抜く機会など作れるものではなかった。

 それでも、過労気味の者をいち早くみつけて休ませるなどの対応をとれるだけでも、概ね斯忠の指図は好意的に受け入れられた様子だった。

「悪だくみを共有するってのは、仲間の絆を深めますね」
 日が暮れて、掘っ建て小屋に戻った左源次は斯忠の目論みを、良策として褒める。
 しかし、当の斯忠は浮かぬ顔である。

「そういう訳じゃねぇよ」
 先の見えない人夫働きで消耗させたくない、というのは悪だくみでもなんでもなく、斯忠の本心である。

 実のところ、斯忠は率いてきた五百名を養っていくことに、少なからぬ負担と、そして不安を感じていた。

 これまで陣代として兵を率いて戦ったことは何度もあっても、あくまでも率いたのは車本家の家臣であり、己の家臣ではなかった。

 吉田城の陣代としての働きも、己の家臣を抱えて行ってきたものではない。

 つまり、これだけの人数を己の配下とするのは、斯忠にとって初めての経験である。

 人を使うことに対して、ときに必要以上に責任の重さを感じずにはいられないのが車丹波という男である。

 正直なところ、思慮が浅かったと内心で後悔していたのだが、そんなことはもちろん、左源次にも善七郎にも言える話ではない。

(こうなったら、一日でも早く戦さになってもらうしかねぇな。家康はいつ兵を挙げるんだろうな)

 戦さになってくれらば、自分も配下も報われる。
 今はそれしか考えられない斯忠であった。
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