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(五)鬼真壁
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五百人を集めて会津に乗り込む。その思惑の実現に向けて奔走する斯忠だが、人集めだけに専念していられる立場ではなかった。
当座の支度金だけでなく、武具から全員を食わせられるだけの兵糧に至るまで、持参してこない者に対しては支給しなければならないのだ。
もちろん、牢人者であれば自前の武具を担いで参じることもあるだろう。
しかし、それを全員に期待する訳にもいかないし、甲冑や刀はともかく、長鑓や鉄砲など、自弁をあてにするばかりにはいかないものも多い。
「あらためて思うが、戦さというのは銭がかかるものだねぇ」
いまさら、そんなぼやきが斯忠の口からこぼれるほど、軍資金の不足は深刻だった。
実は佐竹家からの召し放ちにあたって、手切れ金としていくばくかの金が渡されている。
和田昭為も明言こそ避けたが、斯忠にいくらかの人数を募らせ、会津に向かわせたい思惑が含まれているのは明らかだった。
とはいえ、五百もの兵を集めるには到底足りない。
多胡八右衛門からの餞別を加えても追いつくものではなく、そもそも後先を考えれば手元の金を戦支度だけで使い切ってしまう訳にもいかない。
ただ、斯忠も佐竹家の臣として長年領民に接する間に、金こそ貸していないが、恩を売った相手ならいくらか心当たりがあった。
恩返しを要求するのは気が進まなかったが、背に腹は代えられない。
商家や神社仏閣、あるいは賭場といった、かつて斯忠がかかわりを持ったことのある場所を訪れては、弓矢の一本から米のひと掬いに至るまで、できうる限りの支援を厚かましく供出を求めた。
ただし、斯忠は決して借財という形は取らず、あくまでただで貰うことにこだわった。
現実問題としては、佐竹家から離れた斯忠相手に貸したところで、きちんと戻ってくる保証も担保もありはしないので、あまり差異はない。
それでも、どれだけ金に困っても借金だけはしないと心に決めているのが、車斯忠という男である。
しかし、斯忠自身の心がけとは別に、事と次第によっては常陸が戦場になるとも限らない時世である。
ただで提供するとなると、錆鑓一つすら出し惜しみする者がほとんどで、なかなか思うように準備は整わないまま、日数が過ぎていった。
人集めはともかく、行き詰まりを見せる戦支度に斯忠は焦りを感じながら、日も暮れた後に朝日屋の離れに戻る。
いくら焦ったところで、夜の往来に立ったところで人集めの役には立たない。
部屋の中で腕組みをしながら明日以降の算段を考えていると、朝日屋の丁稚が来客を告げに来た。
「いまの俺に用があるって、なんだ。仕官したいって話じゃねえんだろ」
斯忠は不機嫌そのものの声で丁稚に訊ねる。
兵として参加したい者は満願寺に集まることと常に告げており、斯忠も大っぴらに朝日屋の名は口にしていない。
「それが、翁山道永が来たと言えばわかる、と仰せの御方にございます」
斯忠を前に、丁稚が首をすくめながら応える。
「おうざんどうえい、翁山道永……? あっ、お前、それを早く言え。さっさと呼んできな。さもなきゃ鬼に縊り殺されるぞ」
「鬼、にございますか」
「そうとも。今、店先で待っているのは鬼の一族だ」
斯忠の脅しを真に射受けたのか、それとも単に剣幕に驚いたのか、丁稚はすっ飛んで店先に戻り、ほどなくして客を離れまで案内してきた。
「車殿、あの丁稚に何を吹き込まれた。可哀想に、震えあがっておりましたぞ」
翁山道永と名乗る客は、斯忠の顔を見るなり苦言を呈する。
もっとも、その表情は困惑しているというより、どこか面白がっているように見えた。
ただ、そんな表情を読み取れるのは斯忠だからであり、丁稚風情ではやはり鬼に見えたとしてもおかしくはない。
彫りの深い面立ちは、戦場往来の強者を連想させずにはおかず、それは事実であった。
「なあに、鬼が来たと言ってやったまでのことで」
道永に着座を促しながら、斯忠はその対面に腰を下ろす。
「相変わらずですな。それはそうと、噂は耳にしましたぞ。随分と意気盛んでござるな」
呆れとも感嘆ともつかぬ声をあげるこの道永という男は、元をただせば真壁一族の当主・真壁氏幹に他ならない。
金砕棒を得物として戦場を疾駆する姿から「鬼真壁」と称され、他国にもその名を知られた剛勇の士だ。
自らに嫡男がないことから実弟と御家争いになりかけたため、いまは潔く身を引いて剃髪し、名も改めて隠居の身である。
ただし隠居とはいえ、道永は斯忠よりやや年下である。
他ならぬ佐竹家の前当主・義重が早々に家督を義宣に譲って隠居しており、道永の隠居が特別に早すぎるというものではない。
逆に道永の目から見れば、今なお現役で、やる気満々で手勢を募って会津に乗り込もうという斯忠の姿こそ、良くも悪くも異質の存在に映っているのかもしれない。
「召し放ちとあっちゃ、そのまま隠居するのも面白くねぇ。このままで終わる訳にはいかねぇってことよ」
無礼にならぬよう迎え入れはしたものの、道永の来訪の意図がつかめない斯忠は、探るような独り言じみた口調で応じる。
同じ佐竹家中で武断派と目された斯忠と道永であるが、実際のところは戦場で同陣した際に言葉を交わすことはあっても、日頃からはさほど親しい間柄ではなかった。
「いやいや、まったく羨ましい。許されるならば儂も会津でひと働きしてみたいものじゃが、諸般の事情あってそうも行かぬ。そこでじゃ」
斯忠の内心の焦燥を知ってから知らずか、道永は懐から取りだした切紙を差し出した。
「はて、これは」
首を傾げながら受け取った斯忠が中を改めると、それは金、米、武具、その他の金品を記した目録であった。
思わず斯忠が顔をあげると、得たりとばかりに微笑んでいる道永と目があった。
「此度の出陣にあたってご入用であろう。隠居分として蔵にしまい込んであるものじゃが、よろしければお使いくだされ」
目録に記された物品の数と、これまで斯忠が確保したものをあわせると、長鑓百本、長弓八十張、そしてこれまでまったく目途が立っていなかった鉄砲三十挺が手に入る勘定になる。
「いや、これは……。まったくありがたいことで。特に鉄砲がありがたい」
斯忠は、思いもかけない申し出に、不覚にもしどろもどろになりながら頭を下げる。
「さて、ぬか喜びにならぬよう、付け加えておかねばなりませぬな」
道永は、相好を崩した斯忠に対して、幾分複雑な表情をつくって内情を説明する。
聞けば、三十挺の鉄砲については作られた時期も場所もバラバラで、銃身の長さも口径もまちまちだという。さらに、鉛玉と玉薬は一挺あたり五発分程度しかない、とも。
「いやいや、贅沢を言ってもきりがねぇことで。しかし、なにゆえでござる。ここまでしてもらうような事をした覚えがござらぬが」
首をひねる斯忠に対し、道永が剃り上げた頭を撫でたかと思うと、ぐいと身を乗り出した。
「それは、これからしていただく。どうか、常州武者の意地を、会津の地にて存分に御示しくだされ」
道永の野太い声に、思わず斯忠も居住まいを正す。
できうることなら自らも会津に赴き、天下を相手の大戦さに臨みたい。道永の顔には、確かにそう書いてあるように、斯忠の目にはみえた。
「それは無論のこと。しかし、本当によろしいのか。この先、事と次第によっては当家、いや佐竹の御家が上杉と同心して徳川内府の軍勢を迎え撃つことになるやもしれぬ。その折は、道永殿も隠居などとは言っておられますまい」
「かような折は、まさしく隠居の身と言えど常陸じゅうから牢人を集めるつもりでしたがな。その牢人を残らずかき集めてしまったのが、他ならぬ車殿ですぞ」
「あっ、それはまったくその通りで」
ぴしゃりと己の額を叩いた斯忠をみて、道永は心地よさげに声をあげて笑った。
「となれば、もはや牢人勢に貸し与えるための武具の用意は無用。それがしは事あらば、身一つでお屋形様の元に馳せ参じると決め申した」
「さすがは鬼真壁殿、その覚悟、しっかり受け取りましたぞ。となれば、これはありがたく頂戴いたします。いずれ機会あらば、会津陣の戦さ語りなどさせていただきましょう」
目録を持ち上げて伏し拝む真似をする斯忠は、ほぼ間違いなく上杉と徳川の間で戦さになると見込んでいる。
しかし、将来のことは誰にも判らない。
ひとたび会津に向かって上杉の元に仕官が叶ったとして、再び常陸の地に足を踏み入れる機会があるのか、確約は出来かねた。
それは道永も重々承知である。
「その日が楽しみですな」
多くを語らず、道永が遠くを見る目で呟いた。
当座の支度金だけでなく、武具から全員を食わせられるだけの兵糧に至るまで、持参してこない者に対しては支給しなければならないのだ。
もちろん、牢人者であれば自前の武具を担いで参じることもあるだろう。
しかし、それを全員に期待する訳にもいかないし、甲冑や刀はともかく、長鑓や鉄砲など、自弁をあてにするばかりにはいかないものも多い。
「あらためて思うが、戦さというのは銭がかかるものだねぇ」
いまさら、そんなぼやきが斯忠の口からこぼれるほど、軍資金の不足は深刻だった。
実は佐竹家からの召し放ちにあたって、手切れ金としていくばくかの金が渡されている。
和田昭為も明言こそ避けたが、斯忠にいくらかの人数を募らせ、会津に向かわせたい思惑が含まれているのは明らかだった。
とはいえ、五百もの兵を集めるには到底足りない。
多胡八右衛門からの餞別を加えても追いつくものではなく、そもそも後先を考えれば手元の金を戦支度だけで使い切ってしまう訳にもいかない。
ただ、斯忠も佐竹家の臣として長年領民に接する間に、金こそ貸していないが、恩を売った相手ならいくらか心当たりがあった。
恩返しを要求するのは気が進まなかったが、背に腹は代えられない。
商家や神社仏閣、あるいは賭場といった、かつて斯忠がかかわりを持ったことのある場所を訪れては、弓矢の一本から米のひと掬いに至るまで、できうる限りの支援を厚かましく供出を求めた。
ただし、斯忠は決して借財という形は取らず、あくまでただで貰うことにこだわった。
現実問題としては、佐竹家から離れた斯忠相手に貸したところで、きちんと戻ってくる保証も担保もありはしないので、あまり差異はない。
それでも、どれだけ金に困っても借金だけはしないと心に決めているのが、車斯忠という男である。
しかし、斯忠自身の心がけとは別に、事と次第によっては常陸が戦場になるとも限らない時世である。
ただで提供するとなると、錆鑓一つすら出し惜しみする者がほとんどで、なかなか思うように準備は整わないまま、日数が過ぎていった。
人集めはともかく、行き詰まりを見せる戦支度に斯忠は焦りを感じながら、日も暮れた後に朝日屋の離れに戻る。
いくら焦ったところで、夜の往来に立ったところで人集めの役には立たない。
部屋の中で腕組みをしながら明日以降の算段を考えていると、朝日屋の丁稚が来客を告げに来た。
「いまの俺に用があるって、なんだ。仕官したいって話じゃねえんだろ」
斯忠は不機嫌そのものの声で丁稚に訊ねる。
兵として参加したい者は満願寺に集まることと常に告げており、斯忠も大っぴらに朝日屋の名は口にしていない。
「それが、翁山道永が来たと言えばわかる、と仰せの御方にございます」
斯忠を前に、丁稚が首をすくめながら応える。
「おうざんどうえい、翁山道永……? あっ、お前、それを早く言え。さっさと呼んできな。さもなきゃ鬼に縊り殺されるぞ」
「鬼、にございますか」
「そうとも。今、店先で待っているのは鬼の一族だ」
斯忠の脅しを真に射受けたのか、それとも単に剣幕に驚いたのか、丁稚はすっ飛んで店先に戻り、ほどなくして客を離れまで案内してきた。
「車殿、あの丁稚に何を吹き込まれた。可哀想に、震えあがっておりましたぞ」
翁山道永と名乗る客は、斯忠の顔を見るなり苦言を呈する。
もっとも、その表情は困惑しているというより、どこか面白がっているように見えた。
ただ、そんな表情を読み取れるのは斯忠だからであり、丁稚風情ではやはり鬼に見えたとしてもおかしくはない。
彫りの深い面立ちは、戦場往来の強者を連想させずにはおかず、それは事実であった。
「なあに、鬼が来たと言ってやったまでのことで」
道永に着座を促しながら、斯忠はその対面に腰を下ろす。
「相変わらずですな。それはそうと、噂は耳にしましたぞ。随分と意気盛んでござるな」
呆れとも感嘆ともつかぬ声をあげるこの道永という男は、元をただせば真壁一族の当主・真壁氏幹に他ならない。
金砕棒を得物として戦場を疾駆する姿から「鬼真壁」と称され、他国にもその名を知られた剛勇の士だ。
自らに嫡男がないことから実弟と御家争いになりかけたため、いまは潔く身を引いて剃髪し、名も改めて隠居の身である。
ただし隠居とはいえ、道永は斯忠よりやや年下である。
他ならぬ佐竹家の前当主・義重が早々に家督を義宣に譲って隠居しており、道永の隠居が特別に早すぎるというものではない。
逆に道永の目から見れば、今なお現役で、やる気満々で手勢を募って会津に乗り込もうという斯忠の姿こそ、良くも悪くも異質の存在に映っているのかもしれない。
「召し放ちとあっちゃ、そのまま隠居するのも面白くねぇ。このままで終わる訳にはいかねぇってことよ」
無礼にならぬよう迎え入れはしたものの、道永の来訪の意図がつかめない斯忠は、探るような独り言じみた口調で応じる。
同じ佐竹家中で武断派と目された斯忠と道永であるが、実際のところは戦場で同陣した際に言葉を交わすことはあっても、日頃からはさほど親しい間柄ではなかった。
「いやいや、まったく羨ましい。許されるならば儂も会津でひと働きしてみたいものじゃが、諸般の事情あってそうも行かぬ。そこでじゃ」
斯忠の内心の焦燥を知ってから知らずか、道永は懐から取りだした切紙を差し出した。
「はて、これは」
首を傾げながら受け取った斯忠が中を改めると、それは金、米、武具、その他の金品を記した目録であった。
思わず斯忠が顔をあげると、得たりとばかりに微笑んでいる道永と目があった。
「此度の出陣にあたってご入用であろう。隠居分として蔵にしまい込んであるものじゃが、よろしければお使いくだされ」
目録に記された物品の数と、これまで斯忠が確保したものをあわせると、長鑓百本、長弓八十張、そしてこれまでまったく目途が立っていなかった鉄砲三十挺が手に入る勘定になる。
「いや、これは……。まったくありがたいことで。特に鉄砲がありがたい」
斯忠は、思いもかけない申し出に、不覚にもしどろもどろになりながら頭を下げる。
「さて、ぬか喜びにならぬよう、付け加えておかねばなりませぬな」
道永は、相好を崩した斯忠に対して、幾分複雑な表情をつくって内情を説明する。
聞けば、三十挺の鉄砲については作られた時期も場所もバラバラで、銃身の長さも口径もまちまちだという。さらに、鉛玉と玉薬は一挺あたり五発分程度しかない、とも。
「いやいや、贅沢を言ってもきりがねぇことで。しかし、なにゆえでござる。ここまでしてもらうような事をした覚えがござらぬが」
首をひねる斯忠に対し、道永が剃り上げた頭を撫でたかと思うと、ぐいと身を乗り出した。
「それは、これからしていただく。どうか、常州武者の意地を、会津の地にて存分に御示しくだされ」
道永の野太い声に、思わず斯忠も居住まいを正す。
できうることなら自らも会津に赴き、天下を相手の大戦さに臨みたい。道永の顔には、確かにそう書いてあるように、斯忠の目にはみえた。
「それは無論のこと。しかし、本当によろしいのか。この先、事と次第によっては当家、いや佐竹の御家が上杉と同心して徳川内府の軍勢を迎え撃つことになるやもしれぬ。その折は、道永殿も隠居などとは言っておられますまい」
「かような折は、まさしく隠居の身と言えど常陸じゅうから牢人を集めるつもりでしたがな。その牢人を残らずかき集めてしまったのが、他ならぬ車殿ですぞ」
「あっ、それはまったくその通りで」
ぴしゃりと己の額を叩いた斯忠をみて、道永は心地よさげに声をあげて笑った。
「となれば、もはや牢人勢に貸し与えるための武具の用意は無用。それがしは事あらば、身一つでお屋形様の元に馳せ参じると決め申した」
「さすがは鬼真壁殿、その覚悟、しっかり受け取りましたぞ。となれば、これはありがたく頂戴いたします。いずれ機会あらば、会津陣の戦さ語りなどさせていただきましょう」
目録を持ち上げて伏し拝む真似をする斯忠は、ほぼ間違いなく上杉と徳川の間で戦さになると見込んでいる。
しかし、将来のことは誰にも判らない。
ひとたび会津に向かって上杉の元に仕官が叶ったとして、再び常陸の地に足を踏み入れる機会があるのか、確約は出来かねた。
それは道永も重々承知である。
「その日が楽しみですな」
多くを語らず、道永が遠くを見る目で呟いた。
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