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(六)大窪久光

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 斯忠つなただが兵を募った際に約束した期限の日。

 満願寺の境内には、徴募に応じた牢人者が集まり、ごった返していた。

 その数、およそ五百名。
 どうにか斯忠は当初の目標を達成していた。

 斯忠一人の奔走で成しえたことではない。
 善七郎率いる風車の面々は言うに及ばず、多胡八右衛門や翁山道永が、それぞれ己の伝手を用いて、人数を集める算段に手を砕いてくれた結果である。

「よくぞ。これだけ。まったく、ありがたいことだ」
 風天に、八右衛門や道永に、有借上人に、善七郎と風車の面々に、そして集まった一人ひとりに手を合わせて拝みたい気分の斯忠である。

 なお、自分の傍らで己の手柄のような得意顔をしている嶋左源次だけは別にいいか、などと意地悪く考えてみたりもする。

 なお集まった五百名は、斯忠自らが一人ずつ聞き取った経歴と希望に基づいて、そのうち三百名を馬廻り、弓組、鉄砲組、長鑓組、徒組などの兵科に振り分けている。

 そのうえで、多少なりとも物慣れていると見込んだ者をそれぞれの組の組頭として抜擢し、さらにその下につく小頭を組の規模に応じて定めた。

 ある程度は斯忠も予想していたが、常陸で名の知れた豪傑、豊富な戦陣歴を誇る猛者などは、集まった連中の中には見当たらなかった。

 その結果を受けて、左源次が副将の立場に収まった。
 左源次の能力を買ったというよりも、顔見知りなど誰もいない中で勝手を知り、肩ひじ張らず腹蔵なく話せる相談相手として手ごろな存在という意味合いのほうが強い。

 繰り返しになるが、兵法の才覚には期待していない。

 なお、集まった牢人の多くは天正十九年(一五九一年)に領内統一のため佐竹義宣によって謀殺された、南方三十三館主と呼ばれた国人衆の遺臣である事が判った。

 世に出る機会を求めながらも、佐竹家にだけは仕えたくないと牢人暮らしを続けていた者たちだ。

 若手には大きな戦さに参陣した経験すらない者も少なくないが、これはやむをえない。
 常陸国においては十年近く、合戦らしい合戦は行われていないためだ。

 太閤秀吉が行った唐入りにおいても、佐竹家では普請の手伝いに渡海した者がいた程度で、武功を挙げる機会に恵まれていない。

 そもそも腕に覚えがある牢人者は斯忠に誘われるまでもなく、すでに自ら上杉の元に馳せ参じている筈だ。

 残りの二百名は、牢人ではない農民の次男坊など、戦働きにあまり期待できないと思われた者が中心で、彼らは荷駄運びなどの人足としている。

 総人数の四割が非戦闘員というのは一見すると多すぎるようにも見えるが、兵糧や武具、陣屋の設営のための用具や資材の運搬を他の誰にも頼れない以上、それなりの頭数が必要なのだ。

 もっとも、いっぱしの軍装を揃えるのが三百人分が精一杯だった、という懐事情もあるのだが。

 彼らは任じられた役目に応じた俸禄を、雇い主である斯忠から得ることになる。

 もっとも、斯忠が上杉家からどれだけの所領を与えられるか判らない。
 仕官後の禄高がどうなるか、今の段階では捕らぬ狸の皮算用も良いところである。。

「皆、この車丹波を信じて、良く集まってくれた」
 出立に先立ち、斯忠は満願寺境内の鐘突台の上に立ち、配下となる面々を見下ろして声を張り上げた。

 だが、住み慣れた常陸を捨てて新天地に赴く実感が沸くと同時に様々な思いが去来し、さすがの斯忠も咄嗟に次の言葉が出てこない。

「会津の地にて常州武者の働きを、満天下に示してやろうじゃねぇか!」
 高ぶる感情をねじ伏せて、ようやくその一言だけを絞り出す。

「おう!」
 斯忠を見つめていた五百人の男達が拳を突き上げ、声を揃えて吼えた。

 そして、軍列は満願寺を出て北へと向かい始める。
 見送るのは、わずかに満願寺の有借上人と幾人かの寺男のみだ。

「行くか、虎。寂しくなるの」
 有借上人の小さな呟きは、軍勢の喧騒にかき消されて斯忠の耳に届くことはなかった。

***

 斯忠率いる一行は堂々と街道を行軍する。

 時ならぬ軍勢の出現を沿道で目撃して慌てる者はいても、常陸の人間であれば、高々と掲げられた火車の旗印をて、車丹波守の手勢であることを大抵はすぐに理解する。

 少なくとも佐竹家の領内においては、あえてその行く手を遮ろうとする者などいる筈もない。

 召し放ちとなった斯忠が兵を募って会津に向かうことは、他ならぬ斯忠自身が世間に広めた話だ。

 本来、ここまで大っぴらに動けば、主君不在の領内を預かる佐竹家筆頭家老の和田昭為が、召し放ちを不服とした謀叛の企てを疑って追捕の兵を差し向けてもおかしくないところである。

 しかし、昭為はなんら手立てを講じることもなく、斯忠の動きを放置していた。
 それはつまり、昭為の、すなわち主君・佐竹義宣の思惑通りの行動ということなのだろう。

 斯忠としては癪に障るが、こうなってしまったものは仕方ない。

 この調子でいけば、少なくとも佐竹領内を出るまでは何事も起こらないだろうと斯忠は考えていただが、意に相違して手勢が常陸と南陸奥の国境近くまでさしかかったところで、背後から呼ばわる声を耳にした。

「お待ちくだされ!」

「なんだあ、ここに来て」
 表情に緊張の色を走らせた斯忠が、馬上から背後を伺う。

 騎馬武者が数騎、斯忠に向かって駆け参じてくる様子が視界に入った。

 道を塞ぐ恰好になっていた斯忠の手勢が、無理に押しのけられて罵声をあげる。
 剣呑な騒動を起こしながら近づいてくる騎馬武者の一行の中に見知った顔を見出して、斯忠は金壷眼を見開く。

「誰かと思えば、兵蔵か! わざわざの見送りとはすまねぇな」
 思いもよらない相手を迎えて、斯忠は驚きの表情を隠せない。

 大窪城城主・大窪兵蔵久光は、斯忠の異母妹・桜の夫であり、すなわち斯忠にとっては義弟にあたる。

「見送るつもりなんてありませんよ。どうかお戻りいただけませぬか」
 引き連れた郎党に側背を守られながら、大窪久光が斯忠が跨る大黒に馬を寄せてくる。
 その表情は険しい。

「戻るってぇ、なんだよ」
 斯忠は不機嫌そうに口を尖らせた。

 べつに好き好んで常陸を去る訳ではないのだ。それが伝わっていないのだろうか、と思う。

「ひとまず、我が城にお越しくだされ。それがしからもお屋形様に、召し放ちを取り下げていただきますようお頼み申しますゆえ」

「馬鹿言っちゃいけねぇ。頭を下げて済む問題じゃねえんだ、これは」

「どうあっても、常陸をお出になられますか」
 久光が苦しげな表情を見せる。

 この実直な男が、我が事のように自分の身を案じてくれていることに感動さえ覚える斯忠であるが、それで翻意するつもりなどない。

「当たり前だ。この人数は皆、上杉に仕えるつもりで集まってるんだ。これで国に留まるなんて言えば」
 斯忠はその先の言葉を呑み込む。

 手勢を募って城に籠るなどといえば、それは謀叛に他ならない。

「……では、それがしも会津にお連れくだされ。お役に立てるかと存じまする」
 意を決した様子の久光の言葉に、斯忠は呆れて首を横に振る。

 実のところ、大窪氏の当主として、そつなく城主の役目をこなしている久光が傍らについてくれれば、これほど心強いことはない。

 武者働きにそれほど期待できる男ではないが、地味な裏方の仕事を得意としていることを斯忠は知っている。

 それは、斯忠のみならず、勢いに任せて集めた配下のほとんどが苦手とする分野の才覚であろう。

 だが、喉から手が出るほど飛びつきたい申し出にも関わらず、斯忠には受け入れることはできない。ためらうことなく一蹴する。

「それこそ、馬鹿も休み休み言え、だ。お前さんは大窪の当主だろうが。桜を泣かせるようなことを言うんじゃねぇ」
 こればかりは、斯忠の譲れない一線であった。

 だが、久光も感嘆には引き下がらない。

「我が妻は、大事な兄が見知らぬ地へと発たれると聞いて、まさしく泣いておりますぞ」

「……それを言っちゃあ、おしめぇよ」
 斯忠の眉が情けなく下がる。

 一族との折り合いが悪かった斯忠にとって、唯一心を許せる肉親が妹の桜であった。

 その夫である久光は、決して剛強の武者ではなかったが、家を保ち、大事な妹を託すに足る器量の持ち主だった。
 どういう訳か、義兄として慕ってもくれている。

 だが、だからこそ巻き込むことなど考えられないのが、車斯忠という男である。

「義兄上、お願いします」
「駄目なもんは駄目だ。当主には家を守る責任ってものがあるだろうが。お前さんについてきた連中の顔を見てみろよ。桜だけじゃねぇ、そいつらも泣かせるつもりかい」
 斯忠は、久光の回りを固める武者達に向かって顎をしゃくってみせた。

 彼らは斯忠と久光の会話に口こそ挟まないものの、一様に表情をこわばらせて成り行きを見守っていた。

 どう好意的に解釈しても、久光と共に佐竹家を出奔して会津に行きたいなどとは思っていない顔だった。

 今更ながらに配下の醒めた態度に気づいた久光が、ややあって力なく肩を落とす。
「……判りました。どうやら義兄上の仰ることが正しいようです」

「心配かけてすまねえな。なぁに、上杉には土地が余ってるらしいからな。こいつらを引き連れてちょいと働けば、すぐにでも城持ちになれるだろう。桜には、心配するなと伝えてくれ」
 斯忠はカラ元気で笑い飛ばして久光の肩を叩く。手加減はしているが、その力は強い。

 痛みに顔をしかめつつ、久光はただ「御武運をお祈りします」と頭を下げた。
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