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(二十四)小川城夜襲

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 湖を渡った員昌は与次左衛門から、打下城から北東の湖岸沿いの大溝の地にある空き屋敷を当面の居所として貸し与えられた。

 員昌の身柄を預かった打下城の与次左衛門は実質的には目付役であったが、名目だけのことと考えているのか、身近な場所に置くつもりはない様子だった。

 しかし、員昌の親族のみならず嶋秀淳をはじめとする百人にならんとする将士が、一つの屋敷とその敷地内の長屋にひしめく状態では、到底落ち着けるものではなかった。

 間借りの身であり、勝手に館を普請する訳にもいかない。

 加えて、十日ほどすると員昌が将来的には破格ともいえる厚遇を約束されて織田家に仕えることになったと聞き及んだ旧臣が、二人、三人と大溝館に姿を現すようになった。

 彼らは一度は野に降ったものの、帰農もままならず、再び世に出る機会を求めて仕官を望んでいた。

 員昌としても、他に行く当てのない者どもの身が立つようにしてやりたいのは山々である。

 とはいえ、現状では捨て扶持程度の所領しか与えられていない員昌が抱えられる家臣の数など、たかが知れていた。

「やはり、自分の城を手に入れたいところだが」
 大溝館の自室で、頼ってきた旧臣の名を記した交名を前に、員昌は一人ごちる。

 信長から、高島郡の支配を任せるとの内諾こそ得ているが、その日が来るのをただ黙って謹慎しながら待っているべきではない。
 員昌はそう決意を固め、打下城の林与次左衛門を訊ねた。

「儂は、言わば自らの手で切り取り勝手次第と命じられておる、と考えてようござるのか。それを再度確かめたく参った次第でござる」
 突然の訪問の意図を計りかねる様子の与次左衛門を前に、員昌は開口一番、そう切り出した。

「切り取り勝手、とは?」

「高島郡には、未だ浅井方に同心する国人がひしめいてござる。さいわい、我が元にはそれなりの人数が集まってきておるゆえ、まず一つ、城を奪いたく存ずる」

「ううむ。あまり派手に動くべきではないのではござらぬか。されど、せっかくの兵を遊ばせておくのが勿体ないのも確かでござるな」
 与次左衛門は腕を組んで考え込む。

 あからさまな言葉にこそしないが、悪目立ちをするような真似は慎んだほうが良いのでは、とその顔に書いてあった。

 身柄を預かる立場としては、員昌にむやみに動き回られたくないのが本音であろう。



 けっきょく、その場では与次左衛門は承諾せず、兵を挙げるのは信長の意向を改めて確認してから、という結論になった。

 どれほど待たされることか、と大溝館へと戻る員昌は一抹の不安を覚えた。

 しかし、気を揉むほどの日数もかからないうちに、与次左衛門が自ら大溝館に足を運び、信長からの言葉を伝えた。

「自儘にせよ、との仰せである。どうやら、要らぬ気遣いであったようじゃ」
 苦笑しながら、与次左衛門が告げる。

 もちろん、与次左衛門が員昌のために直談判した訳ではない。
 あくまでも、使者が取次を介して受けた指示を員昌に伝えているだけである。

「ありがたき仕合せ。これで心おきなく策を講じることも出来るというもの」
 員昌は喜色を浮かべて頷き返した。



 信長の許しを取り付けた以上、遠慮は無用である。

 員昌が最初に着手したのは、高島郡に点在する高島七頭やそれ以外の国衆の調査だった。

「何か、特に目をかけて調べておくことがございましょうか」
 大溝館の員昌の寝所に呼び出された盛造が、表情を消して尋ねる。

「二つある。一つは、いずれかの城を奪いたい。少ない手勢で抑えられそうな城を探ってもらいたい。もう一つは、古い話であるが、磯野の本家が磯野山城を追われた後、ここ高島の地に逃れたと聞いた覚えがある」

 よもや本家の磯野右衛門大夫員詮殿が存命とは思えないが、その子孫が土着しているようであれば味方につけたい、と員昌は続けた。

「承知仕った」
 丁寧に一礼した後、盛造の姿は寝所から消えた。

 その身のこなしには既に若武者・岸澤與七の面影はなく、ひとかどの忍びの風格さえ感じられた。



 配下と共に高島郡の各所を巡り、数日掛けて調査を終えた盛造が戻ってきた。

 夜を待ちかねるようにして、員昌は大溝館の寝所に盛造を招き入れた。

「まず、磯野家の御子息については、それらしき者は見つかりませなんだ。古老の話では、かなり以前に高島を離れ、さらに西へと向かったという話があるのみにございます」

「左様か。まあ、致し方ない」

 同族の伝手があればこの先に使い道があると員昌は考えていたが、元々たいして期待はしていない。

 盛造の説明に、落胆することはなかった。

「いま一つ、国衆の動向にございますが、こちらを御覧じられませ」
 盛造が開いた絵図面を、二人してのぞき込む。

 高島郡内の主だった城の配置と、その城主の名が記され、敵味方に分けて印がつけられている。

 高島七頭のうち、はっきりと織田方についていると考えてよいのは、郡内のうちもっとも西側に居を構える朽木元綱のみと考えてよい。

 また、大溝館からもっと近い位置にある高島七頭の城は、永田城である。

 ただし、永田家の当主・永田佐馬助秀宗は、前年に浅井・朝倉軍に従って合戦に出陣した際に討死している。

 めぼしい世継がいないため、重臣が合議によりなんとか家中をまとめているが、既に林与次左衛門を通じて織田方になびく動きがあるという。

「味方につく意を示している者を、こちらから攻め潰すわけにはいかぬな」
 員昌は顎を撫でながら呟く。

「いくつか候補はございますが、ここ大溝館から近い場所となりますと、こちらかと」
 盛造は、絵図面に描かれた安曇川と鴨川の間に建つ城の印を指さした。城名は「小川城」と記されている。

「高島七頭ではないな。城の備えはどうなっておる」
 員昌が問いかけると、盛造は小川城の縄張りを簡単に描いた別の絵図を取り出して言葉を継ぐ。

「城主は、小川主膳正秀康。城構えは東西一町、南北二町。さほど要害堅固とは見えませぬ。即座に動かせる兵は三百ほどと見込まれまする」

「小川主膳、どのような男か判るか」

「物売りのふりをして近在の住民に訊いた限りでは、猛将とも、切れ者とも聞きませなんだ」
 盛造は、聞き知った限りの情報を員昌に伝えた。

 小川秀康が有する所領は少なく、例え城の奪取に成功したところで多くの兵を養える訳ではない。

 少なくとも大溝館に逼塞してただ日々を過ごすよりはよほど展望が開ける。

「よし、まずはこの城を頂戴しよう」
 久しぶりに、員昌の中に闘志が沸く感触があった。


 
 翌朝から、さっそく員昌は城攻めに関して精力的に動き出した。

 とはいうものの、城攻めに動かせる手勢は、後に馳せ参じた旧臣を含めても百名あまりに過ぎず、小城であろうと攻め落とすには心もとない。

 となると、林与次左衛門に兵を借りるしかない。

 幸い、林与次左衛門に存念を伝えると、快く二百名ほどの人数を動かす許可を与えてくれた。

 もっとも、内心はどこまで「快く」なのかは伺い知る由もない。

 員昌の戦働きについては信長のお墨付きがあるため、下手に非協力的な態度をとると自分の立場が危うい、と与次左衛門が感じただけかもしれない。

 思惑はどうあれ、兵を損なう戦い方は出来る限り避けたいところだ。

 特に、高島七頭を一度に一斉に敵に回し、城攻めの最中に敵方の後詰めとして背後を衝かれるような事態を招いては、高島郡の自力での制圧など夢のまた夢である。

 そこで員昌は、小川城に宣戦を布告するに先立って「これより小川城を譲り受ける所存であるが、加勢しないように」と高島七頭に知らせる書状を使番に持たせて走らせることにした。

 人手不足のため、使番もまた、林与次左衛門から借りることにした。

 使番の中から問答無用で斬り捨てられる者が出ないか、員昌は内心で危惧していたが、いずれも無事に役目を終えて戻ってきた。

 使番が、よそ者の員昌の家臣ではなく林与次左衛門の配下であること、自分たちの所領に直接危害が及ばない内容であったことから、軋轢を避けたものと思われた。

 戻ってきた使番たちからの報告を聞き終えた員昌は、その晩に再び盛造を寝所に呼んだ。

「根回しはおおむね済んだ。あとは仕上げじゃ」
 不敵に笑った員昌は、自ら筆を執って書き記した書状を盛造に渡す。

「苦労であるが、これを矢文にして小川城の大手門にでも射かけてきてくれ」
 員昌が託したのは、「織田信長公より高島郡の統治を命ぜられた磯野丹波守員昌が、当城を接収する。潔く退転するならよし、さもなくば攻め込む」という宣戦布告の書状である。

「おそれながら、いささか横着な挨拶ではないかと存じまするが」
 盛造が首をかしげる。

「それで腹を立てて兵を出してくるようなら、願ってもないことではないか」
 応じる員昌は、我が意を得たりとばかりに含み笑いを見せる。



 盛造が小川城に向かって矢文を射て戻ってくる間に、大溝館では出陣の準備を整え終えた。

「では、そろそろ仕掛けるぞ」

「よもや矢文で脅された後、その次の日の朝が来る前に、兵が寄せてくるとは思うておりますまい」
 嶋秀淳が楽しげに肩をゆすった。

 夜討ちによる城攻めは、員昌にとっては因縁の太尾城攻め以来である。

 姉川の合戦においては、織田勢の目をかすめて小谷城まで移動する際に夜間に軍勢を動かしたが、その折は合戦にならなかった。

 佐和山籠城時には、夜間に織田の陣に襲撃を仕掛けたこともあったが、きわめて小規模な人数を出しただけであり、付城を攻め落とすような攻撃には程遠かった。

 長年に渡って員昌が改良を加えてきた夜討ちの工夫を、ようやく城攻めに活かせる機会となる。


 四月一日の夜明け前。
 月明りもなく、闇に沈む小川城の南側の平地に、ぽつりと松明の光が瞬いた。

 最初は数個だった光点が、たちまちのうちに数千の軍勢の存在を思わせる無数の輝きとなって波打ちはじめる。

 小川城の物見櫓で不寝番をしていた兵が驚きの声をあげる。

 しかしその声は、闇の底から湧き上がるような鯨波の響きにかき消される。

「かかれーっ」

 員昌が放つ野太い声に背を押され、搦手門に取りついた兵が門扉を打ち破るべく掛矢を振るう。

 小川秀康は、本当に磯野員昌なる余所者が自分の城に攻めてくるのか、半信半疑であったらしい。

 ひとまず陣触れは出したものの、本格的な籠城の備えはまるで整っていなかった。

 城下に広がる無数の松明は、一本の横木にいくつもの松明を結び付けて動かしているだけの、単純な小細工に過ぎない。

 しかし、不意を衝かれた小川城の城兵には、てきめんに効いた。

 事前に城攻めを伝えられていたからこそ、攻め寄せているのがまさか三百にも満たない少勢とは夢にも思わない。

 泡を喰って城を捨てて逃げ出す城兵が続出する格好となった。

 まともな戦いにもならぬまま、搦手門が打ち壊される頃には、小川秀康も供回りに囲まれて城外へと逃げ去っていた。

 結果、林与次左衛門から借りた人数を合戦に投入するまでもなく、員昌は城を乗っ取ることに成功した。
 員昌自身、信じられないほどの完勝であった。


 
 翌朝。
 夜が明けるのを待ちかねるようにして、員昌は一通り城内を検分して回る。

 慌てて逃げだした小川勢が残した武具などが散乱していたが、焼亡した箇所はなかった。

「これほどうまく行くとはのう」
 焦げ跡一つない本丸御殿の屋根を本丸の庭から見上げ、員昌はしみじみと呟く。

 仮に城兵の抵抗が激しければ、火矢を射かけて焼討することも思案していたのだ。

 搦手門を破壊した以外はほぼ無傷のまま、という結果は望外のものだった。

「この調子でいけば、高島郡の平定も容易い話にございますな」
 嶋秀淳が、物足りぬと言いたげに腹をゆすって笑う。

「そうはいかぬ。最初の一度限りの勝利に過ぎぬ。次からは、誰もが警戒するであろうからな」
 員昌にしても、次に城攻めをする時には、乗っ取った小川城の守りをまず固めなければならない。

 与次左衛門に甘えて、何度も手勢を借りるのも避けたい。

 その上でさらに討って出るには、改めて準備が必要となる。

 しばらく先の話になるだろう、員昌はそう考えていた。
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