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(四)美濃攻め

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 永禄四年二月二十一日。
 浅井勢は近江と美濃の国境を越えた。

 軍記物に記された浅井勢の兵力は、六千とも七千とも伝わる。

 とかく大げさな数字が躍る軍記物にしてこの数字であり、他国への本格的な侵攻にしては少ないと言わざるを得ない。

 六角の動きを横にらみする必要があり、全力の出陣ではないことが伺える。

 先鋒を員昌が承り、第二陣以降に三田村左衛門光頼、野村肥後守直隆、堀遠江守秀基、大野木土佐守茂俊らが続き、本陣の賢政は二千を直率する。

 後陣には阿閉淡路守貞征、西野壱岐守が配された。

 浅井勢が垂井、赤坂にて兵を出して焼き討ちを仕掛けてしばらくすると、大垣城から氏家卜全こと常陸守直元が、野口城の西尾豊後守光教と共に手勢を率いて出陣してきたとの報せが届いた。

 程なく、大垣城の北西にあたる笠縫表の木戸口にて両勢が接触し、合戦となる。

 もちろん、斉藤家の一部将との交戦だけで浅井勢が退くはずもないし、氏家勢も死力を尽くして戦うものではなかった。

「気負いすぎるな。敵手も、領民の手前、兵を出さずに済ませられぬだけのこと。ひと当たりしたら早々に引き上げよう」
 員昌は氏家勢の戦意を見切り、兵に突出しないように命じる。

 このような前哨戦で兵を損じるつもりはなく、互いに弓矢と鉄砲を散発的に放ち交わすだけにとどめる。

 実際、員昌が見抜いたとおり、ほどなく氏家勢は大垣城へと退いていった。

 浅井方の第二陣である三田村勢と討ち合っていた西尾勢も、氏家勢が後退するのをみて引き上げにかかる。

 勝利というほどのものでもないが、浅井勢は勝鬨をあげて自らを鼓舞する。

 しかし、その日の夕刻に主だった将を集めて開かれた軍議の場で、賢政は厳しい表情を隠さなかった。

「丹波よ、もう一歩踏み込んで、氏家卜全を仕留めるべきではなかったか」
 主君から暗に戦意のなさを正面から責められて、員昌としては心中穏やかではない。

「申し訳ござりませぬ。氏家勢の戦意は底がみえておりましたゆえ、斉藤勢の主力との決戦まで兵を損ないたくないとの気持ちが、やや先に立ちすぎたやも知れませぬ」
 員昌が反論したい気持ちを抑えて頭を下げると、賢政も表情を和らげた。

「うむ。じゃが、敵手を引きずりだすには何かしら手だてが必要じゃのう。……よし」

 思案の様子を見せた賢政は、一つの策を員昌に告げた。



 翌朝。
 員昌は賢政の下知を受けて、手勢のうち五〇〇ほどを率いて大垣城からさらに北東に二里ほど離れた美江寺まで進出して、森の麓に陣を敷いた。

 命じられたのは、表向きには敵がどのような動きをみせるか、ひと当たりして見極めるための大物見である。

 しかし実際には、敵を野戦に引っ張り出すための囮役である。

 進退を誤れば大軍に粉砕される可能性もあり、言うまでもなく危険な役目である。

「昨日の一戦では働きが足りぬということか。懲罰とは思いたくないがのう」
 員昌は一計を案じ、旗指物などはあえて見えるように立てたまま、兵の半数を森の中に伏せさせた。

 兵法書を紐解いた経験がある者であれば、「大軍であれば数を少なく見せようとし、小勢であれば大軍に見せかけようとする」という戦理は誰もがわきまえている。

 それゆえ、その常識を逆手にとり、小勢でありながらさらに兵の数を少なく見せかけ、敢えてその弱みを隠すかのような偽装を施したのだ。

 やがて、賢政が雇い入れて美濃国内に放たれた伊賀忍びの者の一人が、敵の接近を告げた。

「主将は長井隼人佐道利様。兵数はおよそ六千にございます」

 野良着姿で敵情を探っていた忍びは、敵陣の将として、牧村牛之助春豊、野村越中守正俊、道家平左衛門、同修理、日根野弘就・盛就兄弟らの名を挙げた。

 斉藤家を支える西美濃三人衆と呼ばれる重臣のうち、既に交戦した大垣城の氏家卜全以外の二人、すなわち稲葉良通と安藤守就は織田の動きを警戒しているのか、参陣していない。

 それは浅井方にとって朗報ではあったが、一方で日根野弘就が何食わぬ顔で敵陣に加わっていることを賢政がどう考えるかな、と員昌は思った。

 斉藤家の重臣である日根野弘就の寝返りが、美濃討ち入れを成功させるにあたって大きな要因であった。

 素知らぬ様子で斉藤勢の陣に加わっているのであれば、あてが外れたと考えざるを得ない。

「ご苦労であるが、敵の陣立てについて、殿に急ぎ伝えてくれ」
 忍びにそう命じた員昌は、眉間にしわを寄せる。

(まあ、合戦の最中に寝返ることも、ありえぬ話ではないがのう)
 員昌は思案しながら敵の動きを見極めようと目を凝らす。

 しばらくすると、斉藤勢から分派された牧村春豊と野村正俊が、一千ほどの兵で磯野勢が陣取る森目掛けて攻め掛かってきた。

 ひと揉みに潰そうと安易に接近してきた牧村勢の油断を、員昌は見逃さなかった。

「かかれっ!」
 一筋の弓も射かけることなく静まり返っていた磯野勢は、前触れなく突撃に移った。

 接近する敵の間合いを計って逆撃を仕掛けるのは、員昌の得意とする戦法である。

 この時も磯野勢の鋭い突撃に、牧村勢はたちまち算を乱して敗走した。

 二陣として牧村勢の後方から接近していた野村正俊も、逃げ惑う牧村勢の雑兵に押し流されるようにして後退する。

 どうせなら追い討ちを仕掛けたいところではあるが、長井道利勢六千が本腰を入れて攻め寄せてくれば、さすがに敵わない。

 敵勢の先手を蹴散らしたと見定めた員昌は、手早く手勢をまとめて陣を敷いた森まで退く。

「さて、どう動くか」
 しばしの間をおいて、斉藤勢は後退した牧村、野村勢に代えて道家勢、日根野勢が二千ばかりの兵で寄せてきた。

 ここで日根野弘就が寝返ってくれれば敵をおおいに混乱させられるのだが、どうやらその気はないらしい。

 さすがに四倍の兵が相手では、まともにぶつかっては勝ち目がない。
 員昌は早々にその場で持ちこたえることを諦めた。

 二手にわけた兵で、交互に弓矢を射かけつつ後退を繰り返す繰引きの陣法で西に向けて後退をはじめる。

 焦って突出してくる一隊があれば、員昌が自ら十文字鑓を携えて馬を駆って敵中に斬り込んで追い散らす。

 斉藤勢は員昌の采配に翻弄されるまま、次第に陣が縦に伸びる形になった。

「御味方が参りますぞ!」
 西方から揖斐川を渡る浅井勢の姿に目ざとく気づいた小堀正房が叫ぶ。

 磯野勢の将士から歓声があがった。

 磯野勢に気を取られすぎた斉藤勢は、賢政自らが率いる浅井勢の主力に側面を衝かれることになった。

 長井道利は不利を悟ったのか、激しい抵抗を見せることなく、早々に撤退に移った。

「さて、この後が問題じゃのう」
 員昌は逃げていく敵勢の後姿を望見しながら、口をへの字に曲げた。

 賢政の策は図に当たったが、それでも状況は依然として楽観できない。

 確かに斉藤勢の動きは鈍く、南から織田による圧迫を受けていることを差し引いても、主君である義龍の統率が取れていないことを感じさせた。

 しかし一方で、情勢を見て浅井に味方すると知らせてきていた筈の日根野弘就は、返り忠の動きを見せなかった。

 員昌ならずとも、判断に迷うところだった。



 その後も、迎撃に出てくる斉藤勢との合戦はおおむね浅井勢の勝ち戦に終わった。

 とはいえ、美濃討ち入れから十日以上が経ってもなお雌雄を決するような大戦さとはならず、陣中には手詰まり感が漂っていた。

 そもそも、斉藤家が支配する美濃一国を、近江の北半分しか領さない浅井が呑み込もうとすることに無理があった。
 だからといって、西美濃の地をいくらか占領しただけで終われるはずがない。

 斉藤勢に打撃を与えたうえで、守りを堅固にする体制を確立しないかぎり、すぐさま奪い返されてしまうからだ。

 六角の隙を衝いた出兵で、どこまで時間的余裕があるものか。

 勝ち目があるとすれば大将である斉藤義龍を討ち取るか、あるいは敵将が雪崩を打って味方に寝返ってくることを期待するしかなく、そのどちらも現状では望み薄だった。

 末端の雑兵は勝っていると認識していたが、賢政と重臣らは日に日に憂色を深めていた。



 本陣での評定の後、夕餉を済ませた員昌は、早々に己が寝床にしている仮陣屋へと下がった。

 三月上旬とあって、雪こそないがまだまだ朝晩は冷える。

 根小屋にあっては十分な睡眠もとれず、長陣は身体に堪える。

 まどろみながら、員昌は昔のことをふと思い出す。

 員昌の父・平八郎員宗が亡くなったのは、享禄二年(一五二九年)、員昌がまだ八歳の時だった。

 員昌は嫡男として跡を継ぐべきであったが、いかんせん幼名・小善(善は、ただしくは月篇に善)と名乗っていた元服前の身ではそれもかなわない。

 家督は員宗の弟、すなわち員昌からみて叔父にあたる員清が、員昌が元服するまでとの条件付きで一時的に預かることとなった。

 員清は、甥である員昌を、父と変わらぬ愛情を持って慈しんでくれた。少なくとも員昌はそう信じている。

 だが、約束通り元服後に員昌に家督を返すかどうかは判らない。

 なにしろ員清には員春という実子がいる以上、我が子に家督を継がせようと考えても何もおかしくない。

 員昌の周りには、穏やかでない言葉を吹き込む者が少なくなかった。

 それどころか、員昌の元服が近づいたら命の危険さえある、という者すらいた。

 そのような讒言に耳を傾ける気はなかったが、それでも己の置かれた立場のあやうさは自覚せざるを得なかった。

 子供ながらに木刀を振り、槍をしごき、乗馬を覚え、弓を引いた。

 不安と恐怖を振り払うためであり、何より自分の身を守るには武芸を磨くしかないとの一念だった。

 その思いを知ってかしらずか、員清は員昌の稽古をしばしば見守り、時には助言などをしてくれるときもあった。

 ただ一つ残念だったのは、員昌と角力だけは取ろうとしてくれなかったことだ。

「儂は膂力が弱い故な、儂などを転がしてみたところで鍛錬にはならぬ」

 員清に、どこか寂し気な笑みを浮かべて断られると、員昌としてもそれ以上の無理強いはできなかった。

 そして、員昌が無事に元服を済ませた夜、員清は書院に員昌を呼んだ。

「家督をそなたに返そうと考えておる」
 この時を長年待っていたのだ、と柔和な表情で員清は告げた。

「よろしいのでしょうか。このまま叔父上が磯野家を率いていくべき、そう申しておる者もおります」
 身体をこわばらせた員昌はありがたいと思いつつも、問わずにはおられなかった。

「だからこそ、じゃ。そのような筋目を軽んじた浅はかな考えで、かつての宗家のように家を割る訳にはいかぬ」

「では、叔父上はこれよりはそれがしの後見をしていただけますのか」
 員昌の問いに、員清は寂しげな薄笑いを浮かべ、首を左右に振った。

「儂がこの家におる限り、そなたにとって良きことはなにもない」

「いえ、そのようなことは」

「そういうものじゃ。いずれ、そなたにも判る」
 そう言った員清は改めて員昌の目を見据え、言った。

「だから、儂は消える」

 磯野の家を離れて仏門に入り、諸国をめぐるつもりだ、とすっきりした表情で告げた員清を、員昌は引き留めることが出来なかった。

 否、引き留めるための言葉を、どうしても口に出来ずじまいだった。

(あの時、儂は何を言うべきだったのか)

 員昌が浅いまどろみの中で、今なお心に残る悔恨を抱えていると、仮陣屋の外から呼ぶ使番の声が聞こえた。

 現実に引き戻された員昌は、即座に身体を起こした。

「お休みのところ申し訳ございませぬ。殿より、早急に参陣せよとのご命令にございまする」

「判った。すぐ参る」

 使番の呼びかけにそう応じて立ち上がった員昌はふと、よくない報せを聞くことになるのではないか、との考えを脳裏によぎらせた。

 不吉なことを考えるな、と己を叱咤してから、員昌は気づく。

(まだ夜も明けておらぬのに急ぎの戦評定が開かれるなど、良い報せの筈があるまい)

 員昌は縁起を担ごうとしている自分に腹を立てつつ、本陣へと足を向けた。
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