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第三章 一家惨殺事件

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その後、部屋には除湿機が設置され、襖は閉めたままになっている。
しかし、湿気が軽減されたからか前より空気が軽い気がするのは気のせいだろうか。

「たまには外行くか……」

書きかけの電子メモを閉じ、大きく伸びをする。
このあいだ旦那と出かけたとき、感じのいいカフェを見つけたのだ。
バスで行かなきゃいけないのがちょっと面倒だが、ずっとひきこもって書いているよりは気分転換になっていいだろう。
せっかく行く気になっているうちにさっさと準備を済ませてしまう。
最後にバッグへ電子メモを突っ込み、家を出た。

「いらっしゃいませ」

カフェはもうランチが終わりがけの時間だからか、人はまばらになっていた。
まあ、その時間を狙ってきたんだけれど。

「えっと……。
ハンバーグランチセットを、お願いします」

ざっとメニューに目を通し、さっさと注文を決めてしまう。

「かしこまりました」

お冷やを飲みながら、ぼーっと窓の外を見た。
近所の人なのか、お客は年配の方が多い。
もう少し早い時間ならランチタイムのリーマンがいたのかもと思うと惜しいが、それだと長居ができないから諦めるしかない。

「おまたせしましたー」

少しして、頼んでいた料理が出てきた。
ハンバーグとご飯、それにサラダがワンプレートになったセットだ。
さらにこれに、お味噌汁が付いてくる。
これで八百八十円とかコスパよすぎだ。

「いただきます」

ハンバーグを箸で切ると、中から肉汁が溢れ出てきた。
口の中でスパイスの香りが広がり、美味しい。
これはいい店を見つけた。

「……一本桜の家」

うきうきで食事を堪能していたら、不意に聞こえてきた言葉で箸が止まる。
このあたりにこの名称で呼ばれる家はうちしかないはずだ。
もしかしたら私が知らないだけで、ほかにもあるのかもしれないが。
つい、いけないと思いつつ耳を立てる。
そこでは二十歳前後と思われる男女四人が話をしていた。

「あそこ今、人が住んでるんだってな」

「もうだいぶ前からだよ。
えっと……四月くらい?」

「あんなところに住む人間がいるんだな。
オレだったら絶対に住まない」

……え?
絶対に住まないってどういうこと?
ああ、あれか。
ムカデ天国だからか。

無理矢理自分を納得させつつ、続く話を聞く。

「一家惨殺があった家とか、私もむーりー。
あ、もうこんな時間だよ。
そろそろ戻らないと課長に怒られる」

「あーあ。
午後の仕事、たりぃ」

けだるそうに立ち上がり、彼らは会計を済ませて店を出ていった。
きっと、近くの会社の社員が、少し遅い昼食を摂っていたのだろう。

「どういう、こと?」

気持ちを落ち着けようとお冷やを飲む。
え、あの家でそんな事件があったの?
だったら私だって住みたくない。
しかし旦那はなにも言っていなかったし、もしかして別の家、とか?

携帯を出し、検索窓に家の住所と一家惨殺と打ち込む。

「嘘……」

そこにはいくつも、昔、一本桜の家で一家惨殺事件があったのだという記事が並んでいた。
いくつか開いて、中を確認する。

【お宮掃除の日、連絡もなく奥さんが来ないのを不審に思った近所の人たちで様子を見に行ったときには全員死んでいた。
寝込みを襲われたらしく、寝室は血の海だったそうだ。
しかし盗られたものはなく、犯人はいまだ不明。
夜になると痛い、痛いよと泣く子供の声がする】

【ある日、旦那が家に帰ると臨月だった妻がリビングで腹を割かれて死んでいた。
赤子は踏み潰され、惨たらしい姿に。
慌てて救急車を呼ぼうとした旦那は後ろ頭を殴られ、昏倒したところを拘束される。
発見されたとき、夫は狂気で歪む顔で笑って事切れていた。
家の中では狂ったような夫の笑い声と、赤子の泣き声がするという】

【ある夏の日、一家を訪ねてきた男は玄関が開くなり、散弾銃をぶっ放す。
逃げ惑う一家を追い詰め、男は次々に殺害していく。
父親は鉈で殴り切りにされ、原形を留めない状態に。
まだ幼いふたりの子供は散弾銃で蜂の巣にされた。
最後に残った妻は死んだ家族の横で男に陵辱され、元の顔がわからなくなるほど殴られて死んだ。
全員殺し終わったあと、男はけたたましい笑い声を上げ散弾銃を咥えて自害。
すべては自分が戦地へ赴いているあいだにほかの男と結婚し、幸せな家庭を築いている女への復讐だった】

「……戦地?」

そこで少し引っかかった。
これはまだ、戦後間もない頃の話ということになる。
しかしあの家が建ったのは平成になってからのはずだ。
いや、そういう土地といわれればそれまでだが。
それに、話が違いすぎるのだ。
人伝に話が広がるうちに細部が変わってくるのはわかる。
しかし〝一家惨殺〟のキーワードを除けば、まったく別の事件かと思える話になっていた。

「どういう、こと?」

本当にあの家で殺人事件があったのか。
しかし、火のないところに煙が立つわけがない。
少なくともあの家で、なにかがあった。

「……はぁーっ」

ため息をついて天井を仰ぐ。
もう執筆しようなんて気はなくなっていたが、あの家に帰るのも気が重い。

「……そだ」

思いついたことがあって、伝票を手に立ち上がった。
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