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65話 崩壊の足音②

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 甘い期待が私の中で際限なく広がりそうになるのを、ほんの僅かに残っていた冷静な私がブレーキをかける。

 ライナスが、私のことなんて好きになると思う? 
 あれだけ散々な態度を取っておいて、恋に落ちる男がこの世にいるとでも?

 好きの種類なんて一種類じゃないもの。
 どう考えても恋愛の好きじゃないことは確かだわ。馬鹿な期待はよしなさい。

 そう考えれば、舞い上がりそうだった気持ちが冷水を浴びせられたように落ち着いていく。

「……好きって、あの……人間的にとか、そういう好きってことよね」

 確認の為にライナスに問えば、彼は耳を赤くして困ったように視線を泳がせた。

「……そう、私も思っていたのだが。どうやら違うようだ」

「…………ち、違うの?」

「君がいなくなって、気付いたんだ。聖女が消えたら国益に関わるとか、ノノメリアの王女を治せなければどうなるかとか、いつもの私なら国のことを率先して考えるはずだった。──だが実際、私が君を探している時考えていたのは、君のことだけだったんだ」

 ザアッと風が強く吹いて、薔薇の香りが一面に広がる。
 その強い香りはまるで幻覚を見ているかのようにぼんやりと私の思考を鈍らせる。

「君は無事なのか、何かまた無理をしていないか、……一人で苦しんでいないか。ずっと頭の中を君が占領して、私は随分と取り乱していた」

 ライナスの言葉を大事に一つずつ心に刻むたび、心臓が反応して鼓動の音を増やしていく。
 身体の神経をすべて耳に持っていかれたように、研ぎ澄まされている。

「そして君が一度だけ私の前に姿を見せたあの日。君の手を掴めなかった後悔で心が裂かれてしまいそうだった。消え入りそうな君を見て、もう二度と会えなくなるのではないかと……そう思ったんだ」

 先程の風で私の髪に花びらが絡んだのか、ライナスが手を伸ばして取ってくれる。
 ……ほんの少し髪に触れられただけなのに、焼けるように頬が熱くなる。

「だから……君が戻って来てくれた時、奇跡だと思った。もう二度と君を離したくないと、一人で苦しませたくないと、心からそう感じたんだ」

「うそ、よ……嘘」

 ようやく私の口から出て来たのは、否定だった。
 信じられない気持ちと、信じたくない複雑な気持ちが混ざりあって吐き出されたものだった。

 だって、信じてしまったら、あまりに辛い現実が私を待っている──

 ライナスは花びらを手放し、困ったものだと苦笑した。

「信じられないか。……気持ちを証明するというのは難しいものだな。どうしたら君に信じてもらえるのか」

「だって……そんな、私……あなたに好きになって貰える要素なんてどこにも」

「何故だ? 君は確かに素直ではないかもしれないが、根は誰よりも優しい女性だろう。それを隠そうと必死に虚勢を張る姿もとても愛らしく、魅力的だと思うが」

「み、見る目なさすぎよ。よくそんなこと涼しい顔して平気で言えるわね」

「事実だからな」

 ライナスから……好きな人からそんなことを言われて嬉しくないわけがない。
 むしろ嬉しすぎてどうにかなってしまいそうで、さっきから胸が何度高鳴ったかもう数え切れない。
 それでも心の奥に潜む冷静な私が、落ち着きなさいと警告を促してくる。

「……それで、君は?」

「え?」

「私のことを、どう思っている?」

 ドキンと、自分の耳にまで響くほど鼓動が大きく鳴った。
 それは甘い鼓動にも、胸騒ぎにも、どちらにでも取れるような妙な音だった。

 私も好きだって、今すぐあなたの胸に飛び込むことが出来たらどんなにいいだろう。
 ──でも、そんな軽率なことは出来ない。

 私はもうすぐ死ぬ運命の聖女。
 ここでライナスの想いに応えても、別れはすぐに容赦なくやって来る。
 仲を深めれば深めるほど、その傷も深くなる。

 私の想いは、ライナスにとって重荷になるのではないかという不安が、迷いを与える。

『アイヴィさんがどんな選択をしても、あの子の心には爪痕が残るわ。それでも、重荷に捉えることはしないと思うの。……だから、アイヴィさんが望むようにして欲しいのよ』

 脳裏に浮かんだセリーナ様の言葉が、私の迷いを揺らがせる。

 許されるのなら、私はライナスに好きだと告げたい。
 私もあなたと同じ気持ちだと伝えたい。そしてあなたに触れて確かめたい。
 ……例えそれが、別れを更に辛いものにさせるだけだとしても。

 ……いいの?
 あなたに伝えても、いいのかしら……?

「……私……、私は──」

 ──コツン、と。

 私の苦悩を割るような甲高い靴音が響く。

 その靴音は迷いなく私達の元へと向かい、音につられるように恐る恐る振り向いた。

 シナモン色の瞳をした女性が、庭園の花を柔らかな眼差しで愛でながら、長い髪を風に靡かせて颯爽とこちらに向かって歩いて来ていた。

 シンプルな薄いグリーンのドレスは、女性のスタイルの良さも相まってこの庭園によく映えている。
 アッシュグレーの、クセひとつない美しい髪を片耳にかけ、女性は私達の近くで足を止めた。

「────」

 見たことのない女性。
 それなのに、その人が誰なのかひと目でわかってしまう。
 ザワザワと胸騒ぎがして、私から血の気を奪っていく。

 彼女の胸元には私と同じ──聖女だけが持つハルモクリスタルのペンダントがキラリと輝いていた。

「ご歓談中失礼致します。王太子殿下。それから……聖女アイヴィさん」

「……君は誰だ? そのペンダントは……」

「わたしは聖女。……第二の聖女、エルシー・エメットと申します」

 聖女と名乗る死神が、私に微笑む。
 鎌で魂を刈り取られたかのように、私の時が止まる。目の前が真っ暗になる。

 ついに現れた、──現れてしまった、第二の聖女は私に引導を渡す。

 私の身体が終わりを告げるように、何の前触れもなく意識をプツンと落とした。
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