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66話 何もわかっていなかった①

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 アイヴィが再び倒れ、また目覚めない日々が続いた。
 その間に新しく現れたエルシーという名の聖女の存在をどうするか、秘密裏に宮廷会議が開かれ、様々な意見が飛び交った。

 聖女が二人いるのは喜ばしいと歓迎する者、歴史に二人の聖女など前例がないのだからと苦い顔をする者、アイヴィは身体が弱いから二人目の聖女を本物にしてはどうかと提案する者。
 それぞれが好き勝手な意見ばかり言うもので、当然簡単に纏まるはずもなかった。

 会議を終えたライナスは、自室へ戻ると疲労を隠しきれない深いため息を吐いた。
 アイヴィの様子をライナスへ報告に来たレグランが同情の目でその様子を見る。

「疲れていますね、ライナス様」

「ああ。皆よくもあれだけ勝手なことばかり言えるものだ」

 中にはアイヴィを亡くなったことにして、エルシーを聖女として立てろと言う者もおり、ライナスは腸が煮えくり返りそうなほど怒りに燃えていた。

「アイヴィ嬢の様子はどうだ?」

「変わらずです。目が覚める兆候は見られません」

「そうか……顔を見に行っても大丈夫そうか?」

「ええ。その方がきっとアイヴィ様も喜ばれます」

 少し冷静になろうと、ライナスは見舞いがてらアイヴィの様子を見に、レグランと共に彼女の私室へと向かうことを決める。

「──アイヴィさんの元へ行かれるのですか?」

「エルシー嬢……」

 廊下を歩いていると、シナモン色の瞳を細めて柔和な笑みを浮かべながら、エルシーが現れた。

 あの日庭園へ来たエルシーは、城の兵士に聖女の力を見せ付けて王への謁見を取り付け、自分も聖女だと証明し終えた後だったらしい。
 今現在はアイヴィの時と同じく、ハイルドレッドの賓客扱いでエルシーは客間に滞在している。

「わたしもご一緒してよろしいですか? アイヴィさんに祈りを捧げたいのですが」

「……ああ、構わないが」

 聖女の祈りを捧げるとの申し出を無下に断ることも出来ず、ライナスは渋々承諾する。
 ライナスの後ろに控えるレグランは、自分の主以外に聖女と名乗るエルシーを敵視しているようで、彼女がアイヴィに近付くことを警戒しているようだった。

 特に誰も話すことも無く、妙にピリピリとした緊張感ある空気の中、アイヴィの私室まで連れ立って歩く。
 レグランは扉をノックし、中にいるコニーに声をかけた。

「コニー、王太子殿下がいらっしゃいました。入室してよろしいですか」

 中からガタガタッと派手に何かを落とす音がして、不審に思ったライナスは勝手に扉を開ける。

「……何をしている?」

 扉を開けた先には、ベッドの上に眠る、髪の毛の根元が白くなったアイヴィの姿。そしてその髪を染めようとしていたのか、ブラシと何かの瓶を床に落としてパニックに陥るコニーがいた。

「あ、あの、ライナス様……! そ、その」

「コニー? これは……」

 レグランが床に転がった瓶を拾い、中の液体を指にすくってまじまじと観察する。

「染色剤……でしょうか。何故こんなものを……あ」

 レグランが思い当たったように染色剤のついた指先をピンと跳ねあげた。

「そういえばアイヴィ様に最近白髪があると私も気付いて本人に指摘したんです。当然コニーも気付いているだろうとは思っていましたが……どこでこんなものを?」

「あ、あの……それは……」

 レグランの追求に、コニーは両手で自分の服をギュッと握り締め、身を小さくする。

「わ、私の口からは何も言えません……アイヴィ様の……大切な願いですから」

 聞き捨てならないと、ライナスは眉を寄せる。

「アイヴィ嬢の……?」

「……可哀想に。アイヴィさんは自分の運命を知っていたのですね」

 エルシーが同情するように首を横に大きく振ると、ライナスの表情が一気に険しくなった。

「自分の運命……? 何の話をしている?」

 エルシーはゆっくりとした動作で頬に手を当てて、首を傾げる。

「アイヴィさんは、過去に歴代聖女の記録を閲覧しませんでした?」

 それはライナスに向けられた質問だったが、レグランがすぐに反応した。

「それなら、アイヴィ様がここへ来て間もない頃に、私の勧めで書庫へ」

「その記録には聖女しか読めないメッセージが記されているんですよ。お持ち頂けます?」

 エルシーに依頼されたレグランは、ライナスに持って来ていいかと目配せする。
 ライナスが頷いて許可すると、レグランはすぐに部屋から退室した。

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