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57話 末期の聖女

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 瑞々しい葉の香り。小鳥のさえずり。心地良いそよ風。
 遠くに聞こえる、誰かの話し声。

 嗅覚と聴覚、触覚が反応して、意識が自分の身体に戻る。
 目を瞑る私の瞼の裏にまで眩しい日差しが貫通して、思わず眉を顰めた。

 身体が……重い。
 鉛のように、なんてレベルじゃない。
 まるで重力そのものに縛り付けられたかのように、身体が全く言うことを聞かない。

 ……もしかして、死んだから?
 動けないのは、そういうこと?

 瞼が引っ付いてしまったかのように重たくて、とても開けられない。
 だから確かめる術がない。

 ──不意に、私の鼻の辺りに何かを近付けられ、嗅がされた……気がする。

 薬草のような独特の香りが私の鼻を通り、肺に届いて行く。
 それが肺いっぱいに広がると、不思議と身体が軽くなった。

 ……とは言っても、身体に力は入らず、瞼を開けることぐらいしか出来なさそうだった。

 瞼を開けたら、きっと現実を突き付けられる。
 私は死んだのか死んでいないのか、白黒ハッキリさせられる。

 不安を抱えたまま、少しずつ瞼を開けていく。

 白い光が目を刺して、反射的に目を閉じてしまう。
 そんなことを何度か繰り返して、私はようやく目を開けた。

「! ……おい、目ぇ覚ましたぜ!」

 聞き覚えのある声が急に叫ぶものだから、耳が痛くて眉を寄せる。
 ぼんやりとした視界から徐々に焦点が合って来て、鮮明に景色が見えて来る。

「奇跡だ! 聖女が目を覚ました!」

 レダが私のすぐ側に立って、向こうにいる人達に向かって大声で叫ぶ。
 イソトマ族が歓喜に湧く声が飛んで来て、耳にビリビリと響いた。
 そして複数の足音が私の元へ向かって来て、イソトマ族の皆が私の目覚めをその目で確かめる。

「……るさい」

 あまりの騒がしさに思わず文句を言ってしまった。
 ガサガサの私の声でもレダの耳にはちゃんと届いたようで、レダが慌てて謝って来た。
 久々に喋ったからか、上手く自分の声が出せない。

「ああ、悪い! アンタが死なねえように活力剤とか俺達が調合した薬とか色々アンタに吸引させまくってたんだが、本当に目ぇ覚ますとは思ってなくてな」

 身体が軽くなったのは薬のおかげだったらしい。
 イソトマ族が私を必死に助けてくれようとしたから、私は何とか命を落とさなくて済んだようだった。

「……生きてるのね、私」

「ああ。一時はどうなるかヒヤヒヤしたんだがな。……ただよ」

 急にレダの声のトーンが下がったので、何か良くないことがあったのだとすぐに察する。

「アンタの身体、だいぶボロボロになっちまった。……見えるか?」

 レダが私の視界に入るように、私の手を取って見せて来る。
 そこには、自分のものじゃないような、骨と皮だけのみすぼらしい腕があった。
 まるで骸骨みたいだと、他人事のように思う。

「足も似たようなモンだ。あとは……髪の毛も……」

 イソトマ族の一人が持って来た鏡をレダが受け取って私に見せる。
 鏡には、まるで老婆のように真っ白に染まった髪の私が映っていた。
 おまけに肌も枯れてしまったように油分もハリも失い、ボロボロになっていた。

 ……メッセージの、不完全な聖女の末期と同じ姿をしているというのね。

 まさに死にかけ。
 首の皮一枚繋がった状態で、私は生きているのだわ。

 それならいっそ、死んでしまった方が良かった。
 そう思うのは、必死に私を生かそうとしてくれたイソトマ族に失礼だとわかっている。
 でも、こんな姿をライナスに見られるくらいなら、今すぐにでも消えてしまいたい。

 ……そう、思うのに。
 またライナスに会える可能性が残されたことに喜ぶ気持ちが片隅にあって、私はどれだけ愚かなんだと情けなく思う。

 レダは鏡を下げさせ、私に問いかける。

「アンタ、これからどうする? 俺達イソトマ族は、命張って瘴気を消してくれたアンタの為なら何だってするぜ」

「…………。それなら、薬漬けにしてくれてもいいから、私が一人で歩けるようになるまで、面倒見てくれないかしら」

「王子の元へ帰るつもりか?」

「……いいえ、この姿では会えないわ。だからせめて……彼の姿を見たいのよ」

 未練がましいと、自分でも思う。
 もしライナスの元へ戻っても、聖女として私が出来ることはもうない。
 そろそろ、第二の聖女も現れるはず。……いえ、もう既に現れているかも。

 私に残されている時間はほとんどない。
 だから最後にひと目だけでもライナスを見ることが出来たら。
 ……そう願うことくらいなら、許してくれるかしら。

「わかった。アンタの願いは必ず叶える。少しばかり時間は掛かると思うが、必ずアンタを元気な姿にしてやる」

 レダは私に約束すると、すぐにイソトマ族を集め、会議を始めたのだった。




 それから、私は毎日イソトマ族の作る色々な薬を飲んで、少しずつ回復していった。
 ……いえ、回復と言うより、無理矢理身体を動かせるようにしたと表現する方が正しいかもしれない。

 指先、手、腕、足の指、足と順番に動くようになり、数日が経った頃には、自分一人で身体を起こせるようにまでなった。

 そこからが大変で、細すぎる足で自分の体重を支えながら歩くのが難しく、毎日リハビリのように歩く練習をしなくてはならなかった。
 もちろん体力も衰えているから、練習をするのも一苦労だった。

 それでも、私は自分の願いを叶えるためだけに毎日歩き続けた。

 そんな苦労を重ね続けたある日のこと。

「──おう、違和感なくなったな」

「本当? 自然に見える?」

「見える見える」

 私の歩く姿を見たレダにお墨付きを貰えて、ついにまともに歩けるようになったと表情には出さずに喜ぶ。

「良かったわ。あなた達の作ってくれた薬のおかげね」

「アンタが毎日血の滲むような努力したからだよ。──よし。じゃあアンタを送る準備しねえとな」

 レダがパチンと指を鳴らせば、どこからかイソトマ族の女性がわらわらと集まって私を囲う。

「え? ちょっと、何?」

「じゃ、頼んだぜ」

 そう言うとレダは手を振ってどこかへ行ってしまった。

 じりじりと私に距離を詰めてくるイソトマ族の女性達は何やら不穏な笑みを浮かべていて、私は喜びから一転、一体何をされるのかという恐怖に駆られたのだった。
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