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2.京の町

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 実家の蔵で、お茶碗を出しに行ったとき、偶然、江戸に通じる地下室を発見した。その地下室には、江戸だけではなく、江戸時代の京に通じる扉があることもわかった。

 結衣は、今日も着物を着て蔵の地下室の階段を下りた。江戸時代の京に行くためである。洋服を着て行ったら、バテレンと間違われるかもしれないし、小紋を着て髪を結いあげた。

 江戸時代の京の出入り口(京から見た側)家の蔵の前だった。今よりも少し新しく感じた。漆喰の色が白かった。
 恐る恐る店のほうへ行ってみた。帳場に座っていたおじいさんが驚いたような顔をして、近づいてきた。

 「結花はんどすか?」

 「いいえ。結花は祖母で、ウチは結衣どす。」

 「そうどすか。そうどすか。大き(い)ならはったんどすなぁ。」ニコニコして、京の町を案内してくれるための丁稚どんと女中はんを付けてくれた。お小遣いも持たせてくれた。
 店を「お早うお帰りやす。」(無事に帰ってきてくださいの意味)と言って、送り出してくれた。

 京の町並みは、木造の家ばかりだったけど、通りの名前は、現代とまるっきり同じだった。
南禅寺、青蓮院、知恩院、八坂神社、清水寺と神社仏閣のある場所もほぼ同じで、錦市場は、魚屋だらけだった。現代の錦小路は、土産物店が立ち並び原宿の竹下通みたいに観光地化している。

 八坂神社を西へ進むと鴨川がある。八坂神社の西側の地名を祇園(ぎおん)といい、花街になっている。舞妓ちゃんの格好は、今も昔も変わらず、はんなりしている。芸妓はんは、何とも言えない色香があるね。ほんまもんの地毛で結い上げた髷は、迫力が違う。

 結衣は普段ほとんどすっぴんでいて、たまにリップぐらい塗るときはあるけど、花街のおしろいと紅のお化粧はお世辞抜きで美しいと感じた。

 鴨川の傍まで行くと、出雲の阿国発祥の地がある。現代は石碑が立っているが、京では、草ボウボウだった。

 歩きくたびれたので、鴨川の土手に3人で並んで座った。
 私が「座ろ」と言っても、女中さんも丁稚さんも座ろうとしない。主人格が座っても使用人は座ってはいけないらしい。何度も何度も言って、やっと座ってもらうことができた。

 実家から持ってきたお茶団子とペットボトルのお茶を二人にあげたら、驚いた顔をしていた。ペットボトルは予想通りの反応だったけど、ペットボトルだけではなかった。お煎茶そのものが高価な商品であって、使用人は飲めないらしい。お茶団子に対する反応も蓬?と聞かれたぐらいで、この時代はまだなかったのか?
 京の店へ帰ったら、ご先祖様(何代前かのおじいさん)に聞いてみよう。

 その後、松原の橋を渡るため、下がって、木屋町を再び上がり、京の店へ着いた。

 なぜ、松原橋かというと、「京の五条の橋の上♪」という弁慶と牛若丸が出会うときの唄がある。五条大橋が松原橋だと言われていて、江戸の時代の松原橋を渡ってみたかった。

 店へ戻って、何代前かのおじいさんにお茶団子を見せた。案の定、知らなかったので作り方を教えてあげた。
 今度は江戸行きを約束して、蔵を通って現代へ戻った。

 なんとなく、卒論の題材が見えた気がした。
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