上 下
16 / 30
グラウンド・ゼロ

第15話

しおりを挟む

 雲。


 真っ青な世界の“下側”には、巨大な雲の層が連なっていた。

 山のように聳え立つ雲は、空間の端々に渦高くせり上がり、この世のものとは思えないほどの質量を膨らませていた。

 彼女は“落下”していた。

 それが重力の影響かどうかは定かではないにしろ、時間の経過とともに景色は変化していき、空間を泳ぐ魚が無数の行列をなして彼女のそばを通過していった。

 魚の群勢は、どこに行くともなく自由な行路をたどっていた。

 透き通った体は、水でできているとは思えないほどに“厚く”、それでいて鮮やかだった。

 パチパチッと弾ける水の雫が、彼女の頬を伝っていく。

 シャボン玉のようにふわふわと宙に舞いながら、キラキラとさざめく光の粒を掬っていた。

 劈くような風切り音が、耳のそばを掠めていた。

 広大な青が視界の片隅にぐるぐると回転しながら、重力の波が襞のように重なっていた。


 雲で覆い尽くされた場所。

 灰色に重なった地平線。


 その「場所」は、地上からもっともかけ離れた“場所”だった。

 かつて世界には空があった。

 E・ゾーンに漂流する「風」は、かつて存在していた世界の断片が、無数の粒子となって飛び交うようになった流れ、——そのものだった。

 雲は世界の「可能性」と呼ばれ、失われた時間が目には見えないほど小さく、バラバラになった姿だった。

 ナギサは時の回廊の中央にいた。

 そう。

 ここは時間が交錯する場所で、“すでに存在していない”世界だ。

 空間に浮遊する魚たちは、広大な宙(そら)を旅する飛翔体だった。

 彼らには行き先がなく、また、「実体」もなかった。

 ただ果てのない空間を彷徨い、無限に続く回廊を泳ぎ続けていた。

 泥濘に沈んだ激しい時の流れと、波の中を。
しおりを挟む

処理中です...