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第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる
四
しおりを挟むホテルの外観は近代的なビルで、欧州を意識して作られた内装は洗練された威厳を漂わせている。
ロビーの高い天井からは、絢爛なシャンデリアが燦然と煌めき、磨かれた大理石の床に反射している。壁も大理石なのに息苦しくないのは、最新の空調設備があるからだ。伝統と最新の近代が融合したホテルは、震災後に建てられたものだ。
ホテルにいる男女はみんな着飾り、ここだけ震災も恐慌もなかったような別世界になっている。
英嗣にエスコートをされている和泉は、振り返る人の視線に俯いてしまいそうだった。少女の頃は人の目が集まるのが嬉しかったのに。
見られているのは、濃紺のイブニングドレスの背中が開きすぎているせいかもしれないわ。
けれど、振り返っているのは女性ばかりだと気づいき、ハッとした。タキシード姿の英嗣が貴公子のようで、女性たちが見惚れているのだ。
わ、わたしったら……。
自意識過剰なのを恥じて、和泉は扇子で口元を隠した。
家が倒れたスキャンダルは六年も前だ。そんな昔を覚えている人間なんてそうそういないだろう。
「和泉さん、気分がすぐれませんか?」
「い、いえ……」
「そうですか。なにかあれば遠慮なく申してください」
英嗣が貴公子に見えるのは、タキシードのせいだけではない。いつもは無造作に下ろしている髪を、後ろに流してきちんと整えているせいもある。
まるで俳優さんみたいだもの。ほかの方が見惚れてしまうのも無理ないわ。わたしも初めて英嗣さんとお会いした時、王子さまみたいって思ったもの。
心配そうな英嗣に、和泉は大丈夫だと微笑み返した。
「お気遣いありがとうございます。……あっ」
レースの手袋のせいで滑った扇子はひらりと落ちる。目で追いかけると、軍服の見知らぬ男の革靴の先に扇子がぶつかってしまった。
男は拾った扇子の埃を払い、和泉に差し出した。
「落とされましたよ」
「拾ってくださってありがとうございます」
「……お嬢さん? 和泉お嬢さんではないですか?」
声には聞き覚えがなかった和泉は、男の顔を見つめてハッとした。理知的で涼やかな目元に見覚えがある。
「あなたは……征十郎さん?」
すっかり青年になった征十郎は、一昨日見た写真の印象のままで、和泉は懐かしさに破顔した。
「ご無沙汰でございます。お嬢さん。お変わりありませんか?」
「ええ。変わりないわ。征十郎さんはご立派になられたようで、父が知ったら喜びますわ」
高等学校を卒業した優秀な征十郎は、士官学校へ上がり軍服を纏っていることが階級章を見て取れる。和泉の記憶が確かならば、征十郎の階級は准尉だ。
「お世話になった旦那さまと奥さまに、なんのご報告もお礼もすることが出来ず、無礼をしてしまい申し訳ありません」
「いいのよ、気になさらないで」
家がどうなったか心配をした征十郎は、話を耳にしているかもしれない。和泉と一家がどうなったのか。それだけに、近況を掻い摘んで話そうとしたとき、和泉は名前を呼ばれた。
「会場に向う」
言葉短いその声は毅のだった。隣には英嗣もいる。
「あ、はい」
大きな背中を見せて先に歩き出した毅に、英嗣がエスコートをするようにやんわり諌めた。しかし、日本男児がすることではないと一蹴した夫は、そのまま歩いていく。
和泉はその背中を急いで追いかけようと、征十郎に会釈をした。
「ごきげんよう。どうかお元気で」
偶然会った懐かしい人とは、もう二度と会うことはないだろうと和泉は思う。
振り返らなかった和泉は知らない。征十郎が切なげな表情で見つめていたのを。
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