惜しみなく愛は奪われる

なかむ楽

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第二章:牡丹は可憐に咲き乱れる

 三

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 五月初めに届いた報せは、前触れだったのかもしれない。


 和泉宛に小包が届いた。差出人は鎌倉に住む田島スミだった。

 小包を丁寧に開けると、幾重にも重ねた油紙に数点の写真が包まれていた。小さなものは名刺大。大きなものは手札大(現代のL版より小さなもの)だ。
 懸命に書いたであろうスミの手紙には、引っ越しをした時のままの箱の中にあったので、和泉に返すとあった。

 家族で並んで映るもの、両親だけ、兄弟だけ。あるいは父親が撮ったのであろう、洋間でお茶を飲みながら寛いでいる母親と和泉。
 和泉の両親は、季節の節目に家族の写真を撮り、使用人に配っていたようだ。権力の誇示ではなく、ただの家族自慢だったのではと、和泉は微笑んだ。

「懐かしいわ」

 名刺大の一枚の写真。セーラー服を着て髪をマガレイトに結っているのは和泉だ。並んでいる高等学校の学生服姿の男は――。

「征十郎さんだわ」

 遠縁の村瀬むらせ家から、兄の学友にと預かっていた征十郎せいじゅうろうだった。
 すっと切れ長の目は涼やかで、理知的に見えるのが印象的だ。実際、その目が表すように優秀で、中学校を三席で卒業していた記憶がある。

 あの頃、みんなに書生さんって呼ばれていたわね。

 家が傾いた時、父親は征十郎を真っ先に知人宅へ行かせたのだと兄から聞いていた。高等学校でも、共倒れにするには惜しい成績を収めていたのだろう。
 多少頑固なところがあったが、兄よりもうんと思いやりのある男だった。
 

 わたしと四歳違いだから、征十郎さんは二十四歳。……英嗣さんが二歳お兄さんなんだわ。

 学生服に目を細めた和泉は思い巡らす。

 英嗣さんはどんな学生時代を過ごされていたのかしら? 大勢のご学友に囲まれ慕われていたかしら? きっとそうね。

 ひとりでクスクス笑っていると、扉をノックされた。

「奥さま。旦那さまと英嗣さまがお呼びでございます」

女中頭に声を掛けられ、和泉は二人が待つ洋間へ向かった。


  □


明るいうちに毅さんとお会いするのは久しぶりだわ。

洋間から英嗣と毅が笑う声が聞こえた。和泉が入室した途端、ひとり掛けソファに座っている毅は口を一文字に結んでしまった。
和泉が来たところで兄弟の会話が途切れることは、今に始まったことではない。兄弟にとって嫁は余所者なのだと疎外されている気がする。
英嗣は以前に『兄さんは女慣れしていないから』と言ったが、果たしてそうだろうかと首を捻る。かといって、和泉が嫌いならば、とっくに離婚でもしているだろう。

離れた窓際の、ソファにゆったりと腰掛けている英嗣が手を小さく上げ微笑んだ。しかし和泉は、逃げるように顔をそらした。絡んだ視線で関係が露見しないだろうが、危ない橋は渡らないほうがいい。
毅に長椅子へ座るよう勧められ、浅く腰を下ろして平静を装う。後ろめたさを隠すのは未だに慣れなくて、振る舞いが変になりそうだった。
毅が静かに口を開く。

「取引相手から音楽鑑賞会に招かれている。あなたも来るように」

毅と二人きりで初めて出かける緊張に、和泉は指先を強ばらせた。
しかも、寡黙な毅が不機嫌をあらわにしていてるせいで、変な汗がじわりと浮いてくる。

「兄さん。そんなに顔を難しくさせていたら、和泉さんが怖がってしまいますよ。元から厳ついのですから」

毅の隣のひとり掛けソファに移動した英嗣が、長い足を組みながら和泉の顔を覗こうとする。和泉はその視線からもさっと逃げた。危機回避よりも罪悪感に負けているのだ。
和泉は英嗣の顔も毅の顔も見ず、二人の間の空間を見つめながら

「わたしは音楽のこともさっぱりわからないので、御無礼になってしまうでしょうから、たまにはご兄弟水入らずでいかがですか?」

そう断ると、英嗣が肩を揺らして笑う。

「和泉さん、兄さんに音楽がわかるとお思いですか?」

咳払いをした毅が反論をする。

「オーケストラだのジャズだの、情緒もなく喧しいだけだ。取引相手でなければ辞している」
「顔と同じくらい頑なだ。精神も頑なだから映画や観劇途中にも寝てしまえるから、美がわからないんですよ」

英嗣が明るく笑うと毅はムッとする。英嗣といる時だけこうして毅は感情を見せるのだから、兄弟仲は良好なのだろう。
だから余計に後ろめたさでいっぱいになった。毅に対してではなく英嗣に対して。肉親を裏切る行為を止めることなくさせている罪の意識が和泉にのしかかる。

「明日の夕刻、迎えに英嗣を寄越す。あなたは人形のように控えて座っていればいい。他の婦人と喋ることのないように」
「はい。わかりました」

毅を真っ直ぐ見据えて返事をすると、じっと見つめてきている英嗣の姿が視界に入る。

「夜から始まる音楽鑑賞会が楽しみですね」

英嗣の言葉で、和泉はふと気づいた。毅が同席をしているが、英嗣とともに時間を過ごせる。
気が緩んだのか、英嗣と自然に視線が交わり絡んだ。にっこり微笑む男は、人差し指を口に当て唇だけ動かす。「楽しみです」と。

英嗣から逃れることなど、和泉にはできないのだから。それからの毅の話はあまり頭に入ってこなかった。
かろうじて覚えているのは、当日ホテルのロビーで毅と落ち合う約束だけだった。




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