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8、さようなら休憩期間
新しい就職先
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いくつか登録した中で、ひとつの転職サイトから瞬にすぐオファーが来た。
「技術指導」の名目で、経験者限定の求人だった。
詳しい業務内容はイメージできなかったが、勤務時間は九:〇〇~一八:〇〇、給料も悪くなかった。勤務地は農場併設の田園地帯だったが、宿舎もある。
行ってみるとキレイなオフィスで、スタジオみたいなキッチンもあった。面接してくれた重役さんもまだ若くて、会社自体が若々しい感じだった。
「今、社長は遠方の農場へ行っていて留守してますが。『よろしく』と言いつかってます」
そう言って重役さんは済まなそうに瞬に頭を下げてくれた。
瞬がこれまで働いてきた先は、どこも上下関係の厳しいところばかりだったので、これには瞬も度肝を抜かれた。
一度、そうしたホワイトな職場で働く経験をしてもよかろう。
瞬はその場で入社を決めた。
(どうせ研修施設で、専卒の見習いコックにケイコをつける仕事だろう)
専門学校を卒業したてなら、二〇歳くらいが主で、後は転職組がチラチラ混じるくらいか。
今の自分の年齢なら、多分やれる。大丈夫だ。
特急にゆられ窓の外の景色をながめながら、瞬は心の中でそう思った。
面接のときには、「そのうち商品開発や企画も」と言われたが、実際にその話が出たときに考えればいい。
二ヶ月くらいの間に、ほとんど感じなかった味が、七割ほどに回復したのだ。
のんびりした自然の中で仕事をすれば、さらによくなるかもしれない。
特急に二時間乗って、山の中の駅に降りた。
一度面接に来たので、勝手は知っている。
指示された通り、列車の中から瞬は会社に連絡していた。面接のときに会った重役さんが、自分で車を運転して、駅まで迎えに来てくれた。
「角倉さん、よくお越しくださいましたね」
「お疲れさまです。お世話になります」
瞬は車に乗り込んだ。
重役さんは新井と言った。社長室長だそうで、要は全国を飛び回る社長の秘書をしているらしい。
「まあ、社長はほぼ社にはいませんので、留守番ですよ。あはは」
そう言って新井は笑った。
これから瞬が勤める会社は「(株)ハタノ」。フード・サービスやら、アグリプロダクトやら、ファクトリーやら、インターナショナルやら、社名の下にさまざまな部局がぶら下がっている。そんな中で、地味に和食の修行をしてきただけの瞬に、何ができるのか。
だが、瞬を望んだのは向こうなのだ。瞬は望まれてやってきた。ここで積める経験を積んで、キャリアアップにつなげられたら御の字だ。
「お忙しいんですねえ、やっぱり」
「ええ、そうですね。社長もお父さまの事業を継いでから、いろいろ新しく始められたことがありましてね。何しろ食品産業は、変化が早いですし、世界とも戦っていかなくちゃなりませんしね」
二代目社長か。三代目かもしれない。どこかで聞いたような話だ。
「ま、本質的に、『自由な』方ですんでね。好きに飛び回ってらっしゃいますよ」
(へえ……?)
新井の声にあきれたような響きを聞いて、瞬は横目で社長室長の表情を見た。新井の目は笑っていた。奔放な若社長を許容して、そのフォローに徹しているのだろう。歳の頃は三〇代後半か。
その社長には、人望があるようだ。
車はパッチワークのような丘を抜けて走った。ところどころに牛が草を食んでいた。
「さ、着きましたよ」
開けた農場脇の社屋に車が停まった。
カバンを手に、瞬は新井の後をついて階段を登った。
途中すれ違った社員が、
「お帰りなさい。社長は今不在ですよ」
と新井に声をかけた。
「またですか。もう、困ったもんだ」
と新井はぼやいた。
「こちらで少し休んでいてください。社長を探してきます」
「はあ」
瞬は新井に通された部屋をぐるりと見回した。
明るいベージュの壁に、穏やかな茶の応接セット。奥は一面ガラス窓で、農場がよく見える。窓の手前に大きな机がひとつ置かれている。
してみると、ここは社長室なのだろう。
緊張する。
社長は多分、ハタノさん。
さっきの新井さんが、あきれながらも尊敬して仕えているところを見ると、新井さんより少し歳上、四〇代くらいなのかな。
(まあ、誰が社長でも、俺みたいな下っ端の仕事は変わんないよね)
早く面通しが終わって、宿舎に入りたい。自分の住む環境を確認したい。
瞬は柔らかなソファの上で身じろぎした。
「技術指導」の名目で、経験者限定の求人だった。
詳しい業務内容はイメージできなかったが、勤務時間は九:〇〇~一八:〇〇、給料も悪くなかった。勤務地は農場併設の田園地帯だったが、宿舎もある。
行ってみるとキレイなオフィスで、スタジオみたいなキッチンもあった。面接してくれた重役さんもまだ若くて、会社自体が若々しい感じだった。
「今、社長は遠方の農場へ行っていて留守してますが。『よろしく』と言いつかってます」
そう言って重役さんは済まなそうに瞬に頭を下げてくれた。
瞬がこれまで働いてきた先は、どこも上下関係の厳しいところばかりだったので、これには瞬も度肝を抜かれた。
一度、そうしたホワイトな職場で働く経験をしてもよかろう。
瞬はその場で入社を決めた。
(どうせ研修施設で、専卒の見習いコックにケイコをつける仕事だろう)
専門学校を卒業したてなら、二〇歳くらいが主で、後は転職組がチラチラ混じるくらいか。
今の自分の年齢なら、多分やれる。大丈夫だ。
特急にゆられ窓の外の景色をながめながら、瞬は心の中でそう思った。
面接のときには、「そのうち商品開発や企画も」と言われたが、実際にその話が出たときに考えればいい。
二ヶ月くらいの間に、ほとんど感じなかった味が、七割ほどに回復したのだ。
のんびりした自然の中で仕事をすれば、さらによくなるかもしれない。
特急に二時間乗って、山の中の駅に降りた。
一度面接に来たので、勝手は知っている。
指示された通り、列車の中から瞬は会社に連絡していた。面接のときに会った重役さんが、自分で車を運転して、駅まで迎えに来てくれた。
「角倉さん、よくお越しくださいましたね」
「お疲れさまです。お世話になります」
瞬は車に乗り込んだ。
重役さんは新井と言った。社長室長だそうで、要は全国を飛び回る社長の秘書をしているらしい。
「まあ、社長はほぼ社にはいませんので、留守番ですよ。あはは」
そう言って新井は笑った。
これから瞬が勤める会社は「(株)ハタノ」。フード・サービスやら、アグリプロダクトやら、ファクトリーやら、インターナショナルやら、社名の下にさまざまな部局がぶら下がっている。そんな中で、地味に和食の修行をしてきただけの瞬に、何ができるのか。
だが、瞬を望んだのは向こうなのだ。瞬は望まれてやってきた。ここで積める経験を積んで、キャリアアップにつなげられたら御の字だ。
「お忙しいんですねえ、やっぱり」
「ええ、そうですね。社長もお父さまの事業を継いでから、いろいろ新しく始められたことがありましてね。何しろ食品産業は、変化が早いですし、世界とも戦っていかなくちゃなりませんしね」
二代目社長か。三代目かもしれない。どこかで聞いたような話だ。
「ま、本質的に、『自由な』方ですんでね。好きに飛び回ってらっしゃいますよ」
(へえ……?)
新井の声にあきれたような響きを聞いて、瞬は横目で社長室長の表情を見た。新井の目は笑っていた。奔放な若社長を許容して、そのフォローに徹しているのだろう。歳の頃は三〇代後半か。
その社長には、人望があるようだ。
車はパッチワークのような丘を抜けて走った。ところどころに牛が草を食んでいた。
「さ、着きましたよ」
開けた農場脇の社屋に車が停まった。
カバンを手に、瞬は新井の後をついて階段を登った。
途中すれ違った社員が、
「お帰りなさい。社長は今不在ですよ」
と新井に声をかけた。
「またですか。もう、困ったもんだ」
と新井はぼやいた。
「こちらで少し休んでいてください。社長を探してきます」
「はあ」
瞬は新井に通された部屋をぐるりと見回した。
明るいベージュの壁に、穏やかな茶の応接セット。奥は一面ガラス窓で、農場がよく見える。窓の手前に大きな机がひとつ置かれている。
してみると、ここは社長室なのだろう。
緊張する。
社長は多分、ハタノさん。
さっきの新井さんが、あきれながらも尊敬して仕えているところを見ると、新井さんより少し歳上、四〇代くらいなのかな。
(まあ、誰が社長でも、俺みたいな下っ端の仕事は変わんないよね)
早く面通しが終わって、宿舎に入りたい。自分の住む環境を確認したい。
瞬は柔らかなソファの上で身じろぎした。
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