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3、もう、ムリなんだって

体温が。もう引き返せない

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「あのさ」

「何ですか?」

「ヤだったら答えなくていいけどさ」

「はい」

 瞬は水加減をしたフライパンにフタをした。

 隣では伸幸が瞬の手許をのぞいている。どんなおいしいものができるのか、ワクワクしてるのが肩ごしに伝わってくる。

「誠さんってさ、どんなひとだったの?」

 狭い台所で、瞬は伸幸を見上げた。体温を感じるほどの距離で。

「どんなって……会社員でしたよ。バラエティ雑貨を扱ってる卸問屋に勤めてるって」

「……やっぱ男?」

「ええ。二十九歳の男性で」

「んじゃあさ」

 瞬は半歩退がった。玄関との区切りの壁に背中が当たった。

「そのひととは、恋人だったかもしれない間柄だったんだよね。伸幸さんって男イケるの?」

 伸幸はふふっと笑った。

「さあ、どうでしょうね。あまりこだわりはない方かもしれません」

「『こだわり』って……」

 瞬は絶句した。

(『こだわり』って! そんな答え方ある? こっちはあんたがゲイかどうかを確認したんだよ。なのに)

 こだわりがないということは、対象は男女どちらでもいいということで。ってことは。

 瞬が退がった半歩分、伸幸が長い腕を伸ばした。

「じゃあ、瞬くんはどう?」

 伸幸の指が瞬の頬に触れた。瞬の身体がピクリとふるえた。

「う……」

 かみしめた唇のすきまから不本意な声がもれる。

(ヤバイ……訊くんじゃなかった)

 伸幸は指の背でかすかに瞬の頬をなでた。

「瞬くんの対象は男でしょ? 頼りたい、甘やかされたい方だよね」

「そ」

 瞬は首を振った。

「そんなことない」

 伸幸は瞬の後ろの壁に手をついた。

「俺にまで嘘、つかなくていいよ」

 もう片方の手が瞬の顎をそっとつかみ、ほんの少しだけ上向かせた。瞬は首を振って逃げようとしたが、伸幸の手は逃してくれない。

(あ……)

 もうイヤなんだって、恋愛なんて。

 俺には向いてないんだって。

 どうやったらあんなモン、楽しんだりなんてできるんだ。

 辛いばっかりで、気が気じゃなくて。

 もう二度とごめんだって。

 ずっとひとりで生きていくんだって。

 カラダだけって割り切ったって、俺はそんな器用な人間じゃなかった。

 ほかの男のように、上手く立ち回ったりなんかできなかった。

 だから、もう。

「ん……っ」

 瞬の膝がくずれた。壁にもたれたままずるずるとへたり込む瞬を伸幸は逃がさなかった。抵抗もできなくなって、瞬は求められるまま口を開いた。咽が、鳴る。

「んん……ん……」

 もう引き返せない臨界点が、来る。

(流される)

 瞬の脳の後ろで、危険信号が明滅した。

 ピピピッ、ピピピッ、ピピピッ。

 物理音。タイマーだ。

 我に返った瞬は、慌てて伸幸の身体を押しのけ立ち上がった。

 ピッ。

 タイマーを止め、フライパンのフタを開けた。米のニオイよりも先に、魚介の炊き上がる匂いが拡がった。

 瞬の身体はニオイに反応する余裕もない。

 瞬はフライパンを揺すって水分を飛ばした。ここの火加減がパエリアをパリッとおいしくするのだろう。

「おいしそうだ」

 耳許でささやくような声がした。瞬の身体がまたふるえた。

 伸幸が後ろから瞬の身体を包みこむようにそっと抱いていた。

「離せよ。焦げる」

「嘘。離して欲しくないくせに」

 背中に伝わる伸幸の体温。自分の体温と融合して、熱量は背骨を伝って濃密な上昇気流をかたちづくる。

「ヤ、だ」

 瞬がイヤイヤをすると、伸幸は腕を伸ばしてガスの火を止めた。
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