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第七十四話【使用してはならないコマンド】後

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 本当に小さな呟きだったが、その声が聞こえた瞬間結衣の体が震えた。足が動かなくなり、息が苦しくなる。

「結衣?」

 近道を使おうと曲がり角を曲がったところで、不意に足を止めた結衣の様子にどうかしたのかと不思議そうにした力也だが、その違和感に気づいた。

「結衣、久しぶりだな」

 それと同時に、目の前から近づいてきたのは三人の中年男性だった。その男達ギラついた瞳と、漂うグレアに危険を感じた力也は結衣とマコとミキをかばうように前に出た。

「何の用ですか」
「生きのいいSubだな」

 その声は前からではなく後ろから聞こえた。振り向けば背後にも二人のDomがいた。その誰もがただの欲求不満とは違う、独特な空気を発している。

「それにしても生意気だな、ダメだろSubが俺たちDomにそんな態度をとってはKneel」【おすわり】

 三人の男だけではなく背後からも、吹き出した悪意に満ちた攻撃的なグレアとコマンドに、耐えられたのは力也だけだった。
 低ランクの結衣はもちろんのこと、ミキも力が抜けたようにその場に膝をついた。マコはかろうじて立ってはいるものの、その足は震えていた。

「結衣、ミキ! お前ら誰だ」
「そこの結衣に聞けばいいじゃないか、ほら結衣呼んでみろよ。覚えてんだろ俺たちのことを」

 ニヤニヤと気味が悪い笑みを浮かべる男の言葉で、力也には男達が何者なのか予想がついた。

「あ、ご・・・・・・ごしゅじ・・・」
「ダメだ! 結衣、呼ぶな」

 結衣がその呼び方を口に出そうとした瞬間、止めたのは力也だった。思わず口をつぐむ、結衣を守るようにしながら男性達ににらみをきかせる。

「今その呼び方をするのはたった一人だろ。こんな奴らに言われたからって呼んじゃダメだ」

 こんな状況で呼んだからと言って、神月が怒るわけはないと力也もわかっている。それでもダメだと感じた。神月は必ず許す、実際に許せないのは呼んでしまった結衣自身だ。
 どんなに神月が許すと言っても許せない、結衣はそれほどまでに神月を信奉している。

「結衣がせっかく昔みたいに呼ぼうとしてんのに、邪魔すんなよ」
「お前ら、結衣を昔監禁してた奴らだな」
「なんだ俺たちの事を知ってんのか」
「いいこだな、結衣、ちゃんと自分が便器だってお友達に伝えられて」

 その言葉にマコが怒りの表情を滲ませる。震える体を押さえ、男達を睨んだ。話の流れから結衣がターゲットだとわかったのだろう、動けなくなっているミキも結衣を抱きしめた。

「結衣を馬鹿にするな!」
「お、もう一人威勢のいいのがいるな」
「結衣は俺の仲間だ!アンタらなんかにそんなこと言われる覚えはない!」
「マコさん・・・・・・。お前ら、捕まったんだろ、結衣に接触禁止命令でてるよな」

 結衣は近所から通報され、助け出された被害者だ。当時未成年で客の多くが監禁と強制を理解していた為、複数人の逮捕者が出たはずだ。
 今いる男達は冬真が言っていた犯罪者予備軍などではなく、れっきとした犯罪者達だ。

「へぇ、Subの癖に難しい言葉知ってるじゃないか」
「やっぱ、Subに知識は必要ないよな。反抗的になるばかりだ」
「Subに必要なのはエッチな勉強と教育だけってか」

 男達のゲラゲラとした下品な笑い声に、自分たちのご主人様との差を思いつつ、力也は視線を泳がした。
相手はDomの男が三人とUsualの男が二人、グレアは自分は耐えられるが、結衣とミキは無理、マコはギリギリ動ける。

(ここは逃がすしかない)

 幸い、通りに出てしまえば人通りも多く、必死で走ればミキの店にもたどり着くことができる距離だ。

(三人を逃がして、俺がなんとかする)

 男五人でも、武術の心得もある力也ならばよほどの事がない限り負けはしない。五人に威嚇をしながら、逃げ道を探す。

「お前みたいなでき損ないには興味もねぇけど、他の三人は可愛がってやるよ」

 冬真がいたらぶち切れるだろうなと一瞬考える。間違いなく、冬真だけでなく優しいパートナー達なら本気で怒る内容だ。

「マコさん、合図したら二人を連れて逃げてください」

 必死であがなおうとするマコに近づき、耳打ちすればマコは不安そうな瞳を浮かべた。

「大丈夫、結衣もミキも走れます。俺たちにはご主人様がついてる」
「わかった。りっくん気をつけて」

 力也が武術が使えるとわかっているマコは、そう言うとしゃがみ込む二人の傍にいきその手をつかんだ。

「二人とも合図したら逃げるよ。ご主人様を裏切りたくないでしょ」

 そう言えば、怯えきった結衣の目に意思が宿る。立ち上がる体勢をとったミキにしがみつき、結衣も体勢を整えたのを見計らい、力也は動いた。

「どけー!」
「うおっ!?」

 表通りに近い、方向にいた二人に体当たりのように突っ込み男達が驚いている間に、押さえ込む。

「今です!」
「いくよ!」

 マコとミキで結衣を支え、力也が作った隙間を三人は全力で走った。

「しまった!」
「このやろう!」

 慌てて追いかけようとする五人に向かいあい、行く手を塞ぐように力也は立った。

「行かせない」
「どけ!」

 どす黒い悪意の塊のような支配と攻撃性を持ったグレアに、思わず足がすくみそうになる。それでも、ここを通すわけにはいかない。
 グレアは武器だと聞いたことがある気がする。人を傷つけ、破壊することができる武器だと、冬真といるとつい忘れてしまいそうになるが、グレアは確かに武器だ。
 特にSubにとっては刃物よりも怖い武器だ。
 それでも、自分は耐えられるし、戦える。そう力也は思っていた。

「目障りな野郎だ。Kneel!」【座れ!】

 先ほどよりも強い、怒りが混じったコマンドに、それでも力也はあがなった。

「なんだよ、Kneel もできねぇのか。無能じゃあ、Down!」【這え!】

 失望と怒りを含めた言い方に、軽い震えが来る。こんなやつらでもDomに失望されたと感じれば、焦りがでてくるのだからSubの性は厄介なのだと思う。
 それでも、今は唯一のご主人様がいる。首にあるタグはいつでも自分を勇気づけてくれるし、守ってくれる。

「Down! だよDown! 聞こえねぇのか!」【這え】
「コマンドきかねぇんじゃねぇのか。もういいやっちまおうぜ!」

 その瞬間、Domではない二人がポケットから何かを取り出した。

(ナイフ!)

 咄嗟に護身術やアクションで覚えた型を取り、向かってくる二人に構えた。
 素人が使うナイフ技術など刺すか切るかの二つ、どちらにしても構えがわかりやすく、対処のしようはいくらでもある。

(上)

 まず一人目上から体めがけ振り下ろすナイフを力也は、足で蹴り飛ばした。カランと音を立てて飛んでいくナイフには目もくれず、咄嗟に動けない男をそのまま、壁に向かい突き飛ばす。

「コイツ!」

 今度はナイフを前に構え一直線に向かってきた男を避け、その手をつかんだ。ギリギリと締め上げれば、その手からナイフが落ちる。それを軽く踏み、手首をつかんだ男を壁に向かい投げ飛ばした。

「すげぇ、やるなお前」
「ここは通さない」

 動いたことで逆に落ち着いたのか、Subとは思えないほどの強い目線でにらみ返す力也に、結衣を監禁していた主犯格の男がニヤリと笑みを浮かべた。

「さすが高ランク、一筋縄じゃいかねぇってか。でもな、お前らSubは所詮俺たちには適わねぇんだよ」

 三人が発するどす黒いグレアに、力也が立ち向かおうとしたその時、三人の口から発せられたコマンドは禁忌とされている物だった。

「Lost!」【消えろ!】

 ドクッ、心臓が音を立てた。自分の意思とは別になにか大きな力が働いているかのように、息が苦しくなる。命じられたそのコマンドが頭の中を駆け巡る。

(ヤバい)

 まともな息もできなくなった力也には、ただそれだけが浮かんでいた。
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