翡翠の環−ご主人様の枕ちゃん

綿入しずる

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Ⅱ‐回青の園

旅程ⅱ

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 そんな風にして二日過ぎた。車の中では仕事をしたり、遊んだり、話したりして過ごして、夜には宿で休む。体は多少疲れが出てきたが、正直言って思っていたより全然楽だ。昔荷馬車に詰め込まれて売り買いされていたときとは大違い。貴族の旅とはこんなものらしい。天気も悪くならないので順調に進んでいると言う。
 昼の休憩を経た主人は馬に乗りに行ってしまって、車の中は俺とビリムの二人きりだ。そうするとビリムも足を伸ばしてのびのびとしている。
「こっちだと尻が痛くなくていいな」
「でも眠くなる」
「旦那様の横で?」
「俺はいつもそれで寝てるんだから、正直緊張感ないよ」
「ファロに言ったら相当の鈍感扱いされるぞ」
「まあ、鈍いほうだとは思うけどさあ……安奴隷なんてそんなものだって。いつも半分寝てるんだから」
「妖精だけ起きてるってやつだろ。あんまりやると最期には言葉も喋らなくなるっていう」
「死ぬときは老人だって似たようなものだろ。……向こうの馬車はどんな感じ?」
「やることは大して変わらねえよ。作業して、皆飽きたらちょっと暇潰しして……俺も話しかけられるし、歌えって言われることもある」
 何をしていろと言いつけられたわけでもない。から適当に喋って過ごしている。ビリムとしてもさすがに奴隷二人だけの馬車では好き勝手に歌うこともできず、たまに鼻歌は聞こえたが俺に付き合ってくれる時間のほうが長い。
 馬車が長く止まったなと思ったら、休憩らしく主人が戻ってきた。馬に乗るのにいつもと違う丈の短い上着を着て髪を纏め上げている姿はちょっと若く見える。
「おかえりなさいませ」
 ビリムと二人で出迎えるのはなんだか変な感じだ。
「カルミジ殿……奴隷商が宴を開くそうだ。招かれた。お前たちも連れていく」
 茶の用意をさせながら主人が言うのに返事をして――いつもならどうしようもないところ、今日は隣にいたビリムを見る。返事は俺と共にちゃんとした彼だが、やっぱり浮かない顔をしていた。
 奴隷商、宴。なんとなく憂鬱な単語の並びだ。主人も、何もされない、なんて言わない。あっさり軽い口振りだけれども。
「当家の奴隷も見たいのだそうだ。……まあ、少し触られるくらいは我慢しろ。いつものことだ」
「はい……」
 ビリムを向いて言ったが、俺もだろうか。まあビリムと違って手を出したいと思われるかは怪しいけど、前みたいなからかいはあるかもしれない。でもそう気構えできるだけまだいい気がした。俺も少しは金持ちの家の奴隷として慣れてきたなあなんて思う。
 そうして日暮れ頃、今日は宿ではなく空き地に天幕が用意された。一応は街の一角らしく、暗くなってくると遠くにはちらほらと住宅の灯りが見えていた。此処なら野獣や追剥の心配はいらないだろう。
 リーシャットの天幕の一角で屋敷に居るときより控えめに、外出の支度が始まる。用意されている衣装箱や化粧台は勿論屋敷の物より格段に小さく簡素だったが、それでも急ごしらえとは思えない充実ぶりだった。
 一層豪奢に着付けられる主人を遠目に、俺はジャルサの羽のような、綺麗な青色に金刺繍の衣を被せられた。薄いけど前の……アレみたいに透けないし、裾も膝まではある。ほっとした。
 見れば、ビリムも揃いの青い服を着せられていた。同じ服で並べたら俺が貧相に見えてしまいそうだけど、まあそれは服が違っても一緒だった。俺が気にすることじゃない。
 髪を梳かされ、顔や胸元に粉がはたかれて、手に羽根模様とリーシャットの名が入った。触れるべからず、とはなかったけど、読めるようになった今は十分に護符のように感じられた。首輪を磨いて、見慣れてきてしまった装飾品の輪と鎖が手足につけられる。今日は金の鎖。やっぱり細くてちぎれそうな、頼りないものだ。腰にも一本巻いて紐の代わりになる。
 隣で出来上がったビリムを見て、はあ、と息が漏れた。本当にザフラもこいつも、半分くらいは花精イズハールだったりするんじゃないか。
「お前、やっぱりすごく綺麗だな」
 褒めたのにビリムは嫌そうな顔をする。整えられた眉が寄って、頭を掻こうとして、止めた。香油をつけて丁寧に形を作られていた髪が崩れて叱られるからだ。
「なんだよ――嫌味……じゃないんだよな、お前の場合」
「違うって。ほんとに綺麗だと思っただけで」
「やめろやめろ」
 勿論、ただの褒め言葉だ。嫌味なんて言っても何にもならない。
じゃれているな。仲良くなったなら何よりだ」
 こそこそやっていると主人と、今日は一緒に着替えていたハリュールも支度を終えて近づいてきて、ビリムの背筋が伸びた。俺も姿勢を正す。主人は俺たち二人を並べて眺め、二度頷いた。
「――うん、悪くない。では行くか」
 本当にそう思っているのかも定かではない平淡な口振りだったけど、主人が言ったのでなんだか安心した。ビリムには絶対見劣りするとしても、主人がいいならそれでいい。羽織り物を翻して歩く後姿からは、いつもより濃く香が香っていた。
 俺たちの服もそうだが、主人の羽織りやハリュールの帯に、今日は青色が目立つ。多分目印なんだろう。それもまたリーシャットの、鸞の加護のようで心強い。
 向かう先に見えている砂色の幕は以前の夜会の天幕に似ていて少し、嫌な予感もしたけれど。

「ようこそおいでくださった。さあ中へ」
 体格のいい男が天幕の前に立ち塞がった――と感じたのは、奴隷商だからだろうか。実際には朗らかな声と笑顔で主人を招く。きつい鳶色の目。値踏み品定めをする視線。腰に鞭の影もあってつい目を逸らした。
「今宵の招待に感謝を。約束どおり我が家の奴隷も連れてきた。仕事をさせようか」
「有り難い。ですが白奴隷アラグラルなら大勢おりますので、そちらを使っていただければ」
 なんとなく嫌な感じのする男だったが、まあそもそも、奴隷商なんていい印象になりようがない。ビリムも同じように身を固めて、この場をやり過ごそうとしているのが気配で窺えた。
 天幕からは暖かい空気が漏れていた。明るさ以上に、その気配が俺たちの気を引いた。引き寄せられるように目を向けた先に奴隷たちが腰掛けて、酒の甕に寄り掛かっている。
 多数の白奴隷の中に一人だけ、色違いが居る。
 日焼けより濃い色の肌、炎の先の赤い金色で波打つ髪。さらりと流れる柔らかな布を腰に巻いて上体を晒している、奴隷とはいえ季節に不釣り合いの薄着。妖精を縛める鉄の首輪。特別奴隷。
 火精ラーブだ。
「コステア産です。二級品ですが普段使いにはむしろ適当かと」
 あの奴隷が天幕を温めている。主人たちにはきっと丁度いいくらいの温度だろう。奴隷商が言うのも彼のことのようだった。
「火精か。なかなか見栄えがする」
「でしょう。力量もなかなかですよ」
 年は俺と同じくらい。見た目――顔の作りも多分大差ない。いや、虫食いではなさそうだからやっぱりあっちのほうがましなのかもしれないが。ともかくビリムのほうがずっと美人だ。けど、その色は珍しくて目を引くだろう。王宮でもそうだった。
 先に寛いでいたターウス様も主人たちと挨拶を交わして、話を向ける先は火精の特別奴隷だった。
「やあお疲れ様」
「やあ。火精に興味はないのか?」
「私は昼に見せてもらったから、アルフ殿が見せてもらうといい。いやはやなかなか、珍しいし、便利そうだが」
「王宮の様を見ているとな、家に一人でもいれば色々と楽だろう。妖精の火は煤払いが要らぬという」
「でもねえ、特別奴隷を増やすのはねえ、妻や家令に怒られそうで」
「我が家もそう変わらん。多いと税がかかるからな」
「なに、税の分以上に得をしますよ。室温の調節は自在ですし、湯沸しにも時間が要りません」
 ああそうか、ただの宴の暖房じゃなくて商売、主人に売りつけるつもりで連れてきているんだ。
 火精は氷精ヒエムより数が少ないから市場でもあまり見かけないし――そうなると、奴隷として持っている屋敷は珍しいだろう。王宮には居たし、リーシャットくらい格が高ければ、居ても不思議はないんだろうけど。
 俺のときとは違って等級の低い奴隷市でもない。商人がこうして一人ずつ見せるような奴隷なら、変じゃない。
 窺った主人の横顔はいつもどおり、外で誰かと話しているときのにこやかなもので、火精を欲しがっているのかは分からないが。
 奴隷商が火精のほうへと主人を促す。何か耳打ちされて、振り向いたハリュールが逆側を指差した。
「お前たちは酒でも冷やしていろ」
「ではこちらへおいで」
 俺たちが返事をするより早く、ターウス様が手招く。勿論嫌とは言えなくて、主人と離されてしまった。ビリムも居るから、そんなに不安ではないけど。
 でもすぐに商人の指示で他の奴隷たちもぞろぞろとやってきて――彼らが仕事をするから冷やす酒もなくて、周りに比べても構いたい顔ではないだろうに、ビリムと共にターウス様の隣へと座らされてしまった。
 以前の夜会の天幕に比べ足元が固くて転げそうにないのは幸いだった。鎖を絡めないよう姿勢を崩さないよう気をつけて、行き先なく組んだ手を膝に置いて、ターウス様が振る話に付き合う。
「旅は初めてか、もう疲れたろう」
「はい、ですが、よくしていただいておりますので……」
 主人と一緒の馬車で寛いでいるなんて言ったら、荷車に詰められているに違いない他の奴隷の目が痛い気がしてそんな受け答えしかできない。
 もっと……そう、愛想笑いでもしないと。ちゃんと主人といるときのようにしないと。この前の遊びの練習、屋敷での指導を思い出す。上手く笑えている気はしないが。
「ターウス様は、毎年南に行かれるのでしょうか?」
「私は一年おきくらいかな、他にも担当者が居るからね。今回は私の管轄の鉱山が――」
 幸い、ターウス様は喋るのがお好きなようだった。他の白奴隷に酌をさせながら楽しそうに語るのを、時折頷いて聞いていれば大丈夫そうだ。後は酔っ払ってどうにかならなければいいが。
「菓子は好きかね。何かやろうか」
 聞き役に徹して暫く経って、肴を齧りながらの問いかけにはたとする。
「は、い。いえでも、主人の許しがありませんので」
 咄嗟に返事をして、首を振る。今日は食うな飲むなとは特に言われていなかったが、だからといって主人以外から好きに物をもらっていいとは思えなかった。
 ターウス様は笑って俺の向こうを見た。振り向けば奴隷商やハリュールと談笑していた主人と目が合う。頷いたのか、顎で示したのかは分からなかった。多分、俺にではなく、ターウス様にだ。
「いいとさ。ほら、何が好きだい」
「では頂きます」
 旅の途中だからだろう、金の盆の上は酒肴も菓子も日持ちのしそうな、乾物や焼き菓子が多かった。とやかく選んだりしないで、手前の皿から砂糖漬けを手に取る。小さく細長い、黄色のこれは――
「柑橘が好きか。やはり奴隷といえどリーシャットの物か」
 レモンかオレンジだろうとは思ったが。続いた言葉の意味がとれなくて、つい首を傾げた。
「回青の園に居るんだろう」
「かいせい?」
 次に来た言葉も知らぬもので、小さく聞き返すとターウス様が目を丸くする。
「君は離れに囲われているのではないのかい? あの見事な庭の名は、違ったかな」
 思えば、俺は庭のほうには出たことがない。あそこをちゃんと見たことがない。名前を聞いたのもはじめてだった。庭に名前がついているのさえ知らなかった。
 多分そうなんだろう。口にもそう出かけたが、以前適当に物を答えて主人に怒られたのを思い出した。
「……お屋敷の園はそう申します」
 分かりません、と言う前に代わりに答えてくれたのはビリムだ。ぼそと、歌声とはまるで違う不慣れな様子だったけれど。
「申し訳ございません、それは新入りなもので……」
「ああそうかそうか、いやすまないね、困らせてしまったか。お前も食うか」
 ターウス様は気分を害した様子もなく、また笑ってビリムに砂糖漬けの皿を押しつけた。もしかしたらもう酔ってきてるかもしれない。そんな調子だった。
「頂きます、ありがとうございます」
 ありがと、と口の動きで礼を言う。ビリムはそこだけいつものように、素気なく頷いた。
 かいせい。園というからには植物の名前だろうか。物語に出てきた棕櫚シュロの園みたいに。俺が選んだ菓子の話みたいだったし、柑橘とも言ったし、果物のなる木か……うっかり考えて気が散りそうだった。はっとして手にしていた菓子を口に入れる。甘くて、香りがよくておいしい。これは確かに、好きなほうだ。
 ターウス様は他の奴隷にも気前よく菓子を勧めて食べさせたので、周りの雰囲気も和らいだ気がする。話題はこの前の王宮での仕事――七の宴のことになって、あのときにも俺を見かけたとか、作った氷菓シャルバートが美味かったとか、そういうことを言われた。
 請われて、戯れに掌で氷を作ることになった。差し伸べた両手の上、ビリムがそっと傾けた水差しから落ちる水に意識を向ける。一粒ずつ力で包んで止めるような、そんな感覚だ。石粒のように氷が音を立てて重なった。
 白い氷の粒を摘み上げる指が、掌を擽った。
「見事なものだなぁ」
 そう褒められるのは少し、誇らしかった。妖精の力に関しては世辞ではないだろうと思えるから。
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