52 / 77
Ⅱ‐回青の園
旅程ⅱ
しおりを挟む
そんな風にして二日過ぎた。車の中では仕事をしたり、遊んだり、話したりして過ごして、夜には宿で休む。体は多少疲れが出てきたが、正直言って思っていたより全然楽だ。昔荷馬車に詰め込まれて売り買いされていたときとは大違い。貴族の旅とはこんなものらしい。天気も悪くならないので順調に進んでいると言う。
昼の休憩を経た主人は馬に乗りに行ってしまって、車の中は俺とビリムの二人きりだ。そうするとビリムも足を伸ばしてのびのびとしている。
「こっちだと尻が痛くなくていいな」
「でも眠くなる」
「旦那様の横で?」
「俺はいつもそれで寝てるんだから、正直緊張感ないよ」
「ファロに言ったら相当の鈍感扱いされるぞ」
「まあ、鈍いほうだとは思うけどさあ……安奴隷なんてそんなものだって。いつも半分寝てるんだから」
「妖精だけ起きてるってやつだろ。あんまりやると最期には言葉も喋らなくなるっていう」
「死ぬときは老人だって似たようなものだろ。……向こうの馬車はどんな感じ?」
「やることは大して変わらねえよ。作業して、皆飽きたらちょっと暇潰しして……俺も話しかけられるし、歌えって言われることもある」
何をしていろと言いつけられたわけでもない。から適当に喋って過ごしている。ビリムとしてもさすがに奴隷二人だけの馬車では好き勝手に歌うこともできず、たまに鼻歌は聞こえたが俺に付き合ってくれる時間のほうが長い。
馬車が長く止まったなと思ったら、休憩らしく主人が戻ってきた。馬に乗るのにいつもと違う丈の短い上着を着て髪を纏め上げている姿はちょっと若く見える。
「おかえりなさいませ」
ビリムと二人で出迎えるのはなんだか変な感じだ。
「カルミジ殿……奴隷商が宴を開くそうだ。招かれた。お前たちも連れていく」
茶の用意をさせながら主人が言うのに返事をして――いつもならどうしようもないところ、今日は隣にいたビリムを見る。返事は俺と共にちゃんとした彼だが、やっぱり浮かない顔をしていた。
奴隷商、宴。なんとなく憂鬱な単語の並びだ。主人も、何もされない、なんて言わない。あっさり軽い口振りだけれども。
「当家の奴隷も見たいのだそうだ。……まあ、少し触られるくらいは我慢しろ。いつものことだ」
「はい……」
ビリムを向いて言ったが、俺もだろうか。まあビリムと違って手を出したいと思われるかは怪しいけど、前みたいなからかいはあるかもしれない。でもそう気構えできるだけまだいい気がした。俺も少しは金持ちの家の奴隷として慣れてきたなあなんて思う。
そうして日暮れ頃、今日は宿ではなく空き地に天幕が用意された。一応は街の一角らしく、暗くなってくると遠くにはちらほらと住宅の灯りが見えていた。此処なら野獣や追剥の心配はいらないだろう。
リーシャットの天幕の一角で屋敷に居るときより控えめに、外出の支度が始まる。用意されている衣装箱や化粧台は勿論屋敷の物より格段に小さく簡素だったが、それでも急ごしらえとは思えない充実ぶりだった。
一層豪奢に着付けられる主人を遠目に、俺は鸞の羽のような、綺麗な青色に金刺繍の衣を被せられた。薄いけど前の……アレみたいに透けないし、裾も膝まではある。ほっとした。
見れば、ビリムも揃いの青い服を着せられていた。同じ服で並べたら俺が貧相に見えてしまいそうだけど、まあそれは服が違っても一緒だった。俺が気にすることじゃない。
髪を梳かされ、顔や胸元に粉がはたかれて、手に羽根模様とリーシャットの名が入った。触れるべからず、とはなかったけど、読めるようになった今は十分に護符のように感じられた。首輪を磨いて、見慣れてきてしまった装飾品の輪と鎖が手足につけられる。今日は金の鎖。やっぱり細くてちぎれそうな、頼りないものだ。腰にも一本巻いて紐の代わりになる。
隣で出来上がったビリムを見て、はあ、と息が漏れた。本当にザフラもこいつも、半分くらいは花精だったりするんじゃないか。
「お前、やっぱりすごく綺麗だな」
褒めたのにビリムは嫌そうな顔をする。整えられた眉が寄って、頭を掻こうとして、止めた。香油をつけて丁寧に形を作られていた髪が崩れて叱られるからだ。
「なんだよ――嫌味……じゃないんだよな、お前の場合」
「違うって。ほんとに綺麗だと思っただけで」
「やめろやめろ」
勿論、ただの褒め言葉だ。嫌味なんて言っても何にもならない。
「戯れているな。仲良くなったなら何よりだ」
こそこそやっていると主人と、今日は一緒に着替えていたハリュールも支度を終えて近づいてきて、ビリムの背筋が伸びた。俺も姿勢を正す。主人は俺たち二人を並べて眺め、二度頷いた。
「――うん、悪くない。では行くか」
本当にそう思っているのかも定かではない平淡な口振りだったけど、主人が言ったのでなんだか安心した。ビリムには絶対見劣りするとしても、主人がいいならそれでいい。羽織り物を翻して歩く後姿からは、いつもより濃く香が香っていた。
俺たちの服もそうだが、主人の羽織りやハリュールの帯に、今日は青色が目立つ。多分目印なんだろう。それもまたリーシャットの、鸞の加護のようで心強い。
向かう先に見えている砂色の幕は以前の夜会の天幕に似ていて少し、嫌な予感もしたけれど。
「ようこそおいでくださった。さあ中へ」
体格のいい男が天幕の前に立ち塞がった――と感じたのは、奴隷商だからだろうか。実際には朗らかな声と笑顔で主人を招く。きつい鳶色の目。値踏み品定めをする視線。腰に鞭の影もあってつい目を逸らした。
「今宵の招待に感謝を。約束どおり我が家の奴隷も連れてきた。仕事をさせようか」
「有り難い。ですが白奴隷なら大勢おりますので、そちらを使っていただければ」
なんとなく嫌な感じのする男だったが、まあそもそも、奴隷商なんていい印象になりようがない。ビリムも同じように身を固めて、この場をやり過ごそうとしているのが気配で窺えた。
天幕からは暖かい空気が漏れていた。明るさ以上に、その気配が俺たちの気を引いた。引き寄せられるように目を向けた先に奴隷たちが腰掛けて、酒の甕に寄り掛かっている。
多数の白奴隷の中に一人だけ、色違いが居る。
日焼けより濃い色の肌、炎の先の赤い金色で波打つ髪。さらりと流れる柔らかな布を腰に巻いて上体を晒している、奴隷とはいえ季節に不釣り合いの薄着。妖精を縛める鉄の首輪。特別奴隷。
火精だ。
「コステア産です。二級品ですが普段使いにはむしろ適当かと」
あの奴隷が天幕を温めている。主人たちにはきっと丁度いいくらいの温度だろう。奴隷商が言うのも彼のことのようだった。
「火精か。なかなか見栄えがする」
「でしょう。力量もなかなかですよ」
年は俺と同じくらい。見た目――顔の作りも多分大差ない。いや、虫食いではなさそうだからやっぱりあっちのほうがましなのかもしれないが。ともかくビリムのほうがずっと美人だ。けど、その色は珍しくて目を引くだろう。王宮でもそうだった。
先に寛いでいたターウス様も主人たちと挨拶を交わして、話を向ける先は火精の特別奴隷だった。
「やあお疲れ様」
「やあ。火精に興味はないのか?」
「私は昼に見せてもらったから、アルフ殿が見せてもらうといい。いやはやなかなか、珍しいし、便利そうだが」
「王宮の様を見ているとな、家に一人でもいれば色々と楽だろう。妖精の火は煤払いが要らぬという」
「でもねえ、特別奴隷を増やすのはねえ、妻や家令に怒られそうで」
「我が家もそう変わらん。多いと税がかかるからな」
「なに、税の分以上に得をしますよ。室温の調節は自在ですし、湯沸しにも時間が要りません」
ああそうか、ただの宴の暖房じゃなくて商売、主人に売りつけるつもりで連れてきているんだ。
火精は氷精より数が少ないから市場でもあまり見かけないし――そうなると、奴隷として持っている屋敷は珍しいだろう。王宮には居たし、リーシャットくらい格が高ければ、居ても不思議はないんだろうけど。
俺のときとは違って等級の低い奴隷市でもない。商人がこうして一人ずつ見せるような奴隷なら、変じゃない。
窺った主人の横顔はいつもどおり、外で誰かと話しているときのにこやかなもので、火精を欲しがっているのかは分からないが。
奴隷商が火精のほうへと主人を促す。何か耳打ちされて、振り向いたハリュールが逆側を指差した。
「お前たちは酒でも冷やしていろ」
「ではこちらへおいで」
俺たちが返事をするより早く、ターウス様が手招く。勿論嫌とは言えなくて、主人と離されてしまった。ビリムも居るから、そんなに不安ではないけど。
でもすぐに商人の指示で他の奴隷たちもぞろぞろとやってきて――彼らが仕事をするから冷やす酒もなくて、周りに比べても構いたい顔ではないだろうに、ビリムと共にターウス様の隣へと座らされてしまった。
以前の夜会の天幕に比べ足元が固くて転げそうにないのは幸いだった。鎖を絡めないよう姿勢を崩さないよう気をつけて、行き先なく組んだ手を膝に置いて、ターウス様が振る話に付き合う。
「旅は初めてか、もう疲れたろう」
「はい、ですが、よくしていただいておりますので……」
主人と一緒の馬車で寛いでいるなんて言ったら、荷車に詰められているに違いない他の奴隷の目が痛い気がしてそんな受け答えしかできない。
もっと……そう、愛想笑いでもしないと。ちゃんと主人といるときのようにしないと。この前の遊びの練習、屋敷での指導を思い出す。上手く笑えている気はしないが。
「ターウス様は、毎年南に行かれるのでしょうか?」
「私は一年おきくらいかな、他にも担当者が居るからね。今回は私の管轄の鉱山が――」
幸い、ターウス様は喋るのがお好きなようだった。他の白奴隷に酌をさせながら楽しそうに語るのを、時折頷いて聞いていれば大丈夫そうだ。後は酔っ払ってどうにかならなければいいが。
「菓子は好きかね。何かやろうか」
聞き役に徹して暫く経って、肴を齧りながらの問いかけにはたとする。
「は、い。いえでも、主人の許しがありませんので」
咄嗟に返事をして、首を振る。今日は食うな飲むなとは特に言われていなかったが、だからといって主人以外から好きに物をもらっていいとは思えなかった。
ターウス様は笑って俺の向こうを見た。振り向けば奴隷商やハリュールと談笑していた主人と目が合う。頷いたのか、顎で示したのかは分からなかった。多分、俺にではなく、ターウス様にだ。
「いいとさ。ほら、何が好きだい」
「では頂きます」
旅の途中だからだろう、金の盆の上は酒肴も菓子も日持ちのしそうな、乾物や焼き菓子が多かった。とやかく選んだりしないで、手前の皿から砂糖漬けを手に取る。小さく細長い、黄色のこれは――
「柑橘が好きか。やはり奴隷といえどリーシャットの物か」
レモンかオレンジだろうとは思ったが。続いた言葉の意味がとれなくて、つい首を傾げた。
「回青の園に居るんだろう」
「かいせい?」
次に来た言葉も知らぬもので、小さく聞き返すとターウス様が目を丸くする。
「君は離れに囲われているのではないのかい? あの見事な庭の名は、違ったかな」
思えば、俺は庭のほうには出たことがない。あそこをちゃんと見たことがない。名前を聞いたのもはじめてだった。庭に名前がついているのさえ知らなかった。
多分そうなんだろう。口にもそう出かけたが、以前適当に物を答えて主人に怒られたのを思い出した。
「……お屋敷の園はそう申します」
分かりません、と言う前に代わりに答えてくれたのはビリムだ。ぼそと、歌声とはまるで違う不慣れな様子だったけれど。
「申し訳ございません、それは新入りなもので……」
「ああそうかそうか、いやすまないね、困らせてしまったか。お前も食うか」
ターウス様は気分を害した様子もなく、また笑ってビリムに砂糖漬けの皿を押しつけた。もしかしたらもう酔ってきてるかもしれない。そんな調子だった。
「頂きます、ありがとうございます」
ありがと、と口の動きで礼を言う。ビリムはそこだけいつものように、素気なく頷いた。
かいせい。園というからには植物の名前だろうか。物語に出てきた棕櫚の園みたいに。俺が選んだ菓子の話みたいだったし、柑橘とも言ったし、果物のなる木か……うっかり考えて気が散りそうだった。はっとして手にしていた菓子を口に入れる。甘くて、香りがよくておいしい。これは確かに、好きなほうだ。
ターウス様は他の奴隷にも気前よく菓子を勧めて食べさせたので、周りの雰囲気も和らいだ気がする。話題はこの前の王宮での仕事――七の宴のことになって、あのときにも俺を見かけたとか、作った氷菓が美味かったとか、そういうことを言われた。
請われて、戯れに掌で氷を作ることになった。差し伸べた両手の上、ビリムがそっと傾けた水差しから落ちる水に意識を向ける。一粒ずつ力で包んで止めるような、そんな感覚だ。石粒のように氷が音を立てて重なった。
白い氷の粒を摘み上げる指が、掌を擽った。
「見事なものだなぁ」
そう褒められるのは少し、誇らしかった。妖精の力に関しては世辞ではないだろうと思えるから。
昼の休憩を経た主人は馬に乗りに行ってしまって、車の中は俺とビリムの二人きりだ。そうするとビリムも足を伸ばしてのびのびとしている。
「こっちだと尻が痛くなくていいな」
「でも眠くなる」
「旦那様の横で?」
「俺はいつもそれで寝てるんだから、正直緊張感ないよ」
「ファロに言ったら相当の鈍感扱いされるぞ」
「まあ、鈍いほうだとは思うけどさあ……安奴隷なんてそんなものだって。いつも半分寝てるんだから」
「妖精だけ起きてるってやつだろ。あんまりやると最期には言葉も喋らなくなるっていう」
「死ぬときは老人だって似たようなものだろ。……向こうの馬車はどんな感じ?」
「やることは大して変わらねえよ。作業して、皆飽きたらちょっと暇潰しして……俺も話しかけられるし、歌えって言われることもある」
何をしていろと言いつけられたわけでもない。から適当に喋って過ごしている。ビリムとしてもさすがに奴隷二人だけの馬車では好き勝手に歌うこともできず、たまに鼻歌は聞こえたが俺に付き合ってくれる時間のほうが長い。
馬車が長く止まったなと思ったら、休憩らしく主人が戻ってきた。馬に乗るのにいつもと違う丈の短い上着を着て髪を纏め上げている姿はちょっと若く見える。
「おかえりなさいませ」
ビリムと二人で出迎えるのはなんだか変な感じだ。
「カルミジ殿……奴隷商が宴を開くそうだ。招かれた。お前たちも連れていく」
茶の用意をさせながら主人が言うのに返事をして――いつもならどうしようもないところ、今日は隣にいたビリムを見る。返事は俺と共にちゃんとした彼だが、やっぱり浮かない顔をしていた。
奴隷商、宴。なんとなく憂鬱な単語の並びだ。主人も、何もされない、なんて言わない。あっさり軽い口振りだけれども。
「当家の奴隷も見たいのだそうだ。……まあ、少し触られるくらいは我慢しろ。いつものことだ」
「はい……」
ビリムを向いて言ったが、俺もだろうか。まあビリムと違って手を出したいと思われるかは怪しいけど、前みたいなからかいはあるかもしれない。でもそう気構えできるだけまだいい気がした。俺も少しは金持ちの家の奴隷として慣れてきたなあなんて思う。
そうして日暮れ頃、今日は宿ではなく空き地に天幕が用意された。一応は街の一角らしく、暗くなってくると遠くにはちらほらと住宅の灯りが見えていた。此処なら野獣や追剥の心配はいらないだろう。
リーシャットの天幕の一角で屋敷に居るときより控えめに、外出の支度が始まる。用意されている衣装箱や化粧台は勿論屋敷の物より格段に小さく簡素だったが、それでも急ごしらえとは思えない充実ぶりだった。
一層豪奢に着付けられる主人を遠目に、俺は鸞の羽のような、綺麗な青色に金刺繍の衣を被せられた。薄いけど前の……アレみたいに透けないし、裾も膝まではある。ほっとした。
見れば、ビリムも揃いの青い服を着せられていた。同じ服で並べたら俺が貧相に見えてしまいそうだけど、まあそれは服が違っても一緒だった。俺が気にすることじゃない。
髪を梳かされ、顔や胸元に粉がはたかれて、手に羽根模様とリーシャットの名が入った。触れるべからず、とはなかったけど、読めるようになった今は十分に護符のように感じられた。首輪を磨いて、見慣れてきてしまった装飾品の輪と鎖が手足につけられる。今日は金の鎖。やっぱり細くてちぎれそうな、頼りないものだ。腰にも一本巻いて紐の代わりになる。
隣で出来上がったビリムを見て、はあ、と息が漏れた。本当にザフラもこいつも、半分くらいは花精だったりするんじゃないか。
「お前、やっぱりすごく綺麗だな」
褒めたのにビリムは嫌そうな顔をする。整えられた眉が寄って、頭を掻こうとして、止めた。香油をつけて丁寧に形を作られていた髪が崩れて叱られるからだ。
「なんだよ――嫌味……じゃないんだよな、お前の場合」
「違うって。ほんとに綺麗だと思っただけで」
「やめろやめろ」
勿論、ただの褒め言葉だ。嫌味なんて言っても何にもならない。
「戯れているな。仲良くなったなら何よりだ」
こそこそやっていると主人と、今日は一緒に着替えていたハリュールも支度を終えて近づいてきて、ビリムの背筋が伸びた。俺も姿勢を正す。主人は俺たち二人を並べて眺め、二度頷いた。
「――うん、悪くない。では行くか」
本当にそう思っているのかも定かではない平淡な口振りだったけど、主人が言ったのでなんだか安心した。ビリムには絶対見劣りするとしても、主人がいいならそれでいい。羽織り物を翻して歩く後姿からは、いつもより濃く香が香っていた。
俺たちの服もそうだが、主人の羽織りやハリュールの帯に、今日は青色が目立つ。多分目印なんだろう。それもまたリーシャットの、鸞の加護のようで心強い。
向かう先に見えている砂色の幕は以前の夜会の天幕に似ていて少し、嫌な予感もしたけれど。
「ようこそおいでくださった。さあ中へ」
体格のいい男が天幕の前に立ち塞がった――と感じたのは、奴隷商だからだろうか。実際には朗らかな声と笑顔で主人を招く。きつい鳶色の目。値踏み品定めをする視線。腰に鞭の影もあってつい目を逸らした。
「今宵の招待に感謝を。約束どおり我が家の奴隷も連れてきた。仕事をさせようか」
「有り難い。ですが白奴隷なら大勢おりますので、そちらを使っていただければ」
なんとなく嫌な感じのする男だったが、まあそもそも、奴隷商なんていい印象になりようがない。ビリムも同じように身を固めて、この場をやり過ごそうとしているのが気配で窺えた。
天幕からは暖かい空気が漏れていた。明るさ以上に、その気配が俺たちの気を引いた。引き寄せられるように目を向けた先に奴隷たちが腰掛けて、酒の甕に寄り掛かっている。
多数の白奴隷の中に一人だけ、色違いが居る。
日焼けより濃い色の肌、炎の先の赤い金色で波打つ髪。さらりと流れる柔らかな布を腰に巻いて上体を晒している、奴隷とはいえ季節に不釣り合いの薄着。妖精を縛める鉄の首輪。特別奴隷。
火精だ。
「コステア産です。二級品ですが普段使いにはむしろ適当かと」
あの奴隷が天幕を温めている。主人たちにはきっと丁度いいくらいの温度だろう。奴隷商が言うのも彼のことのようだった。
「火精か。なかなか見栄えがする」
「でしょう。力量もなかなかですよ」
年は俺と同じくらい。見た目――顔の作りも多分大差ない。いや、虫食いではなさそうだからやっぱりあっちのほうがましなのかもしれないが。ともかくビリムのほうがずっと美人だ。けど、その色は珍しくて目を引くだろう。王宮でもそうだった。
先に寛いでいたターウス様も主人たちと挨拶を交わして、話を向ける先は火精の特別奴隷だった。
「やあお疲れ様」
「やあ。火精に興味はないのか?」
「私は昼に見せてもらったから、アルフ殿が見せてもらうといい。いやはやなかなか、珍しいし、便利そうだが」
「王宮の様を見ているとな、家に一人でもいれば色々と楽だろう。妖精の火は煤払いが要らぬという」
「でもねえ、特別奴隷を増やすのはねえ、妻や家令に怒られそうで」
「我が家もそう変わらん。多いと税がかかるからな」
「なに、税の分以上に得をしますよ。室温の調節は自在ですし、湯沸しにも時間が要りません」
ああそうか、ただの宴の暖房じゃなくて商売、主人に売りつけるつもりで連れてきているんだ。
火精は氷精より数が少ないから市場でもあまり見かけないし――そうなると、奴隷として持っている屋敷は珍しいだろう。王宮には居たし、リーシャットくらい格が高ければ、居ても不思議はないんだろうけど。
俺のときとは違って等級の低い奴隷市でもない。商人がこうして一人ずつ見せるような奴隷なら、変じゃない。
窺った主人の横顔はいつもどおり、外で誰かと話しているときのにこやかなもので、火精を欲しがっているのかは分からないが。
奴隷商が火精のほうへと主人を促す。何か耳打ちされて、振り向いたハリュールが逆側を指差した。
「お前たちは酒でも冷やしていろ」
「ではこちらへおいで」
俺たちが返事をするより早く、ターウス様が手招く。勿論嫌とは言えなくて、主人と離されてしまった。ビリムも居るから、そんなに不安ではないけど。
でもすぐに商人の指示で他の奴隷たちもぞろぞろとやってきて――彼らが仕事をするから冷やす酒もなくて、周りに比べても構いたい顔ではないだろうに、ビリムと共にターウス様の隣へと座らされてしまった。
以前の夜会の天幕に比べ足元が固くて転げそうにないのは幸いだった。鎖を絡めないよう姿勢を崩さないよう気をつけて、行き先なく組んだ手を膝に置いて、ターウス様が振る話に付き合う。
「旅は初めてか、もう疲れたろう」
「はい、ですが、よくしていただいておりますので……」
主人と一緒の馬車で寛いでいるなんて言ったら、荷車に詰められているに違いない他の奴隷の目が痛い気がしてそんな受け答えしかできない。
もっと……そう、愛想笑いでもしないと。ちゃんと主人といるときのようにしないと。この前の遊びの練習、屋敷での指導を思い出す。上手く笑えている気はしないが。
「ターウス様は、毎年南に行かれるのでしょうか?」
「私は一年おきくらいかな、他にも担当者が居るからね。今回は私の管轄の鉱山が――」
幸い、ターウス様は喋るのがお好きなようだった。他の白奴隷に酌をさせながら楽しそうに語るのを、時折頷いて聞いていれば大丈夫そうだ。後は酔っ払ってどうにかならなければいいが。
「菓子は好きかね。何かやろうか」
聞き役に徹して暫く経って、肴を齧りながらの問いかけにはたとする。
「は、い。いえでも、主人の許しがありませんので」
咄嗟に返事をして、首を振る。今日は食うな飲むなとは特に言われていなかったが、だからといって主人以外から好きに物をもらっていいとは思えなかった。
ターウス様は笑って俺の向こうを見た。振り向けば奴隷商やハリュールと談笑していた主人と目が合う。頷いたのか、顎で示したのかは分からなかった。多分、俺にではなく、ターウス様にだ。
「いいとさ。ほら、何が好きだい」
「では頂きます」
旅の途中だからだろう、金の盆の上は酒肴も菓子も日持ちのしそうな、乾物や焼き菓子が多かった。とやかく選んだりしないで、手前の皿から砂糖漬けを手に取る。小さく細長い、黄色のこれは――
「柑橘が好きか。やはり奴隷といえどリーシャットの物か」
レモンかオレンジだろうとは思ったが。続いた言葉の意味がとれなくて、つい首を傾げた。
「回青の園に居るんだろう」
「かいせい?」
次に来た言葉も知らぬもので、小さく聞き返すとターウス様が目を丸くする。
「君は離れに囲われているのではないのかい? あの見事な庭の名は、違ったかな」
思えば、俺は庭のほうには出たことがない。あそこをちゃんと見たことがない。名前を聞いたのもはじめてだった。庭に名前がついているのさえ知らなかった。
多分そうなんだろう。口にもそう出かけたが、以前適当に物を答えて主人に怒られたのを思い出した。
「……お屋敷の園はそう申します」
分かりません、と言う前に代わりに答えてくれたのはビリムだ。ぼそと、歌声とはまるで違う不慣れな様子だったけれど。
「申し訳ございません、それは新入りなもので……」
「ああそうかそうか、いやすまないね、困らせてしまったか。お前も食うか」
ターウス様は気分を害した様子もなく、また笑ってビリムに砂糖漬けの皿を押しつけた。もしかしたらもう酔ってきてるかもしれない。そんな調子だった。
「頂きます、ありがとうございます」
ありがと、と口の動きで礼を言う。ビリムはそこだけいつものように、素気なく頷いた。
かいせい。園というからには植物の名前だろうか。物語に出てきた棕櫚の園みたいに。俺が選んだ菓子の話みたいだったし、柑橘とも言ったし、果物のなる木か……うっかり考えて気が散りそうだった。はっとして手にしていた菓子を口に入れる。甘くて、香りがよくておいしい。これは確かに、好きなほうだ。
ターウス様は他の奴隷にも気前よく菓子を勧めて食べさせたので、周りの雰囲気も和らいだ気がする。話題はこの前の王宮での仕事――七の宴のことになって、あのときにも俺を見かけたとか、作った氷菓が美味かったとか、そういうことを言われた。
請われて、戯れに掌で氷を作ることになった。差し伸べた両手の上、ビリムがそっと傾けた水差しから落ちる水に意識を向ける。一粒ずつ力で包んで止めるような、そんな感覚だ。石粒のように氷が音を立てて重なった。
白い氷の粒を摘み上げる指が、掌を擽った。
「見事なものだなぁ」
そう褒められるのは少し、誇らしかった。妖精の力に関しては世辞ではないだろうと思えるから。
40
あなたにおすすめの小説
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
白冥霜花
紫雲丹
BL
鬼となった亡国の将軍と、天命を背負う元腹心。かつての主従が再び交わるまでの中華幻想譚。
* * *
復讐の末に命を賭した主君・凌虎渓の後を追い、処刑された顧秋霖は、その忠義を天界に認められ、神の使い『天吏』として召し上げられる。三百年後、天帝の命により、秋霖は失われた祓魔剣を探すため人界へと降り立った。捜索の旅で出会ったのは、奇妙な深鬼・百骨盃酒。彼の協力を得た秋霖は、三千年前に滅んだ『伏国』と祓魔剣の因縁にたどり着く。だが、百骨盃酒の言動や姿に、秋霖はかつての主君・凌虎渓の面影を重ねてしまい――。神と鬼と人、過去と現在が交錯する中で秋霖は自身の信義と向き合っていく。
* * *
主×従の全四章構成です。前半は全年齢ですが、後半は過激な表現が含まれますのでお気をつけください。
丹田・点穴・内功など、中華ファンタジー特有の表現が登場しますが、用語は冒頭に注釈を入れております。雰囲気を楽しむくらいの気持ちで読んでいただければ大丈夫です。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる