こがねこう

綿入しずる

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五歩 巡る

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 儀礼の指定があるのはジンイから程近く、南側の農村だった。麦や豆、諸々の野菜を育てて町に供給するのが主な役割で、特別広いわけでもなく地図で確かめたところで素人目には要点とは見えなかったが――占いというのは得てしてそういうものらしい。何も無いような場所もこうして巡っておくことでよい結果に繋がる。儀礼の準備は専門の部署が一年ずっと行っているというのだから、恐らくは熟考の結果なのだろう。
 実際見ても土地の印象は変わらなかった。各地で見られる普通の農村だ。建物がほとんど無く見晴らしのよい土地は行く先の遠くまで、儀礼の目印として杭を打って結わえられた、金の尾コノオの衣装と同じ朱色の幣までよく見えた。
 眺めた先はまだ作物が育っていないこともあり土色ばかりでどこか寂しい印象だが、人出は多くあった。ジンイやこれまでの町でもそうだったが、皆行脚の見物に出てきているのだ。この村の者だけでなく近くから出てきた者もいるだろう人数で賑わっている。働き盛りの若者も、腰の曲がった老人も、幼い兄弟も、男も女も居た。来たぞ来たぞと口々に言って、こちらに視線を向ける。
 やはり赤い華やかな幣、神威の光を象った黄金の飾笏しょくしゃくを掲げて案内の役人たちが先導する。
 禊を済ませ正装の月色をした麻の衣に着替えて飾り鉢巻を締めた巫覡二人に、護衛が三人、そして金の尾と岩偶ガグ。その後ろを今日はオウチとイタドリと共に久々の駆駒ククに跨って往く。儀礼を行うのは金の尾と巫覡だけで、行列を組む必要はないので全員は連れ出さなかった。一応、何か判断が要るときにはと賓館のほうはマユミに委ね、俺はこちらについてきた。
 俺の監督も義務ではなく、役人の側からは休んでいてはどうかとも言われたが。何か心配しているわけではないが、一番重要なのはここなのだから見届けるべきだろうと思った。引率として、この先もそのつもりだ。
 ジンイの町からは通える程度の距離なので、近頃の歩き方を思えばこれは散歩のような気軽さだった。晴れ空の下、荷車が行き来し出来た轍の上、視線の中をまっすぐに行く。
「あちらでございます、金の尾殿」
「はい」
 人と駆駒の足音と鳴杖の音ばかりが連なって、暫く。目印に辿り着いて立ち止まる。役人も同行している為に朝から静かなススキだが返事の声は明瞭だった。
 俺たちも駆駒を降りて少し離れたところから見守る。金の尾が靴を脱ぎ素足になる間に巫覡の二人が祭壇を整える。折敷おしきに酒を供えて切火をし、儀礼の宣言をすると空気が澄んだように思えた。
 裾と、ついでに襟元も整え鳴杖を持ち直した金の尾が巫覡を伴い畑へと入っていく。神と帝への祝詞を捧げた巫覡が漆塗りの櫃の封を解き、恭しく蓋を開けた中から包みを一つ取り出す。国都で用意された儀礼用の灰だ。包みを開き土へと撒いて、杖を掲げて祈る時間が少し。
 そこからは至って単純、単調だ。踏みしめ、杖で打つ。今はまだ土が広がるばかりの大地を、金の尾が歩む。それだけではある。
 それを、皆が実りの季節を思い描き祈りながら見守っている。美しい景色だった。俺が何をするわけでもないのに眺めていると胸に満ちるものがある。
 見慣れてきたが――見慣れてきたゆえに、か。黙して儀礼に臨むススキは、話しているのとはまた別人のようだ。歩いているだけだというのに目が離せぬほどに美しい。
 曾祖父は、最初はよくても段々同じことの繰り返しで飽きてくるなどと言っていたらしいが。飽きるだろうか。もう見るのも五回目になるが今のところその気配はない。
 田畑ごとに決められた歩き方で巡り、祭壇の前で鳴杖を鳴らして三礼。それでこの畑は終わりだ。足についた土を軽く拭い薄い履物をつっかけたススキは、民草に拝まれながらまた杖を鳴らして少し先、次の畑を目指す。慣れた雰囲気で動く、何処に居ようと目立つその背を追って俺たちも移動する。
 昼休憩を挟んで今日は四か所。問題なく進んだ。
 今日の分は最後の畑とやってきた先は、近所の子を集めて子守りをしているのだろう、それまでよりも子供の姿が多く見えた。背負われ、手を繋いで、寄り合った幾つものつぶらな瞳がじいとこちらを見ていた。
「本当に金色ねえ。きれえ」
「尾っぽ見えないよ」
「大事なものだから隠してらっしゃるんだ」
 大人や年上の子供たちに窘められながら、こそこそと多少潜めた小声のつもりでも、幼い高い声は零れて聞こえてくる。金の尾の姿や華やかな道具を見て興味深そうにしているのは微笑ましかった。
「しっぽ、見えたらお金持ちになれるんだって」
 富を齎す、というのは巷では明け透けにそういうらしい。
 政を知る者ほど金の尾のよからぬ話のほうを気にして構えるが、どれももう三百年より前の話だ。庶民には聞こえよく分かりやすい話のほうが根付いているようだった。ススキのこれまでの振る舞いを思えば有り難がられてそう噂されるくらいが似合いだろう。これがあるべき姿なのではと、そう思う。
「見えないのかなあ」
「ねえそれより一つ目のおばけいるよ」
「あっちのひとはすごく大きい」
 岩偶や俺を指差して騒ぐのも聞こえた。眺めているとちらほらと目が合ってしまって、笑っておくが怯んだ気しかしない。それでも他より頭一つ二つでかい体や派手な将軍の黒外套が気になるのだろう。視線は絶えず感じられた。
 儀礼が始まると巫覡の声に驚いたように彼らも一時しんと静まり返った。そろそろ俺も覚えられそうな祝詞が朗々と続き、決まった作法で灰が撒かれる。これまでより舞ったそれに風が出てきたのを知る。
 ススキが踏み出し、一歩二歩と進む。そのときにまた風が吹いた。翻る朱色が一際大きく――風よりもはっきりと。
「あ!」
 子供だけでなく、多分大人たちからも声が上がった。息を呑んだ者もいただろう。
 裾の内にさっと走るかの金色の光。瞬く間の出来事だったが確かに見た。金の尾の名のとおりの、実り穂色の立派な尾が揺れたのを。
「ね、見えた見えた? おれ見たよ!」
 笑う子供の声に心中で頷く。悠然と歩むススキもまた、笑っているような気がした。
 ――風に吹かれて裾は動くが、捲れ上がるほどの勢いはない。それほどの強風ではなかった。汚れを拭って靴を履きなおした足も裾の下で精々爪先や甲しか見えない。
 歩み寄ると見上げてくる、こちらも半分は朱色に隠れた顔は変わらず澄まして見えたが。
「ご苦労。戻ろうか」
「はい、お疲れさまでした」
「……わざとだろう」
「風のせいですね」
 何とは聞き返さずすぐにそう答えるのだからやはりわざとだろう。取り繕うつもりのない受け答えには笑ってしまった。
 別に注意をしたいわけでもない。男なので足のほうは股引も履いているし、服の下にされているのはそういうものというだけで、秘して守らねばならないことはないようだから。見せびらかすのはまあ止したほうがよさそうだが、今日のくらいは風のお陰の幸運ということで皆喜んで終わりだろう。
 贅沢な明るい色のたっぷりとした布地。ゆらゆらとするその下に、尾がある。
「俺も外套や剣でも見せてくるかな」
 あまり考えすぎるとあの夜の感触も過ぎるので意識を他所へと逸らして――まだ居る子供たちのほうをちらと見て冗談を呟くと、堪えきれなかったようにススキも笑った。尾ほどではなくとも将軍の持ち物は珍しくて見せごたえがあるだろうが、そういうことをすると威厳が出ない。手柄の横取りもよくないので此処では止めておくことにした。
 ともあれ今日も予定どおりにすべての畑を訪れて、撤収だ。巫覡の二人も労い帰路につく。
「あら、あそこ花が咲いてる。梅かしら」
 その道すがら。巫覡――巫の若い女、アズサ殿のほうの呟きに皆の視線がそちらを確かめる。左手の日当たりのよいところに見えたのは確かに、紅白の梅林だ。
 ……日の傾き具合を確かめても、まだ早い。寄り道をしても暮れるまでには余裕で帰り着くだろう。
「儀礼は終わったし、急いで戻ることもないだろう。少し見ていってもいいか」
「ええ勿論、構いませんとも」
 快く応じてくれた役人たちと共に近づいていけば、十本以上、結構な数が花を咲かせていた。馨しい香りも感じられる満開だった。
「なかなか見事だな」
「ええ、ええ。やっぱり花はいいですな。都も里も美しい。春を実感しますわ」
「いい香り。紅も白もあるのは贅沢ですねぇ」
 年の離れた巫覡の二人組だが、姪と叔父だといい何かと仲がよい。儀礼には神妙な空気を纏う彼らがにこにことして楽しげだと周囲の気も緩んだ。
 駆駒を繋ぎ、休憩と同じように筵やおりかもが敷かれるのに腰を下ろして息を吐く。見上げると青空に花が映える。
 そうして花吸いの小鳥が行き交うのを眺めるうちに、籠を携えた役人の青年が寄ってきた。先程までは飾笏を掲げていた彼は横に傅いて、湯気の立つ茶を注いでくれた。
「このような物しか用意できませんが、よろしければ」
「十分十分。世話をかけたな。……持ち主にもよく礼を言っておいてくれ」
「は。恐れ入ります」
 井戸水でも有難かったが温かい茶はやはり嬉しい。気まぐれの寄り道に慌てて用意したにしては茶だけではなく、梅漬けまであるのは気が利いている。その辺の家から借りてきたのだろう不揃いの茶碗と皿だった。
 役人が持っていくよりも先に自分で寄ってきたススキが、飲み食いするならと顔の覆いを摘まみ、後ろで結んだのは解かぬままに顎までずり下げる。息を継ぐように吸いこんで形のよい薄い唇の端を上げて笑みにするのは、それもまた花が咲くような雰囲気だった。
「ほんとだ、いい匂いしますね。――お茶ありがとうございます」
 顔が晒される瞬間はどうも色気があって、見てしまう。役人たちも見惚れる様子で、軽く礼を告げられた人はどぎまぎとして空のままに杯を手渡しかけた。
 熱い茶は染み渡るようで、口を窄めるほどの梅の酸味は喉や頭をすっきりとさせた。酸いだの美味いだの言いながら味わって笑った。
 座って眺め、歩いて寄り、暫くは思い思いに花を愛でて過ごした。咲き誇る梅も然ることながら、その下に佳人がいるのはなんとも格別によい眺めだった。花見ついでについ視界に入れてしまうのは誰も責められまい。
 ススキは機嫌よく、儀礼の最中よりも気ままな足取りで一つ一つの木の下を巡り枝に手を伸ばし――零れた白梅を軽く握って、行先を考える間を置いて結局は傍らに控えた岩偶の手を取って載せた。掌を上向けたままの彼女を伴って隣の木へと移っていく。戯れるその様がちらと記憶を擽った。
 ……何か、覚えがあるような。
「――あ」
「どうかしましたか」
 一瞬後、小さいながらに声を上げてしまった。横に居たオウチがすぐ伺うのに首を振る。
「……いや、なんでもない。ちょっと思い出しただけだ。――そろそろ行くか」
 なんとも驚くことを人に教えたい気持ちはあったが、思い留まり曖昧に応じてその場は済ませた。もう一度見遣ったススキは護衛のセンリョウと何か話して笑っている。こちらを見たので手を挙げて、それから立ち上がって茶碗や敷物を片付けた。
 紅白を一枝ずつ土産に貰って帰る道は、皆行きよりは疲れているはずがどことなく張りがあった。俺はその中で一人、思い出した昔のことを幾度も反芻してしまって心中落ち着かなかった。
 ――本日、六十から六十四番の畑にて儀礼奉る。すべて滞りなく。続けてジンイに滞在す。
 賓館に着けば待機させていた執筆にそう予定どおりの報告をさせて、やや急ぐ気持ちで部屋に戻った。外套だけ脱ぎ、剣やら何やらより前に腰に括った錦の袋を取り外す。外套と合わせるように黒地に金糸銀糸の中に二重にして、さらに小さい守り袋がある。
 座りながら硬く結んでいたその口を開いて、中身を掌へと空ける。武運や旅の安全を祈る呪い札、成人で貰った紐飾りなどと共に、ころりと転がり出てきた。
「ああ、あった」
 白い花と重なった記憶の品は、入れっぱなしにしていた覚えのとおりにちゃんと入っていた。摘まみ、明るいところへと持っていくと少しきらきらと光る。よくある庭の玉砂利の一つだろう乳白色の小石だ。すべらかな表面で、丸さは割と整ってはいるが何かの宝玉や力を込めた品というわけでもない、ただの石ころ。
 ――これあげます。口止め料。
 ……たしかそんな風に言って小さな手から押しつけられた。あの梅の花のように。
 十四、五年も前か、城の庭で人を待っていたときに子供とぶつかった。金の髪の幼子だった。
 金の尾に違いない、垂穂宮たりほのみやから抜け出して遊んでいたらしいその子を助けた。転んだのを起こして怪我がないのを確かめた後、誰にも告げ口せず一瞬隠して見逃しただけだが――その礼がこれだった。
 握りこんで体温を移した石は童の宝物の風情、丸く白く綺麗なのでなんとなく見出された理由は分かるがまったく高価そうではなく、その辺にも敷かれているのと同じで貴重品とは見えなかったので貰っておいた。金の尾からの貰い物なら何か利益でもあるかも知れぬと守り袋に入れてそのままだ。
 たまに守り袋を変えたり物を入れたりするときには目についたが、それ以外は特に取り出すこともなかった。誰にも話さずにいたし、金の尾とはいえ――たしかに妙に達者な口振りではあったが、ただの子供だったなと思ったからすっかり忘れていた。
 あのときは娘とも思ったが……年頃は合う。あれは今同行している、彼だったのではなかろうか。
 もしやそんな縁もあったのか。だとしたらなかなか異なものだ。十年以上も昔、長く話したわけでもない、名乗ってさえいない。それきりだから向こうも忘れているかも知れない。これを見せれば思い出すだろうか。……人違いだと気まずいな。
 小石を揉みながらそこまで考えて少し冷静にもなったところで、数日の行脚を思った。ススキは存外に気安い話し相手だ。改まって声をかけねばならないわけではない。
 そのうち他の金の尾のことも確認して、間違いなさそうなら聞いてみようか。口止めされたことだから、それは二人だけの機会があれば。
 なんとなく決め、それでようやく奇妙に逸ってそわついた心地は――多少、落ち着いた。小石と他の物を揃えて袋に入れなおし結び目を閉じる。いつもより存在感を持った錦の袋は卓に置いて、やっと他のことに取り掛かる。
 気に入った美人との運命めいたものを感じて喜んでしまうと同時に、部下の忠告も脳裏を過ぎる。残念ながら口説いて遊ぶには向かない相手だ。落ち着いて捉え、単なる話の種くらいに思わなければならない。残念だが。
 頭を冷やすのに食事より先に風呂でも頼もうかと出ていった廊下もまだ明るい。花見をしたこともあって大分、春が進んだように思えた。
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