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・ゆっくりおさんぽしよう(ほのぼの)
いつもと同じだよ
しおりを挟むクレープで小腹としあわせを満たした後は、優兄を床屋さんに連れて行った。
ちいさな頃から通っている店で、たった一言「おまかせで」とお願いすれば二十分ほどで清潔感のあるスッキリとした髪型にしてくれる。
店主はとても無口。
呼吸する音すら聞こえない。
針金みたいに細い指で素早くハサミを操り、愛想も無ければ、世間話もない。散髪に特化したマシーンみたいなのだ。
店内で聞こえるものといえば、自動的に流れる『いらっしゃいませ』と、料金を読み上げるレジの音声だけ。
どちらも無機質で、女性でも男性でもない声質をしている。
無口な店主はいつも、優兄の持つ白い杖を見ると無表情のまま、小さくうなずく。
肩にやさしく手をそえてイスまで案内するという散髪以外の動作が増えるものの、あとの時間はハサミだけに集中しているようだ。
付き添いのオレはスマホに目を落とし、鏡の向こうの優兄をときどき見る。──いや、本当は店主を観察している。
毎日新調しているんじゃないかと思うほど真っ白でパリッとしたシャツ。
シワが無いのは服だけじゃなく、のっぺりと平坦な顔も十五年来ずっと変わっていない──気がする。オールバックの髪型も同じ。
理容師というより老舗の喫茶店のマスターの気品だ。お店の空気がコーヒー色に染まって見える。
なんだか、この店のなかだけは時間の経過を拒否しているみたいで不思議だ。
空気にガムシロップをまぜているみたいに、ねっとりと滞っている。
一歩外に出ると、商店街は忙しない。駅が近くて通行人も多いせいか、時間や空気が早く進んでいる気がする。
その早さに巻き込まれて、シャッターが下りたままの店がぽつぽつと増えてきている。
昔通ったおもちゃ屋さんも、いつもスニーカーを買っていた靴屋さんも、半年前に閉店してしまった。そのことを優兄はまだ知らない。
肩をトントンと二回叩かれて首周りの毛をブラシではらってくるのが、散髪終了の合図だ。
「どう? カッコよくなったかな?」
鏡で確認できない優兄は手探りで前や後ろのチェックをしたあと、オレに最終ジャッジをゆだねてくる。
「いつもと同じだよ」
嫌味ではなく、敬意をこめてそう言うと、かたわらで見ていた店主は『そうでしょうとも』と自信ありげにうなずく。
やっぱり無口だし、無表情の不愛想。だけど、たとえ優兄がひとりで切りに来たって、この店主は一切手を抜かないだろう。そんな誇りが伝わってくる。
もしかすると『いつもと同じ髪型』は本当に『いつもと同じ髪型』なんじゃないだろうか。一ミリの狂いもなく前回と同じになっているのかもしれない。
正確に計測して検証してみたいけど、夢が壊れてしまうのはいやだから我慢だ。
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