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六十七、論理くん、私と夕日を見る

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「こんなところがあったなんて…きれい…」
「いいだろ。このあたりの海岸は、みんな西に面しているから、どこでもこんな夕日が見れる」
暦は四月の初頭。春休みももう終わろうとするとき、論理は不意に、「夕日を見に行かないか」と、私を誘ってくれた。急な話で何を着て行こうか迷ったけれど、いつかのカラオケデート(懐かしいな)のときに着た、Baby, the Stars Shine Brightの黒ワンピにした。裾やボディにフリル、前にはバッスル。そしてセーラーカラー。後ろがファスナー開きなのが論理好み。案の定、論理は私と会うと開口一番に、「文香!その黒ワンピまた着てくれたのか!背中ファスナーめちゃかわいい!」と小躍りしてくれる。
そんな論理と、勾玉鉄道の尾風駅から電車に乗る。二十分ほど揺られたところで降り、てくてく歩くと、急に視界がひらけて海岸に出た。もうオレンジ色になった太陽が、水平線にどんどん近づきつつあり、海もまた、太陽の光を浴びてキラキラと光っている。海は何度か来たことがあるけれど、こんなにも美しさに酔った情景は初めて見た。私たちは砂浜に出て、波打ち際へと進んでいった。穏やかな波が、ゆったりと打ち寄せている。
「えへへ…ねえ、ちょっとやりたいことあるんだ」
私は笑って、棒切れを探した。打ち寄せられていた木の枝があったので、それを手に取ると、波打ち際から少しだけ離れたところに、大きく相合傘を書いて、『ろんり』『ふみか』と、名前を書いた。
「ふふふ!青春って感じ~!」
ところがそこに、一段と大きな波がやってきて、私たちの相合傘は波に消されてしまった。
「あー!消えちゃったよー!せっかく書いたのに…」
「よし、それじゃあ俺が」
論理は枝を手に取ると、同じ相合傘を力強く書き直してくれた。そして、私の背後に回ると、後ろから私を抱きしめる。
「文香、この相合傘みたいに、俺たちの愛も、何度も波にかき消されそうになるだろう。でも、たとえ百回かき消されても、百一回書き直せばいい」
「うんっ」
私はそう答えて、「すはあああっ」と息を吸い込む。私独特のブレス音(論理聞いてくれるよね)とともに、腹式呼吸のお腹がぐうっと膨らむ。
「論理と私、ずっとずっとこうしてるもんね。そうやって愛を積み重ねながら、永遠に続くんだ!」
オレンジの光に私たちは目を細めた。私を抱く論理の腕に、力がこもる。
「文香、ちょっとうつむいて」
「ん」
いつものように、私は、ピッとうつむいた。
「襟足、相変わらず全然ギザついてないな。うなじもきれいに剃ってあるし」
「えへ。ありがと」
褒めてもらっちゃった。襟剃りとヘアブロー、がんばってよかった。
「ねえ文香、どうしてそうやってピッとうつむいてくれるの?」
「論理が喜んでくれるから!」
「どうして俺が喜ぶことしてくれるの?」
「論理が好きだから!」
私は、いつものこのやり取りが大好き。
「ありがとう。俺も、この空にオレンジの光がある限り、文香が大好き」
「私も、この眩しい海がある限り、論理のことが大好きだよ」
私のセーラーワンピを抱きしめる論理の腕に、さらに力がこもる。私も、その腕をぎゅっと抱いた。
「ねえ論理、論理は、私のどんなところが好きなの?」
「決まってるだろ。そのセーラーロリワンピの背中にひと筋通ったファスナーだよ」
「ひどおい。そんだけなのお?」
私がふくれ面をすると、論理は「あはは」と笑った。
「ごめん冗談。それはやっぱり、その広くて深い心かな。その心で、俺をどこまでも包み込んでくれるのが好きだ」
「…自分じゃそんな心の持ち主だとは思わないけど、でも、論理は私のそんなところを見つけて、好きになってくれたんだね。この砂浜の中から、ダイアモンドを見つけてくれたようなものだね」
「そのダイアモンドは、いくつもある。いつものそのソプラノをただ俺だけのために必死に息を吸って歌ってくれる。『すはあああっ』と文香独特の音を立ててね。それもダイアモンドの一つだ」
私は、思わず、ふふっと笑った。
「論理はほんとに私の歌声や呼吸が好きなんだね。私が呼吸するとき、論理の愛が燃えて、私を温めてくれるよね。そんなとき幸せだなって、思うんだよ」
太陽はさらに落ちてきて、世界は一層のオレンジに染まる。空が燃えているようだ。吹き込む海風が冷たくなってきた。
「今、『そんなとき』の前で、息を継いだだろ。セーラーワンピのお腹がふくらんだよ。そんな文香の小さな呼吸さえ、俺の愛を萌え立たせるんだ。ああ、俺は、文香の彼氏でいてよかった」
あ、ほら、温めてくれた。
「その言葉、ロケットペンダントに入れて、ずっと持ち歩きたいな」
私たちはしばらく後ろ抱っこをしたまま、言葉もなく過ごした。太陽は、ゆっくりゆっくり水平線に吸い込まれていく。
「なあ文香、文香は、俺のどこが好きなんだ?」
「論理なりに愛情表現を豊かにしてくれて、一途に私を愛してくれるところかな」
「俺なりの愛情表現か。そんなに、独自性のあるものかな」
「大アリだよ。覚えてる?交差点のど真ん中でキスしたことあったでしょ。あと、私の歌声のシャワーを浴びてくれたりとか、街中で堂々と私の髪の毛を梳かしてくれたりとか」
「ああ、そうだった。そんなこともあったな。クラクションを鳴らすやつもいて、うるさいくらいだった。歌声のシャワーを浴びることも、文香の髪の毛を梳かすことも、文香を愛する者としての誇りだよ。俺にしかできないことだからな」
論理はそう言って、その腕を二回、ぎゅっ、ぎゅっ、と、締めた。論理の誇らしげな表情が浮かんでくる。
「ほら、俺にしかできないって言ったでしょ。だから独自性大アリなんだよ」
「そういやあそうだ」
そうするうちに、太陽の一番下が水平線に付いてくる。空には、夕焼け雲が浮かび、空と海とに一緒になって、赤々と燃えている。私のセーラー黒ワンピ姿も、赤く照らし出されているようだ。
「あ、太陽、沈んでいくよ」
「うん。真っ赤で美しいだろ」
「論理…。今日は、ここに連れてきてくれて、こんなきれいなものを見せてくれて、ありがとう」
「文香が満足してくれれば、俺はそれでいい」
水平線に足のついた太陽は、沈む速度を速めたかのように見えた。みるみるうちに、その姿を海の中に消していく。私たちは、後ろ抱っこをしたまま、無言でその有様を眺めていた。そしてついに、太陽は水平線の向こうに消えた。日没とともに急に冷たさを増した海風が、薄暗い海面の上を通って私たちに吹き付ける。
「太陽、沈んじゃったね」
「文香…」
「なあに?」
「太陽は沈んだが、俺の中にある愛の太陽は、永久に沈まない」
論理ったら…。論理のそういうところが、好きなんだなあ、私。
「じゃあ私は、いつもその太陽を輝かせる、青空のようでいたい」
私は、首を後ろに向けた。論理の文字通り太陽のような笑顔が、そこにあった。
「文香」
「論理」
「愛してるよ」
「愛してるよ」
「大好きだよ」
「大好きだよ」
「ずっと一緒だよ」
「ずっと一緒だよ」
そして、私たちは、唇を重ねた。そんな私たちの頭上に、一番星が輝き、私たちの行く手を照らすかのようだった。
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